短いもの(~4,000文字)
良いお年を
「つくし! お姉ちゃんが帰ってきたわよ」
十二月の三十日、小晦日。普段は東京で生活しているお姉ちゃんが実家で年を越すために帰ってきた。
お姉ちゃんの仕事は忙しく、帰って来れるのは基本的に年末年始だけなので、少しでもお姉ちゃんと過ごす時間を多くとろうと急いで階段を駆け下りる。
「お姉ちゃん!」
玄関でお父さんと話しているお姉ちゃんが目に入ったと同時に大きな声でお姉ちゃんを呼んで、走って勢いよく抱きつく。それほどまでに私はお姉ちゃんのことが好きなのだ。
「つくし、久しぶり。あと合格おめでとう」
お姉ちゃんは近づいてきた私の頭を撫でながら言う。
「えへへ、ありがとう」
もう少し話していたかったが、いつの間にかキッチンに移動していたお母さんが夕飯が出来たと言うので、ご飯を食べることにした。
「しかしまぁ、東京は雪が酷いだろうによく帰って来れたな」
食べ始めて少しして、お父さんがお姉ちゃんに話しかける。
確かにそうだ。ニュースで見たところ、ほとんどのバスや電車は止まっていたのにどうやって来たんだろう。
「彼氏に車で送ってもらったよ。今日はホテルに泊まらせてるから、明日連れてくるね」
“彼氏”という単語に思わず微笑むお母さんと、ムッとしちゃうお父さん。二人の表情は対照的だけど、去年お姉ちゃんに彼氏を紹介されてから少し経って、両者共に受け入れていることは確かだ。
「……もう、朱里(あかり)も二十五歳か」
しみじみと、今にも泣き出しそうな顔でお父さんが言う。そんな空気を察してか、お姉ちゃんは私のことに話題を移した。
「そんなこと言ったら、つくしが来年から大学生って言う方が驚かない?」
「確かに。あんな小さかったつくしが、もう大学生なんてねぇ」
お姉ちゃんに便乗して、お母さんが私を優しく見つめてくる。二人の視線に笑って応えた後、静かに俯く。
そう、私は来年の四月から大学生になる。
だけど、せっかく大学生になるというのに、私はどうにも来年を楽しみに出来ずにいた。
望んだ大学。望んだ学科の勉強。新しい大学生としての生活。そのどれもが高校一年生の時から憧れていたもばかりで、来年に多くの夢や希望が詰まっているのに。
その日は、お姉ちゃんが両親とお酒の席を共にすることになったので、お姉ちゃんと夕飯後に話す機会を得られず眠りについた。
「つくし、遊びに来ちゃった」
次の日の夕方、ホテルに彼氏の様子を見に行って帰ってきたお姉ちゃんが、私の部屋に来た。部屋が全体的に散らかっているから少し恥ずかしかったけど、お姉ちゃんと話せる機会が出来たことに心が踊る。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「昨日、つくしが何か一人で抱えちゃってる気がして」
おそらく昨日、会話の途中で私の表情が曇ったことに気づいたのだろう。心配かけて申し訳ないなとも思ったが、それ以上に、お姉ちゃんが私のことを気にかけてくれたことが嬉しかった。
自分の悩みを話すのは得意ではなかったので話すかどうか迷ったが、お姉ちゃんの気持ちを蔑ろにはしたくなかったので、意を決して重たい口を開く。
「実は……年が明けるって考えるとちょっと怖くて。今の高校の友達と離れ離れになっちゃうし、高校生の生活も終わっちゃう。何だか、来年は今まで持ってたものを沢山失う気がしてさ」
耐え難い喪失感、それが私の心を蝕むのだ。
私の言葉を聞いたお姉ちゃんは、夕日の光が当たって温かみを帯びている私の机に手を添えた。不思議に思ってお姉ちゃんの様子を見ていると、お姉ちゃんは優しく笑って言った。
