第五話「戴冠の調べ、蒼き誓いのリリスティア」
「俺たちのところから連れ去ってしまうかもしれないと分かっていて、会わせることはできない」
ヒルは、ライザーと同じことを言っているのだが、女性は喉の奥に息苦しさを覚えた。
指先にぴりっとした痛みが走り、熱のように広がる。
微笑んでいるようにも見えるのに、彼から感じるこの妙な気配はなんだろうか。
異質で、不確かな存在の揺らぎ。近くで慣れ親しんだようにも思うのに、全く知らないものでもある。
「……会わせてくれないなら自分で探す!」
女性の足元が光り輝き、幾重にも重なった魔導術の文字が浮かび上がった。ライザーが咄嗟に手をかざしたが、発動の方が早く弾き飛ばされる。杖から多量の水が溢れだし、渦を巻いて四方に広がった。
だが、それを凌ぐ速さで接近したのはヒルだった。水の合間をかいくぐり、あっという間に女性の間合いに入り込んだ。
「嘘でしょ!?」
女性が驚くのも無理はなかった。魔導術の発動は瞬時のもので、同時に動いたとしてもここまで距離を詰められるわけがない。
水の流れよりも早く飛び込んできたヒルに更なる対処をしようと試みるが、あっさりと両腕を掴まれてしまった。
片手ひとつで両手首を掴み、もう片方の手で唇を塞ぐ。杖は、無残に地面へ転がった。
「次は何を使うんだ」
ヒルは微笑んでいる。柔らかく深い、血色の瞳で。
女性は自らの体から抜け落ちた血液が、まるでその瞳に吸い込まれてしまったような、激しい悪寒に襲われた。
「待って!」
向こう側から石を蹴る音がして、リリーが走ってきた。せっかく着飾った髪は乱れ、ドレスの裾は泥に汚れている。
声を聴いたヒルはその体制のままリリーに振り返る。その時、彼の瞳に温もりが戻った。
「リリー!」
ヒルの手の隙間から、もごもごと名前を呼ぶ。
聞きなれた声色に気付いたリリーは、転げそうな勢いで駆け寄ってきた。
「ベリー!?」
リリーが駆け寄ると、ヒルはあっさりとベリーの拘束を解いた。
自身がいた場所を明け渡し、少し下がる。
「なんで……どうしてこんなところに!」
久しぶりに見た友人は、戦うための魔導師の装いをしていた。
見慣れない装飾具を幾つも身に着けているのは、魔導術を増幅させる媒体だろう。
いつも軽装だった彼女に似つかわしくない、膨れ上がった腰のバッグ。散らばった魔導書と紙切れは皺だらけで、急いで荷造りをしてきた様子が伺える。
「リリー……リリーだ」
連れ去られたはずの友人は、美しいドレスと飾りで、今まで見たどの彼女よりも綺麗だった。肌も汚れていない。表情に恐怖はない。
ベリーはそっとリリーの手を取ると、その美しく整えられた爪先を見て安堵の息を吐いた。
「……っ、よかった……」
「ヒル、ライザー。彼女は私の友人だ」
「そうだったのか」
あっさりと納得をするヒルに、ライザーが何か言いかける。ヒルは首を横に振った。
「リリー、あたしリリーを助けにきたの」
「ベリー、だけど私は」
「分か……ってる。分かってるよ」
ベリーは震える唇を噛みしめた。ふうっと大きく息を吸い込むと軽く吐き、心を落ち着かせる。
そうしている内に、先にリリーが口を開いた。
「ベリー、貴方は私を連れ戻しにきたの?」
「リリーが辛い思いをするのが嫌。もしリュシアナでなくても、人の世界はたくさんあるんだよ。ここだけを選んでしまうことはない」
「ごめんなさい、……それはできない」
「えっ……」
「私はもう、そちらの世界には戻らない。私はここで、自分がやるべきことを見つけたの。それは私の責任。私が、自分で決めた道なの」
リリーの翡翠の瞳が濃さを増し、鮮やかに輝いていた。
最後に会った日からそう時間は経っていないのに、まるで別人のようだ。口振りから冷たさや気だるさが消え、芯の通った強い説得力のあるその言葉は、強い意志に突き動かされている。
「悪魔になるんだよ。人の敵になっちゃうんだよ。セイレだってそんなこと!」
「ベリー、貴方は私にとっても大事な友だちよ」
「だったら! ねえ行こうよ! 人間が皆、リリーの敵に回ってるんだよ!」
