第二話 「衝突」
02
白いスクリーンが床まで垂れ下がった空間に、光がやわらかく満ちている。撮影用のスポットライトが、藍良の肌を透かすように照らしている。
藍良の魅力が一番輝く角度を探してレフ板が揺れる。
その中心で藍良が次々とポーズをとっていた。シャッター音が鳴るたびに顔の角度や目線をずらし、計算された抜け感を演出する。
ライトグリーンのブラウス、同じく明るいブルーのパンツ。中性的かつ少年らしさを残したコーディネートが、藍良の柔らかい雰囲気によく似合っていた。
今日はファッション誌の撮影。アイドルの休日のファッションをピックアップし、インタビューを受ける。ESから何人かのアイドルが載るらしく、藍良もその一人だ。
「いいね、今の笑顔かわいい!」
「次の衣装はクールな感じで行こうか」
スタッフの声に、藍良は頷き表情で応える。ふわっとした笑顔、上目遣い、伏し目がちのショット。一枚ごとに見せる表情すべてが絵になるのは、藍良のもつバランス感ゆえだ。
かわいい、だけじゃない。かっこいい、だけでもない。
どちらにも寄りすぎない絶妙な中間地点に、藍良の今の魅力があった。
藍良が一度メイクルームに下がると、スタイリストが次の衣装を持ってくる。先ほどの中性的なコーディネートとは違い、次のテーマはスポーティ。休日にジムに行くことをイメージしたコーディネートだ。
白地に赤いラインの入ったTシャツ、デニムのスキニーパンツに黒のスニーカー。グレーのフーディーを羽織り黒のキャップを被る。
藍良は鏡で自分の姿を最終確認し、軽くポーズを取ってみる。
先日、マヨイがモデルを務めた特集が公開された。藍良とは対照的な、ビジュアル重視のモードファッション。日常から遊離したようなアートの世界観を、マヨイは見事に体現していた。
負けていられない——藍良は心の中でそう呟いた。
再び撮影に戻った藍良は、今度は撮影用スツールに座りテーブルに肘をついてスマホをいじる。演出は、一緒にジムに行く仲間と待ち合わせているワンシーン。声がかかり顔を上げると、待ち合わせ相手を見つけてぱっと笑顔が咲く。その一瞬の表情の変化を、カメラは逃さなかった。
「お疲れさまでーす」
藍良がライトに照らされたセットから出て、スタッフに挨拶をする。カメラマンとディレクターが撮影した写真を確認しているので、藍良もそれに参加した。
「お疲れ藍良くん。バッチリだよ」
「本当ですか! やったァ!」
藍良が安心したように力を抜いて、パイプ椅子に座り込む。スタイリストがドリンクを差し出してくれたので、それを両手で受け取った。
「時間余ったし、もう何枚か撮ってもいいかな」
「もちろんです!」
藍良は相手にまっすぐ笑顔を見せ、お礼を言ってから深々と頭を下げる。その素直さが現場の人間を和ませるので、スタジオのスタッフ達にも人気があった。
撮影が終わり、スタッフに挨拶をしながら機材の脇を歩いていると、スタジオの隅から一人の女性が近づいてきた。
「藍良さん、少しいいですか」
「はい」
落ち着いたネイビーのワンピースに身を包んだその女性は、優しい笑顔を浮かべながら名刺を差し出してきた。
「私、こういう者なのだけれど」
名刺を見ると、藍良がよく特集に参加しているティーンズ誌の出版社名が載っていた。その会社で編集長を務めている女性らしい。
「ぜひ、こちらも受け取って」
「これって……」
「ご存知でしたか?」
「もちろんです! 海外ブランドの服がいっぱい載ってるから参考にしてるんです。おれ、この雑誌ずっと好きで……」
手にした雑誌をめくる指先が自然と丁寧になる。ページの隅にあるスタイリストのコメント、旅先で撮影されたモデルたちの自然体の表情、そんな一つひとつが藍良の憧れだった。
「今日のあなたの撮影を見ていて、ぜひこっちでも撮影させてもらえないかと思いまして」
「え、おれが……?」
目を見張る藍良に、女性はにっこり微笑んで頷いた。
「ティーンズ誌だけじゃなくて、幅広い層をターゲットにしてもいいと思うの。今度一緒に作戦会議をしましょう?」
女性からは名刺の肩書にふさわしい心強さを感じた。
まるで新しいページが開かれたような心地だった。藍良はもらった雑誌を抱きしめて深々と頭を下げた。
撮影のあと一人になると、藍良はずっとふわふわしていた。
自分に都合のいい夢を見ていたのではないかと思うが、手にしているトートバッグの中には確かにあの雑誌がある。
これまではティーンズ向けの仕事が多かったが、今回渡されたのは幅広い層が手に取るファッション誌。海外の専業モデルも起用している。そこに自分が並ぶというのだ。浮足立つのも無理はない。
藍良はスマホを取り出し、ALKALOIDのグループチャットを開く。雑誌の編集長に直々に声をかけられたことを、報告せずにはいられない。
慣れた手つきで文章を打ち、メッセージを送信しかけた時、藍良は思いつきで手を止めた。
「まずヒロくんに直接自慢しちゃお」
藍良は声に出してそう呟いて、スマホをしまった。乗っていたエレベーターの扉が開き、飛び出す。
報告したら一彩はどんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか。褒めてくれるだろうか。本当はちょっとだけ悔しそうにする顔も見てみたいけれど、きっと一彩は心から喜んでくれる。一彩はそういうやつだ。
———藍良は、僕のこと好き?
