第三話「雪原の孤独、薔薇の残り香」

 一つの答えを求める。
 どちらかを選ぶのではなく、どちらかが真実なのだと見極める。
 貴方がそうしてきた。だから私もそうしたのだ。
 眠ってなどいなかったのでしょう。気付いてなど、いなかったのでしょう。
 相反する二つの鼓動の先に、君だけをと求めた時。
 それは特別なものでは、なくなっていた。




 降りしきる雪が、山脈から北へと暴力のように降り注ぐ。
 雲間に陽が見えるのは僅かな時間のそこは、外界と隔たれた忌まわしき大地。

 悪魔が住まう、ヴァイスの大平原だ。

 白銀が横行する景色の中、ひとつだけ春の灯りを見せる建物があった。
 平原の中、小高い丘に佇むそれは、吹き荒む風にびくともしない強固な外壁で造られている。
 建築されてからかなり年月が経っているであろうその洋館は、幾つもある窓に温かい光をともしていた。
 窓枠はすっかり凍り、風を受けると僅かに響くが、それ以上はない。
 その窓から見える一室で、とある男は暇を持て余していた。

「捕まったんじゃねえだろな」

 透けるように細い金髪を指ですくい上げる若い男は、この屋敷の主人、ライザーだ。退屈に苛立ち、先程から欠伸ばかりを重ねている。
 ヒルが聖王国へと発ってから、ライザーはもうずっとこうして、変わる事の無い雪景色を見つめていた。怪我をした体では満足に見回りも出来ないし、それどころか元気に歩き回ることもできない。

「あの野郎……次会ったらただじゃすまさねえ」

 ライザーは誰に言うでもなくそう言うと、けだるそうに虚空を見つめ、舌打ちをした。足を組み替えると腰掛けているソファがぎしりと音をならす。
 ふと壁にある時計を見やると、午後三時を指していた。
 落ち着かないのか、ライザーは体勢を変えたり、腕の包帯を指先でいじったりしていたが、ついに立ち上がり歩きだした。

「待ってるのは性にあわねえんだよな」

 完治していない体を無理に動かすと、所々に電撃にも似た痛みが走った。彼はそれにかまわず部屋から廊下へと続く扉のドアノブに手をかけた。が、その瞬間。

「おわ!」

 扉は外側から何者かによって開かれ、ライザーはバランスを崩し勢い良く外へとよたついた。
 そしてそのまま何かにぶつかり、手負いの彼ははねとばされ、後ろへとよろめいた。

「ってぇ…………」

「そんなに急いでどこにいくんデスか? ライザー君」

 ライザーがぶつかった人物は、部屋の外で腕組みをし彼を見つめていた。

「あ~らら、馬鹿デスねぇ。無茶したら悪化するってわかってるデショ?」

 ライザーは近くの壁に手をつき、なんとか転倒はしなかったものの、怪我をした箇所を痛そうにかばっている。

「っせえ! レオンてめえ、『医者』ならさっさと診やがれ!」

 レオンと呼ばれた人物は、「はいはーい」と軽い返事をすると、部屋の中に入ってきた。
 四角い銀縁の眼鏡が暖気で少し曇り、その奥の瞳は外の景色のように銀に染まっている。
 詰襟の衣服は白く、医者と呼ばれた通り清潔な印象を与える。鮮やかな緑の髪は、春の若芽のように光沢を放っていた。

「早く座ってくれマスかライザー君。俺だって暇じゃあないんデスよ」

 一重の瞳が細まる。癖のある笑みを浮かべて、ライザーを見つめた。

「暇だろが! 外がこんなんじゃすることなんざねえだろ」

「ま、その通りなんデスけどねえ~」

 レオンはソファに座り、テーブルの上に医療道具を一瞬にして広げ、包帯やガーゼを指にびしりと挟んでライザーに見せつけた。
 それを見たライザーは不機嫌そうにしながらも素直にソファに座り、怪我をしている腕を彼に差し出した。

