第三話 「約束」

03

 ES主催の大型ライブフェス。あっという間に当日になった。
一彩は選抜メンバーと一緒に打ち合わせやレッスン、宣伝へと飛び回り、ALKALOIDのレッスンにもなるべく顔を出していた。
 他のメンバーもそれぞれ個人の仕事に動いていたので、振り返る間もなく日々が通り過ぎていた。そして、気づいたら四人は本番前の楽屋に揃っていたのだ。
 楽屋に設置されたモニターには、会場に行儀よく入ってくるファンたちが映し出されている。ネットのCMや雑誌広告で何度も取り上げられ、告知動画はSNSで拡散され、ネットニュースにもなった。
 ES所属の主要アイドルたちのほとんどが参加、さらに外部からも大手事務所が参加するとのことで、アイドルファンの間では『これは伝説になるライブだ』と話題になり、現地チケットは即完売した。
 ライブビューイングや配信チケットも争奪戦となった。
 その戦いを潜り抜け、現地にたどり着いた楽しそうな観客たちのざわめき。期待に満ちた空気が、ステージに響くアナウンスと重なりあっていく。その熱気を伝えるような音の波を、ワゴンのキャスターが床を鳴らす音がかき消した。
「一彩さん、先にお願いします」
 四人のうち一彩だけが奥のメイクスペースに呼ばれ、ワゴンに追い立てられるように移動する。マヨイが続いて立ち上がって、一彩の準備を手伝った。
「緊張していますか? 一彩さん」
 マヨイが担当から衣装を受け取り、一彩の着替えを手伝った。一彩はもうほとんどの準備を自分で出来るのだが、細かいところを整えたり、装飾品が絡まっていないかを確認する際には人を頼る。
 楽屋のテーブルやハンガーには、スポンサーのロゴつきのネームプレートがついている。先ほどまで食べていたケータリングにも、スポンサー企業からの差し入れが並んでいた。それらからも、このイベントの規模を思い知らされる。
 身に着けたのは白を基調とした、シンプルで上品なデザインのアイドル衣装。スターメイカープロダクション代表に与えられた特別なものだ。ゴールドの装飾品が白い生地によく映え、楽屋の照明でキラキラと輝いている。
「うん。皆も選ばれたかった立場に、僕が代表で立つのだから。きちんとしないと」
「ふふ、一彩さんが選ばれたことに納得していない人はいませんよ」
 リボンタイを整えてくれながら、マヨイが微笑む。
 試しにインイヤーモニターを耳にあてると、「チャンネル3、チェック」と音声スタッフの声が飛び込んできた。一彩はその急な音にわずかに肩を跳ねさせた。本番直前の緊迫した空気が一気に体内に流れ込んできた。緊張しているのはアイドルだけではない。そう思うと背筋が伸びた。
 今度はメイク台に誘導され、メイク担当に促されるまま鏡の前に腰かける。後ろに立つマヨイと鏡越しに目が合った。
「藍良はすごく悔しそうにしていたな」
「だからなのか、藍良さんはこれまで以上にレッスンを頑張っていますよ。ダンスだけじゃなく、モデルのポージングの特訓もしています。個人の配信も増やしているようですし」
 目を閉じてください、と声をかけられ、一彩は言われた通りにする。肌を細い筆がなぞるくすぐったさを我慢しながら、一彩は瞼の裏に藍良の配信中の笑顔を思い出した。ファンに見せる愛らしい笑顔のために、裏で必死に努力をしている。その原動力はファンへの愛であり、一彩への対抗心でもある。
「藍良の力になれているようなら、僕も頑張れるよ」
「はい、一彩さんは私たちの誇りです。頑張ってくださいねぇ」
 頷きたかったが、メイクを施されているので顔を動かすわけにはいかない。それが伝わったのか、マヨイが笑うのを空気の震えで感じ取れた。

 準備を終えて談話スペースへ戻ると、巽が水を用意してくれていた。藍良がソファの端で鏡をのぞき込んでいる。手には黄色いキャップのリップクリーム。パッケージはレモン柄だった。一彩の足がわずかに止まる。香ってきた甘酸っぱい香りに、ある記憶が唐突によみがえった。藍良の唇の感触、体温、震え。
 レモンのリップは、レモンの味がするわけではないのだなと考えて、頬が熱くなるのを感じた。
 ――あれは衝動だった。でも、たしかに残っている。
 視線を感じたのか藍良が顔を上げたので、慌てて目を逸らす。
「魅せてきてよねェ、リーダー!」
 気まずそうな表情を緊張と勘違いしたのか、藍良がそんな声をかけてくれた。一彩は藍良と目を再び合わせて、はっきり頷いた。
「もちろんだよ。見ていてね、藍良」
 一彩は巽から水を受け取り、楽屋を出た。
 指先が少しだけ汗ばんでいるのを感じながら、足を前へと運ぶ。気持ちが置いて行かれないよう、呼吸を整える。
 これから開演前の、最後の打ち合わせがあるのだ。





