第三話「雪原の孤独、薔薇の残り香」
「いや~寒いデスね! 出かけるって言ったことちょっと後悔してマス」
「やめてもいいと思うけど……」
「いえいえ、言い出しっぺは約束を守りマスよ。さって、出発しマスかね」
そう言ったレオンが用意したのは、二頭の馬だった。一頭は葦毛、もう一頭は月毛の馬だった。しっかりと鍛えられた体には、もう馬具が取り付けられている。
こんな立派な馬がどこに居たのかと尋ねる前に、レオンは説明を始めた。
「一応この屋敷にも、色々と工夫がされてマシてね。馬サンたちが寒くないよーに、ちゃあんと温かい馬屋を作ってあるんデスよ。あ、場所は屋敷の裏の方デス」
「……馬に乗って行くの?」
「ハイ。この馬サンたちは雪道でも滑らないもふもふの足をしていマスから、どんな下手っぴさんでも乗れマスよ~」
不敵な笑みを浮かべるレオンに、リリーはむっとした声で返す。
「で、どこに行くんだ」
「まずは、ぶらっと平原を流しマスか」
月毛の馬に乗ったリリーは、レオンに続いて平原へ躍り出た。防寒対策をしているとはいえ、さすがにこの地は寒い。雪が弱く、雲が比較的薄いことが幸いだとレオンは言う。
レオンは時折後ろを振り返り、馬を進めて行く。まるで子供扱いをしてくるこの男に、リリーは嫌な気を感じていた。
「どうデスー広いデショー」
楽しそうに馬を走らせながら、レオンが言う。
「ここから西の海岸に行くとリーリエ。北へ行くとリアン。南に戻ると大運河がありマス」
「都市は全部でいくつあるの?」
「領主がいる場所が五つ。その他に、小さな村が集落も合わせて二十ほど。大体凍ってマス」
見渡すも、都市や村などの気配はない。つまり、それほどまでにこの平原は広いということだ。
寒さに鼻を赤くしながら、リリーは彼方を見つめた。
広く、大きな大平原。閉ざされた時間の中で、雪に眠る都市たち。
人間が手を出すまでは、常春の光景が在ったであろう、民の国だった。
「……静か」
呟いた言葉すら、冷気に飲まれる。
それでも、永久凍土のように思えないのは、ここが自分の故郷だと思うが故だろうか。
「大平原には、光蘭珠(こうらんじゅ)っていう珍しい花がたくさん咲くんデスよ。花の中心に綺麗な宝石を孕む花デス。取引をすれば高く売れたりしマシたね」
「それが資源か」
「鉱山資源もありマスよ?」
馬を並べて、レオンは言う。
「でも、今は全部凍っちゃって、なんにも見えマセン。音だって届かない」
「レオン……」
「おや、湿っぽくなっちゃいマシた? ふふーん、じゃあ次行きマショ次!」
ローブを翻し、レオンは馬の向きを変える。
豹豹とした笑顔の奥に見える悲しみが、風を伝って聞こえた。
「土地の大きさに限っていうなら、ここは他国に負けてはいないんデスよ。広いと管理や維持が大変なのはそりゃそうだって感じデスが、まあ資源だってあるし。更に北の大地にも地続きデス。航行手段がないのが痛いところデスが……それでも、豊かで明るい国デシたよ。国民はみんな音楽や観劇が大好きデシたし」
「芸術的なことが好きなの?」
「ハイ。特に君のお父上とお母上、国王ジオリオ・アシュトレート陛下と、王妃ユティリア殿下は、暇が出来たらローザリンデの大歌劇場まで足を運んでマシた。ほら、あそこにうっすらと見えるのがそうデス」
レオンが指差した方向には、霞むような儚さで佇む巨大な建造物があった。聖堂のようにも見えるそれは、ひとつながりの外壁に覆われている。
相当距離はあるだろうに、それでもこの大きさなのだから、きっと近づけば見上げることすら困難だろう。
「すごい……」
「デショ。あとね、オススメはリアンの水路! 街の中には細い水路がたくさんあって、そこに可愛い花を流すんデスよ~。綺麗なお魚サンを入れたりね! みんな自分の椅子を持ってきて、それを見ながらまったりするんデス」
「へえ……」
興味があったのか、リリーの頬が僅かに染まる。
気を良くしたレオンは、続けて語りだした。
「あと大事なことがひとつ。この国には、“竜”がいマス」
「竜? あの竜か?」