だが、リリーは静かに首を横に振った。その表情はどこか悲しげで、しかし強い決意に満ちていて、何者をも恐れぬ目をしていた。
「それでも私は、ヴァイスの王の子なの。その事実は、ここから逃げたとしても何も変わらない」
あの時、ヒルと誓約をした時から、自分の道は決めている。誰に何を言われようとも、リリーはもう進むべき道を変える気は無かった。
ベリーは何か、リリーを考え直させる効果のある言葉を頭に巡らせていた。しかしどの言葉も、もう彼女に届く気がしない。
そしてベリーは、暫しの沈黙の後、こう言った。
「――わかった。もう、言わない」
納得したか。リリーが安堵の息と共に返事をする。しかし、ベリーの真意はそうではなかった。
「あたしも、ここにいる」
「は?」
「いやもう今決めたから。ここにいるから。決定」
「な、何を言って……。あなたはリュシアナの」
「辞めてから来たに決まってるでしょ!」
ベリーは強くリリーを抱きしめた。首筋に顔を埋め、ぎゅっと目を瞑る。
「ここにいる。絶対リリーの傍にいる! リリーがいるとこに、絶対についてく!」
「ベリー、駄目、駄目だ!」
ベリーをそっと引き離す。
「そんなこと受け入れられない。戦争が始まるんだ! 私の傍に来たら、お前まで裏切者になる!」
それだけで済めばいい。戦いの中で、殺されるかもしれない。彼女にも家族がいるはず。その家族まで、全て処刑されるだろう。
不幸になることを分かっていて、みすみす受け入れられるわけがない。
「私だってベリーに悲しい思いをしてほしくないんだ!」
「知らない知らない聞かない! あたしはここにいる! 兵士少ないんでしょ? 魔導師だって絶対少ないよね! あたしがいると役に立ちますけど! どうよそこの高官っぽいひと! 利用価値あるでしょ~!?」
ベリーは柱の影を指さす。そこには、隠れていたレオンがひょっこりと顔を出した。
「おや目ざとい」
「あたしは大魔法も使えるし、リュシアナ軍の編成もある程度頭に入ってる。損はないと思うけど!」
「君が敵の間者じゃないって証拠はありマス?」
すると、ベリーはおもむろに纏っていたローブを脱ぎ捨てた。傍にいたライザーに投げつけると、次に身に着けていた首飾り、腕輪、腰のバッグ全てを外しまたライザーに投げる。
「なんで俺に渡すんだ! うわっ! ちょ、オイ!」
文句を言いつつも、ライザーは律儀に受け止める。ベリーは構わずどんどんと服を脱ぎ始め、ついには靴まで脱ぎ捨てて、薄手のワンピース一枚になった。
「今ならあたしは何の術も使えないし、使おうとしたらそこの大きい人が止めるでしょ。この隙に魅了でも制御でも魔導術を使えばいいじゃない。待ってあげる」
そこには、いつものんびりとした口調で喋るベリーはいなかった。心なしか、目つきが違う気がする。
「やるの!? やらないの~!?」
迫られ、手を挙げたのはヒルだった。ライザーからローブを取り、ベリーの肩にかけた。
「リリーが悲しむことはしない。それは俺たちも同じだ」
ふむ、と口をへの字にしたレオンが、つかつかと歩いてきてベリーの顔を覗き込んだ。
品定めをするような視線に、ベリーがむっとする。
「人間の魔導師がどこまで役に立つもんだか知りマセンけど。……陛下はそれでいいんデスね?」
「私は……」
リリーはどう返事するべきかと、ヒルとベリーを交互に見た。そのうちヒルが笑顔を見せたので、妙に恥ずかしくなり顔をそらした。
「だそうだ、レオン」
「ん~ヒル君が責任取るってことデスねつまりは。ライザー君はいいデスか?」
レオンが眼鏡を上げながら傍らのライザーに問うと、ライザーは大きく長い溜息を吐いた。
「俺は俺に被害がねー限り何も言わねーよ」
「君らしいデス」
ライザーはふん、と鼻を鳴らした。気に入らないが、ヒルの決定に逆らう気はないらしい。
「……ってことは、再就職だ!」
ベリーが両手を上げて飛び上がる。短いワンピースの裾が捲れ上がるので、リリーは慌てて制止をした。
