第一話「翡翠は、泥の中に」
白い息を吐きながら、リリーを気遣う。
「平気。ちょっと外の空気を吸いたかっただけ」
「そっか。でも寒いでしょ」
「別に……」
アミーはリリーの傍に立つと、空気に浸るように深呼吸をしてみせた。
「――あたしさあ、この任務に志願したんだよね」
「え?」
「そしたらすんなり通っちゃってさ。一応、リュシアナで聖騎士登録してるし、そこそこ仕事もしてたから優遇されてね」
「なんでわざわざ……」
悪魔の地への任務は、聖騎士であろうと嫌うものしかいない。
するとアミーは、リリーと視線の高さを合わせるようにしてしゃがみこんだ。
「内緒にしてくれる?」
「何を……?」
「内緒にするっていうなら話してあげる」
「自分から言い出しといてどういうこと」
「あはは、怒らないでよリリーちゃん。まあでも、あんたには話しておきたいんだ」
一人で勝手に喋りだそうとするアミーに、リリーは興味なさそうな態度を見せたが、彼女はそれを気にしなかった。
かじかむ手を温めながら、嬉々として語り始めた。
「私、セイレに助けてもらったことがあるんだよね」
「姉さんに?」
「そ。若かったころね。私の住んでた村に悪魔が出たーっつってね。リュシアナの聖騎士がたくさん討伐に来たんだよ。……そのまま村一つ全滅しちゃってさ。かなり大きな事件になったんだよ」
「ゴルゴファの村……」
「よく知ってるね! お姉ちゃんの任務は全部覚えてるの?」
ゴルゴファの名前をセイレからよく聞いていたリリーは、すぐに思い出すことが出来た。
悪魔と、それが従える獣による被害を抑える為の大きな討伐任務の話は、セイレから一番最後に聞いた話だった。
「私さ、昔は足も遅くって。逃げ遅れて馬小屋に隠れてたの。したらさ、セイレの大きい剣がバーンって! 小屋の上半分薙ぎ払っていってねー。そこで私を見つけて何て言ったと思う?」
“泣くなよ! 怖がるなよ! さあ走れ!!”
姉の顔を容易に想像して、リリーは口元が緩みかけた。
「そこからはもう必死。セイレの後を追いかけて、息が止まるんじゃないかってくらい走ったよ」
焼け落ちる村の家、どこからか聞こえる慟哭。終わらない剣の衝撃音に耳が唸るのを我慢しながら、少女は英雄の背中を追いかけた。
「結局村はだめになったし、一人になっちゃったけど……。私はセイレのおかげで助かった。あの人はそうやって、どんなやつでも救ってきたんだよ。だからってわけじゃないけど、私もリリーちゃんに何か協力したくってね」
「……なんで」
「あなたがセイレの妹だって聞いた時、昔の自分のこと思い出した」
アミーが微笑むと、その目元には僅かに皺が入る。苦労の跡が見える瞳には、同情というにはあまりにも暖かすぎる感情が揺れていた。
「なんかあったら言いなよ。リリーちゃんみたいな子って、放っといたらすぐ無茶するんだから」
まるで知った風な口を聞く。そう言いたげに見上げるリリーに、アミーは困り顔を見せた。
「早めに戻っておいでよ」
言いながら、アミーは宿の中へと入っていった。
彼女の言葉が妙に胸に引っかかり、リリーは拳を握り締める。
だが、アミーがかけてくれた言葉は、まるであの時のセイレに言われたように、リリーの胸に優しく残っていた。
「変なの」
このままでは眠れそうにない。
そう思ったリリーは、熱くなる腕を押さえながら、まだ人がざわめく酒場へと足を運んだ。
* * *
酒場には大勢の客が犇めいていた。
酔った男たちの笑い声、時折喧嘩をするような声も混じっている。
そんな中、毛色の珍しいリリーは客の注目を浴びたが、彼女は気にすることもなくさっさとカウンターに座った。
「いらっしゃい。なんにする?」
「ティバで」
「あいよ」
バーテンダーから差し出された飲み物を少し口にする。客達はやはりちらちらとリリーを気にはしていたが、腕の紋章のおかげで話し掛けてくる者はいなかった。
よく見ると、客は村人たちだけではないようだ。
腰に大剣を携えた者。見るからに武骨な男や、薄気味悪いローブを深く被った魔導師のような者。