「去年、ここに無かったものがあるね」
お姉ちゃんが視線を送った先には、私が買った文庫本があった。
「今年の夏くらいにSNSで気になる作家さんを見つけて、その人の作品を買ったらすっかり文庫本のことが好きになったんだ。それからよく文庫本買って読むようになったんだよね」
同じく文庫本を見ながら答える。今は数冊だから机に立てかけているけど、いつか本棚買わなきゃな。
「そうなんだ。あ、このノートは……“小説ノート”?」
お姉ちゃんが興味深そうにノートの表紙を見ながら聞いてくる。
「うん、自分でも小説書き始めたんだ」
少し恥ずかしくなる。自分の趣味はどうして言うだけでもこんなに恥ずかしくなるんだろうか。
「そっか、凄いね。あとで読ませてよ」
「う、うん」
頷いてしまった後で事の重大さに気づき、慌てて「気が向いたらね」と保険をかけた。
そんな私の様子を楽しそうに見ていたお姉ちゃんが、再び言葉を紡ぎ始める。
「また来年、私がここに来る時には何が増えてるんだろう。大学のものは勿論……趣味で言えば、編み物に意外とハマって、作ってる途中の作品が机の上に乗ってたり、つくしは歌が好きだからパソコンとか配信用のマイクが増えてたりするのかな。あとは……塗装に手を出して机の色をヘンテコに変えちゃってたりして」
頭の中でお姉ちゃんが言ったものを机の上に想像してみると、気持ちが弾んだ。
「つくし。確かに失うものもあるよ。でもね、それ以上に得るもの、残るものがあるんだよ」
試しにやりたいことでも想像してみてよ。と言われ、考えてみる。
すると、思っていたより随分あっさりと来年やりたいことが沢山浮かんだ。徐々に大きくなっていく高揚感をついに抑えきれなくなり、思わず口を開いて希望を奏でる。
「お姉ちゃん。私ね、来年はバイトしたい。あと、サークルにも入りたいし、大学で新しく出来た友達とカフェ巡りもしてみたい。今やりたいと思ってること以外にも沢山やりたいことある。私、いっぱいやりたいことがあるよ」
やりたいことを想像して口に出すだけで、どんどん鼓動が高鳴っていくのを感じる。あっという間に私の来年に楽しそうなことが溢れかえっていた。
不安もあるし、まだ喪失感も拭えない。それでもきっと、この弾んだ気持ちこそが来年に持っていくべき希望なのだろう。
「そっか、そんなにやりたい事があるんなら、素敵な来年にならないわけないね」
お姉ちゃんが楽しそうに笑う。
「うん!」
つられて笑うと、お姉ちゃんがまた私の頭を撫でた。
ふと、金属のようなものが頭に当たった気がして、思わずお姉ちゃんの手を掴んで金属らしきものの正体を探ると、薬指に指輪がつけてあった。
「昨日、指輪なんてつけてたっけ?」
私が聞くと、お姉ちゃんは少し恥ずかしそうに笑いながら「つけてないよ。明日、彼氏を呼んでから報告する予定だから、夕飯前にはまた外しておくつもり」と言った。
どういうことだろう? と、お姉ちゃんの言ってることが理解出来なくて数秒頭を悩ませる。
「あ」
ある可能性に気づいて、思わず声を出す。
お姉ちゃんはくすっと笑った後、顔を赤らめて言った。
「可愛い妹に一番最初に報告。私、結婚することになりました」
「えっ、凄い! おめでとう」
お姉ちゃんの幸せそうな顔を見て、何故か自分のことのように嬉しくなり大きな拍手をする。
「私たち、二人揃って来年に楽しみが沢山あるね」
お姉ちゃんの言葉に頷く。
「そうだね、すっごく楽しみ」
二人で顔を見合わせて笑う。
来年は今年よりもっと幸せになろう。
