第一話「翡翠は、泥の中に」
「リリーと呼ぶようにしてくれたのは姉さんだ。最初に付けられた名前は、リリム。おとぎ話の悪魔の名前だ。人を誘惑する悪魔だ。その名前のせいで色々面倒だった」
シュナイダーはすぐさま腰を折り、気まずそうに謝罪を示した。
「失礼をした。無神経であった」
軍人らしい無骨な態度を示すシュナイダーに、益々居心地を悪くしたリリーは、視線を逸らす。面倒だと態度で表すかのように、さっと背を向けた。
「あ、おい。ウルビア、ちょっと待て」
「何。まだ私の名前について何か言いたいの」
「そうではない。近く、君に勅令が下る。その事で話をしたかったのだ」
「……王の命令を貴方が先に言っていいの」
「我らの王のことは我ら以上んびよく知っていると聞いているが?」
意味深な物言いをするシュナイダーは、にやりと笑む。
「勅令の内容まで言いはしない。だが、もしその内容が君にとって重荷であるなら、無理に受けることはない。いや、君だから許される。いいか、無理はするんじゃないぞ」
「そこまで言うと不安しかないのだけど」
「……君に何かあれば、セイレが悲しむ」
深い、後悔の念が混じった言葉だった。リリーは重く溜息を吐くと、シュナイダーに向き合った。
「貴方は、姉さんがいなくなってしまったことだけを悼めばいい」
リリーは複雑な表情でそう言うと、礼をすることなく彼に背を向けた。立ち尽くすシュナイダーだったが、思い切った様子で声を上げた。
「ウルビア! お前の名は、一説ではそうかもしれないが、だが、けして悪しき名ではないぞ!」
大声に驚き、周囲の人々もシュナイダーを見る。注目の中心だったが、彼は怖じることなく続けた。
「逆もまた然り、かつては人の祖先とされたと唱える国もある! 名前を、重く思うことはない!」
よくもまあ、恥ずかしくないものだとリリーは顔をしかめた。だが、その視線はシュナイダーから外されることはなかった。
周りで囁き合う人の声も、今は耳に入らなかった。
「名は、言ってしまえば、ただ区別をするだけのものだ。お前はお前として気負うことなく生きればいい」
そう言って、シュナイダーはその場を離れた。軽やかに白いマントを翻すと、豊かな金の髪もそこに付き従う。立ち去る男の姿を見送り、リリーは唇を噛み締めていた。
「……悪魔のようだって思ってるから、だから、区別する為にこんな名前をつけたのよ」
* * *
幾日か経った時、状況はシュナイダーの言っていた通りになった。リリーの元に、リュシアナ国王からの勅令が下されたのだ。
数多に在籍する聖騎士が在籍するこの国で、何故非登録聖騎士のリリーの所にそんなものが届いたのか、聞くことは許されなかった。令状を届けた兵士はリリーにそれを無言で手渡すと、さも汚らわしいものを見るような態度で彼女を避け、馬を走らせていってしまった。
何をそこまで嫌われなければならないのかとリリーは考えたが、どうやらそれはセイレの死に関係しているようだった。
セイレの存在は、リュシアナでは特に信仰の対象と同等に扱われていた。延々と繰り返す悪魔との激突の中、疲弊した人々は身近に拠り所を求めるようになっていた。
美しく、賢く、強く。誰に対しても朗らかで、気さくで、そんな希望の集まりのような人間が現われたとなると、彼らの心が集まるのは必然であった。
住まいはリュシアナ王都の、そこまで気張ることのない中流家庭。運がよければ、寝ぼけ姿だって見ることができて、親しい者のように挨拶だって交わせる。
夢物語の勇者のような彼女の存在は、そこに在るというだけで、人々を勇気づけていたのだ。
そしてそれが無くなった時、人々は責任を押し付ける相手を探し始めた。
“肉親ならば消息は分からないのか”
“本当に悪魔の地に行くと言っていたのか?”
