第五話「戴冠の調べ、蒼き誓いのリリスティア」
「だ、誰だてめえ!!」
「あんたこそ誰よ~!! どうやって入ってきたの!?」
「てめえこそどうやって入った!」
「あたしはこの城の――……、っと、その、探し物があってきたの!」
「なんだそれ! 怪しすぎんだろ! そこ動くなよ!」
ライザーがずんずんと歩み寄ると、女性は青ざめて杖を握った。
「ちょっとやだこっち来ないでよ!」
「勝手に人ん家入っといて何言ってやがる!」
「人ん家?」
「そうだよ! っていうかお前まさか人間じゃ……」
ライザーの手が女性の腕をつかむ。細い手首を掴み、引き寄せる。
だがその前に女性の方からライザーの懐に入り込んできた。
一瞬にして鼻先に迫る、丸い瞳。情けない自分の顔が、その中に映り込んだ。
「あんたヴァイスの民ね!」
「は……」
「ねえ! ここにリリーが来てるんでしょ!」
「はあ!?」
「分かってるのよ! お願い! あたしをリリーのところに連れていって!」
* * *
その葦毛の馬は、大人しかった。
初対面にも関わらず、こんな重いドレスで、こんな動きが鈍くなったやつを素直に乗せてくれるのだから。
「馬に乗るのは初めてだったか?」
からかうようにヒルが言う。馬上で固まるリリーを見て、それは楽しそうに笑ってみせた。
「ドレスってこんなに重いんだな。一人で馬に跨がれないなんて初めてだ」
リリーが纏うドレスは、白と夜色の、腰から下が大きく広がったドレスだった。作りは簡素であるが、腰の飾り布には細かい金刺繍が施されており、二重に重なったスカート部分は重厚で光沢のある布が使用されている。
胴体部分は体のラインが分かるほど細身だが、袖口に向かって長く広がっているため、上品さが際立つ。
腕に受けたリリーの傷も、すっかり隠してくれる。
「頭が重い」
きっちり髪を編み込んでまとめているので、首が寒い。そのくせなんだか痒いような気がして、しきりに耳たぶをいじる。すると馬の傍にいたミリアが無言で諫めてきたので、さっと腕を下ろした。
「似合っている。可愛い」
惜しげもなくヒルがそんなこを言うものだから、リリーは耳まで真っ赤にして目を逸らした。どこか悔し気なのは、精一杯の抵抗だろう。
ヒルはというと、自分の上背にも匹敵するほどの長さの大剣を背負っておはいるものの、その装いは黒と銀を貴重とした衣服に身を包んでいる。紅く長い髪は、同じく銀色の髪留めで一つに結び、胸元には八重の花を模した紋章が光っていた。
ついまじまじと見てしまう自分に気付いたリリーは、また悔しそうに俯いてしまった。
「こ、これから王城に行くの?」
「ああ」
答えながら、ヒルはさっとリリーの後ろに跨った。そのままリリーを抱え込むように手綱を握る。
まさか同じ馬で行くとは思っていなかったリリーはぎょっとしたが、既に腕の中に捕えられておりどうすることもできなかった。動けないのはこんなドレスのせいだと、一人繰り言を言う。
「陛下、本当にお似合いです。そのドレス、今日という日まで大切にお手入れをしてきた甲斐がございました」
ミリアがうっすら涙を浮かべる。髪を結ってくれていたメイドたちも、顔を見合わせて笑っていた。
「耳飾りも、御髪の宝石も、全て前王妃ユティリア殿下の物です。本当に、本当にお似合いですわ」
「お母様の……」
本当の母。聞けば、髪も目の色も同じらしい。
彼女たちは心からこの王家に仕えていたのだろう。それはこの装いの準備をしている時から、痛烈に感じていた。ドレスを整える手、化粧をする筆の運び。そのどれもが、かつてそうしていただろう腕のいい侍女たちのもので。
まるで人形のように固まり、せめて彼女たちの邪魔をしないように気を付けることしかできなかったリリーは、やはり恥ずかしい気持ちになった。
いくら遺児とはいえ、昨日今日知り合ったばかりの者に、どうしてここまで優しくできるのか。
「リリー」
ふと、背後から低く優しい声が響いた。振り返ると、ヒルの指先が赤い花をつまんでいた。
「庭のブーゲンビリアだ。ここはよく風が吹くから」
