第五話「戴冠の調べ、蒼き誓いのリリスティア」
くるりとベリーが体を回すと、それまで離れていた装飾具や衣類、魔導書のすべてが元通り収まっていった。
急に荷物がなくなったライザーがぼうっとしていると、ベリーが声をかけた。
「ところでさ、キンパツって魔導師なの?」
「だったらなんだよ。あと俺はキンパツじゃねえ。ライザーだ」
「そうなんだ~よろしくねキンパツ!」
「ライザーだ!」
地下に響くライザーの怒号は空しく響くだけで、ベリーは笑ってリリーの影に隠れる。
ふと、リリーと目が合う。
やはり心配そうにするリリーに対し、ベリーはめいっぱいの笑顔を見せ、頬を摺り寄せた。
「あたしなら大丈夫だよ。よろしくねリリー!」
「……ん」
触れた頬は暖かく、リリーは言葉少なに頷いた。
それから、一行に追い付いてきたミリアたち侍女が、リリーのとんでもない様を見てこの世の終わりかのように項垂れたのは言うまでもなかった。
* * *
「戴冠ですのに……戴冠ですのに!」
急いで整えたであろう、一室。そこにたくさんの荷物を抱えて待ち構えていたミリアは、リリーを見るなり溜息を吐いて悲しんだ。
それもそのはず、今朝整えたばかりの衣服の裾は汚れ、髪は乱れており、なんなら蜘蛛の巣まで飾っているのだから。
「キンパツがあんな地下に行くから悪いんだよね~」
「てめえが逃げ込んだんだろうが!!」
衝立の向こうでは、ソファに座ったベリーとライザーが言い合いをする。
ヒルとレオンは、準備を整えるためか、先に玉座の間に向かったらしい。
「略式とはいえ、王位を継承する大事な式です。陛下におかれましては、今一度その意味をお考えくださいますようお願い申し上げます」
「はい……」
まるで母か姉に怒られているような気分になって、リリーは小さくなった。
そう話しながらも、みるみるうちに髪を整えていくミリアは、まるで魔法使いのようだ。
ドレスはというと、一番最初に脱がされ、抵抗することもできず、一気に着替えさせられている。
「さて、できました。今度は乱さないでくださいませね。無事に終わりましたら、次は戦いに備えたお召し物をご用意しておりますからご安心ください」
「ありがとう。気を付ける」
リリーはすっと立ち上がる。今度は髪に、百合の髪飾りがあった。
「わっ、可愛いねリリー~!」
ベリーがはしゃいで、周囲を回る。ドレスはやはり夜明けのような麗しいドレスであったが、今度は長く透ける、空色のマントがかけられた。
「我が国には王笏(おうしゃく)はございませんが、代わりにこちらを」
「……ペンダント?」
ミリアはリリーの後ろに回ると、その首に付ける。
鏡を見ると、透明な涙型の宝石が光っていた。
「前王妃様が好んでお召になられていました。その昔、ジオリオ陛下より賜ったものだとか」
「……私がもらってもいいの?」
「何を仰るんですか。貴方様は、お二人の御子でございますよ」
会ったことも、話したこともない本当の父と母。
もし二人の元で育っていたなら、こんな切ないさみしさに胸が痛むことはなかったのだろうか。
ペンダントを握り、決意を固める。唇を結んだリリーの背中を、ミリアは優しく、そっと撫でた。
「行こう」
ベリーとライザーを伴って、リリーは部屋を出た。扉を開けたミリアとメイドたちは、お辞儀をして見送る。
ヴァイス王城は広く、回廊などは先が見えないほどに遠い。柔く差し込む光の先に、道しるべのように衛兵たちが立っていた。皆、白い軍服に身を包み、リリーを見るなりお辞儀をした。隠し切れないのか、口元に喜びの笑みを浮かべている。
リリーは無表情を装うことに必死だった。これから王としてこの国を治めるのだから、戸惑ってはいけない。情けない顔を見せてもいけない。
アルフレッドは、どうしていたか。今はもう敵だが、あの人は王らしく凛としていたように思う。
いや、違う。私がなりたいのはアルフレッドではない。ヴァイスという国の、最後の一人としての王だ。
たとえどんな困難がこの先待ち受けていたとしても。民が、自分を受け入れてくれなかったとしても……。
