第七話「蒼き瞳の訪問者」
シュナイダーは彼の瞳にちらりと目を合わせた。マティスの群青色の瞳は深い海のようで、だが光に当たれば透明な湖のよう。
……柔らかい物腰の裏は、何を考えているやら。
シュナイダーは、マティスを信用してはいない。
というのも、王国内でのマティスは"バロンの腰巾着"というイメージが定着している。
王の近衛隊でありながら、王よりもバロンの側でうろついている姿の方が多く見かけるからだ。
王に絶対的な忠誠を誓うシュナイダーにとっては、そんな彼の行動は鼻につくものばかりだった。
「いや、私は他にも行かなければならない場所があるのでね。悪いが遠慮しておくよ」
「そう。じゃあ俺はこのままバロン様のところに行くよ」
シュナイダーが誘いを丁重に断ると、マティスもまたそれを気にした様子は無く、屈託のない笑みを見せた。その笑顔は、三十を越えた男とは言いがたいほど幼く見える。
「しかし、貴殿は本当に私よりも年上か?」
「ええ? 唐突だな」
マティスがおどけたように肩をすくめる。シュナイダーはふっと笑いを漏らすと、さっきまで進もうとしていた方向とは逆の方に体を反転させた。
「いや、戯れ言だ。若々しさに嫉妬してしまっただけだ。気にしないでくれ。では」
そう一言言い残すと、落ち着いた足取りでマティスの前からさっさと立ち去っていった。
残されたマティスは、回廊を歩んでいくシュナイダーの背中を笑顔で見送っていた。
だが、彼の姿が見えなくなるや否や、その表情はうって変わって冷たく凍り付く。皮を一枚めくり現れたのは、先ほどまでの自分を否定するかのような、黒い闇が支配する悪魔のような笑み。
「さすが、社交辞令は上手だ」
マティスは意味深かつ、吐き捨てるようにそう呟くと、笑みを浮かべたままシュナイダーとは逆方向に向かって歩み始めた。
「……くそ、こうなると何もかもが疑わしく見えてしまう」
シュナイダーは、中庭にある祈りの塔に直行していた。塔は一般市民にも開放されているくらいなので、別に見る分にはバロンの許可はいらない。
だが、シュナイダーはバロンに会って色々と何か問いつめる気だったのだろう。苛立ちを隠せず、眉間に深い皺が寄る。
「マティスのあのタイミングの良さはなんだ。まるで俺が、バロンの元に行くのを知っていたようだ」
彼の歩調が段々と速くなり、駆け足になる。回廊に速い調子の靴の音が鳴り響く。何かを確かめる為に、彼は一心不乱に駆けだした。
「祈りの塔………」
シュナイダーは、目的のそれを目の前にしてますます鼓動が高鳴るのを感じていた。
それは恐怖からでは無く、何かに似た暖かい感情から。脈打つ心の臓の音を確かに感じながら、シュナイダーは塔により近づいていった。
「やはり大きいな」
シュナイダーは恐る恐るその塔に近づき、見上げれば首が痛くなるほどの距離まで詰めた。
祈りの庭には人もまばら、信心深い民がぽつりぽつりと見えるだけで、誰もシュナイダーに気づいた様子は無いほど熱心に祈りを捧げていた。そのあまりの人気の無さから、シュナイダーの頭に良からぬ考えが浮かんだ。だが、彼はすぐに頭を振り、冷静になれと自分に呟く。
「いかん。何を考えているのだ私は」
塔の内部など禁忌中の禁忌。限られた人物しか入ることなど許されない。だが、と彼は再び塔を見上げた。
しかしよく見るとこの塔、いったいどこに入り口があるのだというのだろうか。聖石の壁はすべすべとなめらかで、扉らしき継ぎ目すら見受けられない。
「やはり何か鍵があるのだろうか……?」
壁に手を当て、探るようにしてみるが、結局は鍵穴らしきものも見つからない。あきらめかけたその時、ふいに壁に当てていた手に暖もりを感じた。驚いてその箇所に目をやるが、そこには水晶のような壁に反射され映る自分の手。
「気のせいか」
そう言って目を逸らす。だがシュナイダーは、更なる違和感に気づき再度そこに目をやった。
映っているのは、自分の手では無い。その武骨な手とはまるで正反対、細くしなやかな指先。ひとまわり小さなその手を、彼は知っている。その手を辿っていくと、先にやはり彼女の顔があった。
