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短いもの(~4,000文字)

 意識が戻ると、肉塊と目が合った。どういう理屈かは分からないが、まだ視力は失っていないようだ。左目は抉り出されてから使えなくなったが……右目は助かったらしい。そんなことを、特に取り乱すこともなく脳が冷静に分析を始める。起きたら現状の把握。閉じ込められてから体感で一週間、このルーティンがだいぶ身に沁みついてきている。
 この脳は一体いつまで機能するのだろうか。死ねない身体で脳が使えなくなった場合、僕はどうなってしまうのだろう。そんな恐怖で震えたのは最初だけだった。不死の身体をいいことに、かなりの仕打ちを受けている。だから、精神的な限界はすぐに訪れた。今となっては脳機能が停止する瞬間を切望している。
 僕は不老不死だ。
 どうしてこんな身体になってしまったのかは、もう覚えていない。不老不死になる方法が普及しているわけでもないし、国家に追われている身でもない。謎は深まるばかりだ。
 ここに来る前は普通の人間として暮らしていた。大きな怪我をして病院に運ばれるわけにもいかないから、無茶もしないように危険を避けてきた。あまり人との交流をしないために、三年に一度引っ越しをしながら細々とコンビニでバイトもしていた。
 ちなみに、引っ越し代は通帳にたんまりとある。それを知った時なぜ自分が大金を手にしているのかと不思議に思ったが、僕の祖母が残してくれた遺産なのだとすぐに知ることができた。机の中に遺言書があったのだ。
 っていうか、自分の通帳にある金の理由くらい覚えておけよって話だよな。だけど、毎日が同じことの繰り返しなんだ。寿命あるものは日々の天候にも変化を感じることが出来る。ありふれた創作物を見て泣くことが出来る。目標を達成することに喜びを感じられる。他者との交流に、意味を求められる。
 不老不死の僕にとって、全てが意味のない行為だ。昔から続けているという理由だけでコンビニのバイトをしているし、暇な時間で散歩をしている。気が向いたら風呂に入り、瞼が重いと思ったら寝る。なんの生産性もない行為の繰り返し。毎日が惰性で過ぎ去っていくのに、自身の命の儚さを感じることもできない。この世界に不老不死の仲間がいるのなら、どうやって日々に価値を見出すのかをぜひ聞いてみたい。とは言っても、大体の不老不死が僕のような生活を送っているとは思うが――
「起きてたの?」
 少女が顔を覗き込ませてきた。
「見て見て、貴方の目だよ」
 紹介されても困る。
「眼球って美味しいのかな」
 間違いなく不味いだろうな。気分も最高に悪くなるだろう。
「どんな味だったか、後で教えてあげるね」
 聞きたくないし、この子の食レポは全く参考にならない。「愛する人の身体だから美味しい」としか言わないのだから。
「これって無償の愛だよね」
 少女の手が肉塊に触れる。二度も喰っただけのことはあるな。所作に一切の躊躇いがない。
「だって、貴方がこんな姿になっても愛し続けているんだもの」
 無償の愛。
 少女の口から何度も聞いた単語。見返りを求めない愛なんて存在するのだろうか。長い間“愛”という感情に触れてこなかったから分からない。無償の愛について、少女は初日に嬉々として語っていた。ボランティアや家族愛、恋人への献身……とにかく色々な分野に無償の愛は存在するらしい。崇高なもののように思えるが、実は素直で純粋な人間なら誰にだって抱ける愛情なのだとか。
「あ、聞いてよ――」
 とめどなく溢れてくる日常生活の愚痴。知らないおじさんに怒られた、宿題が難しかった……似たような話をよくもまあ飽きずに続けられるものだ。言葉を発することはおろか、首肯することすら出来ない相手だというのに。

 初日――意識を取り戻した五分後、少女は狼狽える僕の口にエアガンを突っ込んだ。容赦なく口内で何度も発砲され、その後に首の骨も折られた。あの子のどこにそんな力があるのか分からないが……この時は痛覚がまともに機能していたから地獄だった。それに、恐ろしくて堪らなかった。不死といえども、細胞の再生能力は人並みだ。失った腕が自然に生えてくることもなければ、首の骨が一瞬で治ることもない。あくまで、|損《・》|傷《・》|し《・》|て《・》|も《・》|命《・》|は《・》|落《・》|と《・》|さ《・》|な《・》|い《・》だけだ。
 少女曰く、あの行動は無償の愛とは関係ないらしい。ただ純粋に、僕が本当に不死なのかどうかを確かめるためにしたことなのだと言っていた。これで死んでいたら愛する対象ではないと判断するつもりだったと笑っていたが、僕には意味が分からなかった。
 二日目以降は愛の証明として僕に拷問した。私の愛を信じろってうるさかった。
 昨日は左腕をミンチにされ、左目を抉られた。「ねぇ、カニフォークの正式名称って蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具なんだって~」と言いながら、ゆっくりと。数秒は意識があったが、ショックが強かったからかよく覚えていない。
 ちなみに、少女が手にしている肉塊が僕の左腕だったものだ。ここまでしっかりとしたミンチだと、気持ち悪さというのは不思議と感じない。四日目くらいで肺や胃が取り出された時は嘔吐しそうになった。首が折れた状態で吐くとどうなるか分からなかったから必死に耐えたが……それを食す少女の様子を想像してしまえば最後、吐瀉物が床に撒き散らされるだろう。

「みんな私のことを理解してくれないの」
 少女は肉塊を指で突きながら言った。本性を剝き出しにした状態の少女と対峙している僕でさえ理解できないのだから、他人には不可能だろう。せいぜい、精神科に連れていかれるのがおちだ。
 この無意味な時間を過ごしていて唯一分かったことは、この子が愛に飢えているということだ。愛を与えるという行為の目的は、僕にありのままの自分を受け入れてほしいから。取り繕わなくても大切にしてもらえる無償の愛がほしいから。
 少女がする他愛のない話の中に異常性は一切ない。むしろ優等生と表現してもいいくらい少女は社会に適応している。中学生ながらに、自分の表と裏を使い分けているのだ。それならば精神的に苦しんでいても仕方がないし、見ず知らずの不老不死に縋る気持ちも……分からなくはない。
「こんな風になった貴方も愛すから、私のことも愛してよ……」
 そうだ。
 少女が僕を痛めつけるのはあくまで“醜い姿をした貴方も愛せますよ”という証明でしかない。食人も同じだ。サイコパスなわけではない。ここまで極端な方法をとるのは、どうしようもないくらいに孤独だからだ。少女の行為は、ある種の献身であり忠誠、愛情表現。この子は、自分と同じ場所に来てくれる存在を求めているんだ。
 残されている右腕で彼女の頬に触れる。
「どうしたの?」
 この子に好意を持っているわけではない。精神年齢以前に、身体的な年齢もかなり離れている。だけど、孤独にはさせたくない。この感情は一体なんなのだろう。どうして僕はこんなことも分からないのだろう。
 大きな瞳と目が合う。
 どうすれば伝わるだろうか。
 どうすればその涙を止められるだろうか。
 どうすれば、笑ってくれるだろうか。
 僕は、何をすればいい――

 悩んだ末、少女に心臓を渡した。
 少女の涙が止まったかは分からない。だけど、お礼を言われた……気がする。
 意識が霞んでいく。
 僕は死ねるのだろうか。
 不老不死の弱点が心臓だなんて、聞いたことないぞ。










 まあ、いいか。
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