第一話 「挑戦」

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 現場の空気は、照明機材の熱で温かい。一人暮らしの男性の部屋を演出した内装や家具の間を、照明やカメラのケーブルが這っている。
 天井からは複数のLEDライト。カメラの後ろにはモニターを覗き込む監督とAD。その隣には台本を持った演出担当たちが、こちらの動きに合わせて目線を走らせている。
 一彩は息を呑んだ。歌やダンスを披露する時とは違う緊張感。ライブと違ってドラマの撮影には「やり直し」が有り得る。監督や演出が首を縦に振るまで、撮影は続くのだ。
 担当が前髪とメイクを手早く直し、カメラの画角から急いで離れる。その隙に一彩がほっと息をついたのも束の間、「音声入ります」という声に空気がさらに張りつめた。照明が強くなり、クラッパーの音が鳴る。
 その瞬間、雑音も人の気配もすべてが遠くなっていく。一彩は、カメラが見つめる物語の世界に集中した。


「一彩くん、今のシーンの表情すごく良かったよ」
 カットの声がかかり、監督が一言演技を褒めてくれた。一彩は一礼し、肩から力を抜いてセットから出る。このマンションスタジオで撮影する一彩の登場シーンは、ひとまず全て撮り終わった。
 スタッフの合間を縫って控室へ戻る途中、誰かがスマホを見ながら話しているのが聞こえてきた。
「さっきの藍良くんの配信見てた?」
「休憩中に少し。最近コーデ企画多くて嬉しい」
 話しているのはメイクと衣装のスタッフだろうか。藍良を褒めている内容が気になったけれど、一彩は気づかないふりをして控室のドアを開けた。

 控室には、折り畳み式の長机と鏡台がいくつか並び、席には名前の書かれたカードと差し入れが置かれている。
 部屋の隅にはポットと紙コップ、軽食が並ぶケータリングのコーナー。
 今回のドラマでは主演という立場を与えられている。なので一彩の待遇は他の役者と比べても一線を画しているが、小さなスタジオではパーテーションで区切られているだけのことも多い。今はたまたま出番の入れ違いで一人なので、緊張の必要もなく椅子の背もたれに自分の体重を預けた。
 スマートフォンの通知を確認すると『白鳥藍良のライブ配信 13分前に終了』という文字を見つける。通知を開くと、藍良の配信のアーカイブが表示された。
 画面にはESに常設されている配信ブースが映し出されている。パステルカラーの小物や観葉植物が映えるセット。壁には季節感のあるガーランドがかけられ、背景はカーテンでふわりとぼかされている。それらは、藍良のモチーフであるハートマークで飾られていた。
 藍良は配信で、今夢中になっているものや気になっているものを紹介している。今日の配信では今シーズンの流行ファッションアイテムを紹介していた。トップスやアクセサリーを一つずつ手にとり、素材感や色の相性を早口でテンポ良く紹介していく。アイテムに手を伸ばす仕草、細部に注目を集める指先の動きは手慣れていて、画面越しでも惹き付けられた。
 その仕草はサークルの先輩である鳴上嵐譲りであるということを、一彩は知っている。
「じゃあ、次のコーデにお着替えしてきまァす」
 藍良がそう言うと、画面にはフェルトで作ったハートが貼り付けられた簡易的なパーテーションが現れる。そしてその手前には、藍良の着替え中に代わりに登場するぬいぐるみが鎮座した。それはいつかのALKALOIDのライブで発売された、藍良本人のぬいぐるみだ。その身代わりを眺めながら、着替え中の藍良の雑談が聞けるのもこの配信の魅力だ。
 服の着心地に対するコメントの合間に、今試しているコスメの話や、最近のお気に入りのおやつの話、最近の仕事のちょっとした裏話などを語ってくれる。視聴者のコメントは着替えながらでも確認できるらしく、質問に答えるファンサービスも欠かさない。
 少ししてパーテーションとぬいぐるみがどけられ、藍良が再登場する。先ほどまでとは違った服を纏っていた。
 デニムのセットアップに、インナーにはライブTシャツをチョイスしているのが藍良らしい。購入したライブイベントについて話しながら、カメラに全身を映してくるりと一回転した。もう一度カメラに近づいてきて、画面を覗き込む藍良。ゴールドのピアスの飾りが藍良の笑顔の横でゆらゆらと揺れた。
 視聴者の反応も一段と賑やかになり、絶好調で配信は続いていた。
 一彩は片耳にイヤホンを入れ、そのアーカイブを眺めながら差し入れの弁当を食べる。小さいながら肉厚のハンバーグの味が、撮影に疲れた体に沁みた。
 今日はこのあと、映画の仕事の衣装合わせが控えている。できれば少しだけでも休息を取りたいところだが。楽しそうな藍良を見て、再生を止める気にはなれなかった。音量を微調整して、画面の角度を変える。少しでもはっきりと藍良のことが見えるように。
 藍良は楽しそうにこちらに笑いかけてくれているけれど、それが控室の静けさを際立たせて寂しさを覚える。ALKALOIDのメンバーは皆、それぞれソロの仕事も忙しくなっており、仕事以外で四人が揃う機会がかなり減っていた。ALKALOIDとしてのレッスンや仕事が入れば集まるのだが、プライベートでゆっくり過ごせていない。
 藍良に会いたい、話したい。それほど日が空いているわけではないのに強くそう思った。
『藍良は、僕のこと好き?』
 この間のレッスンで、藍良に思わずそう聞いてしまったことを思い出した。藍良の答えが『好きだよ』だったことに安心はしたものの、それが友人としての『好き』であることが分かっているからこそ胸が痛んだ。
 藍良を試すようなことをしてしまった。
『藍良には僕が必要?』
 そう問うたあの夜から自分は変わっていなかった。
 証拠でも見せろというのか、と藍良は呆れたように笑っていた。
 確かに自分は、その証拠が欲しいのかもしれなかった。
「僕には藍良が必要だよ。特別なんだ」
 小さく呟いた声は控室の静かな空気の中に溶けた。スマホの小さな画面の中で、藍良が「見てくれてありがとう!」と手を振っていた。





