第三話「雪原の孤独、薔薇の残り香」
そう言われても、こんなにたくさんのフォークとナイフを扱ったことのないリリーは少し戸惑う。むう、と考え込んでいると、レオンがさっと手を上げた。
「気にしないで食べてクダサイ。豪華なごはん久しぶりなんで俺も適当に食べたいデス~」
「嘘つけ! 何かっつうと食ってただろーがお前は!」
「あれれ、そうデシたっけ~」
ライザーにふざけた返事をし、レオンはパンを手に取った。食べれればいいと、リリーに軽くウインクをして見せる。
パンにスープ、前菜。どれも暖かく、香しい。腹が鳴りそうなのを必死に我慢して、リリーはそっとスープを飲んだ。慣れないスプーンで飲むスープは、まろやかで。一気に体を温めてくれた。
レオンとライザーが美味そうに食事をする横で、ヒルは黙って酒のようなものを飲んでいる。
テーブルには焼きたてのパン以外に、肉や魚の料理が並べられた。
こんな極寒の地には似付かわしくない豊富な食材を用いた料理に、リリーはただ驚いていた。
するとレオンは、焼きたてのパンが入った籠をリリーに差し出しながら言った。
「リリーちゃん。君はまだ特にしっかり食べてクダサイね」
「私は……」
「食べておけ。ここの料理は美味いぞ」
ヒルがさらに促す。
「そうそう。ヒル君の言うとおり。それに君それだいぶ痩せてるデショ? もうちょっとふっくらしてもらわないと抱き心地ってもんが」
レオンが言い終わる前にヒルが瞬時に投げた二つのフォークが彼を狙った。
ひとつは頬をかすめ、もうひとつは確実に顔を狙ってきたのでレオンは目の前の小皿でそれを防いだ。
「何するんデスか眼鏡割れるところデシたよ!」
「黙って食え」
「ハーイはーいはい」
カチャカチャという、料理を口に運ぶ音だけが響く。食卓は一気に静まり返ったが、ヒルが再び口を開いた。
「リリー、お前バロンからどんな話を聞いた?」
「えっ」
グラスを口に付けようとしていたリリーは、動きを止めた。少し考えると、たどたどしく答えた。
「ヴァイスの民が、保身の為に私を人間に差し出したと……」
三人の男はぴたりと動きを止めた。皆、深刻な顔つきで黙り込む。
「私は何か間違ったことを言ったの?」
それを見たリリーがいささか不安げに尋ねると、ライザーが手に持っていたフォークとナイフを皿に置き、ふうと息をついた。
「間違っちゃいねーけど、間違ってる」
「は?」
「ちょっと意味が違うってことデスよ~」
レオンが水を口にしながら補足する。ヒルは顎に手を添え、どう説明するべきか考えた後、こう言った。
「俺たちと人間の間に起こった戦争は知ってるよな? アーリア聖暦でいうと、3040年あたりか。ちょうどお前が生まれる前の話だ」
リリーは軽く頷く。
「あの戦争ね~ほんっと醜悪デシたよあれ」
レオンが頬杖をつきながら言う。
ヒルは真面目な顔になり、淡々と語り始めた。
「もう何度目かになる俺たちと人間の大きな衝突だったんが、あの時の戦争だけは違った」
「何がだ?」
リリーが問うと、ヒルが答える前にライザーが怒りと共に口を開く。
「人間が、ヴァイスの女ばっかりを連れ去ったんだよ」
ヒルが、続きを代弁するかのように懇々と語りだした。
「───当時、ヴァイス王国は劣勢にあった」
他国と流通を持たない国が大国と長きに渡り対等に戦える筈も無く、その機会を狙ったかのように、ヴァイスの前線にいた女性兵士を何人も連れ去りどこかへと幽閉した。
「捕虜をとられての戦いがうまくいく筈もないだろう?」
ヒルは、語りながら瞳を細める。
それから何度も救出部隊がリュシアナに赴いたが、女達が幽閉されている場所も分からず、救出はことごとく失敗に終わった。
友好国を持たないヴァイスに援軍が来るはずもなく、更に厳しい戦いを強いられていた。
「王、前線部隊は全滅です。歩兵部隊も劣勢。敵にはこちらの魔導術を学んだ兵が配置されている模様。このままでは!」
当時の歩兵部隊総隊長は、そう言って強く唇を噛んだ。
そんな彼を落ち着かせるかのように、王は優しい声をかける。
