第四話「反逆の産声、黒き羽音」
ふと、マリアベルは言葉を止めた。何か思うところがあるのか、口を少し開いたまま、言葉を探している。
「どうしたんだいマリアベル。私の声が聞こえているか?」
会話が止まったことを不思議に思ったアルフレッドがそう問い掛けると、マリアベルはおずおずと進言した。
「……陛下……あの、なぜわざわざ軍隊を出動させるのでしょうか?」
「何故とは?」
「あの時のように、あの魔導師による魔導術攻撃を使えば…………」
「マリアベル、君が気にする必要はないんだよ」
即座に言葉を一刀両断されたマリアベルは、ぐっと唇を噛んだ。しかしアルフレッドは、優しい口調で突き放すようにこう言った。
「今回は兵を使う。そうしなければならないからだ。議員たちもそれに納得した。だから君も、この作戦の指揮官を受けたんじゃなかったのかい?」
「は、はい……」
「希望していただろう。この作戦、主軸として参加したいと」
「……はい」
「なら、納得してくれるね」
「あの……陛下は私を…………」
手駒くらいにしか思っていないのでしょうか。いや、そんな筈はない。マリアベルは彼への忠義を揺るがさなかった。
「何か言ったかい?」
「いいえ、なんでもありません。任務に戻ります」
「ああ」
プツ、と手鏡から聞こえてくる声は消え、それを確認したマリアベルはその場から離れた。
陽が揺らぐ部屋には、美しいレースのカーテンが揺れている。小鳥が囁く緑に、朝露が揺れて輝いているのだが、マリアベルはそれを睨みつけた。
風を掃い、カーテンをぐしゃりと掴んだマリアベルは、険しい顔で低く唸った。
「必ず……必ず殺してやるリリー……ッ!!」
美しい筈の朝陽、薄紫から青へ変わる空。
そこに毒を投げつけるような女の声が、荒い風を呼んだ。
「――お話しは終わりましたか、アルフレッド様」
背後から声をかけたのはマティスだった。会話を終えたのを見計らって、マティスは彼に歩み寄った。どことなく機嫌がいい王の顔色を見つつ、マティスは言葉を発する。
「本日の予定は文官長が申し上げた通りです。私はいつも通り護衛を致します」
「ああそうだね。よろしく頼むよ」
マティスの本来の仕事は王の近衛兵。バロンの命令を受けて色々走り回っていたが、作戦が始まってからは、本来の仕事であるアルフレッドの護衛にかかりきりであった。
「ですが、ご報告したいことがひとつ。組合監査官のベリー・ハウエルが背信行為をほのめかす発言をし城を立ち去りました」
「ああ、あの天才魔導師」
「行方は依然として掴めておりません。彼女はリリーと取り分け仲が良かったようで、もしかすると……」
するとアルフレッドは、ちょいちょいと自分の頬を指さしながらこう言った。
「成る程、君が妙に浮かない顔をしていた理由が分かったよ」
見透かされた事に恥ずかしさを覚えたマティスは、咄嗟に自分の顔を手で押さえ隠した。
「彼女は大分猪突猛進だからね。予想をしていなかったわけじゃない……というよりも、友人だというなら当然だろう」
「よろしいのですか?」
「なら君は彼女を連れ戻すことができるか? 空間転移の魔導術を難なく行使できる者は限られている。見つけたとしてイタチごっこだろうねえ」
威圧ある声に、マティスはびくりと肩を震わせた。
「……申し訳ありません」
「構わないよ。素直だねマティス」
「いえ、彼女は彼の大魔導師サウザンスロードの一派。下手に刺激しすぎても暴発が起こるだけと理解しております」
「そう、偉いねマティス。あれは危険な異形と同じ。それに……泳がせておいても問題はない。追っ手も必要ないだろう」
「つまり、彼女は要らないと……?」
「人聞きが悪い。彼女の意志を尊重しているんだ。『彼女』を昔から知る者としてね」
マティスは心に不安感が募るのを感じていた。
この御方は要らないと判断したならば即座に切り捨てる。使えるならば今のマティスのや在りし日のアストレイアのように側に置き厚く擁護する。──怖い人だ。
