第四話「反逆の産声、黒き羽音」
「アルゲオのてっぺんで待たせておいて、今朝になって進軍てどうなんだよ」
ぶつくさ言いながらアルゲオ山脈を下山しているのは、王国軍の前線部隊の兵士達だった。
この前線部隊、戦力的に強いかというとそうではなく、驚くほど少人数で形成されていた。
部隊長にも、まだ若い名も無き聖騎士が就任していた。
「様子見だろ。国は俺たちを使い捨てくらいにしか思ってねーんだよ」
「天才かなんだか知らねえけど、女に顎で使われてよ……」
「今更だろ? まっ、雪がとけて下山しやすくなったのが幸いか」
部隊は、アルゲオをなんなく超え、もう山を降りようとしていた。すでに彼らの視界にはヴァイスの地が広がり、春風にも似た心地よい風が頬をかすめた。
「なあ、おい。これが悪魔の大地か?」
「想像と随分違うな」
そう思うのは当然であった。
彼ら一般の国民の間では悪魔は悪魔でしかなく、ヴァイスの地は地獄のようにおぞましい場所だというのが普通の認識である。
だが彼らの目の前には今、緑溢れる大地が広がっている。小さな野花、空を舞う鳥、爽やかな青空。少なからず、兵士達に動揺が走った。
「どうした、隊列を乱すな」
その様子に気づいた部隊の隊長である聖騎士が、後ろを振り返り渇を入れた。部隊はしんと静まったが、渇を入れた隊長自身も実は動揺を隠せなかった。
幼い頃から聞いていた話とは違う。景色や、気候ではなく。この地の持つ雰囲気がだ。
消しきれない違和感に若い聖騎士は心を乱したが、それを口にはしなかった。
「なんと広く平坦な大地だ……地平線が見える」
「ああ、もし敵が居たとしても、これならばすぐに肉眼で確認出来る」
朧気な不安を拭いきれないまま、部隊がついにヴァイスに足を踏み入れたその時だった。
何かに気づいたのか、兵士の一人が、彼方を指差し叫んだ。
「た、隊長ッ!!!」
「──どうした?」
「あれは一体……」
「……な、なんだあれは……」
ヴァイスに足を踏み入れた王国軍前線部隊は、前方に現れた"それ"に息を飲み、前進することが出来ずにいた。
「な、なんであれが……」
「わ、わからん! だが――」
「剣を構えろ!!」
耐えかねた部隊長の号令と共に兵士が次々に鞘から剣を抜き構える。
「た、たとえ一匹だろうと油断はするな!!」
「はっ!」
兵士達の前方には、大軍勢が広がっているわけでもなく、魔物の群が広がっているわけでもなかった。
たった、一匹。牙を剥きこちらを伺っている者がいた。しっかりと形を晒けだしている。
「竜……」
そこに居るのは、巨大な竜だった。相当距離が離れているにも関わらず、その体躯は大木よりも高く、岩山のよう馬鹿でかい。
前進は黒く光る鱗に覆われ、陽に当たると黒燿石の如く光沢を放つ。背中から生えた凶々しい羽根はゆっくりと動き、口から時折黒い息が洩れている。
熱風のようなものが肌を掠める。
「悪魔と竜が手を組んだのは本当だったか」
「来るぞ!」
次の瞬間彼らは恐怖におののいた。
「うわ……、うわあああっ!!」
轟音を立て地から飛び立った黒き竜は、ひとつふたつ羽根をはためかせただけで部隊との距離を一瞬にして縮めた。そして彼らの頭上で制止すると、まるで自分は天空の覇者だといわんばかりに眼光鋭く威圧した。
その巨体に圧倒され、兵士たちは後退る。
「うろたえるな! 隊列を乱すな!」
指揮官を務める聖騎士が指示を出す。兵士たちは必死に剣を構えた。
「悪魔の手先め! 我らが相手だ!」
竜は巨体を揺らし、おぞましい声で咆哮した。
「――ごっ、ご報告申し上げます!」
マリアベルの元に、一人の兵士が酷く慌てた様子で伝令を持ってやってきた。
「伝令! 前線部隊がヴァイス大運河付近にて敵と接触致しました!」
「敵の数は?」
「そ、それが。報告によると一匹であると……」
「……なに?」
「伝令によりますと、敵は一匹、……属性は不明、しかし漆黒の鱗の巨大な竜だと」