 配信が終わると、ブースには沈黙が落ちた。
 藍良はマイクのスイッチを切り、コードをくるくると巻きながら足元のキャリーケースの蓋を開ける。緩衝材が敷かれた中に、たった今配信に使った機材や小道具を片付けていった。
 リングライトとハート柄のパーテーションをたたんで収め、ぬいぐるみを丁寧に乗せた。キャリーの蓋を閉めて持ち上げ、最後にテーブルをクロスで軽く拭き上げた。
 ホイールの小さな音を響かせながら、藍良は配信ブースを出る。廊下の少しひんやりした空気が頬に触れる。
 スマートフォンを取り出して確認すると、ES公式アプリ「ホールハンズ」から事務所関係の通知が目に入った。
『流星隊、守沢千秋&南雲鉄虎出演の特撮番組の映画化が決定!』
 その告知のすぐ下に『天城一彩主演ドラマ、今夜最新話の放送』とあった。親指が止まり、藍良はしばらくその名前を見つめていた。
 そういえば先ほどの配信で「また一彩くんも出て欲しい」というコメントがあった。いつもなら軽く流してしまうようなコメントでも今日は何故かその気になり、検討してみることにした。
 そこで配信後のルーティンを思い出し、藍良はALKALOIDのグループチャットに配信のアーカイブのリンクを載せた。
『さっき配信終わったよ。よかったらアーカイブ観てね』
 それとなく、一彩を配信に誘ってみようと考えながら、藍良はキャリーケースを転がした。
 少ししてスマホが震え、新着メッセージを知らせる。
『丁度、次の仕事まで時間が空いたから見ているよ。今日の服も似合ってたね』
 藍良は口角を上げて返信を打つ。
『忙しい中ありがとね』
 藍良はエレベーターに乗り込み、1階のボタンを押した。今日はあとは寮に帰るだけだ。エレベーターが降りていく不快な浮遊感の中、藍良は一彩のドラマの放送時間を確認した。





 ある日の撮影の後、一彩は天祥院英智からの呼び出しがあったと、巽から連絡を受けた。
 急になんだろうとざわつくALKALOIDのグループチャットを横目に、一彩は楽屋を後にする。スタジオで軽く整えてもらった髪が風を受ける感覚がいつもと違った。
 指定されたのはESビルの会議室。ALKALOIDの四人がレッスン室以外で顔を揃えるのは久しぶりだった。ドアを開けると、長テーブルの上座には既に天祥院英智が座っていた。その隣にはプロデューサーの姿。
 巽が奥の席で一彩に着席するよう促し、一彩は頷くと震えているマヨイの隣に腰かけた。
「ちょっと押しちゃったァ! 遅れてごめんなさい!」
 扉がもう一度開いて、藍良が飛び込んで来る。藍良も何かの仕事の直後なのか、見覚えのないシルバーのピアスをしていた。光の加減で、時折それが冷たくきらめいた。
 うなじの上でゆるく結んだ髪の毛が、汗に濡れて少しだけまとまっている。
「時間ぴったりだから気にしないで」
 英智が促すと、藍良が巽の隣に座る。一彩と目が合って、藍良が微笑んだ。胸の奥が少しだけ温かくなるのと同時に、どこかそわそわとした感覚があった。
 ALKALOIDの四人と、天祥院英智。プロデューサーがいることを除けば、いつかの夏に「君たちは全員クビだよ」と言われたことを嫌でも思い出す。あれは同時に、ALKALOID始動の日でもあるのだけれど、正直思い出すたびに肝の冷える思い出だ。今日も、あの日と同じように何かが変わるのだろうか。そんな不安が、喉の奥で形にならず燻っていた。
 英智は目を細めて、両手を組んだ。その所作だけで、場の重心が一段沈む気がした。
「じゃあ、始めようか」
 その瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった。



つづく
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