そう感じながらも、マティスはただ従っているしかなかった。彼は王家に仕える伯爵家の嫡男。従うのが貴族の務め。それはもう、今更変えることなどできない。
そう、俺はそうやって生きるのが"正しい"んだ。
「さて、私は少し部屋に戻る」
「お供します」
「いいよ。君は何だか悩んでいるようだからね。可哀想だから休憩をしておいで」
「……御意」
マティスの思惑を知ってか、アルフレッドはそれだけ言い残すと長く敷かれた赤い絨毯の上を歩き、さっと兵士により開けられた扉から優雅に立ち去った。
大きな扉が音を立てて閉まると、王のいない玉座の間にはマティスと警護の兵士だけになった。
「センシディアの、嫡男だから、か」
マティスは、リリーのことを思い出していた。
自分が追いやった。自分が裏切った。あの時の涙にまみれた瞳も、赤く染まった体も、助けることができたのに。一時でも同じ目的の為に旅した彼女を、自分はいとも簡単に切り捨てた。それはアルフレッドが部下を切り捨てるのとなんら変わりない冷たい行為。
王を怖いと思うなら、自分自身の弱さも怖いと思う。
脳裏によぎるのは泣き顔。憎しみのこもった瞳。最後に見た顔がそれだなんて。無感情に見つめていた俺は、どんな顔をしていたのだろう。
こびりついた感情が、心を焼く。マティスはそっと、紅茶のカップに手を伸ばした。
少しだけ残った琥珀の水面からは、褪せたような香りがした。
* * *
「おでかけ、楽しかったデスか~?」
ライザーの屋敷に帰ってきたリリーとヒルを迎えたのは、これでもかというくらいに満面の笑みを浮かべたレオンだった。彼は屋敷の玄関でにこやかに手を振り、二人を出迎えた。
「……楽しかったと、言えばいいの?」
明らかに不快感を示すリリーとは対照的に、ヒルは気にした様子も無く。まるで冬が明けたかのように本来の姿を取り戻した大地を、感慨深そうに見渡していた。
小高い丘から見える景色は氷にまみれた寂しいものではなく、青々とした見渡す限りの草原。どこからか小鳥のさえずりも聞こえる。風が、暖かい。
「いえいえ、お疲れさまデス。そしてありがとうございマス」
「……分かるの?」
「ええ。綺麗デスね」
「そ、う」
リリーは髪を耳にかける。レオンには物凄い嫌味を言われた筈なのだが、今目の前にいる彼は満面の笑みだ。うさん臭さに内心苛立ちつつも、リリーは軽くお辞儀をした。
さっとその場を立ち去り、乗って来た馬の手綱を引きに行ってしまった。
「ありゃ」
「警戒されて当然だろ」
「おやヒル君。おっかえりなさーいデス」
「どうだレオン、大分過ごしやすくなっただろう」
ヒルは、扉を大きく開けながら言う。
「まさかここまで変わるとは思ってなかったデスけどねえ。それにしても、ここまで出来るなんてちょっとズルくないデスか?」
少し離れた場所で馬を愛でるリリーを見る。細い後ろ姿は頼りなく、どこから見てもただのか弱い女性だった。
だが、これから彼女が自分達の指導者。竜を従え、国を再建に導く王。二人は視線を合わすと何か決意したようにふっと笑った。
「まさかこんな日が来るなんてねぇ」
「全くだ」
「……何がおかしいの」
二人の様子に気づいたリリーが、馬から離れ訝しげに首を傾げた。
「いや、なんでもない」
「そ、なんでもないデスよ。改めてよろしくね~リリーちゃん……あ、違う」
レオンは言い掛けてふむ、と顎に手をやり空を仰ぐ。そしてしばらくして、にっこりと笑いリリーに視線を戻した。
「なに?」
リリーが戸惑っていると、レオンは急に地面に膝まづき深々と頭を下げた。それは、高貴な者を前にした家臣のごとく。そこにあのふざけた態度の彼は無かった。
「お帰りを心待ちにしておりました陛下。ヴァイス王国軍師宰相、レオン・ブラックロウザ。陛下の為、ヴァイスの為。この命燃えつきるまで御命に従うことを誓います」
「お前……ええ……」
リリーはどう答えていいものか分からずヒルを見たが、ヒルはただ微笑んでいるだけだったので、さらに顔を歪めた。
「レオン」
「はい陛下」
「急に陛下とかやめてほしい。いきなりそう呼ばれても困る」