その光景に馴染むようにと、心を手放す。だんだんと気持ちが落ち着いてきたので、ほうっと息を吐いた。
残りのティバを飲み干すと、空になったグラスの底が見える。もう一杯頼もうかと顔を上げた時に、ふと違和感に気づく。
いつのまにか、真横に男が座っていた。
その人物は、いかにもな黒いローブを頭から被り体を隠している。だが相当鍛えられているだろう体は山のように大きく、リリーが子供のように小さく見えてしまう。
グラスを持つ手は、骨ばって大きく、獣の爪のように荒々しい。
グラスを口につける度にローブから覗く横顔は、その怪しい風貌に反してどこか神秘的に見えた。
「──珍しいか?」
その隣の人物の言葉にハッとして、リリーは我に返った。
少し口端をあげて笑うその人物は、こちらを向かずただ酒を飲み続ける。
「あ、……いや、その」
口をつぐむリリーを見て、その者はまた少し笑った。なんだか馬鹿にされているようでリリーは少し不機嫌になった。
またクスクスと笑う人物に苛立ちを感じたリリーは、カウンターに乱暴に金を置くと無言で席を立った。
「……お勘定」
そう吐き捨てて銀貨を置き、リリーは早足に酒場から出ていってしまった。
ざわめく酒場を出て、町の中央にある広場に向かう。そこでリリーは立ち止まり振り返った。
「ついてこないで」
鋭く睨んでみせる。
すると、つかず離れずの距離をついてきていた先程の人物は、同じく立ち止まりまた不敵な笑みを見せた。とはいっても、ローブを被っている所為で口元しか見えないのだが。
「お前、下位の聖騎士か」
リリーはとっさに二の腕のその証を、ローブの上から抑えた。
聖騎士の紋章は複雑な魔法図形となっている。一般人がそれを見ても、階級まで分かるわけがない。
王国の者だろうか。それにしては怪しい。
「恐いか?」
男はまたリリーに問い掛けてきた。
「何を言っているの?」
「言い方を変えよう。悪魔が恐ろしいか? 若い聖騎士」
夜風が吹き、青灰色の髪が揺れる。
リリーは、眉を潜めた。
この見ず知らずの人物が何故こんなことを聞いてくるのか分からなかったからだ。
「悪魔を恐がっていたなら聖騎士にはなれない」
少し怒り混じりの言葉を吐くと、リリーは背を向けた。それと同時に、またその人物は煽るように言った。
「いいや、お前は恐れている」
「は?」
「恐いのだろう。明日、何もかもが始まり終わるのだから」
ローブを被った人物は腕を組み、また笑う。大きな体格と相まって、その声は低く、魅惑的だった。
「……何が言いたいの」
「分かっているはずだ」
「何を!」
大きく声を荒げると、その人物は嘲笑した。
ひとしきり笑うとリリーとの距離を縮め、顔を歪める彼女をまるで赤子か何かを見るように見下ろした。
紅い瞳だ。花でも、炎でもない。もっと暗い底から湧き出るような、紅の瞳がリリーを捉えた。
男が纏う厚みのあるローブが、風のせいで翼のようにはためく。手を伸ばす隙間もないほどに、男の体がすぐそこにあった。
詰まる。距離が、息が、詰まってしまう。
「お前の恐れはいずれ、お前を苦しめる枷となる。この先に道を見出したいのならば、恐れを捨てることだリリー」
「えっ……」
「あっ! ほら! あそこにいる!!」
その言葉を遮るように、遠くから二人を見つけたマティスがリリーの名を呼んだ。声のする方を見ると、マティスが息をきらして走ってくる。
「マティス」
「いつまで経っても帰らないから、どうしたのかと思ったんだよ」
マティスは心配そうにリリーの元に歩み寄った。
「心配したんだよ」
「……ごめん。少し、外の空気を吸いたくて」
謝罪の言葉をのべるも、リリーの顔はいつも通り無表情だった。
そして再びその人物の方に目をやった。
が、そこには何の影もなく、夜風が虚しく吹くばかりだった。
「……消えた」
「は?」
「いや、今そこに」
そこまで言うと、リリーは頭の整理がつかず、説明するのをやめた。
マティスには、今の人物の姿が見えていなかったのか。
「どうかした?」
マティスはリリーの見つめる方を同じように見てみる。だが、やはり何もない。
