第四話「反逆の産声、黒き羽音」

 一方のヒルは、笑顔で腕を組んではいるが、その裏に言いしれぬ重い空気を背負っている。

「王に失礼な態度を取るのはやめろ」

「『王』? ふん、なんだその呼び方は。お前がたらしこんだと聞いたが」

 くっとカイムが鼻で笑う。リリーは何か言い返しそうだったが、ヒルがそれを止めた。

「ヒル、誰なのこいつは!」

「こいつはカイム。見た目は人型をしているが、竜族だ」

「竜?」

 ──竜族。それは千の時代を生き、千の能力を備えるといわれる最強の種族。
 知に長け、力に長け、人の形も竜の形をも取ることを可能とし、空を舞う天空の覇者だ。
 リリーも王都で何度かすれ違い様に見たことはある。だがこうして、すぐ近くでじっくりと竜族を見るのは初めてであった。
 リリーは、先程の言い知れぬ恐怖の理由を理解した。

「じゃあヒルと同じ竜なの?」

「それは――」

「ヒル、王が女なら話は早い。さっさと子を産ませれば解決だ」

 カイムが話の邪魔をするように言う。不躾な物言いにまたリリーがカッとなったが、ヒルが軽く制止する。

「王都は今日誓約を結んだばかりだ。そんな話を今する必要はない」

 ヒルの口元は笑ったままだが、瞳は鋭くカイムを刺している。だがそんな彼に対し、カイムは怒り返すどころか目を丸くした。

「悠長なことを言う。王を継ぐ者はその女だけなのだろう」

「時期が早いと言っているんだ」

「ふん、相変わらず庇護欲が強いな」

 カイムは長い溜息を吐き、改めてリリーを見据えた。

「俺の名はカイムだ。今日はお前たちと正式に同盟を結びに来た」

 リリーは意味が分からず、差し出された手を握らずヒルを見上げた。

「話が後先になってすまない。信じられないとは思うが、こいつは竜族の王だ。今回のことでヴァイスと種族間の同盟を締結させるために来たんだ。調整もせず勝手にな」

「随分な言い草だな」

「お前が竜の王……?」

 リリーはいくらかの不安を拭いきれないままカイムを見た。こんな傲慢で、色に濃い男が竜の王だとはにわかに信じられなかった。
 竜と言う存在はそこまで珍しくはないが、その王となると話は別だ。もっとも、通常では姿を拝むことは難しく、隠された地の奥深くにいるような、そんな崇高な存在であると言われている。
 だが目の前にいる男は、ともすればまるでふらっと友人の家に遊びに来たかのような軽さでそこに在り、不敵な笑みを浮かべている。
 リリーはにわかには信じがたかった。だがヒルが嘘をつく理由は無い。
 驚きの表情を繰り返し、恐る恐る差し出された手を握る。まるで氷のように冷たい手は、リリーの体温を一瞬で奪い去った。
 その一連の様子を観察していたカイムは、思わず吹き出した。

「竜に触れるのは初めてか」

「それよりカイム、同盟の話は聞いていたが一人で何をしに来た? こちらにも準備というものがある」

 ヒルは少しリリーより前に出て、カイムとの距離を詰める。
 カイムはニッと笑い背を向けると、意味深に呟いた。

「クッ、ここの女たちは悦んで扉を開けてくれたぞ」

「その野良猫も、同じように喜ぶかと思ったんだが既に「お手付き」だったらしいな」

「な……っ!」

 素早く真っ赤になり怒りをあらわにしたのはリリーだった。だが、ヒルはなんら変わらず微笑んだままだった。それが面白くなかったのか、カイムはまた溜息をつくと、廊下の先に姿を消した。
 カイムの気配が完全に消えるのを確認すると、リリーは行き場のない怒りをぶちまけた。

「なんなんだあいつは! あれが王!?」

「カイムは王にして煌竜。煌竜というのは種類ではなく、竜の地位を表している呼び名だ。簡単に言うと種族に於ける地位も力も他と比較できないほど強い存在だ」

「あの男、まさか私たちの仲間になるというの!? あの男が!?」

 リリーが急き立てるように返事を促すと、ヒルは急に無表情になりリリーを見下ろした。その瞳に思わず言葉が詰まる。

「な、なに……」

 まるで先ほどのカイムのような瞳。怒らせてしまったのだろうか。いきなり変わってしまった雰囲気に、リリーは体が竦んだ。
 だがヒルはリリーに触れるわけでもなく、その長身を脱力したように壁にもたれかからせ、紅い前髪の隙間から目だけをリリーに向けた。