 間もなくして『ドリームライブフェス』が始まった。
 ESの四つの事務所がそれぞれ打ち出した選抜ユニットが、MCを挟まずに次々と曲を披露する盛大なオープニング。
 スタプロ代表は一番手に登場した。メンバーは明星スバル、姫宮桃李、守沢千秋、南雲鉄虎、天城一彩の五人。
「いいですね、一彩さん。上手く緊張が抜けたみたいです」
 マヨイがほっとした声で言う。藍良も前のめりになってモニターを食い入るように見ていた。
「よかったァ。ヒロくんでもいまだに緊張するんだねェ」
「事務所の代表として、しかも一番手としてパフォーマンスをするのですから、無理からぬことですな」
 巽がリモコンでスピーカーの音量を上げた。
 歌い出しは鉄虎と一彩の二人。瞬間、歓声が爆発する。あっという間に観客の心を掴んだ。一彩の髪がステージライトに透けて、輪郭が柔らかく滲んで見える。照明の中で、一彩がひときわ目立っているように見えるのは、自分が彼に注目しているからだろうか。
 初披露の楽曲、初めて見るフォーメーション。すべてが新しいのに、不思議と一彩だけが目に焼きつく。
 カメラワークが一彩に寄るたび、息を呑んだ。
 どうしようもなく引き付けられる、アイドル『天城一彩』のパフォーマンス。ステージが似合いすぎている。そこに居るのが、最初から当たり前であるかのように。
 綺麗だ、と思うだけではいけない。圧倒されて終わりではいけない。自分だってアイドルなのだから。藍良は拳を握りしめる。それでも。
「やっぱ、好きだなァ……」
 気づいたら、口に出していた。目を逸らしたいくらい悔しいのに、目が離せない。呼吸を忘れていたせいで、息を吸う音がやけに大きく感じられた。
 巽が心配そうに、藍良の背に手を添える。
「大丈夫」
 藍良は深呼吸をして、じっと画面の中の一彩を見つめた。
「負けない。絶対おれもたどり着く。ヒロくんの隣に――同じ高さに」
 一彩は背中で藍良を引っ張ると言ってくれた。いつか、藍良の願いを叶える約束と引き換えに。
 その約束を果たすため、藍良も立ち向かわなくてはならない。眩しい、なんて思ってはいけない。あの光の中に、自分も行かなければならないのだから。

『藍良が、僕に追いついたと思ったその時には
 僕に、君のいちばん大事な願いを叶えさせて』

 その言葉が――あの夜の約束が、今も藍良の胸の奥に灯っている。一彩の声が脳裏によみがえって、藍良は指先で自分の唇に触れた。





 事務所代表ユニットのパフォーマンスとMCが終了し、一彩が手を振りながら舞台袖にはける。モニター越しの拍手と歓声。その余韻が薄れたタイミングで、一彩が楽屋に戻って来た。
 衣装を着替えるため、メンバーへの挨拶もそこそこに奥の更衣スペースへと向かう。
 既にALKALOIDのユニット衣装を身に着け、準備を完了している藍良は一彩に駆け寄った。
「ヒロくん、お疲れ様」
 藍良が声をかけると、ボトルの水を飲み干した一彩が小さく笑った。
「うん、ありがとう。今度は一緒に歌えるね」
 一彩がカーテンを閉めて衣装を脱ぐ。藍良は咄嗟にそれを受け取り、手際よくハンガーにかけた。汗を拭くためのタオルを手渡し、ALKALOIDのユニット衣装を持って来る。
 モニターから、Crazy:Bの曲のイントロが聞こえてきた。もうあと数曲で、ALKALOIDの出番がくる。
 待機していたメイク担当が入ってきて、藍良は一彩の準備の手伝いをその人に引き継ぐ。
 ターコイズブルーが映える、いつもの黒いユニット衣装に袖を通した一彩の姿を見て、藍良はようやく息をついた。代表衣装はとても似合っていたけれど、速足で遠くに行ってしまうようで、見ていると焦った。

 ステージ袖で、前のユニットのパフォーマンスに耳を澄ます。いよいよ出番というところで、一彩が藍良に手を差し出した。
「行こう、藍良」
 振り返るなと言ったのに。手を差し伸べるなと言ったのに。しかし何故か、ALKALOIDがステージに登場する際には手を繋いでいるのが定番になっているので、仕方がない。
 頭の中で文句を言いながらも、藍良はその手を取る。少しだけ、ぎゅっと強く握ってから、目を伏せて一歩踏み出す。背中には、先輩二人の心強さを感じた。
 新進気鋭の”ユニコーンの王子様”を冠する少年たちが元気よくはけていくのと入れ替わりで、次はALKALOIDの出番だ。
 一彩に手を引かれる前に、藍良は一歩を踏み出した。
 手を引かれてばかりではいられない。今日は少しでも隣に並び立ちたいと思った。

 ステージの光が全身を包み込む。
 眩しくて、目を細めそうになるけれど、それでも逸らさなかった。
 目の前の一彩の背中を、じっと見据えた。繋がれた手が少し熱い。
 客席からあふれんばかりの歓声と、流れ出したイントロが混ざり合って響く。ALKALOIDのステージが始まった。




第三話 約束
おわり
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