ふと一彩に投げかけられたままの質問を思い出して、早歩きだった藍良の足が緩む。ある日のレッスン中、一彩が独り言のように自然に呟いたその問い。
その時の一彩の表情はしっかり頭に残っていた。そして、自分がなんと答えたのかも。
藍良はとっさに友達として「好き」だと答えた。そうやって誤魔化すしかなかった。
一彩がどういう意味でそう質問したのか、分からないほど鈍感でもない。藍良は自分に向けられる好意や興味の視線には昔から敏感なのだ。
藍良は自分を見つめる一彩の視線の意味を、なんとなく感じ取っていた。理解しそうになるのを意識して振り払い、考えないようにしていた。
昔、見た目だけの情報で勝手に期待して寄ってきた人たちと、似た目をしていた。それは、自分を“偶像”として見てくる人たちが浮かべる、甘くて無責任な目だった。
一彩だけは対等に、友として、ライバルとしてアイドルをやっていけると思っているのに。その境界を、あっさりまたごうとするのが一彩だった
一彩の問いを思い出すのと同時に、藍良の中にある警戒心が、またモヤモヤと湧き上がってきた。
一彩のことが嫌なのではない。幼いころから膨らんだ苦手意識が、人からの好意を素直に受け取らせてくれないのだ。
一彩の想いがたとえ本物でも、本気でも。素直に信じるには、まだ少しだけ怖かった。
もう一度メッセージアプリを開いて、ALKALOIDのメンバー宛に送りかけたメッセージをみる。このまま送信してしまおうかと一瞬だけ考えて、やっぱり止めた。まずは一彩に報告したいと思っていることを、自分で否定できない。
アイドルとして負けたくないから。ライバルとして対等でいたいから。自慢したいし、褒めて欲しい。一彩に認めて欲しい。そんな風に思う相手は、これまでいなかった。
一彩の質問に、いつか上手く答えられるだろうか。そう考えて、藍良は顔を伏せて笑った。急に一彩の顔が見たくなって、足が自然と早まっていく。
トートバッグを抱え直して、藍良は星奏館のエントランスを抜けた。
◆
仕事の顔合わせのあと、一彩は藍良が仕事をしているはずのスタジオへと立ち寄った。藍良には迷惑がられてしまうかもしれないが、ESビル内にあらゆる設備が整っていて、大抵の仕事はES内で済んでしまうのだから仕方がない。つまり、お互いの仕事場が近すぎるのだ。
しかし、スタジオではすでに機材の片づけが進んでおり、ライトの熱が残り香のように漂っている。
撮影スタッフの一人に声をかけてみたが、藍良はもう帰ったとのことだった。
事務所にも寄ってみたが、やはり藍良の姿はない。約束をしていないのだから仕方がないが、すれ違ったようだ。
藍良の気配を探して事務所の会議スペースをうろついてみる。会議用テーブルにもたれてスマホをいじっている藍良が「あ、ヒロくん!」と顔を上げてくれるのを想像しながら。
そうして帰ろうと踵を返したとき、控えめに名前を呼ぶ声が聞こえた。
「一彩くん、少しいいかな?」
聞き覚えのある声。そして、思わず背筋を正す声だ。
振り返ると、そこには天祥院英智とプロデューサーが立っていた。
「少し話しておきたいことがあるんだ」
これから何を言われるのか、なんとなく分かったような気がした。
一彩は何も言わず、英智たちのあとに続いて事務所の奥へと歩き出した。
つづく
白いスクリーンが床まで垂れ下がった空間に、光がやわらかく満ちている。撮影用のスポットライトが、藍良の肌を透かすように照らしている。
藍良の魅力が一番輝く角度を探してレフ板が揺れる。
その中心で藍良が次々とポーズをとっていた。シャッター音が鳴るたびに顔の角度や目線をずらし、計算された抜け感を演出する。
ライトグリーンのブラウス、同じく明るいブルーのパンツ。中性的かつ少年らしさを残したコーディネートが、藍良の柔らかい雰囲気によく似合っていた。
今日はファッション誌の撮影。アイドルの休日のファッションをピックアップし、インタビューを受ける。ESから何人かのアイドルが載るらしく、藍良もその一人だ。
「いいね、今の笑顔かわいい!」
「次の衣装はクールな感じで行こうか」
スタッフの声に、藍良は頷き表情で応える。ふわっとした笑顔、上目遣い、伏し目がちのショット。一枚ごとに見せる表情すべてが絵になるのは、藍良のもつバランス感ゆえだ。
かわいい、だけじゃない。かっこいい、だけでもない。