そして、机の上に来年のものを沢山置こう。
「つくし! お姉ちゃんが帰ってきたわよ」
十二月の三十日、小晦日。普段は東京で生活しているお姉ちゃんが実家で年を越すために帰ってきた。
お姉ちゃんの仕事は忙しく、帰って来れるのは基本的に年末年始だけなので、少しでもお姉ちゃんと過ごす時間を多くとろうと急いで階段を駆け下りる。
「お姉ちゃん!」
玄関でお父さんと話しているお姉ちゃんが目に入ったと同時に大きな声でお姉ちゃんを呼んで、走って勢いよく抱きつく。それほどまでに私はお姉ちゃんのことが好きなのだ。
「つくし、久しぶり。あと合格おめでとう」
お姉ちゃんは近づいてきた私の頭を撫でながら言う。
「えへへ、ありがとう」
もう少し話していたかったが、いつの間にかキッチンに移動していたお母さんが夕飯が出来たと言うので、ご飯を食べることにした。
「しかしまぁ、東京は雪が酷いだろうによく帰って来れたな」
食べ始めて少しして、お父さんがお姉ちゃんに話しかける。
確かにそうだ。ニュースで見たところ、ほとんどのバスや電車は止まっていたのにどうやって来たんだろう。
「彼氏に車で送ってもらったよ。今日はホテルに泊まらせてるから、明日連れてくるね」
“彼氏”という単語に思わず微笑むお母さんと、ムッとしちゃうお父さん。二人の表情は対照的だけど、去年お姉ちゃんに彼氏を紹介されてから少し経って、両者共に受け入れていることは確かだ。
「……もう、朱里(あかり)も二十五歳か」
しみじみと、今にも泣き出しそうな顔でお父さんが言う。そんな空気を察してか、お姉ちゃんは私のことに話題を移した。
「そんなこと言ったら、つくしが来年から大学生って言う方が驚かない?」
「確かに。あんな小さかったつくしが、もう大学生なんてねぇ」
お姉ちゃんに便乗して、お母さんが私を優しく見つめてくる。二人の視線に笑って応えた後、静かに俯く。
そう、私は来年の四月から大学生になる。
だけど、せっかく大学生になるというのに、私はどうにも来年を楽しみに出来ずにいた。
望んだ大学。望んだ学科の勉強。新しい大学生としての生活。そのどれもが高校一年生の時から憧れていたもばかりで、来年に多くの夢や希望が詰まっているのに。
その日は、お姉ちゃんが両親とお酒の席を共にすることになったので、お姉ちゃんと夕飯後に話す機会を得られず眠りについた。
「つくし、遊びに来ちゃった」
次の日の夕方、ホテルに彼氏の様子を見に行って帰ってきたお姉ちゃんが、私の部屋に来た。部屋が全体的に散らかっているから少し恥ずかしかったけど、お姉ちゃんと話せる機会が出来たことに心が踊る。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「昨日、つくしが何か一人で抱えちゃってる気がして」
おそらく昨日、会話の途中で私の表情が曇ったことに気づいたのだろう。心配かけて申し訳ないなとも思ったが、それ以上に、お姉ちゃんが私のことを気にかけてくれたことが嬉しかった。
自分の悩みを話すのは得意ではなかったので話すかどうか迷ったが、お姉ちゃんの気持ちを蔑ろにはしたくなかったので、意を決して重たい口を開く。
「実は……年が明けるって考えるとちょっと怖くて。今の高校の友達と離れ離れになっちゃうし、高校生の生活も終わっちゃう。何だか、来年は今まで持ってたものを沢山失う気がしてさ」
耐え難い喪失感、それが私の心を蝕むのだ。
私の言葉を聞いたお姉ちゃんは、夕日の光が当たって温かみを帯びている私の机に手を添えた。不思議に思ってお姉ちゃんの様子を見ていると、お姉ちゃんは優しく笑って言った。
