第七話「蒼き瞳の訪問者」

 残すものがあっただろうか。残せるものがあっただろうか。
 この泥と屑がうねるこの世界に、伝えられるものなどあったのだろうか。
 遠すぎるあの世界。貴方がおわすあの世界。どこにも扉はなく、見ることも、――触れることも、叶わない。





 何時如何なる時も光が降り注ぐ暖かな国リュシアナ。その王都には、重い影が忍び寄っていた。

「一体どういうことだ……」

 勢いよく振ろうとしていた人々の手は力なく下に落ち、撒かれるはずだった花びらの籠は、行き場を失くしていた。

「全員傷だらけじゃないか」

「何があったんだ」

 傷ついた姿で帰還した軍隊を目にした民達は、驚きを隠せなかった。
 彼らが狂信的に崇めていた聖騎士の軍隊は、足を引きずり、互いに支えあい、重い足取りで城への道を歩んでいく。
 アストレイア殺害の報復戦争として悪魔に戦を仕掛けたものの、逆に返り討ち合ったという事実は、口伝えの必要もなく、その眼前にある事実を以ってして、民の間に知れ渡った。
 その中でも、ひと際悲壮感を漂わせ、目立っていたのがアメリだった。艶やかな髪は敗者の濁りを孕み、双眸に光はなかった。

「あ……あ! わ、私の孫は……! 孫は!」

 観衆の中から、自分の孫を必死に探す老婆がいた。
 老婆の声に気付いたアメリは、顔を上げる。悲壮な面持ちでこちらに歩み出る姿に、肩を震わせた。
 だが、老婆のおぼつかない足は石畳につま先を捕らえられ、力なく倒れこむ。

「いけない!」

 アメリは急いで馬から駆け下り、老婆の元へと駆け寄った。

「大丈夫ですか」

「アメリ様! 私の孫は聖騎士で、貴女の師団に配属になったと言っておりました!」

「わたくしの部隊に……」

「まだ若い娘です! 貴方様と戦えると、肩を並べられるのだと喜んでおりました! 孫はどこにいますか!」

 老婆の目からは涙がこぼれた。
 覚えのある瞳の色が、アメリの言葉を封じ込めた。

「アメリ様ぁ! 私の可愛い孫はどこに……! どこに!」

 空高く、白き鳩が征く。
 終わりの時を告げる黒い花弁が、どこからか舞い散り始めていた。
 思ってもみなかった戦いの結末に、人々が恐れと不安の中、毒めいた想いを必死に飲み込んでいた。

「悪魔のことだから何か卑怯な手を使ったんだろうよ!」

「死んだのは下位聖騎士や一般兵ばっかだって噂だ」

「アメリ様やジークフリード様がいるんだから心配いらねーよ。次は勝つさ」

 民の悪魔に対する概念は強固なものだった。報復攻撃が失敗に終わり、かなりの動揺が人間達の間に広がったのだが、信心深い民達は"英雄聖騎士様がいるから大丈夫だ"と、余裕の心構えをしていた。そう思うのも、聖王国の正規軍がほぼ無傷で帰国しのだから無理もないことだった。

 だが、大切な者を失い悲しみに打ちひしがれる民も少なくはない。

 軍隊は王国に着いた後一端解体され、また次の作戦が決定するまで聖騎士は王都に待機という命令が下された。各国からの支援兵も一時帰国し、また王達は策を練り始めた。
 聖王国内は此度の戦いの後始末に慌ただしく、戦死者を讃える儀式も形式的に行われた。何しろ前線部隊と一師団が壊滅したのだから、死者の数は相当なものだ。埋葬するまででも、かなりの日数がかかった。
 報復戦争は、聖王国内の民の心を二分した。悪魔の強さに対抗するため、人間は更なる強さを求めなければならないと士気が上がりますます増長する者達と、何故あそこまで被害を受けたのに、悪魔を倒すことが出来なかったのかと、この戦争の指揮に疑問を持ち批判する者達。
 議院や元老院達はもめにもめて、世論は国王や軍部に対して異論を唱え始めた。

「問題が起きなければいいが」

 城の一室、その部屋の窓から町を眺めていたシュナイダーが、民の心の移ろいを案じ溜め息を吐いた。
 一足先に帰還していた彼は、きちんと襟元が正された軍服に身を包んでいる。明るい波のように揺れる金の髪が、風になびいている。