「ハイ。でもちょっと普通の竜とは違いマス。俺たちの国にいるのは、王と共にあり、王と共に生きる、すごい竜サンデス」
「……すごい竜がいるから、悪魔と言われるようになったのか?」
「アッハハ! 本当に、確かにそれ一理あるかもデスよ~!」
手を叩いて、大げさとも言えるほどに笑うレオンに、リリーは首を傾げた。
今のは、そこまで笑うような会話だっただろうか。
「んで、ヴァイスはその竜に力を貸してもらって、お互いにこの国を守ってきたんデス。でもね、今は王様もいマセンから。その竜サンは行き場所がなくってデスね~」
「主がいないのは寂しいな。竜だって、一人は辛そうだ」
「デショデショ! だからね、ここはほら……って、リリーちゃん?」
楽しげに話すレオンとは裏腹に、リリーの表情は暗くなっていった。
唇を噛み締めて、何かに耐えているようだった。
「どうしたんデス?」
「竜が守っていたり、豊かな資源があったり、聞けば聞くほど、本当に紛れも無い“王国”だ」
吹き抜ける風が、リリーの髪を揺らす。覗く横顔は、葛藤に染まっていた。
手綱を持つ手に、力が篭る。
「私は……今まで、王族や国や、そんなこと、深く知らないで生きてきた。だから王の子だと言われてもピンとこない。この国の事を知れば知るほど、私は不安になる」
レオンが言いたいことは分かっていた。だが、何も見えない。
自分が何者であるかなど、自分自身が分かっていないのに人を導く王になどなれるものだろうか。
アルフレッドは、こんな道を何食わぬ顔で歩いていたのか。
「――で、俺になんて言ってほしいんデス?」
それまで黙っていたレオンが、吐き捨てるような声で言った。
見ると、レオンは口元に笑みを浮かべて、眼鏡を押し上げた。
「あー、勘違いしないでほしいんデスが、別にいいんデスよ。このまま帰ってくれて。んで、俺たちの事を人間の国に報告しとけばまあもしかしたら受け入れてくれるかもしれマセンし」
「馬鹿にしているのか!」
リリーはレオンに向き直ると、今度はきつく睨む。しかしレオンは臆する様子もなく、見下したような瞳でリリーを見つめ返す。
「そうやって声を荒げれば、相手は合わせてくれるとでも思ってマス?」
「なんだと!」
「はーいはい、落ち着いて落ち着いてリリーちゃん」
レオンは耳をほじる仕草を見せると、リリーを見据える。
「さてと。俺がさっきまで見せたのは“国”デス。次は、君に“民”を見せてあげマス」
そう言うとレオンは、またにっこりと妖しい笑みを浮かべた。
レオンに連れられたリリーは、再びライザーの屋敷に戻ってきた。
だが、先ほど出て行った玄関扉からは入らず、離れにある塔のような長細い建物の前に進む。
塔は、屋敷の本館と渡り廊下のようなもので繋がっていた。どちらかといえば重々しい外観の本館とは違い、非常に可愛らしい煉瓦作りの建物だった。
道中、最初と変わらない声色で、明るく話すレオンが、リリーには信用ならなかった。
睨まれた時に、悪寒が走った。恐らくあれが、この男の本質なのではないのかと、その後ろ姿を見つめる。
古い音がして、塔の扉が開いた。中は既に火が灯されており、明るい。
「あーやっぱり、中は暖かいデスねえ」
鍵をしまいながら、レオンが言う。
「んじゃリリーちゃん、とりあえず俺についてきてね~」
レオンはリリーの返事を聞かず歩きだす。膨れっ面のリリーは、仕方なく後を追った。
「ここは何」
「まあまあ見てクダサイって」
レオンは距離の無い回廊を歩き、階段を昇る。途中、壁に幾つもの肖像画がかけられていることにリリーは気付いた。その中には、幸せそうに笑う男の子の絵があった。
「……誰かに似てる」
不思議そうにそれらを見ながら歩くリリーに、レオンは視線だけを向けた。
「それ、ライザー君デスよ」
「これはあいつか……」
連続して飾られている肖像画には、今より少し若い容姿のライザーが描かれている。きっちりとした服装が妙に似合わない。
両側には、大きな体躯の男性と、少しきつそうな顔つきの、だが美しい女性が笑っていた。
「あ……」
その隣には、ヒルも描かれていた。ライザーとヒルが肩を並べている肖像画だ。