「去年、ここに無かったものがあるね」
お姉ちゃんが視線を送った先には、私が買った文庫本があった。
「今年の夏くらいにSNSで気になる作家さんを見つけて、その人の作品を買ったらすっかり文庫本のことが好きになったんだ。それからよく文庫本買って読むようになったんだよね」
同じく文庫本を見ながら答える。今は数冊だから机に立てかけているけど、いつか本棚買わなきゃな。
「そうなんだ。あ、このノートは……“小説ノート”?」
お姉ちゃんが興味深そうにノートの表紙を見ながら聞いてくる。
「うん、自分でも小説書き始めたんだ」
少し恥ずかしくなる。自分の趣味はどうして言うだけでもこんなに恥ずかしくなるんだろうか。
「そっか、凄いね。あとで読ませてよ」
「う、うん」
頷いてしまった後で事の重大さに気づき、慌てて「気が向いたらね」と保険をかけた。
そんな私の様子を楽しそうに見ていたお姉ちゃんが、再び言葉を紡ぎ始める。
「また来年、私がここに来る時には何が増えてるんだろう。大学のものは勿論……趣味で言えば、編み物に意外とハマって、作ってる途中の作品が机の上に乗ってたり、つくしは歌が好きだからパソコンとか配信用のマイクが増えてたりするのかな。あとは……塗装に手を出して机の色をヘンテコに変えちゃってたりして」
頭の中でお姉ちゃんが言ったものを机の上に想像してみると、気持ちが弾んだ。
「つくし。確かに失うものもあるよ。でもね、それ以上に得るもの、残るものがあるんだよ」
試しにやりたいことでも想像してみてよ。と言われ、考えてみる。
すると、思っていたより随分あっさりと来年やりたいことが沢山浮かんだ。徐々に大きくなっていく高揚感をついに抑えきれなくなり、思わず口を開いて希望を奏でる。
「お姉ちゃん。私ね、来年はバイトしたい。あと、サークルにも入りたいし、大学で新しく出来た友達とカフェ巡りもしてみたい。今やりたいと思ってること以外にも沢山やりたいことある。私、いっぱいやりたいことがあるよ」
やりたいことを想像して口に出すだけで、どんどん鼓動が高鳴っていくのを感じる。あっという間に私の来年に楽しそうなことが溢れかえっていた。
不安もあるし、まだ喪失感も拭えない。それでもきっと、この弾んだ気持ちこそが来年に持っていくべき希望なのだろう。
「そっか、そんなにやりたい事があるんなら、素敵な来年にならないわけないね」
お姉ちゃんが楽しそうに笑う。
「うん!」
つられて笑うと、お姉ちゃんがまた私の頭を撫でた。
ふと、金属のようなものが頭に当たった気がして、思わずお姉ちゃんの手を掴んで金属らしきものの正体を探ると、薬指に指輪がつけてあった。
「昨日、指輪なんてつけてたっけ?」
私が聞くと、お姉ちゃんは少し恥ずかしそうに笑いながら「つけてないよ。明日、彼氏を呼んでから報告する予定だから、夕飯前にはまた外しておくつもり」と言った。
どういうことだろう? と、お姉ちゃんの言ってることが理解出来なくて数秒頭を悩ませる。
「あ」
ある可能性に気づいて、思わず声を出す。
お姉ちゃんはくすっと笑った後、顔を赤らめて言った。
「可愛い妹に一番最初に報告。私、結婚することになりました」
「えっ、凄い! おめでとう」
お姉ちゃんの幸せそうな顔を見て、何故か自分のことのように嬉しくなり大きな拍手をする。
「私たち、二人揃って来年に楽しみが沢山あるね」
お姉ちゃんの言葉に頷く。
「そうだね、すっごく楽しみ」
二人で顔を見合わせて笑う。
来年は今年よりもっと幸せになろう。
そして、机の上に来年のものを沢山置こう。