「せ……、セイレ……!?」
今度は、先ほどの幻想よりもやけにはっきりと見える。まるで薄いガラスを一枚隔ててそこにいるように。
咄嗟に名前を叫んだシュナイダーだが、すぐに周りを警戒し見回す。祈りを捧げる人々は皆頭を垂れたまま。庭を囲む建物の窓や渡り廊下にも人の気配はない。警護兵もいつもより少なく、シュナイダーだと認知している為か、彼の行動に異を唱えてはこない。塔の壁に手を当て何かをしている、くらいにしか思っていないのだろう。
「……セイレなのか?」
小声で、辺りを見回しながら囁く。すると壁の向こうのセイレは、もう十数年ぶりであろうその声を彼に聞かせた。
「老けたなシュナイダー」
セイレは、穏やかに微笑んでみせた。
「本物か。やはり、この世に未練があったのか?」
彼女を幽霊か何かだと思っているシュナイダーは、呆れ顔で彼女を見る。
「馬鹿。だが説明が面倒だ。とにかく時間がない。私の話を信じてくれ」
「ど、どういうことだ? 頭がおかしくなりそうだ……いや既におかしいのか? とにかく、順を追って説明しろセイレ」
シュナイダーは未だに目の前のセイレの姿が信じられないのか、塔の壁に手をきつく押し当てる。すると、セイレは不服そうに顔をしかめた。
「お前は目の前にいる私が見えてないのか?」
透明な壁越しに聞こえるその声はやはりセイレのものに間違いなく、シュナイダーは頭の中がこんがらがりそうで軽い目眩を覚えた。
「いや。だが、だがしかしお前は悪魔に殺されて……私は確かに死体を……」
「今王国内には幾つもの異なる意志が息を潜めている、私はそれにやられた」
セイレはそう言って、辛辣な表情を浮かべる。
「異なる意志?」
「ああ」
「一体どこに理解を以てすればいいのだ! お前は悪魔に殺されたのではないのか!」
「……違う」
「だからこそ、だからこそ私は!」
シュナイダーは千切れるような声を出し、セイレの瞳を真っ直ぐに見つめる。セイレもまたその瞳を見つめ返すと、触れられはしない彼の顔もとに手を伸ばした。
「お前は生きているのか…? 何故そんな姿をしているんだ」
シュナイダーの声が大きくなる。さすがにそれに驚いた周りの民達が、顔を上げ彼の様子を伺い始めた。だが彼は構わず、感情のままに言葉を吐き出し続ける。
「お前をそんな風にしたのは誰だ! 私にとって命よりも大切なお前を! そんな風にしたのは誰なんだ!」
そして、彼の右拳が勢い良く塔の壁に打ちつけられた。鈍い音が響きわたり、衝撃に耐えきれなかったシュナイダーの拳の指と指との間に血がじんわりと滲む。彼は息荒く俯き、そのまま塔を背にするように崩れ落ちた。
刹那、セイレの瞳から一滴の涙が流れ落ちた。だがそれはシュナイダーの目には見えておらず、セイレは彼の背にもたれかかるように体を預けた。
だが彼の温もりなど感じられず、ひんやりと氷にも似た感触が余計に胸を締め付ける。
「シュナイダー、お願いだ。信じてくれ」
「……セイレ」
シュナイダーは目だけをセイレに向ける。ようやく彼女の瞳から涙が流れていることに気がつくと、その目元にそっと指先を遣った。
「セイレ……生きて、いるのか?」
「だから、お前を呼んだ」
「私は、何をすれば───」
言い掛けて、シュナイダーは自身のすぐ背後に、何者かの気配を感じ黙った。振り返る前に、彼は今自分が置かれた状況に気がついた。
「こんなところで昼寝でもしていたのかシュナイダー大佐」
ふと気がつくと、いつの間にか数人の警備兵がその頑強な鎧を身に纏いこちらを見つめている。
そしてその中心にいる人物が、彼らを付き従わせるようにしてシュナイダーに歩み寄る。
「祈りの塔で妙な幻覚でも見たか?」
「マリアベル大佐……」
シュナイダーはさりげなく後方に視線をやる。セイレはもうそこには居ないことを確かめると、衣服の汚れを払い落としながら立ち上がった。
「正直に話した方が身の為だ」
「そうは言われましても、祈りを捧げていただけです。それより貴女こそ、何故ここに?」