「臆するな。後続部隊をリュシアナの国境に送れ。それと……ドラフェシルトのヒルをここへ」
「控えております、陛下」
当時のヒルの容姿は今と変わり無く、緋色の瞳が輝いている。
「分かっております。俺がリュシアナに潜入します。俺一人ならば、彼女達を助けることができます」
「馬鹿をいうな。今お前に死なれては困る」
「しかし! このままでは!」
「お前を呼んだのは、そういうことではない」
王の座る玉座の横には、彼が愛してやまない美しい王妃がいた。そのとき既に、腹の中には今にも産まれそうな赤子、つまりリリーがいた。
わけが分からないといった様子のヒルに、王は続けてこう言った。
「書状が届いた。リュシアナから、バロンの名でな」
王が持っていたのは封書。術が施され、念じると空中に文字が浮かんだ。
そこに書かれていたのは。
「王妃を差し出せ……人質と交換だと!? 何をふざけたことを!」
「落ち着けヒル」
「しかし!!」
「わかっている」
「やはり俺が征きます! この命に代えても皆を、マイアたちを助けます!!」
頭に血が上ったヒルは、いきりたってその場から駆け出そうとした。そんなヒルを止めたのは、王妃の、女神のように優しい声だった。
「待ってヒル。あなたが行ってしまえば、ヴァイスの地を守る部隊を指揮するものがいなくなります」
「ユティリア王妃……ですが!」
「彼らの狙いはこの子に受け継がれし力と、私自身だと思います」
王妃はそっと自身の腹部に手を遣った。王もヒルも、何も言えなかった。
「心配いりません。王と、貴方と、貴方の父親さえ生きていれば、稀なる血が失われることはありません。私の役目を引き継ぐ者はまだいます」
王妃に恐怖は無いのか、こんな状況でも花のように微笑む。
「ですが、捕われた女性達には皆、家族や恋人がいます。私は民を統べる者として、民の犠牲の上で得た勝利など望んではいない」
彼女の瞳は真剣で、傍らにいた王も、頭を抱えたまま王妃を見ようとはしなかった。
その腕にはめられた蒼い宝玉が飾られた腕輪が光るのをちらりと見ると、王妃は視線を落とした。
「私が行くことで、彼らは停戦の話し合いにも応じるとしている。ならば、行かない理由はありません」
「しかしッ…………」
「分かって、ヒル。バロンも私には手を出さないでしょう。彼が望むのは別のところにあるはずだから」
それから王妃は、微笑んだまま、静かに王妃の証である冠を外した。
「私の陛下。大好きなジオリオ」
「ユティリア……」
「私はこの役目を果たすために生きてきた。私は、王妃なれば」
ヴァイスの王ジオリオは、何も言えなかった。差し出した手で、抱きしめることしかできなかった。
「彼にもよろしく伝えてね」
王妃で無くなった王妃は、長く艷めいた空色の髪を揺らし、ヒルに向き直る。
「ヒル」
「は……い」
「この子がもし未来で貴方に会えたなら、優しくしてあげてね」
「ユティリア様……っ」
その言葉を最後に、王妃は、ヴァイスを離れた。
今思えば、バロンが汲み上げている計画のただの破片でしかない戦争だったのかもしれない。王妃を引き渡すと、聖王国は約束どおり、生きている女たちを返してきた。
ひどく弱っていたが、ほとんどの皆は無事だった。
だがリュシアナは裏切った。彼の地より大魔法が放たれて、大地が凍り付いてしまったのだ。命は止まり、大地は閉じ込められた。これにより、ヴァイスは完全に沈黙した。
──それから少しして、王妃が死んだという知らせがきた。
自害したのか、殺されたのかは分からない。王も、ヒルも、民達も、歯を食い縛り耐えるしかなかった。
王妃の忘れ形見であるリリーが、人間の子として育てられているらしいとヒル達が知ったのは、十四年前のアストレイアとの戦いの時だった。
ヒル達は以前より情報をつかんではいたが、セイレの証言によりそれは確信に変わった。
だが王もまた、その身に宿った『力』が弱っていたのが発端となり、セイレが発ってからまもなく、その力と共に、死んだ。