「俺が来るまでに、何かされたか?」

「何かって?」

 リリーは首を傾げる。斜めに見られ、少し足が竦んだ。

「お前の鼓動が異常に早くなるのを感じた。だから来たんだ」

「何故そんなことが分かるの?」

 妙に焦って答えてしまったせいか、ヒルの眉間に皺が寄った。

「分かるさ。誓約したんだから」

 誓約した者同士に異変があれば、それはすぐ伝わるのだろうか。
 剏竜と王の、不思議な繋がり。つまり今は、ヒルがたまたま偶然通りかかったのではなく、心配をして駆け付けてくれたのだ。

「……そうだったの」

「ああ、一応はな」

「なら、手首の痛みも伝わっていたの?」

「そんな細かくは分からないが……なんだ、掴まれたのか?」

「竜は凄い力ね。痣がついてしまった」

 リリーは平気な様子で手首を見せた。手袋を外していたせいで、しっかりと指の痕跡が残っていた。

「痛みは?」

「このくらい、なんてことない」

 見た目には痛々しそうなそれを、リリーは平気な顔でさすっていた。
 ヒルはその手首を掴むと、自身の方に引き寄せた。だが、先ほどのように乱暴にではなく、労るように優しく力を加える。
 壁にもたれかかっているヒルの近くに引き寄せられたリリーは、言葉もなくされるがままに応じた。
 カイムにも同じ事をされたのだが、全く違う。じんと胸が熱くなり、思わず頬を染める。

「悪い、痛かったか?」

 ヒルの声がやけに大きく耳に響く気がする。距離が近いせいだろうかなどと考えながら、リリーは冷静に返す。

「痛くない」

「嘘をつくな。ほかにも何か痛みがあるんだろう」

「無い。本当に」

 ヒルは優しく微笑みながら、リリーの手を自分の口元に愛でるようにあて、こう言った。

「鼓動が、速くなっている」

 リリーはぱっと手を離すと、無言のままその場を立ち去った。
 小走りに浴場のあるという方角に足を進めると、なかなか来ないリリーを心配していたミリアが、安心した顔で駆け寄ってきた。

「リリー様! ……あら? どうかされましたか?」

「なんでもない……」

 ヒルに触れられた手がなんだか熱くて、手を揉み合わせてはぎゅっと握る。

「私……らしくない。なんなのこれは……」

「……風邪を召されては大変です。どうぞ湯殿へ」

 ミリアは何も聞かず、そっとリリーの背を押して浴室へと促した。
 軽く湯をかけられ、湯船に浸かる。一人で入るには広すぎる風呂だ。
 ああ、そういえば王族は風呂を手伝ってもらうものなのかなどと考えながら、脚を伸ばした。
 体がポカポカする。リリーは、大きな欠伸をした。

「なんだか疲れた……。体がだるい」

「色々ございましたから。ゆっくりなさってくださいね」

 ミリアはそう言うと、頭を下げて外へ出ていった。
 一人になったリリーは、大きく天を仰いだ。浴室には、天井に丸い窓がある。そこには、一人浮かぶ陽の中の月があった。
 月を見ていると泣きそうになるのだと、村の若い娘が言っていたことを思い出す。
 確かに、丸くて可愛くて、でもどこか神秘的な月は、気を狂わせることもありそうだ。

「竜がいる国に、竜族の同盟……竜だらけだな」

 どういう経緯で、どういう繋がりでかはリリーには分からなかったが、竜の強さだけは知っている。
 彼らが一匹いれば、千の兵士をも瞬時に焼き殺す。だがそうそうお目にかかれるものではない。どこにいて、どこから来るのかは詳しく知らない。
 もし本当に竜族が自分たちの味方になってくれるのならば、聖王国軍が束になっても太刀打ちできないだろう。
 そう、私を騙していた人間達を、いともたやすく倒せる。
 姉さんをあんな風に扱ったやつらを全部、――殺せる。
 途端に、リリーは冷めたように我に返った。自分の心の声を、反芻する。

「殺す…………?」

 言い慣れた台詞のはずなのに、どうしたことか。口にする度に手にじんわり汗が滲む。
 リリーは、今更になってそんな自分に驚いた。

「……私はいつから……当たり前のように」

 戦が始まれば、女王といえどリリーもいずれは剣を振るう。
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