第八話「月下、孤独の盾を棄てて」
手で丸い眼鏡の形を作り、ベリーが言う。何を考えたのか、レオンがその場で快諾したのだ。その時のリリスティアといえば、手放しに喜んでいた。
「あいつのことだから、どうせ上手いこと抑止力に使えそうだとでも思ってんだろうな」
「でもそれは本当かもね~。……しかもアメリのお父さんなんでしょ」
やり方としてどうかとは思うが、昴自身も何かしら考えがあってここに置いてほしいと言っているのは間違いない。それが娘であるアメリに関係することだということも、本人は隠す様子もない。
だが、昴の剣の腕は本物だ。活発に動いていたレイムとは違い、彼はその虚を見極め体力を無駄に減らさず戦っている。
腕は立つが猪突猛進なレイムにとって、昴から学ぶことは多かったのだろう。嬉々として昴に質問をぶつけているようだ。だが昴は短く答えるのみで、さっさと話しを終わらせようとしている。
「……あんな冷たくあしらわれてるのに、めげないね」
「あいつは昔からあんな感じだ」
呆れたようにベリーが言うと、ライザーは欠伸をしながら腕を頭の後ろに回し、腰を据えている椅子の背もたれに深くもたれかかった。
ちょうどその時、訓練場の扉を荒々しく開け放ち、その顔にかけた光る眼鏡を中指で押し上げながら、レオンが現れた。レイムと昴がいる場所より高い位置に造られた観覧席の更に上にあるその扉は、ギイと錆びた音を立て不気味に閉じた。
「おや、レイム君。こんなとこにいマシたか」
「れ、レオン軍師……」
レオンの声や表情は至って穏やかだったが、彼が何のためにここに現れたかを瞬時に理解したレイムは、青ざめながら後ずさる。
「おかしいデス。君には怪我が治るまで部屋で大人しくするように言ったハズなんデスが」
レオンはそう言いながら、観覧席の間に通る幾つかある階段をゆっくりと降り始める。
「その、寝てばっかだと体がなまって……」
「骨折数カ所に打撲、捻挫。果ては内蔵破裂しかけたヒトのいうことじゃ無いデス」
低くなるレオンの声にレイムはますます後ずさり、ついにはわざとらしく昴の背に隠れてみせた。それでも昴は表情を変えず、されるがままで。
「も、もう元気ッス! 竜族は回復が早いんスよ!」
「回復したかどうかは医者の俺が決めることデス。まったく、昴サンも無茶させないでクダサイよ~?」
レオンは両腰に手をあて、ため息を吐きながら昴を見る。
本当はレイムの方から昴に剣の相手を申し込んだのだが、彼は弁解することもなく、一つ返事をした。
「……ああ」
「ま、皆に剣の指導をしてくれるのはかなり助かってるんデスけどね。おかげで訓練の負傷者は増えてマス。もうちょっと手加減、どうデス?」
「そうか」
「いやいやそうかじゃなくて……まあいいか。ほらレイム君! さっさと戻ってクダサイ」
「はーいッス」
上から下に力が抜けたようにレイムはうなだれ、とぼとぼと昴から離れていった。
レイムが訓練場から出たのを確認すると、レオンはやっと笑みを見せ、残された昴に手を振りながらこう言った。
「じゃあ昴サン、他の兵士の訓練頼みマス」
「……次は誰だ」
昴は観覧席に居る兵士達にじろりと目を移す。そして余裕の面構えで、彼らに低く言い放った。
兵士達は恐怖に震え上がり順番を譲り合ったが、その内諦めたかのように何人かが彼の教授を受けに昴の佇む訓練場に向かった。
* * *
土臭い訓練場とはうって変わり、豪華な装飾が細部に渡り施された上品な部屋では、分厚い本とにらめっこをするリリスティアの姿があった。
「……という理由から、この国の政治は王と軍部総指揮官、軍師宰相の三人に委ねられているわけだ。分かったか? 元々そんなに人口が多い国ではないが、民の中にも代弁者を」
「ヒル……」
「ん?」
珍しく眼鏡をかけ、その片手に本を持ち、教師のような格好をしたヒルがそこに居た。
椅子に座り本を持つリリスティアの傍らで、まるで家庭教師でもしているかのように立ったまま返事をする。
「どうしたリリスティア。何か分からないことがあったか?」