そこまで話すと、ヒルはリリーの様子がおかしいことに気付き、声をかけた。
「大丈夫か?」
「……う……うん」
「気にしないで食べてクダサイ。豪華なごはん久しぶりなんで俺も適当に食べたいデス~」
「嘘つけ! 何かっつうと食ってただろーがお前は!」
「あれれ、そうデシたっけ~」
ライザーにふざけた返事をし、レオンはパンを手に取った。食べれればいいと、リリーに軽くウインクをして見せる。
パンにスープ、前菜。どれも暖かく、香しい。腹が鳴りそうなのを必死に我慢して、リリーはそっとスープを飲んだ。慣れないスプーンで飲むスープは、まろやかで。一気に体を温めてくれた。
レオンとライザーが美味そうに食事をする横で、ヒルは黙って酒のようなものを飲んでいる。
テーブルには焼きたてのパン以外に、肉や魚の料理が並べられた。
こんな極寒の地には似付かわしくない豊富な食材を用いた料理に、リリーはただ驚いていた。
するとレオンは、焼きたてのパンが入った籠をリリーに差し出しながら言った。
「リリーちゃん。君はまだ特にしっかり食べてクダサイね」
「私は……」
「食べておけ。ここの料理は美味いぞ」
ヒルがさらに促す。
「そうそう。ヒル君の言うとおり。それに君それだいぶ痩せてるデショ? もうちょっとふっくらしてもらわないと抱き心地ってもんが」
レオンが言い終わる前にヒルが瞬時に投げた二つのフォークが彼を狙った。
ひとつは頬をかすめ、もうひとつは確実に顔を狙ってきたのでレオンは目の前の小皿でそれを防いだ。
「何するんデスか眼鏡割れるところデシたよ!」
「黙って食え」
「ハーイはーいはい」
カチャカチャという、料理を口に運ぶ音だけが響く。食卓は一気に静まり返ったが、ヒルが再び口を開いた。
「リリー、お前バロンからどんな話を聞いた?」
「えっ」
グラスを口に付けようとしていたリリーは、動きを止めた。少し考えると、たどたどしく答えた。
「ヴァイスの民が、保身の為に私を人間に差し出したと……」
三人の男はぴたりと動きを止めた。皆、深刻な顔つきで黙り込む。
「私は何か間違ったことを言ったの?」
それを見たリリーがいささか不安げに尋ねると、ライザーが手に持っていたフォークとナイフを皿に置き、ふうと息をついた。
「間違っちゃいねーけど、間違ってる」
「は?」
「ちょっと意味が違うってことデスよ~」
レオンが水を口にしながら補足する。ヒルは顎に手を添え、どう説明するべきか考えた後、こう言った。
「俺たちと人間の間に起こった戦争は知ってるよな? アーリア聖暦でいうと、3040年あたりか。ちょうどお前が生まれる前の話だ」
リリーは軽く頷く。
「あの戦争ね~ほんっと醜悪デシたよあれ」
レオンが頬杖をつきながら言う。
ヒルは真面目な顔になり、淡々と語り始めた。
「もう何度目かになる俺たちと人間の大きな衝突だったんが、あの時の戦争だけは違った」
「何がだ?」
リリーが問うと、ヒルが答える前にライザーが怒りと共に口を開く。
「人間が、ヴァイスの女ばっかりを連れ去ったんだよ」
ヒルが、続きを代弁するかのように懇々と語りだした。
「───当時、ヴァイス王国は劣勢にあった」
他国と流通を持たない国が大国と長きに渡り対等に戦える筈も無く、その機会を狙ったかのように、ヴァイスの前線にいた女性兵士を何人も連れ去りどこかへと幽閉した。
「捕虜をとられての戦いがうまくいく筈もないだろう?」
ヒルは、語りながら瞳を細める。
それから何度も救出部隊がリュシアナに赴いたが、女達が幽閉されている場所も分からず、救出はことごとく失敗に終わった。
友好国を持たないヴァイスに援軍が来るはずもなく、更に厳しい戦いを強いられていた。
「王、前線部隊は全滅です。歩兵部隊も劣勢。敵にはこちらの魔導術を学んだ兵が配置されている模様。このままでは!」
当時の歩兵部隊総隊長は、そう言って強く唇を噛んだ。
そんな彼を落ち着かせるかのように、王は優しい声をかける。
「臆するな。後続部隊をリュシアナの国境に送れ。それと……ドラフェシルトのヒルをここへ」