必ず、この国の礎として、報いるのだ、
「陛下、こちらへ」
長い長い回廊の先では、ヒルが待っていた。
先ほどまでは無かった、長い裾の黒いマントを纏っている。光に当たると銀色の光が揺れて美しい。
差し出された手は、もう恐ろしくはなかった。右手で彼の手を取り、扉の前に立った。控えていたレイムが、目配せをして笑ってくれたので、緊張が少し解けた気がする。
するとレイムは、扉に手をかざし上から下へと一振りした。その手の軌跡は赤い光を放ち、扉の中央に、筆が走るように紋章を浮かび上がらせた。それは、外に飾られていた旗に描かれていたものと同じ。そう、ヴァイス王家の紋章だ。白き鳥の羽根と花を象徴とした神聖な紋章だった。
扉が音を立て独りでに動き出し、光をまき散らす。白い光が一行を包み、リリーは眩しさから目を庇いつつ顔を背けた。扉が完全に開ききると、レイムは先にその部屋に飛び入り、こちらを向き悠々と両手を広げた。
「陛下!」
目を擦り、光に目が慣れてくると、リリーはレイムの呼びかけに応え部屋の中へと足を運んだ。
まず視界に飛び込んできたのは、その部屋いっぱいに犇めく、武装したヴァイスの軍。そこは、王の帰還に歓喜する軍隊の大歓声に揺れる玉座の間だった。王座の間の床は、全てが青灰色の大理石でできている。中央には深い蒼の絨毯が敷かれ、そのずっと先には小さく玉座が床よりも高い位置に見える。白い柱が所々に連なり、御伽話の城であるかのように光る宝石のランプが垂れ下がっていた。
大軍勢は所狭しと犇めいているものの、玉座に続く蒼い絨毯だけを空けている。それほど、この玉座の間は広さがあった。
「陛下!」
「陛下だ!!」
歓声は止むことなく玉座の間を震わせている。
「こんな軍隊……今までどこに」
「さすがに用意周到だな」
ヒルは目を細め、遠くにいるレオンに笑みを向けた。
レオンは玉座のすぐ下に控えており、その傍には二人ほど文官とみられる男性が付き従っていた。
「軍師の務めデスよ」
レオンはぴっと人差し指を立て答えた。
「ほら、あっちッスよ陛下!」
レイムはそう言いながら、リリーに、玉座に向けて歩くように手をそちらに指した。
「待って!」
後込みをするリリーにさらにレイムが促す。
「なーに言ってんすかほらあ!」
今になって、また恐ろしくなってきた。これだけの軍勢。リュシアナにいる頃に何回も見ていた筈だ。
いや、見ていたといっても、「景色」としてに過ぎない。ここにいる全ての命は今自分が握り、自分が守るべきそれそのものなのだ。
レイムはそんなリリーの心情をそれを知ってか知らいでか、いきいきとした顔で言った。
「とにかくー! 玉座に上がってみんなを喜ばせてやってほしいッスよー!」
こういう場は慣れていない。いくら正装をしていても、中身が釣り合わないのをリリーは自覚している。
ぎこちなく歩いていると、リリーは背後に気配を感じた。
「もっと堂々としていいんだぞ」
「なんでおまえがついてくるんだ!」
「俺は総指揮官で、お前の剏竜だからな」
「含みをいれて言うな!」
軍勢は、リリーに付き添い歩くヒルを視界に認めると、次々に言葉をもらした。慣れた様子の彼は、黒いローブを翻しリリーのそばを歩いていく。
「ヒルシュフェルト様だ!」
「またお姿を見ることが叶うとは」
蒼い衣服を纏い、銀に近い青灰色の髪のリリー。漆黒の衣服を纏い、紅い髪のヒル。
対照的な二つの色にも関わらず、彼らが並び歩く姿は、見事に美しく調和して見えた。
リリーとヒルが、一歩一歩、ゆっくりと玉座に向かって歩いていく。道は途中から階段に変わり、高い位置に玉座それが据えられている。背もたれは長く伸びており、美しい金の紋様と覚めるような青で彩られている。
リリーは、かつては自分の実の父であるジオリオも座っていたであろうそれをまっすぐに見た。続くヒルは、そんな彼女の横顔を、優しさに溢れた瞳で見つめていた。
「万歳!」
「万歳! 女王陛下万歳!!」