「そうじゃなくて、その、少し……」
リリスティアは目の前のテーブルに積まれた山盛りの歴史書を睨んだ。そのうんざりした様子に気づいたヒルは、笑いながら彼女の持っている本を取り上げ、テーブルに置いた。
「はは、疲れたなら早く言え。無理して詰め込んでも身に付かない」
そう言われ安堵したのか、リリスティアは軽く腕を上げ伸びをした。その間にも、ヒルはあらかじめ用意されていた紅茶をカップに注いだ。その香りがリリスティアの鼻をつき、喉の渇きを訴える。
「歴史が古くて驚いた」
「だろう? まあ、敵が動きを見せない今が勉強の機会だからな。だが少し休憩だ。ほら」
カップを目の前に奨められ、リリスティアはそれを手に取り、ふうふうと息を吹きかけ一口飲んだ。
「美味しい」
「そうか、よかった」
ヒルが柔らかな笑みを見せると、リリスティアの頬は何故かうっすらと紅潮した。それは暖かい紅茶を飲んだ為なのかどうかは、分からない。
「お前は飲まないの?」
カップを持ったままリリスティアがヒルを見上げる。
「俺はいいよ。ゆっくり飲め」
ヒルはリリスティアの頭を子供にするように優しく撫でる。そして空いている椅子に腰を下ろし、長いため息をつきながら眼鏡を外した。
「目、悪かったの?」
リリスティアが問う。
「少しだけ。見えにくい時があるが普段はそうでもない」
会話が終わると部屋に沈黙が漂う。
その雰囲気に耐えられないのか、リリスティアはひたすら紅茶を口にし、あっという間に飲み干してしまった。
だが、リリスティアが落ち着かない理由はそれだけではなかった。二人がいる部屋の中は本棚が所狭しと並べられ、その中には小難しそうな本が寿司詰め状態。
気慰め程度に部屋の隅に置かれた観葉植物が唯一の暖かみ。後は、壁に掛けられた深い色味のマントに、普通よりも背丈の大きなベッド。
ふいにそれが目に入りリリスティアは咄嗟に目を逸らす。すると丸いテーブルを挟んで正面にいるヒルがきょとんとした様子でこちらを見ていた。
「お前の部屋は本しか無いのね」
「まあな、なかなか殺風景だろう。だが落ち着く」
ここは、ヒルの私室だ。リリスティアはあの戦いの後、王国に動きがあるまでの時間を利用し、必要な勉強を始めたのだった。
「王国軍に動きは?」
「いや、まだ目立った様子はない。とはいっても、今我が国には諜報部が無い。情報を制することができない状況なのは致命的ではあるが……自然の要塞とも言うべきアルゲオ山脈と霧の谷があることが救いだな」
確かに、ヴァイスに攻め入ろうと思えばまずあのアルゲオ山脈を越え、さらに大平原を抜けなければならない。見つからずに近づくなど、現実的に考えて無理な話だ。
だが、王国軍が引き上げたとはいえ、まだ戦いは終わってはいない。
リリスティアは以前から感じていた焦りを消し去るためにも、進んで勉強を始めた。勉強だけではなく、王としての立ち居振る舞い、何もかもに意欲的に学んでいる。
「しかし、お前は飲み込みが早いから助かる」
そう言われ、リリスティアは再び眉を寄せた。
「その代わり、政治はレオンとお前に任せきり。それが嫌」
早く、役に立ちたい。剣にしろ学にしろ、自分は中途半端なのだから。
剏竜であるヒルと誓約したにもかかわらず、リリスティアは王としての力を使いこなせてはいない。そもそも、それをどうやって扱うものなのかすらリリスティアは分からない。それだけが、王たる証にも関わらず。
「力を自在に使えるようになりたい」
「え?」
突然の話の切り換えに、ヒルは思わず目を丸くする。
「あの日発揮したような力を自由に扱えるようになりたいの」
「……ふむ」
するとヒルは、テーブルに積んであった歴史書の中からひとつを取り出し、おもむろにページを開いて見せた。
開かれたページにはおとぎ話の挿し絵のような竜の姿。光を纏い、天空を飛翔している姿が描かれている。ヒルはそのページに書かれた文章の一節を読み上げ始めた。
「竜は王と共に。竜は竜にして竜にあらず。刻印を受けし使者也」
