第一話「翡翠は、泥の中に」

 時は、アーリア聖暦3062年。
 気の遠くなるような昔に生まれたアーリアの歴史は、千の時を経て尚、衰えることを知らず。それどころか肥大し、巨大な国家を次々と誕生させた。
 その中でも、最も巨大で権威ある国家「聖王国リュシアナ」。暁の獅子王が君臨する、神が降り立ちし白き国だ。
 その王都アルフォンスに、激震が走った。聖王国リュシアナの誉れ高き聖騎士アストレイア、英雄セイレ・ウルビアの訃報。
 惨い死に様に、彼女を崇拝する人々は悲しみに打ち拉がれ、同時に激しく怒り、拳を掲げた。
 信心深い民は、悪魔に対して「報復」という呪いの言葉を唱え、ついにそれはリュシアナのみならず、強国の軍を動かすほどに力ある声となった──。

「一刻も早く悪魔どもを根絶やしにせねばなりませぬ!!」

「しかし最高位の聖騎士がやられたのだぞ! 第二位以下の騎士に倒せると思うか!?」

「だが、むざむざ悪魔どもにやらせたままでよいのか! 民が何を言いだすか分かるだろう! これでは王国の威厳が……」

 国議院、元老院、軍上層部による緊急会議が開かれた。
 会議室では、聖王国の重鎮が雁首をそろえて不毛な言い合いを続ける。話は前に進む様子がなく、それぞれが言葉をぶつけ合うだけの論争が続いた。
 
「皆様、どうか落ち着いてください。私にひとつ、案がございます」

 その場をなだめるように、一人の男が手を挙げた。軍部大佐のシュナイダーだ。
 その上品な口ぶりといい、流れる金の髪といい、軍人というよりも貴族に近い。
 彼は、束になった資料を取出しながら喋り始めた。

「我が国家、または諸国の上位登録聖騎士を全てこの聖王国に召集し、軍を編成。そして我が聖王国軍部と連携し、大規模な軍事作戦を実行します」

 熱く語る男に、議員や軍の面々は難色を示した。

「だがな大佐。他国がそれをよしとするか? 準備だけでもどのくらいの費用と時間がかかるか」

「聖騎士の招集だけならばまだ良い。だが他国が聖騎士に依頼する仕事の内容は、今や悪魔討伐のみに留まらない。彼らとて、登録国家を空けるような真似はすまい」

「ご安心を。既に手配済みです」

「……分かっていたかのように仕事が速いなシュナイダー大佐。それとも、君を駆り立てる何か特別な理由でも?」

 茶化すような声をかけた男に、シュナイダーは答えを出さなかった。眉間に皺を寄せて、両手を机に叩きつけた。

「この機に総攻撃をかけ、この血塗られた歴史に終止符を打つのです! 今こそ人間全てが団結をする時なのです!」

 冷静さを事欠いたようにも見える彼の言葉に、老いた議員たちは囁き合う。
 そのさざめきを遮り、ある老人が言葉を発した。

「落ち着くのだ、若き大佐よ」

 老人の声は濁っていたが、妙に強みがある声音をしている。足元まで覆い尽くす質の良い白いローブには金の装飾が施されており、何重にもうねっている。
 会議室に据えられた長く巨大なテーブルの最奥に座るその老人は、質のよさそうな片眼鏡の位置を正しながら続けた。

「シュナイダー、そなたの想いは分かる。だが長きに渡る悪魔と我ら人類の戦いは、大国の剣を以ってしても制することが出来てはいない。隣国諸国とて、聖騎士の悪魔討伐の為にかける費用は途方もないものだ」

「悪魔との戦いが終わらないのは、彼らが無限といっていいほどに湧き出てくるからです。その原因を、あの大きな大戦から四十年経った今でも掴めずにいる」

「奴らは北より出でる。あの凍りついた大地から、山を越えてやってくるのだ」

「ですがあの地は禁足地となり、どの聖騎士も攻め入ろうとしたことはない! ……アストレイア以外は」

 シュナイダーのはめる白い手袋が、歪んでぎちりと音を立てる。片眼鏡の老人は、それを悲しげに見つめた。

「――おおよそ四十年前、奴らと我らの間に大きな大戦があった。先王アルフォンスが認めた剣聖と共に、奴らに打って出たのだ。この国に住む者なら誰もが知っていることだ」

「……勿論存じております。アルフォンス王は剣聖と共に悪魔の大地へと攻め入った。……しかし、悲願は果たされなかった。悪魔は王を殺し、剣聖を殺し、生き残りは逃げ帰るしかなかった。癒えぬ傷を負って」