マリアベルはそれが何か瞬時に悟り、忌々しいと言わんばかりに唇を噛んだ。
「前線部隊には使える魔導兵を配備していない。すぐに聖騎士ジークフリードの師団を援軍に向かわせろ」
「はっ!」
兵士は返事をしたものの、すぐにはその場を去らず何か次の言葉を待つように膝をついたままだった。
「なんだ」
「あ、あの。前線部隊への指示は――」
まごつく兵士に、マリアベルは冷たい表情を見せると、背を向けこう言った。
「その竜、漆黒の巨大な竜だと言ったな」
「は、はあ」
「ならば、前線部隊がその場を切り抜けられる可能性は限りなく不可能に近い」
マリアベルはその竜を知っているのだろう。その黒き竜がどれほど忌まわしいか。どれほど邪悪かを。そう、彼女の言葉に間違いは無かった。
「うわああああ!!!」
兵士が竜に剣で斬りつける。しかしそれは肉に届くことはなく、一瞬の内に灰塵と化した。
剣から炎が伝わり、兵の体を包み込む。肉の焼ける嫌な匂いがして、黒い塵があたりに舞い上がった。
もう立っている兵士は数えるほどしかおらず、その残った兵士さえ、絶望に打ちひしがれた瞳で剣をただ構えているだけだった。
王国軍前線部隊は、たった一匹の竜の前に壊滅しようとしていた。
「幾程も時間が経っていないぞ……」
部隊を率いていた若い聖騎士が、手負いの体を剣で支えながら立ち上がる。
その足下には黒い粉塵、先ほどまで人間の形をしていたものが、草原の上に黒い絨毯のようにしきつめられている。
「なのに全滅……全滅だと!?」
竜は、巨体を大地にどすりと据えたままこちらを睨んでいた。
赤く光る瞳が鈍く輝いている。
竜は、その口腔内から無限に噴出されるかと思うほどの超高熱の炎の息で、前線部隊を圧倒していた。
「やらせるかぁッ!!」
「やめろ! 無闇につっこむな!」
聖騎士の制止も聞かず、兵士が竜に斬りかかる。
竜はそれを見ると大きく息を吸った。腹から胸にかけて赤い光が巡り、それが喉に達した時だった。
竜の口から漆黒の炎が一気に吐き出され、扇状に周囲を焼き付くした。
勇敢に立ち向かった兵士は、声もなく消えた。
「くそ! こんな竜がいるなどと!」
若い聖騎士の憎悪にまみれた言葉に竜は反応し、牙の間からくぐもった言葉を発した。
「この大地を見てもまだ真実に気づかぬか」
竜の呟きが聞こえていないのか、若い聖騎士は最後の力を振り絞り、剣を向けた。
「我らは負けぬ! アルフレッド陛下と、祖国を守るために! 貴様ら悪魔どもを討つ!」
「うおおおッ!!」
呼応するかのように僅かに残った兵士もまた声を上げた。
竜は、一心不乱に自分に向かって走り来る彼らを見つめながらも、その身体を動かすことはなかった。
「アルフレッド陛下の為に!!」
兵達は、怖くないのだろうか。
目の前で同胞が焼き尽くされたというのに、この竜に対して真っ直ぐに突っ込んでいく。
否、恐怖を感じながらも、彼らは命をかけているのだ。自分達の国を守るため、"悪魔" を倒す為に。
「俺たちの国を守るんだ!!」
竜はまた、深く息を吸い込んだ。
轟音とともに、黒い炎が辺りを包んだ。それは先程のものとは違い凄まじく、兵士達を灰にすることもなく瞬時に蒸発させた。
竜はブレスを止めると、自分しか居なくなった平原の真ん中で、高笑いするでもなく勝利の雄叫びを上げるでもなく、ただただやりきれぬその感情を瞳にたたえていた。
兵士達は死んでいく。
悪魔は敵だと思いこんだまま。
守るべき国の統治者が仕組んだ戦争だとは知らないまま──。
役目を終えた竜は、焦るようにして、空高く飛び上がった。
「間に合わなかった…」
マリアベルから指示をうけ、急いでアルゲオ山脈を越えたジークフリードと、彼に従う魔導師団だったが、その途中で竜が彼方に飛び去る姿を見た。
「まさかこんなに早く竜が出てくるなんて」
竜と悪魔が手を組むにしても、対応が早すぎる。
書面での通達があってから、幾日も経っていない。
ということは、以前から強力な繋がりがあったのだろうか?
