第五話「戴冠の調べ、蒼き誓いのリリスティア」

 だが、自分の重いドレスや装飾品が、どうにも必要であるとは思えなかった。
 それに、何者かも分からない者を相手に立ち向かおうとする彼を見ると、妙に胸がざわつくのだ。
 だが、大剣を背負う彼の背中は大きく、手を伸ばしても届くものではなかった。

「ヒル、あの」

 気を付けて。そう言えばよいのだろうが。

「すぐ戻る」

 リリーは何も言えず、無言にヒルの背中を見送った。
 強固な城壁のように自分を囲む兵たちの波が、やがてヒルの姿を視界から消していった。

「大人しく待ってマショーね」

 念を押すように、レオンが言う。だがリリーはぎゅっと手を組み合わせると、その場から走り出した。

「陛下!」

 兵が制止しようとしたが、その走りに間に合わず追いかける。

「……聞くわきゃないか」

 諦めたようにため息をついたレオンもまた、駆け足でその後を追った。


 ヴァイス王城の地下には、水路が広がっていた。だが不衛生さはなく、むしろ水は美しく透き通っていた。
 いつのまにか群生していた白い花が石壁に蔦として這いまわり、火の消えた燭台には蜘蛛が巣を張っている。
 その地下を、必死に走る影が二つ。片方は、杖を持ち走る華奢な体躯。そしてそれを追いかけるのは、ライザーだった。

「いい加減止まりやがれ!」

 吠えるライザーの声は空しく響く。女性はその声を無視し、石壁の各所を見ては、何かを唱えていた。

「ここも、術式が根強い。ここもここも。信じられない。こんな長く保つなんて……」

「聞いてんのかてめえ!!」

 やっと追いついたライザーが、女性の肩をひっつかむ。だが女性は、ライザーに自身の杖を投げるように預けて、また何かを唱え始めた。
 まさか何かの魔導術をかけているのではと警戒をしたが、その不安は杞憂だった。
 女性が唱えた場所から、まるで鎖のように絡まった文字たちが、浮き上がっては消えていくのだ。
 消し炭のように弱々しい文字たちだったが、女性が唱えるまではその存在すらも見えなかった。しかし、文字が消えた後はその一帯は確かに澄み渡り、淀んだ空気が消えているのだ。

「お前、何やってんだそれ」

「残ってるだろうな~って思ってたけど、やっぱり予想通りだよね。ほっといたらここだけ魔導元素が歪んで、変な斑点になっちゃうから解除しないと」

 女性は手に持った書物を目まぐるしく捲る。見たこともない術式の羅列がメモをされたそれは、理解に苦しむ記述も多く見受けられた。

「……何のために」

 なぜお前がそんなことを。そう言いたかったのだが、言葉は意味をなさなかった。
 振り返った女性は、ライザーを見上げると怪訝な顔を見せた。

「ここにリリーがいるんでしょ。だから助けにきたの」

「それは分かったけど、お前は誰だって言ってんだよ!」

「あたしがやってることを黙っ見てるってことは、あんたも魔導師なんでしょ~。なら、人に簡単に名前教えるなって習わなかった?」

 ぐっとライザーは言葉を詰まらせる。確かに、警戒を解き名を教えるのは魔導師としては非常識だ。魔導術には、他人の意識に入り込む術もある。

「名前は人を縛るでしょ。あんたが誰だか知らないけど、あたしだって逆にあんたを縛ったりしたくないの~。……っと、これでここは最後かも」

 ふうと額の汗を拭い、女性は立ち上がる。裾の誇りをぱしぱしと掃うと、ライザーから杖を受け取った。

「さ、リリーのとこに連れてって!」

「ああそうだな、って案内してもらえると思ってんのかてめえは!」

 そもそも人間たちが恐れるこの悪魔の大地にある王城に単身で侵入し、挙句訳の分からない魔導術の解除をしてまわっている時点で十分に怪しい。
 だが女性は大きな目を丸くするだけで、首を傾げていた。