「あの魔導師といい、わざと戦いを派手に盛り上げていたような気がしてならない」

 あのまま後方の正規軍が進軍していれば、制圧出来たかもしれない。それに、マリアベルの采配にもずっと違和感を感じていた。
 シュナイダーは部屋の壁際に置かれた机の前に足を進めた。そこには、地図や資料の束が無造作に広げられている。それは此度の戦いの詳しい資料だった。

「部隊編成、配置。私が最後に見た案とは少し違う。一体どういうことなんだ……」

 そうして、考えが煮詰まった時にはやはり決まって彼女の顔が頭に浮かぶ。
 同時に襲いくる少しの頭痛に目を歪めると、シュナイダーはふらふらと机の脇のベッドに腰をかけた。

「……またか」

 最近、セイレの幻覚を見るようになった。いよいよ頭がおかしくなったのか、とシュナイダーは自嘲する。部屋の中央に現れた、ぼんやりともやがかかったセイレの姿。変わらないその姿に、胸の奥が熱くなる。だが、彼女の表情は、暗い。

「君は何か私に怨みでもあるのか?」

 幻のようなセイレは首を振る。

「君と過ごした時間は、私にとって何にも変えられない尊いものだった。君も、そうだった筈だ」

 幻のセイレは、今度は首を縦に振った。

「なら何故そうやって悲しそうな顔をして私を悩ませるんだ? 悪魔を討てなかったからか?」

 請うように、シュナイダーは幻のセイレを見つめる。ついに立ち上がると、彼女の前に歩み寄り、触れられないその頬にそっと手を添えた。

「君はもう死んだ。けど、その悲しみから私はまだ立ち直れないでいる」

 セイレは添えられた手に自信の手を重ねようとする。だが、何も無いようにそれはすり抜けていく。

「もう君に触れられないのに、神は私にこんな幻を見せるなんて」

 すると幻のセイレは、悲しそうな表情のままシュナイダーの体を風が通りすぎるようにすり抜けた。そのまま窓の方に向かうと、彼に真剣な眼差しを向けたまま、外のある方向を指さした。

「……なんだ?」

 不思議に思いながらも、シュナイダーは彼女の指差した方角に目をやった。窓から身を少し乗り出し、見つめた先にあったのは、巨大な祈りの塔だ。

「塔がどうかし──」

 振り返った時には、幻はもう消えていた。
 再び部屋に一人になったシュナイダーは、彼女が指さした祈りの塔にもう一度目をやった。
 美しい聖石で創られた王国の象徴ともいえるその巨大な建造物。一部破損しているのは、先の戦いの出陣前の儀式の時に起こった事件の所為だ。

「あの塔に何かあるのだろうか」

 太陽光に反射し、まばゆいほどの輝きを放つ塔だが、今の彼の目にはどこか不気味に映っていた。妙に胸がざわつくのは、死んだセイレがあれを指さしたから。あの瞳が必死に何かを訴えているようで、彼は余計に苦悩した。
 そうして悩んだ挙げ句、彼は部屋を出た。その足は中庭の祈りの塔へと向かうのではなく、別の方向へと急いでいた。

「確か、塔の管理者は神官長バロン様だったな」

 確かめるようにそう呟き、歩調を早めたその時だった。

「どちらへ行かれるんですか?」

 背後から急に声をかけられ、シュナイダーは瞳をそちらに向けた。
 そこにいたのは、顔立ちは若くとも彼よりは年上の男性。近衛兵のマティスが、やけに穏やかに佇んでいた。気配が無かったことにシュナイダーは不信感を露わにしたが、彼が笑みを見せたことにより、それはいくらか中和された。

「なんだ、マティス殿か。驚かさないでくれ」

「あ……と。申し訳ありません」

「私に敬語を使う必要は無いよ。私は階級こそ大佐だが、貴殿は伯爵家の嫡男なのだから。年も、貴殿の方が上だ」

「そう、だった。うん、ありがとう」

 マティスの人柄の良さそうな受け答えに、シュナイダーは緊張を解きほぐした。

「それより、やけに急いでいたみたいだったけれど」

「ああ、神官長様の所に行こうと思ってね。そんなに急いでいたつもりはなかったんだが」

「そうなんだ? 急いでる大佐なんて珍しかったから、つい声をかけてしまった」

 マティスが冗談めいて言うと、シュナイダーは「参ったな」と苦笑いを見せた。

「バロン様に何か用が?」

 マティスが問うと、シュナイダーは回廊の先を見つめながら少し渋るように答えた。

「いや、大した用事ではない」

「俺も今からバロン様に会いに行く所だったんだ。よかったら一緒に行くかい?」
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