どちらにも寄りすぎない絶妙な中間地点に、藍良の今の魅力があった。
藍良が一度メイクルームに下がると、スタイリストが次の衣装を持ってくる。先ほどの中性的なコーディネートとは違い、次のテーマはスポーティ。休日にジムに行くことをイメージしたコーディネートだ。
白地に赤いラインの入ったTシャツ、デニムのスキニーパンツに黒のスニーカー。グレーのフーディーを羽織り黒のキャップを被る。
藍良は鏡で自分の姿を最終確認し、軽くポーズを取ってみる。
先日、マヨイがモデルを務めた特集が公開された。藍良とは対照的な、ビジュアル重視のモードファッション。日常から遊離したようなアートの世界観を、マヨイは見事に体現していた。
負けていられない——藍良は心の中でそう呟いた。
再び撮影に戻った藍良は、今度は撮影用スツールに座りテーブルに肘をついてスマホをいじる。演出は、一緒にジムに行く仲間と待ち合わせているワンシーン。声がかかり顔を上げると、待ち合わせ相手を見つけてぱっと笑顔が咲く。その一瞬の表情の変化を、カメラは逃さなかった。
「お疲れさまでーす」
藍良がライトに照らされたセットから出て、スタッフに挨拶をする。カメラマンとディレクターが撮影した写真を確認しているので、藍良もそれに参加した。
「お疲れ藍良くん。バッチリだよ」
「本当ですか! やったァ!」
藍良が安心したように力を抜いて、パイプ椅子に座り込む。スタイリストがドリンクを差し出してくれたので、それを両手で受け取った。
「時間余ったし、もう何枚か撮ってもいいかな」
「もちろんです!」
藍良は相手にまっすぐ笑顔を見せ、お礼を言ってから深々と頭を下げる。その素直さが現場の人間を和ませるので、スタジオのスタッフ達にも人気があった。
撮影が終わり、スタッフに挨拶をしながら機材の脇を歩いていると、スタジオの隅から一人の女性が近づいてきた。
「藍良さん、少しいいですか」
「はい」
落ち着いたネイビーのワンピースに身を包んだその女性は、優しい笑顔を浮かべながら名刺を差し出してきた。
「私、こういう者なのだけれど」
名刺を見ると、藍良がよく特集に参加しているティーンズ誌の出版社名が載っていた。その会社で編集長を務めている女性らしい。
「ぜひ、こちらも受け取って」
「これって……」
「ご存知でしたか?」
「もちろんです! 海外ブランドの服がいっぱい載ってるから参考にしてるんです。おれ、この雑誌ずっと好きで……」
手にした雑誌をめくる指先が自然と丁寧になる。ページの隅にあるスタイリストのコメント、旅先で撮影されたモデルたちの自然体の表情、そんな一つひとつが藍良の憧れだった。
「今日のあなたの撮影を見ていて、ぜひこっちでも撮影させてもらえないかと思いまして」
「え、おれが……?」
目を見張る藍良に、女性はにっこり微笑んで頷いた。
「ティーンズ誌だけじゃなくて、幅広い層をターゲットにしてもいいと思うの。今度一緒に作戦会議をしましょう?」
女性からは名刺の肩書にふさわしい心強さを感じた。
まるで新しいページが開かれたような心地だった。藍良はもらった雑誌を抱きしめて深々と頭を下げた。
撮影のあと一人になると、藍良はずっとふわふわしていた。
自分に都合のいい夢を見ていたのではないかと思うが、手にしているトートバッグの中には確かにあの雑誌がある。
これまではティーンズ向けの仕事が多かったが、今回渡されたのは幅広い層が手に取るファッション誌。海外の専業モデルも起用している。そこに自分が並ぶというのだ。浮足立つのも無理はない。
藍良はスマホを取り出し、ALKALOIDのグループチャットを開く。雑誌の編集長に直々に声をかけられたことを、報告せずにはいられない。
慣れた手つきで文章を打ち、メッセージを送信しかけた時、藍良は思いつきで手を止めた。
「まずヒロくんに直接自慢しちゃお」
藍良は声に出してそう呟いて、スマホをしまった。乗っていたエレベーターの扉が開き、飛び出す。
報告したら一彩はどんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか。褒めてくれるだろうか。本当はちょっとだけ悔しそうにする顔も見てみたいけれど、きっと一彩は心から喜んでくれる。一彩はそういうやつだ。
———藍良は、僕のこと好き?
