第五話「戴冠の調べ、蒼き誓いのリリスティア」

「いやいやいやいや何言ってるんデスか。着たきりスズメみたいな恰好して」

「なんだそれ」

「やっぱり戴冠式をするにしたって、見た目って重要デシてね。兵の士気にも関わりマスし」

「ああ……そういう」

 納得しかけて、リリーは勢いよく振り返った。

「戴冠式!?」

 背後にいるレオンに、食い掛るように叫ぶ。その両側で、ヘアブラシや化粧品を持ち、既に準備万端といった様子のメイドたちだったが、突然の大声に目を丸くして驚いた。

「すぐそこに軍が迫ってるんだろう!?」

「まあそうなんデスけど」

「そっちの準備の方が先だ! それに……私はまだ城に行く資格なんて」

 ヒルと誓約を交わした時に見上げた王城。まだ王位を継ぐものとして不十分で不完全だ。
 おどつくリリーに、レオンは困ったように眉を下げた。

「どっちにしろ、王城に行かないといけないんデスよ。軍備も兵も全部そこなんで」

 脳裏に、リュシアナ王アルフレッドの顔が浮かぶ。アルフレッドは昔から、大人よりも賢く、今にして思えば狡猾な面があった。のんびりしているこの時間でさえ、既に先の先を考えて準備をしているはずだ。
 力なく座り込んだリリーの両肩に、レオンがそっと手を置いた。

「陛下。いや、まだリリーちゃんって言った方が君にとってはいいんデスかね」

 皮肉かと鏡の先を睨みつけたが、そこには困ったように微笑むレオンがいた。

「君を王という立場に担ぎ上げたのは俺デス。デスから、君が何も知らない他からあーだこーだ言われることだけは嫌なんデスよ。だから見た目なんてと言わず、俺のわがままに付き合ってくれマセンかねえ」

「レオン……」

「綺麗に飾り立ててみたいんデスよ。お願いしマスよ~ねっ」

「いや、えっと……けど」

「さ、メイドさんたちの言うことを賢く聞いてクダサイねえ」

 レオンがぱっと手を離す。いそいそと近寄ってきたメイドたちが、リリーの髪を梳かし始めた。
 大人しくなったリリーを見たレオンは笑みを浮かべると、両手をひらひらとさせながら扉へ向かう。パタンと静かに扉が閉まった時、暫しの沈黙が流れた後、リリーははっと目を見開いた。

「……うまく躱された」

 呆気にとられるリリーをよそに、メイドたちは粛々として髪を編み込みんでいくのだった。
 レオンが部屋の外に出ると、ヒルが腕を組んで壁にもたれかかっていた。
 入る機会を逃していたのだろう。ちらっとレオンを見る彼の顔は少々不満げだった。

「そんなとこいないで入ってきたらよかったのに」

「リリーは大丈夫か?」

「だからそういうの自分で見たらいいデショ。何の遠慮デスかそれ」

 ヒルは歩き始めたレオンに続き、軽くため息を吐いた。

「何も知らないまま、言いくるめたような形で誓約を交わしてしまったことが心配だ」

「代々ヴァイスの王と誓約を交わしてきた偉大な剏竜様が何言ってんだか。約束したんならあとはずっと一緒にいて守るだけ。デショ?」

 まったくもってその通りだが、ヒルは静かに、少し悲しげに微笑む。
 苛立ちを感じたレオンはヒルの胸元に軽く拳を当てた。

「君はもうあの子の特別な存在デスから自信持ってればいいんデスよ!」

「そうじゃないんだ、ただ」

「なんデス」

「リリーのあの力、今まで見たことがないものだった」

「……王だけが持つ力デスか?」

 リリーとヒルが誓約を交わした瞬間、ヴァイスは一瞬にして氷の牢獄から解き放たれた。
 当時のままの姿を取り戻し、天候さえ変えてしまったのだ。

「王によって、その力は多様に変わると聞いていた。リリーの力は今までにない不思議なものだ」

「検証しないとなんとも言えマセンが、見たまんまだと「再生」の力って捉えていいんデスかね?」

「いや」

 ヒルは自身の肩を触る。背中がつきりと痛みを帯びた。

「この世界で、無から有を作る術はない。だからリリーの力は、そこにあるものを消して、『本来の姿に戻す』ような……」

「それ、再生デスか。破壊デスか」

 ヒルは答えなかった。柔く微笑んだその赤い瞳には、静かな覚悟が浮かんでいた。

 * * *

 ヒルとレオンがそんな話をしている頃、ライザーは一人先立って王城に来ていた。
 凍り付いていた筈の城の外壁は、すっかり彼が知る以前の姿を取り戻していた。
 小さな蔦が這い、そこに虫や蜥蜴がいるのを見た彼は、不可解だと言わんばかりに顔をしかめた。