リリーが膝まづくレオンの視線に合わせ、自らも体を屈める。そして続けてこう言った。
「どうしたんだいマリアベル。私の声が聞こえているか?」
会話が止まったことを不思議に思ったアルフレッドがそう問い掛けると、マリアベルはおずおずと進言した。
「……陛下……あの、なぜわざわざ軍隊を出動させるのでしょうか?」
「何故とは?」
「あの時のように、あの魔導師による魔導術攻撃を使えば…………」
「マリアベル、君が気にする必要はないんだよ」
即座に言葉を一刀両断されたマリアベルは、ぐっと唇を噛んだ。しかしアルフレッドは、優しい口調で突き放すようにこう言った。
「今回は兵を使う。そうしなければならないからだ。議員たちもそれに納得した。だから君も、この作戦の指揮官を受けたんじゃなかったのかい?」
「は、はい……」
「希望していただろう。この作戦、主軸として参加したいと」
「……はい」
「なら、納得してくれるね」
「あの……陛下は私を…………」
手駒くらいにしか思っていないのでしょうか。いや、そんな筈はない。マリアベルは彼への忠義を揺るがさなかった。
「何か言ったかい?」
「いいえ、なんでもありません。任務に戻ります」
「ああ」
プツ、と手鏡から聞こえてくる声は消え、それを確認したマリアベルはその場から離れた。
陽が揺らぐ部屋には、美しいレースのカーテンが揺れている。小鳥が囁く緑に、朝露が揺れて輝いているのだが、マリアベルはそれを睨みつけた。
風を掃い、カーテンをぐしゃりと掴んだマリアベルは、険しい顔で低く唸った。
「必ず……必ず殺してやるリリー……ッ!!」
美しい筈の朝陽、薄紫から青へ変わる空。
そこに毒を投げつけるような女の声が、荒い風を呼んだ。
「――お話しは終わりましたか、アルフレッド様」
背後から声をかけたのはマティスだった。会話を終えたのを見計らって、マティスは彼に歩み寄った。どことなく機嫌がいい王の顔色を見つつ、マティスは言葉を発する。
「本日の予定は文官長が申し上げた通りです。私はいつも通り護衛を致します」
「ああそうだね。よろしく頼むよ」
マティスの本来の仕事は王の近衛兵。バロンの命令を受けて色々走り回っていたが、作戦が始まってからは、本来の仕事であるアルフレッドの護衛にかかりきりであった。
「ですが、ご報告したいことがひとつ。組合監査官のベリー・ハウエルが背信行為をほのめかす発言をし城を立ち去りました」
「ああ、あの天才魔導師」
「行方は依然として掴めておりません。彼女はリリーと取り分け仲が良かったようで、もしかすると……」
するとアルフレッドは、ちょいちょいと自分の頬を指さしながらこう言った。
「成る程、君が妙に浮かない顔をしていた理由が分かったよ」
見透かされた事に恥ずかしさを覚えたマティスは、咄嗟に自分の顔を手で押さえ隠した。
「彼女は大分猪突猛進だからね。予想をしていなかったわけじゃない……というよりも、友人だというなら当然だろう」
「よろしいのですか?」
「なら君は彼女を連れ戻すことができるか? 空間転移の魔導術を難なく行使できる者は限られている。見つけたとしてイタチごっこだろうねえ」
威圧ある声に、マティスはびくりと肩を震わせた。
「……申し訳ありません」
「構わないよ。素直だねマティス」
「いえ、彼女は彼の大魔導師サウザンスロードの一派。下手に刺激しすぎても暴発が起こるだけと理解しております」
「そう、偉いねマティス。あれは危険な異形と同じ。それに……泳がせておいても問題はない。追っ手も必要ないだろう」
「つまり、彼女は要らないと……?」
「人聞きが悪い。彼女の意志を尊重しているんだ。『彼女』を昔から知る者としてね」
マティスは心に不安感が募るのを感じていた。
この御方は要らないと判断したならば即座に切り捨てる。使えるならば今のマティスのや在りし日のアストレイアのように側に置き厚く擁護する。──怖い人だ。
そう感じながらも、マティスはただ従っているしかなかった。彼は王家に仕える伯爵家の嫡男。従うのが貴族の務め。それはもう、今更変えることなどできない。