ヴァイスの王は代々不思議な力を使いこなせる。だが力を使うには剏竜との誓約が必要だ。剏竜を従えて初めて、王は王となる。
「あいつのことだから、どうせ上手いこと抑止力に使えそうだとでも思ってんだろうな」
「でもそれは本当かもね~。……しかもアメリのお父さんなんでしょ」
やり方としてどうかとは思うが、昴自身も何かしら考えがあってここに置いてほしいと言っているのは間違いない。それが娘であるアメリに関係することだということも、本人は隠す様子もない。
だが、昴の剣の腕は本物だ。活発に動いていたレイムとは違い、彼はその虚を見極め体力を無駄に減らさず戦っている。
腕は立つが猪突猛進なレイムにとって、昴から学ぶことは多かったのだろう。嬉々として昴に質問をぶつけているようだ。だが昴は短く答えるのみで、さっさと話しを終わらせようとしている。
「……あんな冷たくあしらわれてるのに、めげないね」
「あいつは昔からあんな感じだ」
呆れたようにベリーが言うと、ライザーは欠伸をしながら腕を頭の後ろに回し、腰を据えている椅子の背もたれに深くもたれかかった。
ちょうどその時、訓練場の扉を荒々しく開け放ち、その顔にかけた光る眼鏡を中指で押し上げながら、レオンが現れた。レイムと昴がいる場所より高い位置に造られた観覧席の更に上にあるその扉は、ギイと錆びた音を立て不気味に閉じた。
「おや、レイム君。こんなとこにいマシたか」
「れ、レオン軍師……」
レオンの声や表情は至って穏やかだったが、彼が何のためにここに現れたかを瞬時に理解したレイムは、青ざめながら後ずさる。
「おかしいデス。君には怪我が治るまで部屋で大人しくするように言ったハズなんデスが」
レオンはそう言いながら、観覧席の間に通る幾つかある階段をゆっくりと降り始める。
「その、寝てばっかだと体がなまって……」
「骨折数カ所に打撲、捻挫。果ては内蔵破裂しかけたヒトのいうことじゃ無いデス」
低くなるレオンの声にレイムはますます後ずさり、ついにはわざとらしく昴の背に隠れてみせた。それでも昴は表情を変えず、されるがままで。
「も、もう元気ッス! 竜族は回復が早いんスよ!」
「回復したかどうかは医者の俺が決めることデス。まったく、昴サンも無茶させないでクダサイよ~?」
レオンは両腰に手をあて、ため息を吐きながら昴を見る。
本当はレイムの方から昴に剣の相手を申し込んだのだが、彼は弁解することもなく、一つ返事をした。
「……ああ」
「ま、皆に剣の指導をしてくれるのはかなり助かってるんデスけどね。おかげで訓練の負傷者は増えてマス。もうちょっと手加減、どうデス?」
「そうか」
「いやいやそうかじゃなくて……まあいいか。ほらレイム君! さっさと戻ってクダサイ」
「はーいッス」
上から下に力が抜けたようにレイムはうなだれ、とぼとぼと昴から離れていった。
レイムが訓練場から出たのを確認すると、レオンはやっと笑みを見せ、残された昴に手を振りながらこう言った。
「じゃあ昴サン、他の兵士の訓練頼みマス」
「……次は誰だ」
昴は観覧席に居る兵士達にじろりと目を移す。そして余裕の面構えで、彼らに低く言い放った。
兵士達は恐怖に震え上がり順番を譲り合ったが、その内諦めたかのように何人かが彼の教授を受けに昴の佇む訓練場に向かった。
* * *
土臭い訓練場とはうって変わり、豪華な装飾が細部に渡り施された上品な部屋では、分厚い本とにらめっこをするリリスティアの姿があった。
「……という理由から、この国の政治は王と軍部総指揮官、軍師宰相の三人に委ねられているわけだ。分かったか? 元々そんなに人口が多い国ではないが、民の中にも代弁者を」
「ヒル……」
「ん?」
珍しく眼鏡をかけ、その片手に本を持ち、教師のような格好をしたヒルがそこに居た。
椅子に座り本を持つリリスティアの傍らで、まるで家庭教師でもしているかのように立ったまま返事をする。
「どうしたリリスティア。何か分からないことがあったか?」
「そうじゃなくて、その、少し……」