「俺たちを閉じ込めた魔導術が全部消えてやがる」

 リリーが放った光が空を渡る時、確かに魔導術の術式が破壊されていくのを見た。いや、巻き戻っていったと形容した方が正しいかもしれない。
 乗ってきた馬が草を食む様子を見たライザーは、その地面にそっと触れた。春の土だ。暖かく、弾力がある。
 立ち上がり、再び王城を見上げる。高い空に鳥が飛ぶのを見て、妙な不安感に襲われた。

「ぐるっと見てみるか」

 馬に乗り、城壁沿いに走らせる。念のためと羽織ってきたローブだったが、あまり必要はなかった。額に汗が滲むほどには気候がいい。
 城壁も一回りすると、暗い影に入る。灰の城壁に規則的に並ぶ狭間も暗く、頼りない旗棒には鳩がとまっていた。
 あの石壁の上に、かつては見張りをする兵士が幾人もいて。よく親に連れていってもらっては、落ちるなよと注意をされた。
 実際に落ちそうなほど身を乗り出していたのは、妹のマイアだった。

『お兄ちゃん!』

 聞こえる筈のない声だ。だが、まだその声音を忘れてはいない。

「静かだな……」

 もしあのリリーの力が、城や大地を蘇らせたというのなら、この中には閉じ込められていたヴァイスの兵たちが、生きて蘇ってる筈だ。それなのに、出てくる気配がない。
 最悪の事態を想定したライザーは、一人ここに先駆けたのだ。
 ふと、搭状の楼閣の頂きに、揺らめく影を見えた。見間違いかと目を細めるも、やはり何かがいる。
 期待に胸を膨らませたライザーは、裏門へと馬を走らせた。塔へ上がる一番の近道だ。
 馬を扉の前に繋いで降り、中へ滑り入る。警戒を怠ってはいけない。城にいるからと言って味方とは限らない。
 だが、胸が期待に踊る。もうずっと顔を見ていない臣下たちが、この景色を喜んで外を見回っているのではないだろうか。
 塔の上に上がる螺旋階段。できるだけ足音を消して、歩みを進める。
 ぼんやりと注ぐ光に、小さなほこりが舞う。それとは別に、細かな光の粒があるような気がした。

「ん?」

 ことり。上から足音がした。足音は軽く、こつこつと響く。兵士のものにしては、妙に軽い。城の侍女だろうか? いや、無事だった侍女は全員屋敷にいるはずだ。
 足音の主はライザーに気付いていないのだろうか。光を遮る影が、左右に動いている。
 嫌な気配はない。ライザーは思い切って、歩みを速めた。
 残りの階段を一気に駆け上がり、塔の頂きへと出た。
 遮るものは何もなく、青々と蘇ったヴァイスの大地が一望できる塔の上。
 陽は高く、空気は澄み渡っている。だが風は、薄く白い空気の膜を孕み、不思議な光の粒をまとっていた。
 ライザーの存在に驚いたのか、群がっていた無数の白い鳩が急にバサバサと飛び立ち、空の青へ向かう。

「っぷ!」

 抜け落ちた羽根が、ライザーの視界を塞ぐ。口に入った綿毛をぺっと吐き出していると、不思議な気配が彼に問いかけてきた。
 そこには、大平原を見渡す華奢な後ろ姿があった。白く厚みのあるローブと、細い杖。その先端には、蒼い宝玉が光っている。淡い桜色の髪は長く、腰より下まで波打っていた。
 その存在はライザーに気付いたのか、ゆっくりと振り返る。灰の瞳が、澄んだようなその眼が、こちらを射抜いた。
 女性の唇は小さく、きゅっと引き締められている。誰だと問いかけることはできなかった。逆光の中で、無表情にこちらを見るその女性は、今までライザーが出会ったことのあるどの女性よりも気高く、そして心に厚いヴェールを纏っていたのだった。
 視線が合わさった時、まるで糸に縛られたように足が動かなった。ただ見つめ返すしかできずに、言葉を失ったライザーだったが、その女性もまた言葉を探しているようだった。
 だが、次の瞬間。

「きゃーーーー!!!」

 先ほどまでの女性がどこかに消えたのかと勘違いをしてしまうような、若く高い声。
 灰の瞳が丸く大きく見開かれ、口は大きく開いて無防備に声を発する。
 突然のことに驚いたライザーだったが、ハッと我に返った。
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