「部下の様子がおかしいと聞いたから様子を見に来たのだ」
……柔らかい物腰の裏は、何を考えているやら。
シュナイダーは、マティスを信用してはいない。
というのも、王国内でのマティスは"バロンの腰巾着"というイメージが定着している。
王の近衛隊でありながら、王よりもバロンの側でうろついている姿の方が多く見かけるからだ。
王に絶対的な忠誠を誓うシュナイダーにとっては、そんな彼の行動は鼻につくものばかりだった。
「いや、私は他にも行かなければならない場所があるのでね。悪いが遠慮しておくよ」
「そう。じゃあ俺はこのままバロン様のところに行くよ」
シュナイダーが誘いを丁重に断ると、マティスもまたそれを気にした様子は無く、屈託のない笑みを見せた。その笑顔は、三十を越えた男とは言いがたいほど幼く見える。
「しかし、貴殿は本当に私よりも年上か?」
「ええ? 唐突だな」
マティスがおどけたように肩をすくめる。シュナイダーはふっと笑いを漏らすと、さっきまで進もうとしていた方向とは逆の方に体を反転させた。
「いや、戯れ言だ。若々しさに嫉妬してしまっただけだ。気にしないでくれ。では」
そう一言言い残すと、落ち着いた足取りでマティスの前からさっさと立ち去っていった。
残されたマティスは、回廊を歩んでいくシュナイダーの背中を笑顔で見送っていた。
だが、彼の姿が見えなくなるや否や、その表情はうって変わって冷たく凍り付く。皮を一枚めくり現れたのは、先ほどまでの自分を否定するかのような、黒い闇が支配する悪魔のような笑み。
「さすが、社交辞令は上手だ」
マティスは意味深かつ、吐き捨てるようにそう呟くと、笑みを浮かべたままシュナイダーとは逆方向に向かって歩み始めた。
「……くそ、こうなると何もかもが疑わしく見えてしまう」
シュナイダーは、中庭にある祈りの塔に直行していた。塔は一般市民にも開放されているくらいなので、別に見る分にはバロンの許可はいらない。
だが、シュナイダーはバロンに会って色々と何か問いつめる気だったのだろう。苛立ちを隠せず、眉間に深い皺が寄る。
「マティスのあのタイミングの良さはなんだ。まるで俺が、バロンの元に行くのを知っていたようだ」
彼の歩調が段々と速くなり、駆け足になる。回廊に速い調子の靴の音が鳴り響く。何かを確かめる為に、彼は一心不乱に駆けだした。
「祈りの塔………」
シュナイダーは、目的のそれを目の前にしてますます鼓動が高鳴るのを感じていた。
それは恐怖からでは無く、何かに似た暖かい感情から。脈打つ心の臓の音を確かに感じながら、シュナイダーは塔により近づいていった。
「やはり大きいな」
シュナイダーは恐る恐るその塔に近づき、見上げれば首が痛くなるほどの距離まで詰めた。
祈りの庭には人もまばら、信心深い民がぽつりぽつりと見えるだけで、誰もシュナイダーに気づいた様子は無いほど熱心に祈りを捧げていた。そのあまりの人気の無さから、シュナイダーの頭に良からぬ考えが浮かんだ。だが、彼はすぐに頭を振り、冷静になれと自分に呟く。
「いかん。何を考えているのだ私は」
塔の内部など禁忌中の禁忌。限られた人物しか入ることなど許されない。だが、と彼は再び塔を見上げた。
しかしよく見るとこの塔、いったいどこに入り口があるのだというのだろうか。聖石の壁はすべすべとなめらかで、扉らしき継ぎ目すら見受けられない。
「やはり何か鍵があるのだろうか……?」
壁に手を当て、探るようにしてみるが、結局は鍵穴らしきものも見つからない。あきらめかけたその時、ふいに壁に当てていた手に暖もりを感じた。驚いてその箇所に目をやるが、そこには水晶のような壁に反射され映る自分の手。
「気のせいか」
そう言って目を逸らす。だがシュナイダーは、更なる違和感に気づき再度そこに目をやった。
映っているのは、自分の手では無い。その武骨な手とはまるで正反対、細くしなやかな指先。ひとまわり小さなその手を、彼は知っている。その手を辿っていくと、先にやはり彼女の顔があった。
「せ……、セイレ……!?」