“子供だから、嘘を言っているんじゃないか”
不安が狂気を呼び、人々は幼い少女を攻め立てた。セイレとも両親とも違う青灰色の髪は、まるで異端の子供のように人々に映る。
表立てば他に騒がれることをよく知る大人たちは、影でリリーを詰った。小声で汚い言葉を吐きつけ、怯える瞳を鬱陶しいと避け、痩せた体を気味が悪いと言い捨てた。
やがてリリーは、「最後に姉を見送った自分こそが、姉を探し出さなければいけないのだ」と考え始めた。
いずれ自分が悪魔たちの拠点に往き、彼らから姉を助けださねばらないのだと。強く、呪縛のような念を抱いて成長してしまった。
その想いが、あったからかもしれない。
リリーは、王からの勅命を、特に何も気にすることはなく、あっさりと承諾した。
「偵察任務……」
羊皮紙に、勅命が厳かに走る。そこには、北の大地へと赴き、現状の地形や天候などの調査を行ってほしいと記されていた。
指示された偵察任務の人数は四人。リリーの名前は、最後に記されていた。
城内にあてがわれた部屋で紅茶を啜りながら、任務の資料を読む。同封されていた古い地図には、北の方角に「ヴァイス」と記されていた。
「資料は以上です。ウルビア殿、よろしくお願いいたします」
マティスが、部屋の中央で背筋をのばして立っている。リリーに勅命を渡す為、わざわざ来たのだという。
「偵察はいいとして、これはどういうこと」
すっと白い指を伸ばし、リリーが尋ねる。人差し指の先には、調査に赴く人物の名前があった。
「何で近衛兵の貴方が行くの」
「貴方をあのような場所へ行かせるなんてことのほうが、心許ないです」
「近衛兵なんて管轄外もいいところでしょ。素直に“監視”だって言えば」
「そんなまさか……」
「じゃあ暇なのね」
「はは、実は」
照れ臭そうに頭をかくマティスに、リリーは目を伏せる。
「あと、ウルビアって呼ばないで」
「そうですか? では私も、お好きなようにお呼びください」
資料を机に置き、ソファーに腰掛ける。ふいにもれたため息に、マティスが反応した。
「不安はありますか?」
突然の妙な質問に、リリーは眉を寄せた。
「姉さんはきっと怖がらなかった。だから私も怖れない」
だがその姉も、最後は死体になっていた。リリーは少し俯き、机の上にぽつんと置かれている冷めかけの紅茶を見つめる。
「なるほど。さすが姉妹だ」
姉を褒められると悪い気はしないのか、リリーは少し口端に力を入れた。
「姉さんは……小さい私に、何回もヴァイスの話をしてくれた」
「へえ、どんな話を?」
「あの地は意外と綺麗だとか。花が咲いているとか。雪が振っているけど、薔薇も咲いているとか。悪魔って花が好きなのかな」
「興味深い。雪原に花が咲くなんて」
「子供に話すことだから、脚色していたのかもしれないけどね」
「優しい方だったんですね」
「……まあ、確かに」
戸惑いながらも言葉を返すリリーに、マティスはさらに質問を投げ掛けてきた。
「優しい姉上の為に、聖騎士として上を目指さされないのですか?」
癪に障るような言い方をしたマティスに、リリーはむっとした。
「実力がない。私はまだ下から3番目。昇格するほどの功績もないの」
「失礼ですが、わざと階級をそのままにしているのでは?」
「騎士が昇級するにはそれなりの功績や人柄、周りの評判まで見られる。簡単なことではないの」
「……ま、そこまで仰られるのならば追求はしませんが」
諦めたようにわざとらしく肩をすくめたマティスは、堕ちていく陽を見つめながらこう言った。
「明日も、明後日も、この陽が見れるといいですね」
「見れるんじゃない。生きていればだけど」
リリー自身、任務に対しての不安は本当に無かった。それは自信過剰というよりも、姉の敵討ちが出来るという期待感で頭がいっぱいだったからだろう。
