神様SS集

ペーパーウェル06 参加作品

 さらさらと、髪の毛のように細い筋の雨が、港町を包んでいる。
 行き交う人は傘を広げたり、ポンチョ型の外套を纏ったりと水気を遮る工夫をしながら、早足に舗装された道を歩いていた。
 男は一度足を止め、頭上に広げていた白い傘を僅かに上げる。白い狩衣と袴を身に着けた男の目は、明るい茶色の目を持っていた。髪の色も目と同じ色で、骨に沿って短く切られた髪はふわふわと柔らかい。
 港町の外れに建てられた、赤と白のペンキで塗られた灯台が、霧の中でぼんやりと浮かんで見える。
 その灯台をほんの一時だけ眺めた後、建物を目指して進む人間の群れに逆らうようにして、足を進めた。
 童話の中から出てきたような愛らしい町並みを抜けて、林道へと入っていく。時々足を止めながら何度も周囲を確認して、くんくんと空気の匂いを嗅いだ。正確には、空気の中にある「迷子(さがしもの)」の匂いだ。

「こっちかな……」

 僅かに上げた傘を戻し、顔を隠す。
 すんすんと嗅いでは足を進め、進む先が合っているか確認する度に足を止め、匂いを探す。
 林道の奥に進むにつれて、段々と匂いが強くなってきた。甘い花の薫りが、雨の中でも消えることなく辺りに漂っている。
 濡れた地面の、しっとりとした感触を楽しみながら足を運んでいると、啜り泣く声が耳に届いた。林道から少し外れた茂みの中からだ。

「見つけた」

 茂みを掻き分けて、ようやく「迷子(さがしもの)」の姿を視界に入れる。あの世にしか咲かない花で作られた花冠と、子供用の白い死装束。小さな足にあったはずの草履は脱げていて、足裏に泥がついていた。烏の羽根に似た色の髪は腰の辺りまで伸ばされ、二つに分けて耳の上で結っている。
 男の「迷子(さがしもの)」は、この小さな女の子である。
 女の子は男を視界に入れると「ぼさつさま!」と呼んで、胸に飛び込んできた。

「こらこら。散歩中は勝手に雲から降りてはいけないと言っただろう」

「ごめんなさい……」

 よほど心細かったのか、女の子は男にしがみついたまま離れようとしない。

「どうして降りちゃったんだい?」

 男が優しく問いかけると、女の子は「たのしそうだったから」と答えた。

「おおきなおふねがあったの。あと、ふわふわしたぬいぐるみとか、おいしそうなおやつとか……」

「そっかそっか。近くで見てみたくなったんだね」

 男の言葉に、女の子はうんうんとうなずく。

「でも、勝手にどこかへ行くのは駄目だ。もうしないって約束できる?」

「うん」

「良い子だね。じゃあ……この辺ちょっとお散歩してから三途に戻ろうね」

「みんなには内緒だよ」と、男は女の子に笑いかける。
 女の子はようやく頬っぺたを緩めて、大きく頷いた。
 差してきた傘の下で、男は女の子を抱えたままゆっくりと来た道を戻る。
 草履を履かせようと思ったが、鼻緒が切れてしまったらしく、これは後で直そうと思い至って、男の懐に押し込んだ。
 林道から舗装された道に出ると、雨はさらに細く白くけぶり、白い世界へと迷い込んだみたいだ。

「これだけ白んでいれば、あの世の者が歩いていても気づかないだろうね」

 晴れの日であれば、ただの人間に見えないように細工をするところだが、今日は雨だ。人通りも、来たときと比べ疎らになっている。
 傘もあるしと、男は細工も何もしないまま、堂々と道を歩く。
 あの世の白い装束が、白い世界では保護色となって、男と少女の姿を隠していた。


「菩薩様、迷子ちゃん見つけられたかなあ? アヌビスはどう思う?」

 黒い四本足の獣の頭で、白い毛玉が口を開く。毛玉は、ふわふわとした羽毛に覆われていて、羽根の一部の毛が黒く、黒い瞳と嘴は小さな宝玉に見える。長い尾羽が特徴的な小鳥だ。愛らしい姿とは裏腹に、口が達者なのが難点なんだよなと、【アヌビス】と呼ばれた獣は胸の内で思っていた。

「さあなー。まあ、菩薩様のことだし、神通力もお持ちだし、なんとかなってるだろう」

「だよねえ、菩薩様だもんねえ。閻魔様と対になってる御方だもんねえ。じゃあいつ帰って来ていいように、お茶菓子を用意しておこう! 早速買いに行こうよ、アヌビス!」

「マテマテ」

 アヌビスは、動かしていた足をぴたりと止めて、頭に乗っているであろう白い毛玉を落ち着かせる。
 視界に入らないとわかりつつも、頭も少しだけ上げて、視線を上に向けた。

「俺たちは、川原の巡回中だっただろう。つまり、仕事中だ」

「散歩にでも行こうぜ」といった雰囲気の毛玉に、自分たちの今の役割を思い出させる。
 毛玉は「そうだったね!」と、明るく言葉を返した。

「でもさあ、きっとお腹空かせて帰って来ると思うんだよねえ。喉も乾いてるだろうしー。やっぱり、お茶菓子用意しようよー。理由を話せば、菩薩様も許してくれるよ、きっとー」

「仏の顔は三度まででは?」

「ボク、まだ二回しか怒られてないもんっ! あと一回猶予あるから、余裕余裕!」

 二回も怒られているのに、その自信はどこから来るのだろうか。
 アヌビスは、目を半眼にした。

「さあ! 早く行こうアヌビス! この道に行くと、美味しいお茶を出してくれるお店があってねえ」

「はいはい……」

「どうなっても知らないからな」と忠告しつつ、アヌビスは言われた道を歩き始めた。
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