ふと一彩に投げかけられたままの質問を思い出して、早歩きだった藍良の足が緩む。ある日のレッスン中、一彩が独り言のように自然に呟いたその問い。
その時の一彩の表情はしっかり頭に残っていた。そして、自分がなんと答えたのかも。
藍良はとっさに友達として「好き」だと答えた。そうやって誤魔化すしかなかった。
一彩がどういう意味でそう質問したのか、分からないほど鈍感でもない。藍良は自分に向けられる好意や興味の視線には昔から敏感なのだ。
藍良は自分を見つめる一彩の視線の意味を、なんとなく感じ取っていた。理解しそうになるのを意識して振り払い、考えないようにしていた。
昔、見た目だけの情報で勝手に期待して寄ってきた人たちと、似た目をしていた。それは、自分を“偶像”として見てくる人たちが浮かべる、甘くて無責任な目だった。
一彩だけは対等に、友として、ライバルとしてアイドルをやっていけると思っているのに。その境界を、あっさりまたごうとするのが一彩だった
一彩の問いを思い出すのと同時に、藍良の中にある警戒心が、またモヤモヤと湧き上がってきた。
一彩のことが嫌なのではない。幼いころから膨らんだ苦手意識が、人からの好意を素直に受け取らせてくれないのだ。
一彩の想いがたとえ本物でも、本気でも。素直に信じるには、まだ少しだけ怖かった。
もう一度メッセージアプリを開いて、ALKALOIDのメンバー宛に送りかけたメッセージをみる。このまま送信してしまおうかと一瞬だけ考えて、やっぱり止めた。まずは一彩に報告したいと思っていることを、自分で否定できない。
アイドルとして負けたくないから。ライバルとして対等でいたいから。自慢したいし、褒めて欲しい。一彩に認めて欲しい。そんな風に思う相手は、これまでいなかった。
一彩の質問に、いつか上手く答えられるだろうか。そう考えて、藍良は顔を伏せて笑った。急に一彩の顔が見たくなって、足が自然と早まっていく。
トートバッグを抱え直して、藍良は星奏館のエントランスを抜けた。
◆
仕事の顔合わせのあと、一彩は藍良が仕事をしているはずのスタジオへと立ち寄った。藍良には迷惑がられてしまうかもしれないが、ESビル内にあらゆる設備が整っていて、大抵の仕事はES内で済んでしまうのだから仕方がない。つまり、お互いの仕事場が近すぎるのだ。
しかし、スタジオではすでに機材の片づけが進んでおり、ライトの熱が残り香のように漂っている。
撮影スタッフの一人に声をかけてみたが、藍良はもう帰ったとのことだった。
事務所にも寄ってみたが、やはり藍良の姿はない。約束をしていないのだから仕方がないが、すれ違ったようだ。
藍良の気配を探して事務所の会議スペースをうろついてみる。会議用テーブルにもたれてスマホをいじっている藍良が「あ、ヒロくん!」と顔を上げてくれるのを想像しながら。
そうして帰ろうと踵を返したとき、控えめに名前を呼ぶ声が聞こえた。
「一彩くん、少しいいかな?」
聞き覚えのある声。そして、思わず背筋を正す声だ。
振り返ると、そこには天祥院英智とプロデューサーが立っていた。
「少し話しておきたいことがあるんだ」
これから何を言われるのか、なんとなく分かったような気がした。
一彩は何も言わず、英智たちのあとに続いて事務所の奥へと歩き出した。
つづく