「聞いていい?」
「やめてもいいと思うけど……」
「いえいえ、言い出しっぺは約束を守りマスよ。さって、出発しマスかね」
そう言ったレオンが用意したのは、二頭の馬だった。一頭は葦毛、もう一頭は月毛の馬だった。しっかりと鍛えられた体には、もう馬具が取り付けられている。
こんな立派な馬がどこに居たのかと尋ねる前に、レオンは説明を始めた。
「一応この屋敷にも、色々と工夫がされてマシてね。馬サンたちが寒くないよーに、ちゃあんと温かい馬屋を作ってあるんデスよ。あ、場所は屋敷の裏の方デス」
「……馬に乗って行くの?」
「ハイ。この馬サンたちは雪道でも滑らないもふもふの足をしていマスから、どんな下手っぴさんでも乗れマスよ~」
不敵な笑みを浮かべるレオンに、リリーはむっとした声で返す。
「で、どこに行くんだ」
「まずは、ぶらっと平原を流しマスか」
月毛の馬に乗ったリリーは、レオンに続いて平原へ躍り出た。防寒対策をしているとはいえ、さすがにこの地は寒い。雪が弱く、雲が比較的薄いことが幸いだとレオンは言う。
レオンは時折後ろを振り返り、馬を進めて行く。まるで子供扱いをしてくるこの男に、リリーは嫌な気を感じていた。
「どうデスー広いデショー」
楽しそうに馬を走らせながら、レオンが言う。
「ここから西の海岸に行くとリーリエ。北へ行くとリアン。南に戻ると大運河がありマス」
「都市は全部でいくつあるの?」
「領主がいる場所が五つ。その他に、小さな村が集落も合わせて二十ほど。大体凍ってマス」
見渡すも、都市や村などの気配はない。つまり、それほどまでにこの平原は広いということだ。
寒さに鼻を赤くしながら、リリーは彼方を見つめた。
広く、大きな大平原。閉ざされた時間の中で、雪に眠る都市たち。
人間が手を出すまでは、常春の光景が在ったであろう、民の国だった。
「……静か」
呟いた言葉すら、冷気に飲まれる。
それでも、永久凍土のように思えないのは、ここが自分の故郷だと思うが故だろうか。
「大平原には、光蘭珠(こうらんじゅ)っていう珍しい花がたくさん咲くんデスよ。花の中心に綺麗な宝石を孕む花デス。取引をすれば高く売れたりしマシたね」
「それが資源か」
「鉱山資源もありマスよ?」
馬を並べて、レオンは言う。
「でも、今は全部凍っちゃって、なんにも見えマセン。音だって届かない」
「レオン……」
「おや、湿っぽくなっちゃいマシた? ふふーん、じゃあ次行きマショ次!」
ローブを翻し、レオンは馬の向きを変える。
豹豹とした笑顔の奥に見える悲しみが、風を伝って聞こえた。
「土地の大きさに限っていうなら、ここは他国に負けてはいないんデスよ。広いと管理や維持が大変なのはそりゃそうだって感じデスが、まあ資源だってあるし。更に北の大地にも地続きデス。航行手段がないのが痛いところデスが……それでも、豊かで明るい国デシたよ。国民はみんな音楽や観劇が大好きデシたし」
「芸術的なことが好きなの?」
「ハイ。特に君のお父上とお母上、国王ジオリオ・アシュトレート陛下と、王妃ユティリア殿下は、暇が出来たらローザリンデの大歌劇場まで足を運んでマシた。ほら、あそこにうっすらと見えるのがそうデス」
レオンが指差した方向には、霞むような儚さで佇む巨大な建造物があった。聖堂のようにも見えるそれは、ひとつながりの外壁に覆われている。
相当距離はあるだろうに、それでもこの大きさなのだから、きっと近づけば見上げることすら困難だろう。
「すごい……」
「デショ。あとね、オススメはリアンの水路! 街の中には細い水路がたくさんあって、そこに可愛い花を流すんデスよ~。綺麗なお魚サンを入れたりね! みんな自分の椅子を持ってきて、それを見ながらまったりするんデス」
「へえ……」
興味があったのか、リリーの頬が僅かに染まる。
気を良くしたレオンは、続けて語りだした。
「あと大事なことがひとつ。この国には、“竜”がいマス」
「竜? あの竜か?」
「ハイ。でもちょっと普通の竜とは違いマス。俺たちの国にいるのは、王と共にあり、王と共に生きる、すごい竜サンデス」