リリスティアは目の前のテーブルに積まれた山盛りの歴史書を睨んだ。そのうんざりした様子に気づいたヒルは、笑いながら彼女の持っている本を取り上げ、テーブルに置いた。
「はは、疲れたなら早く言え。無理して詰め込んでも身に付かない」
そう言われ安堵したのか、リリスティアは軽く腕を上げ伸びをした。その間にも、ヒルはあらかじめ用意されていた紅茶をカップに注いだ。その香りがリリスティアの鼻をつき、喉の渇きを訴える。
「歴史が古くて驚いた」
「だろう? まあ、敵が動きを見せない今が勉強の機会だからな。だが少し休憩だ。ほら」
カップを目の前に奨められ、リリスティアはそれを手に取り、ふうふうと息を吹きかけ一口飲んだ。
「美味しい」
「そうか、よかった」
ヒルが柔らかな笑みを見せると、リリスティアの頬は何故かうっすらと紅潮した。それは暖かい紅茶を飲んだ為なのかどうかは、分からない。
「お前は飲まないの?」
カップを持ったままリリスティアがヒルを見上げる。
「俺はいいよ。ゆっくり飲め」
ヒルはリリスティアの頭を子供にするように優しく撫でる。そして空いている椅子に腰を下ろし、長いため息をつきながら眼鏡を外した。
「目、悪かったの?」
リリスティアが問う。
「少しだけ。見えにくい時があるが普段はそうでもない」
会話が終わると部屋に沈黙が漂う。
その雰囲気に耐えられないのか、リリスティアはひたすら紅茶を口にし、あっという間に飲み干してしまった。
だが、リリスティアが落ち着かない理由はそれだけではなかった。二人がいる部屋の中は本棚が所狭しと並べられ、その中には小難しそうな本が寿司詰め状態。
気慰め程度に部屋の隅に置かれた観葉植物が唯一の暖かみ。後は、壁に掛けられた深い色味のマントに、普通よりも背丈の大きなベッド。
ふいにそれが目に入りリリスティアは咄嗟に目を逸らす。すると丸いテーブルを挟んで正面にいるヒルがきょとんとした様子でこちらを見ていた。
「お前の部屋は本しか無いのね」
「まあな、なかなか殺風景だろう。だが落ち着く」
ここは、ヒルの私室だ。リリスティアはあの戦いの後、王国に動きがあるまでの時間を利用し、必要な勉強を始めたのだった。
「王国軍に動きは?」
「いや、まだ目立った様子はない。とはいっても、今我が国には諜報部が無い。情報を制することができない状況なのは致命的ではあるが……自然の要塞とも言うべきアルゲオ山脈と霧の谷があることが救いだな」
確かに、ヴァイスに攻め入ろうと思えばまずあのアルゲオ山脈を越え、さらに大平原を抜けなければならない。見つからずに近づくなど、現実的に考えて無理な話だ。
だが、王国軍が引き上げたとはいえ、まだ戦いは終わってはいない。
リリスティアは以前から感じていた焦りを消し去るためにも、進んで勉強を始めた。勉強だけではなく、王としての立ち居振る舞い、何もかもに意欲的に学んでいる。
「しかし、お前は飲み込みが早いから助かる」
そう言われ、リリスティアは再び眉を寄せた。
「その代わり、政治はレオンとお前に任せきり。それが嫌」
早く、役に立ちたい。剣にしろ学にしろ、自分は中途半端なのだから。
剏竜であるヒルと誓約したにもかかわらず、リリスティアは王としての力を使いこなせてはいない。そもそも、それをどうやって扱うものなのかすらリリスティアは分からない。それだけが、王たる証にも関わらず。
「力を自在に使えるようになりたい」
「え?」
突然の話の切り換えに、ヒルは思わず目を丸くする。
「あの日発揮したような力を自由に扱えるようになりたいの」
「……ふむ」
するとヒルは、テーブルに積んであった歴史書の中からひとつを取り出し、おもむろにページを開いて見せた。
開かれたページにはおとぎ話の挿し絵のような竜の姿。光を纏い、天空を飛翔している姿が描かれている。ヒルはそのページに書かれた文章の一節を読み上げ始めた。
「竜は王と共に。竜は竜にして竜にあらず。刻印を受けし使者也」
ヴァイスの王は代々不思議な力を使いこなせる。だが力を使うには剏竜との誓約が必要だ。剏竜を従えて初めて、王は王となる。