「なんでもない。戻りましょう」
「平気。ちょっと外の空気を吸いたかっただけ」
「そっか。でも寒いでしょ」
「別に……」
アミーはリリーの傍に立つと、空気に浸るように深呼吸をしてみせた。
「――あたしさあ、この任務に志願したんだよね」
「え?」
「そしたらすんなり通っちゃってさ。一応、リュシアナで聖騎士登録してるし、そこそこ仕事もしてたから優遇されてね」
「なんでわざわざ……」
悪魔の地への任務は、聖騎士であろうと嫌うものしかいない。
するとアミーは、リリーと視線の高さを合わせるようにしてしゃがみこんだ。
「内緒にしてくれる?」
「何を……?」
「内緒にするっていうなら話してあげる」
「自分から言い出しといてどういうこと」
「あはは、怒らないでよリリーちゃん。まあでも、あんたには話しておきたいんだ」
一人で勝手に喋りだそうとするアミーに、リリーは興味なさそうな態度を見せたが、彼女はそれを気にしなかった。
かじかむ手を温めながら、嬉々として語り始めた。
「私、セイレに助けてもらったことがあるんだよね」
「姉さんに?」
「そ。若かったころね。私の住んでた村に悪魔が出たーっつってね。リュシアナの聖騎士がたくさん討伐に来たんだよ。……そのまま村一つ全滅しちゃってさ。かなり大きな事件になったんだよ」
「ゴルゴファの村……」
「よく知ってるね! お姉ちゃんの任務は全部覚えてるの?」
ゴルゴファの名前をセイレからよく聞いていたリリーは、すぐに思い出すことが出来た。
悪魔と、それが従える獣による被害を抑える為の大きな討伐任務の話は、セイレから一番最後に聞いた話だった。
「私さ、昔は足も遅くって。逃げ遅れて馬小屋に隠れてたの。したらさ、セイレの大きい剣がバーンって! 小屋の上半分薙ぎ払っていってねー。そこで私を見つけて何て言ったと思う?」
“泣くなよ! 怖がるなよ! さあ走れ!!”
姉の顔を容易に想像して、リリーは口元が緩みかけた。
「そこからはもう必死。セイレの後を追いかけて、息が止まるんじゃないかってくらい走ったよ」
焼け落ちる村の家、どこからか聞こえる慟哭。終わらない剣の衝撃音に耳が唸るのを我慢しながら、少女は英雄の背中を追いかけた。
「結局村はだめになったし、一人になっちゃったけど……。私はセイレのおかげで助かった。あの人はそうやって、どんなやつでも救ってきたんだよ。だからってわけじゃないけど、私もリリーちゃんに何か協力したくってね」
「……なんで」
「あなたがセイレの妹だって聞いた時、昔の自分のこと思い出した」
アミーが微笑むと、その目元には僅かに皺が入る。苦労の跡が見える瞳には、同情というにはあまりにも暖かすぎる感情が揺れていた。
「なんかあったら言いなよ。リリーちゃんみたいな子って、放っといたらすぐ無茶するんだから」
まるで知った風な口を聞く。そう言いたげに見上げるリリーに、アミーは困り顔を見せた。
「早めに戻っておいでよ」
言いながら、アミーは宿の中へと入っていった。
彼女の言葉が妙に胸に引っかかり、リリーは拳を握り締める。
だが、アミーがかけてくれた言葉は、まるであの時のセイレに言われたように、リリーの胸に優しく残っていた。
「変なの」
このままでは眠れそうにない。
そう思ったリリーは、熱くなる腕を押さえながら、まだ人がざわめく酒場へと足を運んだ。
* * *
酒場には大勢の客が犇めいていた。
酔った男たちの笑い声、時折喧嘩をするような声も混じっている。
そんな中、毛色の珍しいリリーは客の注目を浴びたが、彼女は気にすることもなくさっさとカウンターに座った。
「いらっしゃい。なんにする?」
「ティバで」
「あいよ」
バーテンダーから差し出された飲み物を少し口にする。客達はやはりちらちらとリリーを気にはしていたが、腕の紋章のおかげで話し掛けてくる者はいなかった。
よく見ると、客は村人たちだけではないようだ。
腰に大剣を携えた者。見るからに武骨な男や、薄気味悪いローブを深く被った魔導師のような者。
その光景に馴染むようにと、心を手放す。だんだんと気持ちが落ち着いてきたので、ほうっと息を吐いた。
