短いもの(~4,000文字)
はじめの第一歩
包丁を握りしめる手が震える。さっきから自分の呼吸がやけにうるさい。歯はカチカチ音を立てるし、足には全く力が入らない。気を抜くと、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「どうしたの」
背後から、彼女が声をかけてくる。僕が何も答えられないでいると、やけに冷たい手を僕の肩に乗せて、言葉を続けた。
「もしかして、怖いの? 人を殺すのが」
怖い。怖くて堪らない。可能なら、今すぐにでも逃げ出したいと願うほどに。でも、でも、僕はその問いに頷けない。いや、頷いてはいけない。僕は殺さなくちゃいけない。目の前で、頭に袋を被って椅子に縛られている、名前も顔も知らないこの人を。
頭では分かっているのに、身体が震えて動かない。どうしてだよ。動け。動かなきゃ、次にあの椅子に座るのは僕になる。死ぬのは嫌だ。殺さなきゃ。動け、動け、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ____
「落ち着いて、大丈夫だよ」
「……、ぁ」
僕の頭を覆いつくしていた殺意が、焦りが、彼女の優しい声によってかき消され、はっと我に返る。
いつの間にか、彼女は包丁を握る僕の手の上に、後ろから自分の手を重ねてくれていた。冷たい彼女の手が、僕の気持ちを段々と落ち着かせていく。
「落ち着いて、しっかり私の言葉を受け入れて」
僕が頷くと、彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「今、君がやろうとしていることは、全く難しいことじゃない」
今、僕がやろうとしていることは…………難しいことじゃない。
「君のすることは、間違っていない」
……僕のすることは何も間違ってない。
「ただ殺すだけだよ」
ただ、殺すだけ。それだけのことなんだ。
一歩前に進む。身体はもう、震えてはいなかった。
手に持った包丁をしっかりと握りなおす。刺すのは、一回でいい。刺したあとは、放置していればすぐに死ぬだろう。
「それなら、深く刺さないとな」
どこら辺を刺すかをぼんやりと考えて、包丁を対象へと大きく振り下ろす。
深く深く刺した包丁を抜くと、対象は、まるで僕を称えるかのように血を噴き出し、声もなく身体を震わせて、僕に拍手を送ってくれた。
「……はは、」
そんな光景に、思わず笑いがこみ上げてくる。何も躊躇うことなんてなかったんだ。だって、人を殺すっていうのはこんなに簡単で、こんなにも祝福されることなのだから。
「ようこそ、此方側へ」
彼女が、そう小さく呟いた気がした。
包丁を握りしめる手が震える。さっきから自分の呼吸がやけにうるさい。歯はカチカチ音を立てるし、足には全く力が入らない。気を抜くと、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
「どうしたの」
背後から、彼女が声をかけてくる。僕が何も答えられないでいると、やけに冷たい手を僕の肩に乗せて、言葉を続けた。
「もしかして、怖いの? 人を殺すのが」
怖い。怖くて堪らない。可能なら、今すぐにでも逃げ出したいと願うほどに。でも、でも、僕はその問いに頷けない。いや、頷いてはいけない。僕は殺さなくちゃいけない。目の前で、頭に袋を被って椅子に縛られている、名前も顔も知らないこの人を。
頭では分かっているのに、身体が震えて動かない。どうしてだよ。動け。動かなきゃ、次にあの椅子に座るのは僕になる。死ぬのは嫌だ。殺さなきゃ。動け、動け、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ____
「落ち着いて、大丈夫だよ」
「……、ぁ」
僕の頭を覆いつくしていた殺意が、焦りが、彼女の優しい声によってかき消され、はっと我に返る。
いつの間にか、彼女は包丁を握る僕の手の上に、後ろから自分の手を重ねてくれていた。冷たい彼女の手が、僕の気持ちを段々と落ち着かせていく。
「落ち着いて、しっかり私の言葉を受け入れて」
僕が頷くと、彼女は言葉を紡ぎ始めた。
「今、君がやろうとしていることは、全く難しいことじゃない」
今、僕がやろうとしていることは…………難しいことじゃない。
「君のすることは、間違っていない」
……僕のすることは何も間違ってない。
「ただ殺すだけだよ」
ただ、殺すだけ。それだけのことなんだ。
一歩前に進む。身体はもう、震えてはいなかった。
手に持った包丁をしっかりと握りなおす。刺すのは、一回でいい。刺したあとは、放置していればすぐに死ぬだろう。
「それなら、深く刺さないとな」
どこら辺を刺すかをぼんやりと考えて、包丁を対象へと大きく振り下ろす。
深く深く刺した包丁を抜くと、対象は、まるで僕を称えるかのように血を噴き出し、声もなく身体を震わせて、僕に拍手を送ってくれた。
「……はは、」
そんな光景に、思わず笑いがこみ上げてくる。何も躊躇うことなんてなかったんだ。だって、人を殺すっていうのはこんなに簡単で、こんなにも祝福されることなのだから。
「ようこそ、此方側へ」
彼女が、そう小さく呟いた気がした。