今度は、先ほどの幻想よりもやけにはっきりと見える。まるで薄いガラスを一枚隔ててそこにいるように。
咄嗟に名前を叫んだシュナイダーだが、すぐに周りを警戒し見回す。祈りを捧げる人々は皆頭を垂れたまま。庭を囲む建物の窓や渡り廊下にも人の気配はない。警護兵もいつもより少なく、シュナイダーだと認知している為か、彼の行動に異を唱えてはこない。塔の壁に手を当て何かをしている、くらいにしか思っていないのだろう。
「……セイレなのか?」
小声で、辺りを見回しながら囁く。すると壁の向こうのセイレは、もう十数年ぶりであろうその声を彼に聞かせた。
「老けたなシュナイダー」
セイレは、穏やかに微笑んでみせた。
「本物か。やはり、この世に未練があったのか?」
彼女を幽霊か何かだと思っているシュナイダーは、呆れ顔で彼女を見る。
「馬鹿。だが説明が面倒だ。とにかく時間がない。私の話を信じてくれ」
「ど、どういうことだ? 頭がおかしくなりそうだ……いや既におかしいのか? とにかく、順を追って説明しろセイレ」
シュナイダーは未だに目の前のセイレの姿が信じられないのか、塔の壁に手をきつく押し当てる。すると、セイレは不服そうに顔をしかめた。
「お前は目の前にいる私が見えてないのか?」
透明な壁越しに聞こえるその声はやはりセイレのものに間違いなく、シュナイダーは頭の中がこんがらがりそうで軽い目眩を覚えた。
「いや。だが、だがしかしお前は悪魔に殺されて……私は確かに死体を……」
「今王国内には幾つもの異なる意志が息を潜めている、私はそれにやられた」
セイレはそう言って、辛辣な表情を浮かべる。
「異なる意志?」
「ああ」
「一体どこに理解を以てすればいいのだ! お前は悪魔に殺されたのではないのか!」
「……違う」
「だからこそ、だからこそ私は!」
シュナイダーは千切れるような声を出し、セイレの瞳を真っ直ぐに見つめる。セイレもまたその瞳を見つめ返すと、触れられはしない彼の顔もとに手を伸ばした。
「お前は生きているのか…? 何故そんな姿をしているんだ」
シュナイダーの声が大きくなる。さすがにそれに驚いた周りの民達が、顔を上げ彼の様子を伺い始めた。だが彼は構わず、感情のままに言葉を吐き出し続ける。
「お前をそんな風にしたのは誰だ! 私にとって命よりも大切なお前を! そんな風にしたのは誰なんだ!」
そして、彼の右拳が勢い良く塔の壁に打ちつけられた。鈍い音が響きわたり、衝撃に耐えきれなかったシュナイダーの拳の指と指との間に血がじんわりと滲む。彼は息荒く俯き、そのまま塔を背にするように崩れ落ちた。
刹那、セイレの瞳から一滴の涙が流れ落ちた。だがそれはシュナイダーの目には見えておらず、セイレは彼の背にもたれかかるように体を預けた。
だが彼の温もりなど感じられず、ひんやりと氷にも似た感触が余計に胸を締め付ける。
「シュナイダー、お願いだ。信じてくれ」
「……セイレ」
シュナイダーは目だけをセイレに向ける。ようやく彼女の瞳から涙が流れていることに気がつくと、その目元にそっと指先を遣った。
「セイレ……生きて、いるのか?」
「だから、お前を呼んだ」
「私は、何をすれば───」
言い掛けて、シュナイダーは自身のすぐ背後に、何者かの気配を感じ黙った。振り返る前に、彼は今自分が置かれた状況に気がついた。
「こんなところで昼寝でもしていたのかシュナイダー大佐」
ふと気がつくと、いつの間にか数人の警備兵がその頑強な鎧を身に纏いこちらを見つめている。
そしてその中心にいる人物が、彼らを付き従わせるようにしてシュナイダーに歩み寄る。
「祈りの塔で妙な幻覚でも見たか?」
「マリアベル大佐……」
シュナイダーはさりげなく後方に視線をやる。セイレはもうそこには居ないことを確かめると、衣服の汚れを払い落としながら立ち上がった。
「正直に話した方が身の為だ」
「そうは言われましても、祈りを捧げていただけです。それより貴女こそ、何故ここに?」
「部下の様子がおかしいと聞いたから様子を見に来たのだ」