「ベリー、ちょっと!」
「ありがとう信じてくれて! あたしがんばるよ~!」
ヒルは、ライザーと同じことを言っているのだが、女性は喉の奥に息苦しさを覚えた。
指先にぴりっとした痛みが走り、熱のように広がる。
微笑んでいるようにも見えるのに、彼から感じるこの妙な気配はなんだろうか。
異質で、不確かな存在の揺らぎ。近くで慣れ親しんだようにも思うのに、全く知らないものでもある。
「……会わせてくれないなら自分で探す!」
女性の足元が光り輝き、幾重にも重なった魔導術の文字が浮かび上がった。ライザーが咄嗟に手をかざしたが、発動の方が早く弾き飛ばされる。杖から多量の水が溢れだし、渦を巻いて四方に広がった。
だが、それを凌ぐ速さで接近したのはヒルだった。水の合間をかいくぐり、あっという間に女性の間合いに入り込んだ。
「嘘でしょ!?」
女性が驚くのも無理はなかった。魔導術の発動は瞬時のもので、同時に動いたとしてもここまで距離を詰められるわけがない。
水の流れよりも早く飛び込んできたヒルに更なる対処をしようと試みるが、あっさりと両腕を掴まれてしまった。
片手ひとつで両手首を掴み、もう片方の手で唇を塞ぐ。杖は、無残に地面へ転がった。
「次は何を使うんだ」
ヒルは微笑んでいる。柔らかく深い、血色の瞳で。
女性は自らの体から抜け落ちた血液が、まるでその瞳に吸い込まれてしまったような、激しい悪寒に襲われた。
「待って!」
向こう側から石を蹴る音がして、リリーが走ってきた。せっかく着飾った髪は乱れ、ドレスの裾は泥に汚れている。
声を聴いたヒルはその体制のままリリーに振り返る。その時、彼の瞳に温もりが戻った。
「リリー!」
ヒルの手の隙間から、もごもごと名前を呼ぶ。
聞きなれた声色に気付いたリリーは、転げそうな勢いで駆け寄ってきた。
「ベリー!?」
リリーが駆け寄ると、ヒルはあっさりとベリーの拘束を解いた。
自身がいた場所を明け渡し、少し下がる。
「なんで……どうしてこんなところに!」
久しぶりに見た友人は、戦うための魔導師の装いをしていた。
見慣れない装飾具を幾つも身に着けているのは、魔導術を増幅させる媒体だろう。
いつも軽装だった彼女に似つかわしくない、膨れ上がった腰のバッグ。散らばった魔導書と紙切れは皺だらけで、急いで荷造りをしてきた様子が伺える。
「リリー……リリーだ」
連れ去られたはずの友人は、美しいドレスと飾りで、今まで見たどの彼女よりも綺麗だった。肌も汚れていない。表情に恐怖はない。
ベリーはそっとリリーの手を取ると、その美しく整えられた爪先を見て安堵の息を吐いた。
「……っ、よかった……」
「ヒル、ライザー。彼女は私の友人だ」
「そうだったのか」
あっさりと納得をするヒルに、ライザーが何か言いかける。ヒルは首を横に振った。
「リリー、あたしリリーを助けにきたの」
「ベリー、だけど私は」
「分か……ってる。分かってるよ」
ベリーは震える唇を噛みしめた。ふうっと大きく息を吸い込むと軽く吐き、心を落ち着かせる。
そうしている内に、先にリリーが口を開いた。
「ベリー、貴方は私を連れ戻しにきたの?」
「リリーが辛い思いをするのが嫌。もしリュシアナでなくても、人の世界はたくさんあるんだよ。ここだけを選んでしまうことはない」
「ごめんなさい、……それはできない」
「えっ……」
「私はもう、そちらの世界には戻らない。私はここで、自分がやるべきことを見つけたの。それは私の責任。私が、自分で決めた道なの」
リリーの翡翠の瞳が濃さを増し、鮮やかに輝いていた。
最後に会った日からそう時間は経っていないのに、まるで別人のようだ。口振りから冷たさや気だるさが消え、芯の通った強い説得力のあるその言葉は、強い意志に突き動かされている。
「悪魔になるんだよ。人の敵になっちゃうんだよ。セイレだってそんなこと!」
「ベリー、貴方は私にとっても大事な友だちよ」
「だったら! ねえ行こうよ! 人間が皆、リリーの敵に回ってるんだよ!」