残りのティバを飲み干すと、空になったグラスの底が見える。もう一杯頼もうかと顔を上げた時に、ふと違和感に気づく。
いつのまにか、真横に男が座っていた。
その人物は、いかにもな黒いローブを頭から被り体を隠している。だが相当鍛えられているだろう体は山のように大きく、リリーが子供のように小さく見えてしまう。
グラスを持つ手は、骨ばって大きく、獣の爪のように荒々しい。
グラスを口につける度にローブから覗く横顔は、その怪しい風貌に反してどこか神秘的に見えた。
「──珍しいか?」
その隣の人物の言葉にハッとして、リリーは我に返った。
少し口端をあげて笑うその人物は、こちらを向かずただ酒を飲み続ける。
「あ、……いや、その」
口をつぐむリリーを見て、その者はまた少し笑った。なんだか馬鹿にされているようでリリーは少し不機嫌になった。
またクスクスと笑う人物に苛立ちを感じたリリーは、カウンターに乱暴に金を置くと無言で席を立った。
「……お勘定」
そう吐き捨てて銀貨を置き、リリーは早足に酒場から出ていってしまった。
ざわめく酒場を出て、町の中央にある広場に向かう。そこでリリーは立ち止まり振り返った。
「ついてこないで」
鋭く睨んでみせる。
すると、つかず離れずの距離をついてきていた先程の人物は、同じく立ち止まりまた不敵な笑みを見せた。とはいっても、ローブを被っている所為で口元しか見えないのだが。
「お前、下位の聖騎士か」
リリーはとっさに二の腕のその証を、ローブの上から抑えた。
聖騎士の紋章は複雑な魔法図形となっている。一般人がそれを見ても、階級まで分かるわけがない。
王国の者だろうか。それにしては怪しい。
「恐いか?」
男はまたリリーに問い掛けてきた。
「何を言っているの?」
「言い方を変えよう。悪魔が恐ろしいか? 若い聖騎士」
夜風が吹き、青灰色の髪が揺れる。
リリーは、眉を潜めた。
この見ず知らずの人物が何故こんなことを聞いてくるのか分からなかったからだ。
「悪魔を恐がっていたなら聖騎士にはなれない」
少し怒り混じりの言葉を吐くと、リリーは背を向けた。それと同時に、またその人物は煽るように言った。
「いいや、お前は恐れている」
「は?」
「恐いのだろう。明日、何もかもが始まり終わるのだから」
ローブを被った人物は腕を組み、また笑う。大きな体格と相まって、その声は低く、魅惑的だった。
「……何が言いたいの」
「分かっているはずだ」
「何を!」
大きく声を荒げると、その人物は嘲笑した。
ひとしきり笑うとリリーとの距離を縮め、顔を歪める彼女をまるで赤子か何かを見るように見下ろした。
紅い瞳だ。花でも、炎でもない。もっと暗い底から湧き出るような、紅の瞳がリリーを捉えた。
男が纏う厚みのあるローブが、風のせいで翼のようにはためく。手を伸ばす隙間もないほどに、男の体がすぐそこにあった。
詰まる。距離が、息が、詰まってしまう。
「お前の恐れはいずれ、お前を苦しめる枷となる。この先に道を見出したいのならば、恐れを捨てることだリリー」
「えっ……」
「あっ! ほら! あそこにいる!!」
その言葉を遮るように、遠くから二人を見つけたマティスがリリーの名を呼んだ。声のする方を見ると、マティスが息をきらして走ってくる。
「マティス」
「いつまで経っても帰らないから、どうしたのかと思ったんだよ」
マティスは心配そうにリリーの元に歩み寄った。
「心配したんだよ」
「……ごめん。少し、外の空気を吸いたくて」
謝罪の言葉をのべるも、リリーの顔はいつも通り無表情だった。
そして再びその人物の方に目をやった。
が、そこには何の影もなく、夜風が虚しく吹くばかりだった。
「……消えた」
「は?」
「いや、今そこに」
そこまで言うと、リリーは頭の整理がつかず、説明するのをやめた。
マティスには、今の人物の姿が見えていなかったのか。
「どうかした?」
マティスはリリーの見つめる方を同じように見てみる。だが、やはり何もない。
「なんでもない。戻りましょう」