第三話「雪原の孤独、薔薇の残り香」

 返事は、ひどく小さかった。唇が色を無くし、額に汗が滲んでいる。

「ま、親だと思ってた相手は血が繋がってなくて、ホントの両親は~? って言ったら『もう死んでます』デスしねぇ」

 レオンの心ない言葉に憤慨したのはライザーだった。席を立つと、横にいるレオンの胸ぐらを掴みあげる。

「お前なあ!」

「事実デス」

 レオンは横目でリリーを見る。目が合うと、リリーは少したじろいだ。

「リリーちゃんだって、今の話で理解できマシたよね?」

「経緯は……わかった」

「いやいやそこじゃなくって。ヴァイスの王の血族ってね、今はもう君しかいないんデスよ」

 リリーの顔つきが変わった。無表情で冷静な彼女らしくなく、汗が一筋頬をつたい、目の奥が揺れている。

「わ、私が……」

「レオン、それはこれからゆっくり話すつもりだったんだが」

「ヒル君は甘いんデスよ。今話そうが、後で話そうが、俺たちが彼女に求めているのはそういうことデショ」

 レオンは、その目にかけていた眼鏡を外し、音を立ててテーブルに置いた。

「向こうはリリーちゃんがこっちに来たことで、事を急ぐデショ。徹底的に叩きたい筈デスからね」

 ちら、とヒルを見る。

「ヒル君が生きてることだって向こうにとっちゃ誤算の筈デスよ」

 王族? 導けだと?
 本当の両親の死を知ったばかりの私に何を言うんだ。
 もう、何を信じればいいかわからない私に何を。
 まるで遠い世界だった話が、いつのまにか私を中心に動きだしている。こんな世界、知らない。
 私は一体、これからどうすればいいんだ…………?

 道が分かれて、一体どの道が正しいのか分からなくなった時、『決められた自由のない人生』に嫌悪していた自分が、何の経験もない浅はかな子供だったということに初めてリリーは気付いた。
 リリーの落胆ぶりを見たライザーが、いたたまれず声を上げた。

「もういいだろ! 目が覚めたばっかで言うことでもねえよ!」

「ライザー君だって、あの戦争がきっかけでしょ? だって帰ってこなかったじゃないデスか、あの子は――」

「もうやめろレオン」

 ヒルはうんざりとした顔できつく言うと、二人は離れ落ち着いて席に着いた。

「部屋に……戻ってもいい……?」

 リリーは一言そういうと、食堂から足早に退室した。

「リリー……」

 すぐさま、ヒルが後を追いかける。
 食堂の扉が世話しなく開閉するのを聞きながら、ライザーはレオンを睨んだ。

「お前のせいだレオン!」

「おや、心折れちゃいマシたか」

「折りにいったんだろうがよ!」

「そんなつもりはなかったんデスけど」

 レオンは頭に手をやりながら、何事もなかったかのように食事を続ける。

「テメエの言いたい事は分かってんだよ! でもまだ酷だろうが!」

「別に俺だって、大事なリリーちゃんを泣かせたいわけじゃないデスよ」

「だったらなんで!」

「俺の本来の立場は、優しく慰める為だけにあるもんじゃないからデスよ。アッハハ」

 あっけらかんと笑うレオンに反して、食堂は思い雰囲気に包まれた。
 なんとも言いがたい空気の中、一人の女性がレオンに近づく。
 栗色の髪に、優しい目尻をしたそのメイドは、水差しを持ちながら言った。

「相手は、何も知らなかった女の子ですよ。分かってます?」

「……君に言われると辛いものがありマスねえ」

 丸い泡を立てて注がれる水に、レオンの顔が歪んで映った。


 * * *


 部屋に戻ったリリーは、再びあの白いベッドに横たわっていた。両手を天井に伸ばしじっと見つめていた。頭のなかを整理しているのか、目は虚ろだった。
 視界に映る白い指先は、人間とほとんど変わらない。

「聖騎士だったのが一変して、ヴァイスの王族…………」

 リリーの呟きは部屋に響いて消えた。
 今は、何も考えたくはない。
 が、その思考を遮断するように、外からノックの音が聞こえた。

「リリー、いるか?」

 リリーは、思わず勢いよく起き上がる。
 誰と聞くまでもなく、声の主が分かった。

「あ、の。いるけど……」

 上ずった声で返事をすると、扉の向こうで笑みが零れたのが分かった。
 むっとした表情でいると、部屋の扉が静かに開いた。

「ああ、良かった。泣いてはいないな」

「泣くわけないだろ!」

「そうか。一応、心配で来たんだが」

 ヒルはそのまま部屋の中へと歩み、リリーが座るベッドの横へと腰掛けた。
 大きな体がベッドに沈むと、リリーはすぐにバランスを崩した。
 よろついて、ヒルの右側の肩に頭がぶつかる。