偵察任務という名目だが、悪魔を欺きこっそり帰ってくることなど不可能だ。きっと、戦闘になる。
けれど、彼女はまだ何も気付いていなかった。
意気揚揚と拳を握る彼女を、影で目を光らせ見張っている存在に。
シュナイダーはすぐさま腰を折り、気まずそうに謝罪を示した。
「失礼をした。無神経であった」
軍人らしい無骨な態度を示すシュナイダーに、益々居心地を悪くしたリリーは、視線を逸らす。面倒だと態度で表すかのように、さっと背を向けた。
「あ、おい。ウルビア、ちょっと待て」
「何。まだ私の名前について何か言いたいの」
「そうではない。近く、君に勅令が下る。その事で話をしたかったのだ」
「……王の命令を貴方が先に言っていいの」
「我らの王のことは我ら以上んびよく知っていると聞いているが?」
意味深な物言いをするシュナイダーは、にやりと笑む。
「勅令の内容まで言いはしない。だが、もしその内容が君にとって重荷であるなら、無理に受けることはない。いや、君だから許される。いいか、無理はするんじゃないぞ」
「そこまで言うと不安しかないのだけど」
「……君に何かあれば、セイレが悲しむ」
深い、後悔の念が混じった言葉だった。リリーは重く溜息を吐くと、シュナイダーに向き合った。
「貴方は、姉さんがいなくなってしまったことだけを悼めばいい」
リリーは複雑な表情でそう言うと、礼をすることなく彼に背を向けた。立ち尽くすシュナイダーだったが、思い切った様子で声を上げた。
「ウルビア! お前の名は、一説ではそうかもしれないが、だが、けして悪しき名ではないぞ!」
大声に驚き、周囲の人々もシュナイダーを見る。注目の中心だったが、彼は怖じることなく続けた。
「逆もまた然り、かつては人の祖先とされたと唱える国もある! 名前を、重く思うことはない!」
よくもまあ、恥ずかしくないものだとリリーは顔をしかめた。だが、その視線はシュナイダーから外されることはなかった。
周りで囁き合う人の声も、今は耳に入らなかった。
「名は、言ってしまえば、ただ区別をするだけのものだ。お前はお前として気負うことなく生きればいい」
そう言って、シュナイダーはその場を離れた。軽やかに白いマントを翻すと、豊かな金の髪もそこに付き従う。立ち去る男の姿を見送り、リリーは唇を噛み締めていた。
「……悪魔のようだって思ってるから、だから、区別する為にこんな名前をつけたのよ」
* * *
幾日か経った時、状況はシュナイダーの言っていた通りになった。リリーの元に、リュシアナ国王からの勅令が下されたのだ。
数多に在籍する聖騎士が在籍するこの国で、何故非登録聖騎士のリリーの所にそんなものが届いたのか、聞くことは許されなかった。令状を届けた兵士はリリーにそれを無言で手渡すと、さも汚らわしいものを見るような態度で彼女を避け、馬を走らせていってしまった。
何をそこまで嫌われなければならないのかとリリーは考えたが、どうやらそれはセイレの死に関係しているようだった。
セイレの存在は、リュシアナでは特に信仰の対象と同等に扱われていた。延々と繰り返す悪魔との激突の中、疲弊した人々は身近に拠り所を求めるようになっていた。
美しく、賢く、強く。誰に対しても朗らかで、気さくで、そんな希望の集まりのような人間が現われたとなると、彼らの心が集まるのは必然であった。
住まいはリュシアナ王都の、そこまで気張ることのない中流家庭。運がよければ、寝ぼけ姿だって見ることができて、親しい者のように挨拶だって交わせる。
夢物語の勇者のような彼女の存在は、そこに在るというだけで、人々を勇気づけていたのだ。
そしてそれが無くなった時、人々は責任を押し付ける相手を探し始めた。
“肉親ならば消息は分からないのか”
“本当に悪魔の地に行くと言っていたのか?”