「控えております、陛下」
当時のヒルの容姿は今と変わり無く、緋色の瞳が輝いている。
「分かっております。俺がリュシアナに潜入します。俺一人ならば、彼女達を助けることができます」
「馬鹿をいうな。今お前に死なれては困る」
「しかし! このままでは!」
「お前を呼んだのは、そういうことではない」
王の座る玉座の横には、彼が愛してやまない美しい王妃がいた。そのとき既に、腹の中には今にも産まれそうな赤子、つまりリリーがいた。
わけが分からないといった様子のヒルに、王は続けてこう言った。
「書状が届いた。リュシアナから、バロンの名でな」
王が持っていたのは封書。術が施され、念じると空中に文字が浮かんだ。
そこに書かれていたのは。
「王妃を差し出せ……人質と交換だと!? 何をふざけたことを!」
「落ち着けヒル」
「しかし!!」
「わかっている」
「やはり俺が征きます! この命に代えても皆を、マイアたちを助けます!!」
頭に血が上ったヒルは、いきりたってその場から駆け出そうとした。そんなヒルを止めたのは、王妃の、女神のように優しい声だった。
「待ってヒル。あなたが行ってしまえば、ヴァイスの地を守る部隊を指揮するものがいなくなります」
「ユティリア王妃……ですが!」
「彼らの狙いはこの子に受け継がれし力と、私自身だと思います」
王妃はそっと自身の腹部に手を遣った。王もヒルも、何も言えなかった。
「心配いりません。王と、貴方と、貴方の父親さえ生きていれば、稀なる血が失われることはありません。私の役目を引き継ぐ者はまだいます」
王妃に恐怖は無いのか、こんな状況でも花のように微笑む。
「ですが、捕われた女性達には皆、家族や恋人がいます。私は民を統べる者として、民の犠牲の上で得た勝利など望んではいない」
彼女の瞳は真剣で、傍らにいた王も、頭を抱えたまま王妃を見ようとはしなかった。
その腕にはめられた蒼い宝玉が飾られた腕輪が光るのをちらりと見ると、王妃は視線を落とした。
「私が行くことで、彼らは停戦の話し合いにも応じるとしている。ならば、行かない理由はありません」
「しかしッ…………」
「分かって、ヒル。バロンも私には手を出さないでしょう。彼が望むのは別のところにあるはずだから」
それから王妃は、微笑んだまま、静かに王妃の証である冠を外した。
「私の陛下。大好きなジオリオ」
「ユティリア……」
「私はこの役目を果たすために生きてきた。私は、王妃なれば」
ヴァイスの王ジオリオは、何も言えなかった。差し出した手で、抱きしめることしかできなかった。
「彼にもよろしく伝えてね」
王妃で無くなった王妃は、長く艷めいた空色の髪を揺らし、ヒルに向き直る。
「ヒル」
「は……い」
「この子がもし未来で貴方に会えたなら、優しくしてあげてね」
「ユティリア様……っ」
その言葉を最後に、王妃は、ヴァイスを離れた。
今思えば、バロンが汲み上げている計画のただの破片でしかない戦争だったのかもしれない。王妃を引き渡すと、聖王国は約束どおり、生きている女たちを返してきた。
ひどく弱っていたが、ほとんどの皆は無事だった。
だがリュシアナは裏切った。彼の地より大魔法が放たれて、大地が凍り付いてしまったのだ。命は止まり、大地は閉じ込められた。これにより、ヴァイスは完全に沈黙した。
──それから少しして、王妃が死んだという知らせがきた。
自害したのか、殺されたのかは分からない。王も、ヒルも、民達も、歯を食い縛り耐えるしかなかった。
王妃の忘れ形見であるリリーが、人間の子として育てられているらしいとヒル達が知ったのは、十四年前のアストレイアとの戦いの時だった。
ヒル達は以前より情報をつかんではいたが、セイレの証言によりそれは確信に変わった。
だが王もまた、その身に宿った『力』が弱っていたのが発端となり、セイレが発ってからまもなく、その力と共に、死んだ。
そこまで話すと、ヒルはリリーの様子がおかしいことに気付き、声をかけた。
「大丈夫か?」
「……う……うん」