「……すごい竜がいるから、悪魔と言われるようになったのか?」
「アッハハ! 本当に、確かにそれ一理あるかもデスよ~!」
手を叩いて、大げさとも言えるほどに笑うレオンに、リリーは首を傾げた。
今のは、そこまで笑うような会話だっただろうか。
「んで、ヴァイスはその竜に力を貸してもらって、お互いにこの国を守ってきたんデス。でもね、今は王様もいマセンから。その竜サンは行き場所がなくってデスね~」
「主がいないのは寂しいな。竜だって、一人は辛そうだ」
「デショデショ! だからね、ここはほら……って、リリーちゃん?」
楽しげに話すレオンとは裏腹に、リリーの表情は暗くなっていった。
唇を噛み締めて、何かに耐えているようだった。
「どうしたんデス?」
「竜が守っていたり、豊かな資源があったり、聞けば聞くほど、本当に紛れも無い“王国”だ」
吹き抜ける風が、リリーの髪を揺らす。覗く横顔は、葛藤に染まっていた。
手綱を持つ手に、力が篭る。
「私は……今まで、王族や国や、そんなこと、深く知らないで生きてきた。だから王の子だと言われてもピンとこない。この国の事を知れば知るほど、私は不安になる」
レオンが言いたいことは分かっていた。だが、何も見えない。
自分が何者であるかなど、自分自身が分かっていないのに人を導く王になどなれるものだろうか。
アルフレッドは、こんな道を何食わぬ顔で歩いていたのか。
「――で、俺になんて言ってほしいんデス?」
それまで黙っていたレオンが、吐き捨てるような声で言った。
見ると、レオンは口元に笑みを浮かべて、眼鏡を押し上げた。
「あー、勘違いしないでほしいんデスが、別にいいんデスよ。このまま帰ってくれて。んで、俺たちの事を人間の国に報告しとけばまあもしかしたら受け入れてくれるかもしれマセンし」
「馬鹿にしているのか!」
リリーはレオンに向き直ると、今度はきつく睨む。しかしレオンは臆する様子もなく、見下したような瞳でリリーを見つめ返す。
「そうやって声を荒げれば、相手は合わせてくれるとでも思ってマス?」
「なんだと!」
「はーいはい、落ち着いて落ち着いてリリーちゃん」
レオンは耳をほじる仕草を見せると、リリーを見据える。
「さてと。俺がさっきまで見せたのは“国”デス。次は、君に“民”を見せてあげマス」
そう言うとレオンは、またにっこりと妖しい笑みを浮かべた。
レオンに連れられたリリーは、再びライザーの屋敷に戻ってきた。
だが、先ほど出て行った玄関扉からは入らず、離れにある塔のような長細い建物の前に進む。
塔は、屋敷の本館と渡り廊下のようなもので繋がっていた。どちらかといえば重々しい外観の本館とは違い、非常に可愛らしい煉瓦作りの建物だった。
道中、最初と変わらない声色で、明るく話すレオンが、リリーには信用ならなかった。
睨まれた時に、悪寒が走った。恐らくあれが、この男の本質なのではないのかと、その後ろ姿を見つめる。
古い音がして、塔の扉が開いた。中は既に火が灯されており、明るい。
「あーやっぱり、中は暖かいデスねえ」
鍵をしまいながら、レオンが言う。
「んじゃリリーちゃん、とりあえず俺についてきてね~」
レオンはリリーの返事を聞かず歩きだす。膨れっ面のリリーは、仕方なく後を追った。
「ここは何」
「まあまあ見てクダサイって」
レオンは距離の無い回廊を歩き、階段を昇る。途中、壁に幾つもの肖像画がかけられていることにリリーは気付いた。その中には、幸せそうに笑う男の子の絵があった。
「……誰かに似てる」
不思議そうにそれらを見ながら歩くリリーに、レオンは視線だけを向けた。
「それ、ライザー君デスよ」
「これはあいつか……」
連続して飾られている肖像画には、今より少し若い容姿のライザーが描かれている。きっちりとした服装が妙に似合わない。
両側には、大きな体躯の男性と、少しきつそうな顔つきの、だが美しい女性が笑っていた。
「あ……」
その隣には、ヒルも描かれていた。ライザーとヒルが肩を並べている肖像画だ。
「聞いていい?」