その一片を、リリーの手に乗せる。花びらに見えた部分は実は苞葉で、その中に小さな花が三つほど集まっていた。
「可愛い……」
「ああ。可愛い花だ」
慈しむようなヒルの微笑みは、リリーからは見えていない。ミリアたちは顔を見合わせて微笑んで、深くお辞儀をした。
「さてさて。そろそろいいデスかね」
栗毛の馬に乗ったレオンが、向こうからやってきた。
彼もまた白く、同色の細かな刺繍が施された正装に身を包む。長い裾が知的な雰囲気を引き立たせ、その胸にはヒルと同じ八重の花の紋章が輝いていた。
「行きマショ陛下。俺たちの王城へ」
「――うん」
目の前に、どこまでも広がる大平原。風は後ろから吹き荒び、まだ見えない未来へと誘うようであった。
王弟アーヴェントロードが治める領地より馬を走らせ少しすると、あの王城が再びリリーたちの目の前に姿を現した。
ヒルと誓約を交わした時よりも、なんだか雰囲気が明るくなったような気がする。
「先にライザーが来ている筈だが」
ヒルは手綱を引き、馬を正面へと走らせる。跳ね橋は降ろされているが、誰かが迎えてくれる気配はない。
ヒルとレオンが視線を交わす。先にレオンが橋を渡り、城門をくぐった。
「うわ、本当に変わってないデスね」
「今まで入れなかったの?」
「謎に凍り付いていマシてね。入るだけでも危険デシた。……ここには、仲間がいるんデスが」
すべて無事ではないだろう。横顔でそう言った。
「ヴァイスは昔から寒い大地だったと聞いたのだけど」
「人間の大魔法。それ以来、城の中までも凍り付いたんデス。永久凍土のように」
馬が歩むそこは、豊かな草原。緑輝く木々たちが、陽だまりの中に木陰を作る。
朽ちかけた銅像と、かつて民が暮らしていただろう民家。
巨大な城塞、王がおわす堅牢な城。今は誰もいない、空っぽの城。
だが、自由の空には鳥たちが飛んでいる。始まりの時に咲く白い花も、そこら中に咲き誇っている。
リリーを乗せた馬はゆっくりと歩を進め、王城の入り口までたどり着いた。見上げると、美しい旗がその両側に掲げられていた。
それは目覚めたばかりの城を祝うように風に靡く。まるで昨日までずっと手入れをしていたような、美しい光沢を放っていた。
「おや、ライザー君が出してくれたんデスかね?」
「……あいつがそんなことをするだろうか」
ヒルが呟く。とりあえず馬を進めようとした時、リリーはその門の真下に何者かがいることを認め、声を上げた。
「ヒル、あそこに誰か倒れてる」
見ると、そこには男性が一人、うつぶせに横たわっていた。
「リリー、待て」
「ここにいるなら仲間でしょう」
ヒルの制止も聞かず、リリーは無理やり馬から降りようとする。すぐにヒルが先に降りて、リリーの腰を持ち上げて地面へと降ろした。
降りるや否や、リリーはその人物の元へ駆け寄った。触れることを一瞬躊躇ったが、背中を軽く揺すった。よかった。まだ暖かい。
「おい! 大丈夫か!?」
数回揺すると、青年の体がぐぐっと動いた。
「だ、だいじょうぶ……っス~」
頭を抱えながら、ゆっくり顔を上げる。
そこには、太陽の光を集めたような髪の青年がいた。
「いや、ははは……久しぶりすぎて転んじゃって」
はにかんだ笑顔を見せるが、青年の声は弱々しく、寝起きのように掠れている。
だが、暁の瞳がきらきらと輝いていた。
彼が纏う黒い軍服には小さな花の紋章が縫い付けられており、そこから伸びた銀の飾緒が肩にかかる。
そんな彼の容貌の中で、一点だけ気になる箇所があった。
「その耳……」
青年の耳は尖っており、瞳の瞳孔は縦に割れていた。
そう、あの竜の長カイムと同じように。
「って、あれ。君……誰っスか?」
青年はリリーを見つめながら、丁寧に上半身を起き上がらせる。そしてすぐに立ち上がると、リリーに手を差し出した。
「ここの……というか、なんといえばいいか、私は、その」
助けを求めるように、ヒルを見る。だが、ヒルとレオンは離れた場所でじっとしてこちらを見ているだけだった。
なぜこちらに来ないのだろうか。青年は二人の存在に気付いていないのか、にこにこと笑っている。