そう、俺はそうやって生きるのが"正しい"んだ。
「さて、私は少し部屋に戻る」
「お供します」
「いいよ。君は何だか悩んでいるようだからね。可哀想だから休憩をしておいで」
「……御意」
マティスの思惑を知ってか、アルフレッドはそれだけ言い残すと長く敷かれた赤い絨毯の上を歩き、さっと兵士により開けられた扉から優雅に立ち去った。
大きな扉が音を立てて閉まると、王のいない玉座の間にはマティスと警護の兵士だけになった。
「センシディアの、嫡男だから、か」
マティスは、リリーのことを思い出していた。
自分が追いやった。自分が裏切った。あの時の涙にまみれた瞳も、赤く染まった体も、助けることができたのに。一時でも同じ目的の為に旅した彼女を、自分はいとも簡単に切り捨てた。それはアルフレッドが部下を切り捨てるのとなんら変わりない冷たい行為。
王を怖いと思うなら、自分自身の弱さも怖いと思う。
脳裏によぎるのは泣き顔。憎しみのこもった瞳。最後に見た顔がそれだなんて。無感情に見つめていた俺は、どんな顔をしていたのだろう。
こびりついた感情が、心を焼く。マティスはそっと、紅茶のカップに手を伸ばした。
少しだけ残った琥珀の水面からは、褪せたような香りがした。
* * *
「おでかけ、楽しかったデスか~?」
ライザーの屋敷に帰ってきたリリーとヒルを迎えたのは、これでもかというくらいに満面の笑みを浮かべたレオンだった。彼は屋敷の玄関でにこやかに手を振り、二人を出迎えた。
「……楽しかったと、言えばいいの?」
明らかに不快感を示すリリーとは対照的に、ヒルは気にした様子も無く。まるで冬が明けたかのように本来の姿を取り戻した大地を、感慨深そうに見渡していた。
小高い丘から見える景色は氷にまみれた寂しいものではなく、青々とした見渡す限りの草原。どこからか小鳥のさえずりも聞こえる。風が、暖かい。
「いえいえ、お疲れさまデス。そしてありがとうございマス」
「……分かるの?」
「ええ。綺麗デスね」
「そ、う」
リリーは髪を耳にかける。レオンには物凄い嫌味を言われた筈なのだが、今目の前にいる彼は満面の笑みだ。うさん臭さに内心苛立ちつつも、リリーは軽くお辞儀をした。
さっとその場を立ち去り、乗って来た馬の手綱を引きに行ってしまった。
「ありゃ」
「警戒されて当然だろ」
「おやヒル君。おっかえりなさーいデス」
「どうだレオン、大分過ごしやすくなっただろう」
ヒルは、扉を大きく開けながら言う。
「まさかここまで変わるとは思ってなかったデスけどねえ。それにしても、ここまで出来るなんてちょっとズルくないデスか?」
少し離れた場所で馬を愛でるリリーを見る。細い後ろ姿は頼りなく、どこから見てもただのか弱い女性だった。
だが、これから彼女が自分達の指導者。竜を従え、国を再建に導く王。二人は視線を合わすと何か決意したようにふっと笑った。
「まさかこんな日が来るなんてねぇ」
「全くだ」
「……何がおかしいの」
二人の様子に気づいたリリーが、馬から離れ訝しげに首を傾げた。
「いや、なんでもない」
「そ、なんでもないデスよ。改めてよろしくね~リリーちゃん……あ、違う」
レオンは言い掛けてふむ、と顎に手をやり空を仰ぐ。そしてしばらくして、にっこりと笑いリリーに視線を戻した。
「なに?」
リリーが戸惑っていると、レオンは急に地面に膝まづき深々と頭を下げた。それは、高貴な者を前にした家臣のごとく。そこにあのふざけた態度の彼は無かった。
「お帰りを心待ちにしておりました陛下。ヴァイス王国軍師宰相、レオン・ブラックロウザ。陛下の為、ヴァイスの為。この命燃えつきるまで御命に従うことを誓います」
「お前……ええ……」
リリーはどう答えていいものか分からずヒルを見たが、ヒルはただ微笑んでいるだけだったので、さらに顔を歪めた。
「レオン」
「はい陛下」
「急に陛下とかやめてほしい。いきなりそう呼ばれても困る」
リリーが膝まづくレオンの視線に合わせ、自らも体を屈める。そして続けてこう言った。