「え~!? だって害のある魔導術の残りを目の前で解除していったんだよ。味方じゃん!」

「それが通るなら城の掃除してりゃ全員味方じゃねえか!」

「そりゃそうだ。本当だね~!」

 けらけらと笑う女性に、ライザーは怒りが収まらない様子で睨みつける。
 ふと、女性は笑うことをやめ、彼方を睨んだ。

「誰かくる」

「は?」

 女性が見る先は、地下の暗闇だった。幾重にも伸びた柱の向こうは、灯りも何もなく闇が水路を飲み込んでいるだけだ。
 足音も何もない。だが女性は、そこにいる何かに向かって杖を構えた。
 ライザーは目を凝らすが、何かいるようには見えない。だが、女性の横顔は、あの時塔の頂きで見た時のように少し鋭く、別人のように目尻が吊り上がっていた。
 そして、その存在はゆっくりと姿を見せた。闇の向こうから染み出すように、足音もなく出でる。
 柱の燭台が、向こう側から順に灯り、橙色の光が地下を照らしていく。

「ねえねえキンパツ、あれなんかやばいんだけど、もしかして知り合い!?」

 女性はライザーの後ろに回り、隠れるように身を潜める。

「やばいってなんだよ。っていうかなんだキンパツって!」

「逃げた方が絶対いいと思う。そういうわけであとはお願い!」

 女性はそう言うと、後ずさりを始めた。

「逃がすか馬鹿!」

 だが、すぐさまライザーがその手を掴む。その瞬間、地下の濡れた石畳がライザーの足を掬った。
 手を掴んだまま、女性の方に前のめりに倒れこむ。

「えっ、わわわ! ちょっと~!」

 踏ん張ろうとするも逆効果でしかなく、女性は杖を放り投げた。隠し持っていた様々な道具が辺りに散らばる。
 魔導書、鍵、薬の革袋、何に使うかわからない宝石。戒めの装飾具。暗闇の中に音を立てて散らばったその上に、二人は折り重なるように倒れこんだ。

「っ……」

 意図せずして、覆いかぶさるような体勢になった時、ライザーは改めて女性の顔を見ることになった。
 暗闇でよく見えなかった顔は、近づいてきた灯りに照らされてぼんやりと浮かび上がる。
 やはり、先ほどまでとは違う。丸い瞳ではなく、少し目じりのきつい、意志が強固な印象の瞳。瞳は灰色ではなく、水面に揺らぐように光る銀だった。
 怖じるわけでも、嫌がるわけでもなくこちらを見つめ返す女性は、すっと人差し指をライザーに向けた。

「『アクラフラット』」

 小さな水の塊が、ライザーの頭上から降り注ぐ。

「っ冷て!」

 髪から伝い落ちる水滴が、女性の顔にも降り注いだ。白い頬を伝い、首元へつうっと流れていく。
 片手で簡単につかめてしまいそうな首筋に、桜色の髪が張り付いていた。

「見すぎ」

 かっと顔が熱くなるのを感じ、ライザーは言葉を失った。

「……そこにいるのはライザーか?」

 するとようやく、灯りの主が声を発した。そこには手にランタンを持ったヒルがいた。
 後ろには数名の兵士を引き連れている。

「何をやっているんだお前は」

 その状況を見れば、誰もがヒルのように呆れて首をすくめるだろう。
 ライザーは慌てて女性から身をよけると、「違う!」と大声を上げた。

「それで、そこにいる女性が侵入者か?」

 女性もまた、散らばった荷物を集めながら起き上がった。
 ヒルを見つめると、腑に落ちないといった顔をした。

「おかしいな……もっと怖い感じだと思ったのに……」

 誰の耳にも入らないように、小声で呟く。

「すまないが身柄を拘束させてもらうぞ」

 ヒルの言葉で、兵たちが縄を取り出す。近づこうとすると、彼女は凛として声を上げた。

「勝手に侵入をしたことは謝罪するわ。でもあたしは敵じゃない」

「ほう?」

「ここの地下にある魔導術は全部解体したわ。地上は元に戻っていたけど、ここだけは残っていたのね」

「どうしてそんなことができる」

「……魔導師だからとしか、言えない。でも信じて! あたしはリリーを助けにきたの。お願い、リリーに会わせて!」

 恐らく嘘は言っていないだろうということは、ヒルもライザーも分かっていた。彼女の言う通り、地下の空気が澄み渡っているのは一目瞭然だった。
 ここには地上と同じく何らかの凍結魔法が残っていて、放っておけばまたそれらが広がってしまっていたのだろう。
 そんな複雑で視認しにくい魔導術をあっさり解除してしまえるのなら、よほど優秀な魔導師なのだろう。だが、或いは――……。

「会ってどうする。連れ戻すのか」

「リリーが悲しい思いをしているならそうするよ」

「堂々としたものだな」

「貴方はたぶん優しいんだろうけど、リリーにとってはどうかが分からない。だから会わせて」
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