「くそっ。あのような奇襲が分かっていれば、我らが前線を征くものを!」
思考を巡らせるジークフリードの横で、配下の魔導兵が声をあげた。
「竜には魔導術が一番。それは常識だけど、でっかい竜を相手にしたことはさすがにないからからなあ……」
ぶつくさ言いながらアルゲオ山脈を下山しているのは、王国軍の前線部隊の兵士達だった。
この前線部隊、戦力的に強いかというとそうではなく、驚くほど少人数で形成されていた。
部隊長にも、まだ若い名も無き聖騎士が就任していた。
「様子見だろ。国は俺たちを使い捨てくらいにしか思ってねーんだよ」
「天才かなんだか知らねえけど、女に顎で使われてよ……」
「今更だろ? まっ、雪がとけて下山しやすくなったのが幸いか」
部隊は、アルゲオをなんなく超え、もう山を降りようとしていた。すでに彼らの視界にはヴァイスの地が広がり、春風にも似た心地よい風が頬をかすめた。
「なあ、おい。これが悪魔の大地か?」
「想像と随分違うな」
そう思うのは当然であった。
彼ら一般の国民の間では悪魔は悪魔でしかなく、ヴァイスの地は地獄のようにおぞましい場所だというのが普通の認識である。
だが彼らの目の前には今、緑溢れる大地が広がっている。小さな野花、空を舞う鳥、爽やかな青空。少なからず、兵士達に動揺が走った。
「どうした、隊列を乱すな」
その様子に気づいた部隊の隊長である聖騎士が、後ろを振り返り渇を入れた。部隊はしんと静まったが、渇を入れた隊長自身も実は動揺を隠せなかった。
幼い頃から聞いていた話とは違う。景色や、気候ではなく。この地の持つ雰囲気がだ。
消しきれない違和感に若い聖騎士は心を乱したが、それを口にはしなかった。
「なんと広く平坦な大地だ……地平線が見える」
「ああ、もし敵が居たとしても、これならばすぐに肉眼で確認出来る」
朧気な不安を拭いきれないまま、部隊がついにヴァイスに足を踏み入れたその時だった。
何かに気づいたのか、兵士の一人が、彼方を指差し叫んだ。
「た、隊長ッ!!!」
「──どうした?」
「あれは一体……」
「……な、なんだあれは……」
ヴァイスに足を踏み入れた王国軍前線部隊は、前方に現れた"それ"に息を飲み、前進することが出来ずにいた。
「な、なんであれが……」
「わ、わからん! だが――」
「剣を構えろ!!」
耐えかねた部隊長の号令と共に兵士が次々に鞘から剣を抜き構える。
「た、たとえ一匹だろうと油断はするな!!」
「はっ!」
兵士達の前方には、大軍勢が広がっているわけでもなく、魔物の群が広がっているわけでもなかった。
たった、一匹。牙を剥きこちらを伺っている者がいた。しっかりと形を晒けだしている。
「竜……」
そこに居るのは、巨大な竜だった。相当距離が離れているにも関わらず、その体躯は大木よりも高く、岩山のよう馬鹿でかい。
前進は黒く光る鱗に覆われ、陽に当たると黒燿石の如く光沢を放つ。背中から生えた凶々しい羽根はゆっくりと動き、口から時折黒い息が洩れている。
熱風のようなものが肌を掠める。
「悪魔と竜が手を組んだのは本当だったか」
「来るぞ!」
次の瞬間彼らは恐怖におののいた。
「うわ……、うわあああっ!!」
轟音を立て地から飛び立った黒き竜は、ひとつふたつ羽根をはためかせただけで部隊との距離を一瞬にして縮めた。そして彼らの頭上で制止すると、まるで自分は天空の覇者だといわんばかりに眼光鋭く威圧した。
その巨体に圧倒され、兵士たちは後退る。
「うろたえるな! 隊列を乱すな!」
指揮官を務める聖騎士が指示を出す。兵士たちは必死に剣を構えた。
「悪魔の手先め! 我らが相手だ!」
竜は巨体を揺らし、おぞましい声で咆哮した。
「――ごっ、ご報告申し上げます!」
マリアベルの元に、一人の兵士が酷く慌てた様子で伝令を持ってやってきた。
「伝令! 前線部隊がヴァイス大運河付近にて敵と接触致しました!」
「敵の数は?」
「そ、それが。報告によると一匹であると……」
「……なに?」
「伝令によりますと、敵は一匹、……属性は不明、しかし漆黒の鱗の巨大な竜だと」
マリアベルはそれが何か瞬時に悟り、忌々しいと言わんばかりに唇を噛んだ。