“子供だから、嘘を言っているんじゃないか”
不安が狂気を呼び、人々は幼い少女を攻め立てた。セイレとも両親とも違う青灰色の髪は、まるで異端の子供のように人々に映る。
表立てば他に騒がれることをよく知る大人たちは、影でリリーを詰った。小声で汚い言葉を吐きつけ、怯える瞳を鬱陶しいと避け、痩せた体を気味が悪いと言い捨てた。
やがてリリーは、「最後に姉を見送った自分こそが、姉を探し出さなければいけないのだ」と考え始めた。
いずれ自分が悪魔たちの拠点に往き、彼らから姉を助けださねばらないのだと。強く、呪縛のような念を抱いて成長してしまった。
その想いが、あったからかもしれない。
リリーは、王からの勅命を、特に何も気にすることはなく、あっさりと承諾した。
「偵察任務……」
羊皮紙に、勅命が厳かに走る。そこには、北の大地へと赴き、現状の地形や天候などの調査を行ってほしいと記されていた。
指示された偵察任務の人数は四人。リリーの名前は、最後に記されていた。
城内にあてがわれた部屋で紅茶を啜りながら、任務の資料を読む。同封されていた古い地図には、北の方角に「ヴァイス」と記されていた。
「資料は以上です。ウルビア殿、よろしくお願いいたします」
マティスが、部屋の中央で背筋をのばして立っている。リリーに勅命を渡す為、わざわざ来たのだという。
「偵察はいいとして、これはどういうこと」
すっと白い指を伸ばし、リリーが尋ねる。人差し指の先には、調査に赴く人物の名前があった。
「何で近衛兵の貴方が行くの」
「貴方をあのような場所へ行かせるなんてことのほうが、心許ないです」
「近衛兵なんて管轄外もいいところでしょ。素直に“監視”だって言えば」
「そんなまさか……」
「じゃあ暇なのね」
「はは、実は」
照れ臭そうに頭をかくマティスに、リリーは目を伏せる。
「あと、ウルビアって呼ばないで」
「そうですか? では私も、お好きなようにお呼びください」
資料を机に置き、ソファーに腰掛ける。ふいにもれたため息に、マティスが反応した。
「不安はありますか?」
突然の妙な質問に、リリーは眉を寄せた。
「姉さんはきっと怖がらなかった。だから私も怖れない」
だがその姉も、最後は死体になっていた。リリーは少し俯き、机の上にぽつんと置かれている冷めかけの紅茶を見つめる。
「なるほど。さすが姉妹だ」
姉を褒められると悪い気はしないのか、リリーは少し口端に力を入れた。
「姉さんは……小さい私に、何回もヴァイスの話をしてくれた」
「へえ、どんな話を?」
「あの地は意外と綺麗だとか。花が咲いているとか。雪が振っているけど、薔薇も咲いているとか。悪魔って花が好きなのかな」
「興味深い。雪原に花が咲くなんて」
「子供に話すことだから、脚色していたのかもしれないけどね」
「優しい方だったんですね」
「……まあ、確かに」
戸惑いながらも言葉を返すリリーに、マティスはさらに質問を投げ掛けてきた。
「優しい姉上の為に、聖騎士として上を目指さされないのですか?」
癪に障るような言い方をしたマティスに、リリーはむっとした。
「実力がない。私はまだ下から3番目。昇格するほどの功績もないの」
「失礼ですが、わざと階級をそのままにしているのでは?」
「騎士が昇級するにはそれなりの功績や人柄、周りの評判まで見られる。簡単なことではないの」
「……ま、そこまで仰られるのならば追求はしませんが」
諦めたようにわざとらしく肩をすくめたマティスは、堕ちていく陽を見つめながらこう言った。
「明日も、明後日も、この陽が見れるといいですね」
「見れるんじゃない。生きていればだけど」
リリー自身、任務に対しての不安は本当に無かった。それは自信過剰というよりも、姉の敵討ちが出来るという期待感で頭がいっぱいだったからだろう。
偵察任務という名目だが、悪魔を欺きこっそり帰ってくることなど不可能だ。きっと、戦闘になる。
けれど、彼女はまだ何も気付いていなかった。
意気揚揚と拳を握る彼女を、影で目を光らせ見張っている存在に。