歓声はまた波のように広がった。リリーはローブを翻し、兵士達の方に向き直った。新緑の澄んだ瞳に、誰もが息を飲んだ。
急に荷物がなくなったライザーがぼうっとしていると、ベリーが声をかけた。
「ところでさ、キンパツって魔導師なの?」
「だったらなんだよ。あと俺はキンパツじゃねえ。ライザーだ」
「そうなんだ~よろしくねキンパツ!」
「ライザーだ!」
地下に響くライザーの怒号は空しく響くだけで、ベリーは笑ってリリーの影に隠れる。
ふと、リリーと目が合う。
やはり心配そうにするリリーに対し、ベリーはめいっぱいの笑顔を見せ、頬を摺り寄せた。
「あたしなら大丈夫だよ。よろしくねリリー!」
「……ん」
触れた頬は暖かく、リリーは言葉少なに頷いた。
それから、一行に追い付いてきたミリアたち侍女が、リリーのとんでもない様を見てこの世の終わりかのように項垂れたのは言うまでもなかった。
* * *
「戴冠ですのに……戴冠ですのに!」
急いで整えたであろう、一室。そこにたくさんの荷物を抱えて待ち構えていたミリアは、リリーを見るなり溜息を吐いて悲しんだ。
それもそのはず、今朝整えたばかりの衣服の裾は汚れ、髪は乱れており、なんなら蜘蛛の巣まで飾っているのだから。
「キンパツがあんな地下に行くから悪いんだよね~」
「てめえが逃げ込んだんだろうが!!」
衝立の向こうでは、ソファに座ったベリーとライザーが言い合いをする。
ヒルとレオンは、準備を整えるためか、先に玉座の間に向かったらしい。
「略式とはいえ、王位を継承する大事な式です。陛下におかれましては、今一度その意味をお考えくださいますようお願い申し上げます」
「はい……」
まるで母か姉に怒られているような気分になって、リリーは小さくなった。
そう話しながらも、みるみるうちに髪を整えていくミリアは、まるで魔法使いのようだ。
ドレスはというと、一番最初に脱がされ、抵抗することもできず、一気に着替えさせられている。
「さて、できました。今度は乱さないでくださいませね。無事に終わりましたら、次は戦いに備えたお召し物をご用意しておりますからご安心ください」
「ありがとう。気を付ける」
リリーはすっと立ち上がる。今度は髪に、百合の髪飾りがあった。
「わっ、可愛いねリリー~!」
ベリーがはしゃいで、周囲を回る。ドレスはやはり夜明けのような麗しいドレスであったが、今度は長く透ける、空色のマントがかけられた。
「我が国には王笏(おうしゃく)はございませんが、代わりにこちらを」
「……ペンダント?」
ミリアはリリーの後ろに回ると、その首に付ける。
鏡を見ると、透明な涙型の宝石が光っていた。
「前王妃様が好んでお召になられていました。その昔、ジオリオ陛下より賜ったものだとか」
「……私がもらってもいいの?」
「何を仰るんですか。貴方様は、お二人の御子でございますよ」
会ったことも、話したこともない本当の父と母。
もし二人の元で育っていたなら、こんな切ないさみしさに胸が痛むことはなかったのだろうか。
ペンダントを握り、決意を固める。唇を結んだリリーの背中を、ミリアは優しく、そっと撫でた。
「行こう」
ベリーとライザーを伴って、リリーは部屋を出た。扉を開けたミリアとメイドたちは、お辞儀をして見送る。
ヴァイス王城は広く、回廊などは先が見えないほどに遠い。柔く差し込む光の先に、道しるべのように衛兵たちが立っていた。皆、白い軍服に身を包み、リリーを見るなりお辞儀をした。隠し切れないのか、口元に喜びの笑みを浮かべている。
リリーは無表情を装うことに必死だった。これから王としてこの国を治めるのだから、戸惑ってはいけない。情けない顔を見せてもいけない。
アルフレッドは、どうしていたか。今はもう敵だが、あの人は王らしく凛としていたように思う。
いや、違う。私がなりたいのはアルフレッドではない。ヴァイスという国の、最後の一人としての王だ。
たとえどんな困難がこの先待ち受けていたとしても。民が、自分を受け入れてくれなかったとしても……。
必ず、この国の礎として、報いるのだ、