「あんたこそ誰よ~!! どうやって入ってきたの!?」
「てめえこそどうやって入った!」
「あたしはこの城の――……、っと、その、探し物があってきたの!」
「なんだそれ! 怪しすぎんだろ! そこ動くなよ!」
ライザーがずんずんと歩み寄ると、女性は青ざめて杖を握った。
「ちょっとやだこっち来ないでよ!」
「勝手に人ん家入っといて何言ってやがる!」
「人ん家?」
「そうだよ! っていうかお前まさか人間じゃ……」
ライザーの手が女性の腕をつかむ。細い手首を掴み、引き寄せる。
だがその前に女性の方からライザーの懐に入り込んできた。
一瞬にして鼻先に迫る、丸い瞳。情けない自分の顔が、その中に映り込んだ。
「あんたヴァイスの民ね!」
「は……」
「ねえ! ここにリリーが来てるんでしょ!」
「はあ!?」
「分かってるのよ! お願い! あたしをリリーのところに連れていって!」
* * *
その葦毛の馬は、大人しかった。
初対面にも関わらず、こんな重いドレスで、こんな動きが鈍くなったやつを素直に乗せてくれるのだから。
「馬に乗るのは初めてだったか?」
からかうようにヒルが言う。馬上で固まるリリーを見て、それは楽しそうに笑ってみせた。
「ドレスってこんなに重いんだな。一人で馬に跨がれないなんて初めてだ」
リリーが纏うドレスは、白と夜色の、腰から下が大きく広がったドレスだった。作りは簡素であるが、腰の飾り布には細かい金刺繍が施されており、二重に重なったスカート部分は重厚で光沢のある布が使用されている。
胴体部分は体のラインが分かるほど細身だが、袖口に向かって長く広がっているため、上品さが際立つ。
腕に受けたリリーの傷も、すっかり隠してくれる。
「頭が重い」
きっちり髪を編み込んでまとめているので、首が寒い。そのくせなんだか痒いような気がして、しきりに耳たぶをいじる。すると馬の傍にいたミリアが無言で諫めてきたので、さっと腕を下ろした。
「似合っている。可愛い」
惜しげもなくヒルがそんなこを言うものだから、リリーは耳まで真っ赤にして目を逸らした。どこか悔し気なのは、精一杯の抵抗だろう。
ヒルはというと、自分の上背にも匹敵するほどの長さの大剣を背負っておはいるものの、その装いは黒と銀を貴重とした衣服に身を包んでいる。紅く長い髪は、同じく銀色の髪留めで一つに結び、胸元には八重の花を模した紋章が光っていた。
ついまじまじと見てしまう自分に気付いたリリーは、また悔しそうに俯いてしまった。
「こ、これから王城に行くの?」
「ああ」
答えながら、ヒルはさっとリリーの後ろに跨った。そのままリリーを抱え込むように手綱を握る。
まさか同じ馬で行くとは思っていなかったリリーはぎょっとしたが、既に腕の中に捕えられておりどうすることもできなかった。動けないのはこんなドレスのせいだと、一人繰り言を言う。
「陛下、本当にお似合いです。そのドレス、今日という日まで大切にお手入れをしてきた甲斐がございました」
ミリアがうっすら涙を浮かべる。髪を結ってくれていたメイドたちも、顔を見合わせて笑っていた。
「耳飾りも、御髪の宝石も、全て前王妃ユティリア殿下の物です。本当に、本当にお似合いですわ」
「お母様の……」
本当の母。聞けば、髪も目の色も同じらしい。
彼女たちは心からこの王家に仕えていたのだろう。それはこの装いの準備をしている時から、痛烈に感じていた。ドレスを整える手、化粧をする筆の運び。そのどれもが、かつてそうしていただろう腕のいい侍女たちのもので。
まるで人形のように固まり、せめて彼女たちの邪魔をしないように気を付けることしかできなかったリリーは、やはり恥ずかしい気持ちになった。
いくら遺児とはいえ、昨日今日知り合ったばかりの者に、どうしてここまで優しくできるのか。
「リリー」
ふと、背後から低く優しい声が響いた。振り返ると、ヒルの指先が赤い花をつまんでいた。
「庭のブーゲンビリアだ。ここはよく風が吹くから」
