第二話 「衝突」

03

 予定より少し遅れて、一彩は星奏館の門をくぐった。
 気を抜けばため息をついてしまいそうだったので、なるべく顔を上げて歩く。茜色に染まった空と木々のシルエットと、遠くから聞こえる鳥の声。そんな夕暮れの気配を辿りながら、敷石を一歩ずつ踏みしめていた時だった。
「ヒロくん!」
 寮の出入口から藍良が飛び出してきた。
 やっと来た、と顔に書いてある。何か約束していただろうかと首をかしげる。
 藍良が自分を待ってくれていた嬉しさと、都合のいい展開に嫌な予感を覚える。
 一彩は立ち止まり、それ以上藍良との距離が近くならないように身構えた。
「ちょっと話せない? 報告があるんだァ」
 藍良の声は弾んでいる。心が先に走ってしまっているようだ。
 藍良は踊るように一彩を中庭に誘導してベンチに腰掛ける。一彩も、藍良の隣に腰を下ろした。
「じゃーん!」
 藍良が早速差し出したのは、一冊の雑誌だった。
「それは、藍良がよく見ている雑誌だね」
「そう! 大人向けのファッション誌で『旅と服』をテーマにしててね、海外のモデルもたくさんいてね」
 早く話したいという気持ちに、言葉が追いついていない。言葉を探しながら話す藍良に、思わず笑みがこぼれる。
「いいよ、藍良。ゆっくり話して」
 藍良が興奮気味に頬を染めて、雑誌を掲げて言った。
「おれ、今日この雑誌の編集長さんに声かけられちゃった!」
「それはすごいね!」
 一彩は反射的に拳を握ってガッツポーズをとる。藍良はうんうんと頷いた。
「今度この雑誌の企画で撮影しないかって。名刺ももらっちゃったァ」
「良かったね藍良。藍良が嬉しそうで、僕も嬉しいよ」
 風が吹いて、藍良の手に持った雑誌のページがぱらりと乾いた音を立てた。藍良はふとポーズを解いて、首を傾げる。
「ヒロくんは?」
「え?」
 藍良が胸にその雑誌を抱く。
「ヒロくんは何かおれに報告することは無いの?」
 心臓がひとつ跳ねた。
 一彩はすぐに、先ほど会った英智とプロデューサーの姿を思い出す。そしてすかさず笑顔を作り、首を横に振った。
「ううん、僕は特に無いよ」
 藍良が小さく息を吸って、少し残っていた笑顔が消えた。目を伏せたその表情を見て、一彩は回答を誤ったことを悟った。こういう時、自分は誤魔化すのがどうしようもなく下手だ。
「……何で」
「藍良?」
「何でおれにはちゃんと言ってくれないの?」
 藍良の声は少し震えていた。二人の間を通る風が、敷石の上に落ちていた一枚の落ち葉を、そっと運んでいく。
「さっき、ヒロくんに会いに部屋に行ったの。その時、南雲先輩がひなた先輩に会いに来てて」
 一彩は「あ」と声に出さずに息を吸った。南雲鉄虎とは、今日の午後の仕事で顔を合わせていた。
「……聞いた。ヒロくん、今度映画が決まったんでしょ。南雲先輩と、守沢先輩が出てる特撮ドラマの映画版」
 一彩は混乱して、一瞬だけ固まった。 胸の奥で何かがずれる音がする。そっちだったかと、ひどく気まずい気持ちが込み上げてくる。
 スタプロの先輩ユニット『流星隊』と守沢千秋と南雲鉄虎が主演を務める、人気特撮番組。
 毎週日曜日に子どもたちに注目されている主力番組。事務所にもポスターが飾られていて、今度劇場版が企画されている。
 その映画版のオリジナルキャラクターを、一彩が演じることになっているのだ。
 まだ正式に発表はされていないけれど、打ち合わせはもう始まっている。今日はその顔合わせだった。藍良は先に寮に帰って来ていた鉄虎にはち合わせ、その話を聞いたのだろう。
「ごめん。打ち合わせが進んだら、どこかのタイミングで報告しようと思っていたんだよ」
「今日、その顔合わせだったんでしょ? じゃあそのタイミングって今日じゃないの? おれ今、何か報告ないか聞いたじゃん」
 藍良の目はまっすぐに一彩を見つめているけれど、瞳の奥が不安定に揺れていた。筋違いなのは分かっているけれど、今日声をかけてきた英智とプロデューサーの二人に心の中でそっと反発してしまっていた。何もかもタイミングが悪い。
 誰も悪くないのにと、情けなくも気持ちをぶつける先を探してしまう。
 一彩が言葉に迷っているのを感じ取ったのか、藍良がもう一度目を伏せる。
「……ごめんね。めんどくさいこと言ってるのは分かってる。でもおれ、ALKALOIDの仲間には、特にヒロくんには、嬉しいことも辛いことも一番に共有して欲しい」
「藍良……」
 彼の腕の中で抱きしめられた雑誌が、くしゃりと音を立てる。
「ヒロくんはALKALOIDのリーダーで、おれの友達なんだから」
 一彩の胸に、ずしりと重みが落ちた。藍良のまっすぐな言葉が嫌に痛く響いた。友達、という言葉が妙に質量をもって沈んでくる。
「わかった。……ありがとう、藍良」
 足元で、敷石の間から伸びた雑草がふたりの間に境界線のように伸びている。
「お礼言われるようなこと、してない。結局おれの我儘だから」
「ううん。藍良が僕のことを気にしてくれて嬉しい。雑誌のことも、僕に一番に教えようとしてくれたんだよね」
「当たり前でしょ。だってヒロくんはおれのライバルだもん」
 一彩は藍良の表情を見ようとしたけれど、前髪で隠れてよく見えない。
「……負けたくないもん」
 藍良がぽつりとつぶやいて、一彩は今度こそ息を呑んだ。
 数週間前、久しぶりにALKALOIDの四人で食事をした夜のことを思い出す。
 藍良は一彩と対等に競い合って、フェスの選抜メンバーに選ばれたいと言っていた。
 その約束のシーンを塗りつぶすように、英智の無慈悲な笑みと優しい声が、脳裏で再生された。

『一彩くん、今度のフェスのスタプロ代表メンバーのことだけれど……』

 夕焼けだった空はいつの間にか濃紺に染まり始めていて、ちぎれた雲がゆっくりと遠ざかっていく。
 ざあっと木々が葉ずれの音を立てた。

『ALKALOIDからは、一彩くんに決まったよ』

 さっき、「一番に共有してほしい」って言われたばかりなのに。一彩は喉の奥で、また言葉を呑み込んでしまった。
 誰かのせいにしたい後ろ暗い気持ちが、一彩の感情に染みを作る。
 ためらいをなぞるように、風が頬を撫でた。
「冷えてきたね。中に入ろう」
 一彩は立ち上がり、中庭を出る。遅れて立ち上がる藍良が後ろからついて来るけれど、振り返ることができなかった。





第二話 衝突
おわり
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