「陛下、こちらへ」
長い長い回廊の先では、ヒルが待っていた。
先ほどまでは無かった、長い裾の黒いマントを纏っている。光に当たると銀色の光が揺れて美しい。
差し出された手は、もう恐ろしくはなかった。右手で彼の手を取り、扉の前に立った。控えていたレイムが、目配せをして笑ってくれたので、緊張が少し解けた気がする。
するとレイムは、扉に手をかざし上から下へと一振りした。その手の軌跡は赤い光を放ち、扉の中央に、筆が走るように紋章を浮かび上がらせた。それは、外に飾られていた旗に描かれていたものと同じ。そう、ヴァイス王家の紋章だ。白き鳥の羽根と花を象徴とした神聖な紋章だった。
扉が音を立て独りでに動き出し、光をまき散らす。白い光が一行を包み、リリーは眩しさから目を庇いつつ顔を背けた。扉が完全に開ききると、レイムは先にその部屋に飛び入り、こちらを向き悠々と両手を広げた。
「陛下!」
目を擦り、光に目が慣れてくると、リリーはレイムの呼びかけに応え部屋の中へと足を運んだ。
まず視界に飛び込んできたのは、その部屋いっぱいに犇めく、武装したヴァイスの軍。そこは、王の帰還に歓喜する軍隊の大歓声に揺れる玉座の間だった。王座の間の床は、全てが青灰色の大理石でできている。中央には深い蒼の絨毯が敷かれ、そのずっと先には小さく玉座が床よりも高い位置に見える。白い柱が所々に連なり、御伽話の城であるかのように光る宝石のランプが垂れ下がっていた。
大軍勢は所狭しと犇めいているものの、玉座に続く蒼い絨毯だけを空けている。それほど、この玉座の間は広さがあった。
「陛下!」
「陛下だ!!」
歓声は止むことなく玉座の間を震わせている。
「こんな軍隊……今までどこに」
「さすがに用意周到だな」
ヒルは目を細め、遠くにいるレオンに笑みを向けた。
レオンは玉座のすぐ下に控えており、その傍には二人ほど文官とみられる男性が付き従っていた。
「軍師の務めデスよ」
レオンはぴっと人差し指を立て答えた。
「ほら、あっちッスよ陛下!」
レイムはそう言いながら、リリーに、玉座に向けて歩くように手をそちらに指した。
「待って!」
後込みをするリリーにさらにレイムが促す。
「なーに言ってんすかほらあ!」
今になって、また恐ろしくなってきた。これだけの軍勢。リュシアナにいる頃に何回も見ていた筈だ。
いや、見ていたといっても、「景色」としてに過ぎない。ここにいる全ての命は今自分が握り、自分が守るべきそれそのものなのだ。
レイムはそんなリリーの心情をそれを知ってか知らいでか、いきいきとした顔で言った。
「とにかくー! 玉座に上がってみんなを喜ばせてやってほしいッスよー!」
こういう場は慣れていない。いくら正装をしていても、中身が釣り合わないのをリリーは自覚している。
ぎこちなく歩いていると、リリーは背後に気配を感じた。
「もっと堂々としていいんだぞ」
「なんでおまえがついてくるんだ!」
「俺は総指揮官で、お前の剏竜だからな」
「含みをいれて言うな!」
軍勢は、リリーに付き添い歩くヒルを視界に認めると、次々に言葉をもらした。慣れた様子の彼は、黒いローブを翻しリリーのそばを歩いていく。
「ヒルシュフェルト様だ!」
「またお姿を見ることが叶うとは」
蒼い衣服を纏い、銀に近い青灰色の髪のリリー。漆黒の衣服を纏い、紅い髪のヒル。
対照的な二つの色にも関わらず、彼らが並び歩く姿は、見事に美しく調和して見えた。
リリーとヒルが、一歩一歩、ゆっくりと玉座に向かって歩いていく。道は途中から階段に変わり、高い位置に玉座それが据えられている。背もたれは長く伸びており、美しい金の紋様と覚めるような青で彩られている。
リリーは、かつては自分の実の父であるジオリオも座っていたであろうそれをまっすぐに見た。続くヒルは、そんな彼女の横顔を、優しさに溢れた瞳で見つめていた。
「万歳!」
「万歳! 女王陛下万歳!!」
歓声はまた波のように広がった。リリーはローブを翻し、兵士達の方に向き直った。新緑の澄んだ瞳に、誰もが息を飲んだ。