「おっと」

 優しく支えられ、リリーの身体は元の体勢に戻る。
 想像よりも大きな手の平に、リリーは唖然とした。
 今まで色んな男性と接する機会はあったものの、この男のように大きい人物はそうそう見たことがなかった。
 驚いた顔で見ていると、ヒルは首を傾げた。

「ん、大分色んな表情をするようになったな」

「え」

「今は何をそんなに驚いていたんだ?」

「別に……、ただ、ちょっと近いから」

 そう言いながら、リリーはヒルから少し距離を取る。
 肩が、所在なさそうに小さくなった。そうして俯いたまま、こちらを見ようとしない。
 ヒルは、口の端に笑みを浮かべた。

「さっきのことだがな。あまり気にしないでくれ」

 ヒルは、息を吐きながら、体を前屈みにする。

「レオンは、立場上厳しくならざるをえないんだ」

「……あの男は、医者でしょう?」

「医者だが、まあ、色々と」

「あんな風に頭から言われるのはあまり好きじゃない」

「そうだな。俺もそれは好きじゃない」

 すんなりと肯定したヒルに、リリーはやっとその視線を合わせた。

「私は、お前たちの王になるべきなのか」

 真っ直ぐな瞳で、問いかける。
 ヒルは、それを包むような優しい顔で、頭を撫でた。

「これからどうあるべきか、選ぶのはお前だ」

「一国の王になる決断は難しい」

「ああ。だが、別に難しい問題でもないさ」

 頭に置かれていた手が、緩やかに移動する。リリーの指先をなぞり、手の平を握り締めた。
 ヒルは、そのままリリーの手を自身の口元に持っていき、軽く触れさせた。
 突然のことに何事かと戸惑うリリーだったのだが、そんな間も与えずヒルは言葉をかけた。

「今のお前にはそうかもな。だけど、心配ないぞ、リリー。俺がお前を守る者であることは、ずっと変わらないからな」

「な、ちょ、や、やめろ! 何をしているんだお前は!」

 上ずった声で、リリーは手を振り払う。まだ感触の残る手の甲を片手で隠し、身をすくめた。

「馴れ馴れしすぎるぞ、お前は!」

 まるで、懐きかけて警戒を強めた猫のような態度で言うリリーに、ヒルはやはり、笑顔を返した。

「そうか。そうだな。寂しいが確かに、そうだな」

 言いつつも、嬉しそうなヒルの表情は、リリーの胸を打つ。
 何がそんなに嬉しいのだろうかと、聞くことも出来ない。
 口ごもる自分がもどかしくて、顔を背けた。

「お前はおかしい」

「おかしいか?」

 ヒルが、きょとんとして聞き返す。

「もっと……高尚な風に見えたのに……子供みたい!」

 顔だけを向けて、苦し紛れに睨む。
 だがヒルは、また笑った。ひどく嬉しそうな顔で、時折視線をゆっくりと逸らし、またこちらを見る。
 その一連の所作が、リリーにはとても温く見えた。外の、凍てつくような雪景色など気にならないほどに。
 穏やかに揺れる、ベッドサイドのランプ。今は見ることの出来ない夕焼けの色をその身に映しながら、二人の影を扇いでいた。

 その日のヴァイスの夜は、あまりに静かだった。
 雪さえ無ければ、ここはとても静かな世界だ。自分が寝返る音さえも部屋に響き、ひどく孤独を感じる。こんな状況で眠れるわけもなく、リリーは一晩中考え事をしていた。
 今から自分がしなければならないこと。自分が考えなければならないこと。自分が、やりたいと思うこと。その全てが、今までのリリーとは全くの無縁のものだった。
 セイレを探し、悪魔を討伐するという、いわば「作業的」な日々を送っていた彼女には、今更自分の意志を決めることに抵抗があった。
 それも、一国の王として民を導かなければならないという大役だ。
 やるかやらないかを決める前に、「断ればどうなるのだろうか」という、逃げる道ばかりが頭の中を回る。
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