「怪我人のくせに、まさか脱走するとこだったとはね~」

「っ痛!」

 レオンはライザーの腕の包帯やガーゼを一気に取り払い、容赦なく消毒液を塗りこんだ。

「怪我してんだから痛くて当たり前デショ。んで、どこ行く気だったわけ?」

 新しいガーゼをあて、男にしては細い指で包帯を器用に巻いていくレオンは、丸い眼鏡の中から刺さるような視線をライザーにぶつけた。

「べっつに。ただあいつがあんまり遅ぇからな」

「あいつって、ヒル君デスか?」

「ああ」

 ライザーは横を向き、また舌打ちをした。苛立ってはいるが、彼なりに心配をしているようだった。

「だいじょーぶデスよ。ヒル君ならうまくお姫さまを奪還してくるデショ」

 レオンはにこにこと軽い笑顔を浮かべながら答えた。だがその態度が気に入らないのか、ライザーは眉間に皺をよせる。

「だけどあそこにはバロンもいる」

「あのおじいちゃんはちょっと面倒デスよねえ~……っと。ほら、終わりデス」

 レオンはライザーの両腕の包帯を手早く取り替えると、最後にポンっと彼の肩をたたいた。

「悪ィな」

「どういたしマシテ」

 綺麗に巻かれた包帯は、ライザーの腕が動きやすいように特殊な素材で出来ていた。彼が腕を回しても、崩れることはない。
 レオンは満足気にそれを見ていたが、ふいにぴくりと目尻を動かし、部屋の中にある一点をじっと見つめた。

「やれやれ、もっと包帯を持ってくるべきデシたねえ」

「あ? 何言ってんだ?」

 ライザーが不思議そうに問うと、急に部屋の中の雰囲気が一変した。窓際のあたりの空間がぐにゃぐにゃと歪みはじめ、ガラスが割れて崩れ落ちるように何かの破片が床に落ちていく。

「転移!」

 ライザーがそれを見て言うや否や、崩れ落ちる空間の欠片を避けながら、リリーを両腕で抱えたヒルがふらつきながら現われた。

「ヒル!!」

 突然のヒルの登場に、分かりやすく体をソファから乗り出し安心した表情を浮かべたライザーだったが、我にかえると咳払いし、またどっかりとソファに座った。

「心配かけたなライザー」

「まったくだよ馬鹿が! 一人で行くか普通!」

 ヒルの体に傷らしきものは見当たらなかったが、衣服がかなり傷み汚れている。
 長い後ろ髪を留めていた金具は壊れ、はらはらと前に落ちていた。

「だが、ちゃんと役目は果たしたぞ」

 ヒルはそう言うと、自身の腕の中で気を失っているリリーに目を遣り、その口が呼吸を繰り返しているのを確認すると安堵の息をもらした。

「……ほんとに、連れて来たのか」

 ライザーが驚きに目を丸くする。だが、彼女の両腕からの出血を認め、すぐさまレオンに向かって声を上げた。

「レオン!」

「おやおや! この子がリリーちゃん?」

 レオンはソファから立ち上がり、リリーの顔を覗き込む。リリーの白い肌には紅がさし、少し開いている唇からは規則正しい呼吸音が聞こえる。 体は血で汚く汚れていたが、眠る顔はまるで人形のようだった。長い睫毛が頬に影を落とし、改めて彼女の丹精な顔立ちを認識する。
 レオンはにんまりと笑みを浮かべると、人差し指でリリーの頬を突いてみせた。

「よく取り戻しマシたねヒル君ってば。けど、この状態はちょっと無いんじゃないデスか?」

 レオンは意地悪くヒルを見上げる。が、ヒルはそんなレオンの態度に慣れているらしく、ふっと微笑んだ。

「だからお前がいるところに戻ってきたんだ」

「上手いこと言ってくれちゃって」

 言いながら、レオンはリリーの手当を始める。

「よく寝てマスねえ~もしや何しても起きマセンかねこれ」

 レオンが悪戯っぽくそう言うと、リリーを抱いているヒルは笑顔のままこう言った。

「次の瞬間お前が眠ることになるけどな」

「何を本気になってるんデス。ハイハイごめんナサイ」

 レオンは両手をあげ降参のポーズをとると、二、三歩後ずさった。
 ヒルは「冗談だ」と付け加えたが、底無しの笑顔が逆にレオンには恐かった。

「とりあえず、こいつをベッドに寝かせてやりたい。ライザー、部屋は空いているか?」

「もう用意させてるよ。つうか、お前も休めよ」

 ライザーがそう言うと、ヒルはふむと頷いた。

「落ち着いたらそうさせてもらうさ」

 ヒルは、リリーを抱いたまま二人に背をむける。
 レオンが先回りして、さっと扉のノブに手をかけた。

「気が効くな」

「デショ。それより、あとで君もちゃーんと診せにきてクダサイね?」

 レオンは小声で呟いた。その言葉が理解出来なかったのか、ヒルは僅かに目を丸くする。
 すぐ真意に気付き何事も無かったかのように元の表情に戻った。

「ああ、わかってる。すまないな」

 レオンはノブを回し扉を無言で開くと、満足気に出ていくヒルを呆れたように見送った。
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