「前線部隊には使える魔導兵を配備していない。すぐに聖騎士ジークフリードの師団を援軍に向かわせろ」
「はっ!」
兵士は返事をしたものの、すぐにはその場を去らず何か次の言葉を待つように膝をついたままだった。
「なんだ」
「あ、あの。前線部隊への指示は――」
まごつく兵士に、マリアベルは冷たい表情を見せると、背を向けこう言った。
「その竜、漆黒の巨大な竜だと言ったな」
「は、はあ」
「ならば、前線部隊がその場を切り抜けられる可能性は限りなく不可能に近い」
マリアベルはその竜を知っているのだろう。その黒き竜がどれほど忌まわしいか。どれほど邪悪かを。そう、彼女の言葉に間違いは無かった。
「うわああああ!!!」
兵士が竜に剣で斬りつける。しかしそれは肉に届くことはなく、一瞬の内に灰塵と化した。
剣から炎が伝わり、兵の体を包み込む。肉の焼ける嫌な匂いがして、黒い塵があたりに舞い上がった。
もう立っている兵士は数えるほどしかおらず、その残った兵士さえ、絶望に打ちひしがれた瞳で剣をただ構えているだけだった。
王国軍前線部隊は、たった一匹の竜の前に壊滅しようとしていた。
「幾程も時間が経っていないぞ……」
部隊を率いていた若い聖騎士が、手負いの体を剣で支えながら立ち上がる。
その足下には黒い粉塵、先ほどまで人間の形をしていたものが、草原の上に黒い絨毯のようにしきつめられている。
「なのに全滅……全滅だと!?」
竜は、巨体を大地にどすりと据えたままこちらを睨んでいた。
赤く光る瞳が鈍く輝いている。
竜は、その口腔内から無限に噴出されるかと思うほどの超高熱の炎の息で、前線部隊を圧倒していた。
「やらせるかぁッ!!」
「やめろ! 無闇につっこむな!」
聖騎士の制止も聞かず、兵士が竜に斬りかかる。
竜はそれを見ると大きく息を吸った。腹から胸にかけて赤い光が巡り、それが喉に達した時だった。
竜の口から漆黒の炎が一気に吐き出され、扇状に周囲を焼き付くした。
勇敢に立ち向かった兵士は、声もなく消えた。
「くそ! こんな竜がいるなどと!」
若い聖騎士の憎悪にまみれた言葉に竜は反応し、牙の間からくぐもった言葉を発した。
「この大地を見てもまだ真実に気づかぬか」
竜の呟きが聞こえていないのか、若い聖騎士は最後の力を振り絞り、剣を向けた。
「我らは負けぬ! アルフレッド陛下と、祖国を守るために! 貴様ら悪魔どもを討つ!」
「うおおおッ!!」
呼応するかのように僅かに残った兵士もまた声を上げた。
竜は、一心不乱に自分に向かって走り来る彼らを見つめながらも、その身体を動かすことはなかった。
「アルフレッド陛下の為に!!」
兵達は、怖くないのだろうか。
目の前で同胞が焼き尽くされたというのに、この竜に対して真っ直ぐに突っ込んでいく。
否、恐怖を感じながらも、彼らは命をかけているのだ。自分達の国を守るため、"悪魔" を倒す為に。
「俺たちの国を守るんだ!!」
竜はまた、深く息を吸い込んだ。
轟音とともに、黒い炎が辺りを包んだ。それは先程のものとは違い凄まじく、兵士達を灰にすることもなく瞬時に蒸発させた。
竜はブレスを止めると、自分しか居なくなった平原の真ん中で、高笑いするでもなく勝利の雄叫びを上げるでもなく、ただただやりきれぬその感情を瞳にたたえていた。
兵士達は死んでいく。
悪魔は敵だと思いこんだまま。
守るべき国の統治者が仕組んだ戦争だとは知らないまま──。
役目を終えた竜は、焦るようにして、空高く飛び上がった。
「間に合わなかった…」
マリアベルから指示をうけ、急いでアルゲオ山脈を越えたジークフリードと、彼に従う魔導師団だったが、その途中で竜が彼方に飛び去る姿を見た。
「まさかこんなに早く竜が出てくるなんて」
竜と悪魔が手を組むにしても、対応が早すぎる。
書面での通達があってから、幾日も経っていない。
ということは、以前から強力な繋がりがあったのだろうか?
「くそっ。あのような奇襲が分かっていれば、我らが前線を征くものを!」
思考を巡らせるジークフリードの横で、配下の魔導兵が声をあげた。
「竜には魔導術が一番。それは常識だけど、でっかい竜を相手にしたことはさすがにないからからなあ……」