その一片を、リリーの手に乗せる。花びらに見えた部分は実は苞葉で、その中に小さな花が三つほど集まっていた。
「可愛い……」
「ああ。可愛い花だ」
慈しむようなヒルの微笑みは、リリーからは見えていない。ミリアたちは顔を見合わせて微笑んで、深くお辞儀をした。
「さてさて。そろそろいいデスかね」
栗毛の馬に乗ったレオンが、向こうからやってきた。
彼もまた白く、同色の細かな刺繍が施された正装に身を包む。長い裾が知的な雰囲気を引き立たせ、その胸にはヒルと同じ八重の花の紋章が輝いていた。
「行きマショ陛下。俺たちの王城へ」
「――うん」
目の前に、どこまでも広がる大平原。風は後ろから吹き荒び、まだ見えない未来へと誘うようであった。
王弟アーヴェントロードが治める領地より馬を走らせ少しすると、あの王城が再びリリーたちの目の前に姿を現した。
ヒルと誓約を交わした時よりも、なんだか雰囲気が明るくなったような気がする。
「先にライザーが来ている筈だが」
ヒルは手綱を引き、馬を正面へと走らせる。跳ね橋は降ろされているが、誰かが迎えてくれる気配はない。
ヒルとレオンが視線を交わす。先にレオンが橋を渡り、城門をくぐった。
「うわ、本当に変わってないデスね」
「今まで入れなかったの?」
「謎に凍り付いていマシてね。入るだけでも危険デシた。……ここには、仲間がいるんデスが」
すべて無事ではないだろう。横顔でそう言った。
「ヴァイスは昔から寒い大地だったと聞いたのだけど」
「人間の大魔法。それ以来、城の中までも凍り付いたんデス。永久凍土のように」
馬が歩むそこは、豊かな草原。緑輝く木々たちが、陽だまりの中に木陰を作る。
朽ちかけた銅像と、かつて民が暮らしていただろう民家。
巨大な城塞、王がおわす堅牢な城。今は誰もいない、空っぽの城。
だが、自由の空には鳥たちが飛んでいる。始まりの時に咲く白い花も、そこら中に咲き誇っている。
リリーを乗せた馬はゆっくりと歩を進め、王城の入り口までたどり着いた。見上げると、美しい旗がその両側に掲げられていた。
それは目覚めたばかりの城を祝うように風に靡く。まるで昨日までずっと手入れをしていたような、美しい光沢を放っていた。
「おや、ライザー君が出してくれたんデスかね?」
「……あいつがそんなことをするだろうか」
ヒルが呟く。とりあえず馬を進めようとした時、リリーはその門の真下に何者かがいることを認め、声を上げた。
「ヒル、あそこに誰か倒れてる」
見ると、そこには男性が一人、うつぶせに横たわっていた。
「リリー、待て」
「ここにいるなら仲間でしょう」
ヒルの制止も聞かず、リリーは無理やり馬から降りようとする。すぐにヒルが先に降りて、リリーの腰を持ち上げて地面へと降ろした。
降りるや否や、リリーはその人物の元へ駆け寄った。触れることを一瞬躊躇ったが、背中を軽く揺すった。よかった。まだ暖かい。
「おい! 大丈夫か!?」
数回揺すると、青年の体がぐぐっと動いた。
「だ、だいじょうぶ……っス~」
頭を抱えながら、ゆっくり顔を上げる。
そこには、太陽の光を集めたような髪の青年がいた。
「いや、ははは……久しぶりすぎて転んじゃって」
はにかんだ笑顔を見せるが、青年の声は弱々しく、寝起きのように掠れている。
だが、暁の瞳がきらきらと輝いていた。
彼が纏う黒い軍服には小さな花の紋章が縫い付けられており、そこから伸びた銀の飾緒が肩にかかる。
そんな彼の容貌の中で、一点だけ気になる箇所があった。
「その耳……」
青年の耳は尖っており、瞳の瞳孔は縦に割れていた。
そう、あの竜の長カイムと同じように。
「って、あれ。君……誰っスか?」
青年はリリーを見つめながら、丁寧に上半身を起き上がらせる。そしてすぐに立ち上がると、リリーに手を差し出した。
「ここの……というか、なんといえばいいか、私は、その」
助けを求めるように、ヒルを見る。だが、ヒルとレオンは離れた場所でじっとしてこちらを見ているだけだった。
なぜこちらに来ないのだろうか。青年は二人の存在に気付いていないのか、にこにこと笑っている。