だが、リリーは静かに首を横に振った。その表情はどこか悲しげで、しかし強い決意に満ちていて、何者をも恐れぬ目をしていた。
「それでも私は、ヴァイスの王の子なの。その事実は、ここから逃げたとしても何も変わらない」
あの時、ヒルと誓約をした時から、自分の道は決めている。誰に何を言われようとも、リリーはもう進むべき道を変える気は無かった。
ベリーは何か、リリーを考え直させる効果のある言葉を頭に巡らせていた。しかしどの言葉も、もう彼女に届く気がしない。
そしてベリーは、暫しの沈黙の後、こう言った。
「――わかった。もう、言わない」
納得したか。リリーが安堵の息と共に返事をする。しかし、ベリーの真意はそうではなかった。
「あたしも、ここにいる」
「は?」
「いやもう今決めたから。ここにいるから。決定」
「な、何を言って……。あなたはリュシアナの」
「辞めてから来たに決まってるでしょ!」
ベリーは強くリリーを抱きしめた。首筋に顔を埋め、ぎゅっと目を瞑る。
「ここにいる。絶対リリーの傍にいる! リリーがいるとこに、絶対についてく!」
「ベリー、駄目、駄目だ!」
ベリーをそっと引き離す。
「そんなこと受け入れられない。戦争が始まるんだ! 私の傍に来たら、お前まで裏切者になる!」
それだけで済めばいい。戦いの中で、殺されるかもしれない。彼女にも家族がいるはず。その家族まで、全て処刑されるだろう。
不幸になることを分かっていて、みすみす受け入れられるわけがない。
「私だってベリーに悲しい思いをしてほしくないんだ!」
「知らない知らない聞かない! あたしはここにいる! 兵士少ないんでしょ? 魔導師だって絶対少ないよね! あたしがいると役に立ちますけど! どうよそこの高官っぽいひと! 利用価値あるでしょ~!?」
ベリーは柱の影を指さす。そこには、隠れていたレオンがひょっこりと顔を出した。
「おや目ざとい」
「あたしは大魔法も使えるし、リュシアナ軍の編成もある程度頭に入ってる。損はないと思うけど!」
「君が敵の間者じゃないって証拠はありマス?」
すると、ベリーはおもむろに纏っていたローブを脱ぎ捨てた。傍にいたライザーに投げつけると、次に身に着けていた首飾り、腕輪、腰のバッグ全てを外しまたライザーに投げる。
「なんで俺に渡すんだ! うわっ! ちょ、オイ!」
文句を言いつつも、ライザーは律儀に受け止める。ベリーは構わずどんどんと服を脱ぎ始め、ついには靴まで脱ぎ捨てて、薄手のワンピース一枚になった。
「今ならあたしは何の術も使えないし、使おうとしたらそこの大きい人が止めるでしょ。この隙に魅了でも制御でも魔導術を使えばいいじゃない。待ってあげる」
そこには、いつものんびりとした口調で喋るベリーはいなかった。心なしか、目つきが違う気がする。
「やるの!? やらないの~!?」
迫られ、手を挙げたのはヒルだった。ライザーからローブを取り、ベリーの肩にかけた。
「リリーが悲しむことはしない。それは俺たちも同じだ」
ふむ、と口をへの字にしたレオンが、つかつかと歩いてきてベリーの顔を覗き込んだ。
品定めをするような視線に、ベリーがむっとする。
「人間の魔導師がどこまで役に立つもんだか知りマセンけど。……陛下はそれでいいんデスね?」
「私は……」
リリーはどう返事するべきかと、ヒルとベリーを交互に見た。そのうちヒルが笑顔を見せたので、妙に恥ずかしくなり顔をそらした。
「だそうだ、レオン」
「ん~ヒル君が責任取るってことデスねつまりは。ライザー君はいいデスか?」
レオンが眼鏡を上げながら傍らのライザーに問うと、ライザーは大きく長い溜息を吐いた。
「俺は俺に被害がねー限り何も言わねーよ」
「君らしいデス」
ライザーはふん、と鼻を鳴らした。気に入らないが、ヒルの決定に逆らう気はないらしい。
「……ってことは、再就職だ!」
ベリーが両手を上げて飛び上がる。短いワンピースの裾が捲れ上がるので、リリーは慌てて制止をした。
「ベリー、ちょっと!」
「ありがとう信じてくれて! あたしがんばるよ~!」