第3話「七光りコンプレックス」

「律さん、逃げてぇぇ~!!」
窃盗犯を追いかけていた郁は、ただでさえデカい声を思いっきり張り上げた。
だが律は逃げることなく両手を広げて、突進する窃盗犯の行く手を阻んでいた。

郁が窃盗犯の男に気付いた時、運悪く一番遠く離れたところにいた。
だいたい本を盗む輩は、事前に挙動不審など怪しい行動を取ることが多い。
それを見つけ、警備する防衛員たちにインカムで周知させる。
実際に本を盗むときには、もう数人が包囲しているという寸法だ。

だが今回の犯人が行動を起こしたとき、堂上班は館内警備だったが、窃盗犯からは離れた場所を巡回していた。
もちろん堂上班に非はない。
窃盗犯の近くにいる図書館員または防衛員が、察知するべきである。
だが今回は、完全にその動きを見逃した。
そのせいで犯人は本を書架から抜き取った後、独走状態で出口に向かっていた。

それでも通常は、正面入口にも立ち番の防衛員がいる。
だが窃盗犯は、非常口に向かった。
そちらは戦闘時以外は施錠してあり、防衛員はいない。
窃盗犯はどうやらドアを破って、脱出を図るつもりらしい。
後で聞いたところによると、窃盗犯はラグビー経験者だった。
タックルでドアを破るなど、さほどむずかしくないのだろう。

郁は懸命に窃盗犯を追った。
そしてその瞬足を駆って、犯人の後ろ数メートルのところに迫ったのだ。
他の防衛員や堂上班の面々をごぼう抜きしたわけだから、これが競技なら快挙と言える。
だが窃盗犯を捕まえなければ、何の意味もない。

追いつけるかどうか、微妙だ。
郁は必死に走りながら、そう思っていた。
窃盗犯もおそらくはアスリート、かなり足が速いのだ。
郁は思わず「チクショウ!」と女子らしからぬ悪態をついた。
このまま追いつけなければ、本が守れない。
そんな弱気が郁の心をかすめた瞬間、非常口付近に立ちはだかる律を見つけたのだ。

郁は「律さん、逃げてぇぇ~!!」と、声を振り絞った。
あんな男に激突されたら、危険だ。
だが律は怯むことなく男の前に立ちはだかる。
窃盗犯は今盗んだばかりの本を、律に向かって振り上げた。

「律さんっ!!」
郁の叫びも空しく、ハードカバーの本が律の頭を直撃した。
だが律は倒れ込みながらも、窃盗犯の腰にしがみ付く。
郁はその一瞬を逃さず、窃盗犯に追いつき、腕を掴んで捩じ上げた。
その間に律は窃盗犯が盗もうとしていた本を、しっかりとキープした。

「笠原っ!よくやった!」
駆け付けてきた堂上が窃盗犯に後手で手錠をかけ、防衛員に連行をまかせてから、郁に声をかける。
だが郁は「あたしより律さんが!本で頭を殴られたんです」と叫んだ。
その言葉に堂上はへたり込んでいる律の前に膝をつき「失礼します」と声をかけると、手のひらで律の前髪をかき上げる。
郁も堂上も、そして遅れて駆け付けた小牧と手塚も息を飲んだ。
普段は前髪で隠れている綺麗な額から、出血していたのだ。

「血が出てます。律さん、救護室で。。。」
「え?マジで?もしかして本を汚したかな。」
律は自分が出血していると聞かされ、慌てて取り返した本を見る。
だが本には汚れも破損もなかった。
どうやら出血は前髪に吸収されて、本を汚さずにすんだらしい。
律は自分のケガなどそっちのけで「よかったぁ」と大きく息をはいた。

「律さん、とにかく手当てを」
堂上が律に手を貸して立ち上がらせると、救護室に案内しようとする。
だが律は、やんわりと拒んだ。
そして「その前にお願いがあるんですけど」と告げたのだった。
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