 シュナイダーが続きを語ると、面々は重い溜息を吐いた。だがその中で一際大きく項垂れたのは、片眼鏡の老人だった。

「そういうことだシュナイダー。あの大地は、ある時から凍りついたままだ。悪魔どもならあの環境でも戦うことは可能だが、我らは人間だ。むざむざ攻め入るは愚策であろう」

「しかし!」

「――まずは、調査の必要があるということだ」

 皺の深い顔が、うって変わって微笑みで染まる。大きな玉がはめられた指先が、あるひとつの書類を指差して微笑んだ。

「調査には、適役がおろう」


 * * *


 聖王国リュシアナ。
 創造神の吐息が聞こえる聖地、巨大帝国、獅子の国。などと言われているが、それ故周りの国家から疎まれることも少なくはない。資源の豊富なこの国は、攻めることもせず、攻められることもなく、戦いがなく、ただ神を崇めて生きる清廉な国家とされていた。

 “聖地などは名ばかり。今の国王にそれほどの威厳はなく、議員たち欲深い人間の根城と化しているさ”

 セイレがリリーにそう言ったのは、騎士になってまだ少ししか経っていないときだった。
 まるで何十年もそこにいたかのような口振りで話すセイレを、リリーは強く尊敬していた。当時既に、彼女の聖騎士階級は、第三位まで上がっていたのだ。
 姉の声色をリリーはよく覚えていた。よく通る、強さのある声は、とても聞き取り易かった。反芻すれば、今でも耳の奥で姉が喋る。

 “お腹空いたか? また一人で留守番だったのか”

 笑う姉は、荷物の中から焼き菓子を取り出してくれた。聖騎士の任務から帰ると、必ずお菓子をくれる。それが二人のお決まりだった。

 ……もう二度と、姉さんに「お帰り」を言うことは出来ないのだろうか。

 国葬が滞り無く行われた翌日、リリーは城のテラスに一人で座っていた。
 三日間ほどの滞在を許された彼女は、部屋に閉じこもることはなく、ふらふらと徘徊を繰り返していた。痩せっぽちの少女が歩く様は不気味で、兵士たちはこぞって嫌味を囁く。誰が見ても意気消沈した様子であるのに、誰一人として慰めの言葉をかけはしなかった。
 彼女にかけられる言葉はひとつ。“アストレイアの妹のくせに”ただそれだけだった。

 リリーは、あの美しい姉の死体を見ても、何故か涙は出なかった。ただ、信じられないという気持ちと、絶望の感情を抑えるのに必死だった。それが周囲には、非常に冷徹な人物として映ってしまったのだ。
 だが、リリーはそれをよしとしていた。元より人との関わりに対して欲のない彼女は、安心していた。
 曇る瞳が見つめる先に、小さな薔薇の欠片が空へと消えていった。

「あんな色の薔薇もあるのか……」

 建物を巻くように造られたテラスからは、城の中庭が目に入る。円形に大きく広がったそこには、天まで届きそうな聖石の塔がそびえ立っていた。
 その塔の名は、祈りの塔。遥か昔、創造神が降り立った場所とされている信仰の対象だ。
 祈りの塔がある“祈りの庭”に限っては、民も自由に出入りできるため、信心深い者達が毎日ひざまずいては祈りを捧げている。今は、ただ悼む為に祈る者ばかりで、黒く染まっているが。
 その様子を手摺りにもたれて眺めながら、あの姉もここでこうして同じ光景を見ていたのだろうかと考える。
 ふと、気配を感じてリリーは身を強張らせた。見通しのいいテラスの通路の向こうから、男が一人歩いてくるのが見えた。

「リリー・ウルビアか」

 現われたのは、リュシアナ軍部大佐のシュナイダーだった。金の長い髪はセイレと同じ、朝陽のように輝いている。

「私のことはセイレから聞いているだろう。それで、お前は大丈夫なのか」

 彼がいの一番に言い放ったのは、その言葉だった。僅かに驚きを見せたリリーは、小声で答えた。

「だい、じょうぶ……とは」

「お前も、セイレを長い間探していたと聞く。今回のことは非常に残念だった」

 あまり経験がない優しい言葉かけに、リリーは少し身を縮めた。

「私にできることは少なすぎたから」

 俯くリリーは、まだ幼い少女のような表情を見せる。シュナイダーは、小さく息を吐いた。

「しかし、お前が一人で暮らすなど、ウルビアの家の者は何をしているのだ。今も一人で暮らしているのか?」

「アナトリで一人でいる。不便はない」

「そこは特別自治区だから聖騎士の登録は出来ないだろう。となると補助もない。リュシアナに聖騎士として登録をする気はないのか?」

「任務があれば、姉さんを探す時間が潰されるばかりだった。だからしなかった」

 何故いきなり、こんな込み入った話をするのだろうかと、リリーは少し警戒を見せた。
 そんなリリーに、シュナイダーは落ち着いた声で言う。

「……セイレからお前のことを頼まれた。最も、十四年前のことだが。その頃から一人でいることが多かったことも。なのにウルビア家は――」

「私の名前を聞けば分かるでしょ」

 一際鋭くなったリリーの瞳を見て、シュナイダーは口を噤んだ。
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