第二話「白銀の嘘、紅き系譜」

「そうだね。ちゃんと幽閉しておいた筈だったんだけど、さすが悪魔ヒルシュフェルト。どこからでも入ってこれるね」

 馬鹿にしたような言い草をするが、依然としてアルフレッドの表情は穏やかなままだ。

「陛下、あの、先程から話が――」

「シュナイダー、君も可哀想だね。騙されてしまったんだね。アミー・ハンニ卿も、頑張っていたのにね。騙されたね。みんな騙されてしまった」

「……やめて下さい……」

 アミーがうろたえる。だが、その剣を降ろすことはない。

「ねえ、あんな見た目をしていたら誰だって分からない。悪魔って本当に、怖いものだって、誰もが思ってるんだから」

 冷ややかに、無機物のように変わらない声の感情のまま、アルフレッドは言う。

「しかしもうここまでだ。逃げることは許さんぞ、悪魔ども」

 ぞっとするようなアルフレッドの横顔の向こうで、バロンが苦々しい口調で言った。
 戸惑うのは、シュナイダーや、他の兵士だった。
 互いに囁き合い、不安そうに視線を移す。

「あれ……? ああそうか。みんな知らなかったんだ。いや、知らせてなかったね?」

 アルフレッドが、斜めに周囲を見遣る。そして、ゆっくりと顔をリリーたちに向け、氷のような笑みを浮かべた。

「勅命である。リリー・ウルビア。いや、ヴァイスの悪魔直系、アシュトレートの娘。我らを謀り、アストレイアを死に導いた悪魔として、……殺せ」

 その一言で、リリーの中にある全てが断ち切られた。

「違う……」

 翡翠の瞳が、細かに揺れる。

「違う…………!」

 涙が落ちるよりも早く、怒りが溢れるよりも強く。

「違う、違う、違う……」

 彼女の内にある大きな力が、奮い起こされた。

「――リリー!」

 ヒルの声は、もはや届かなかった。悲しみに打ちひしがれたように、己の腕をかきむしりながら、リリーは叫んだ。
 悲痛な叫びを顕すかのように、リリーの中から蒼い光が放たれた。同時に、翡翠色の花片が吹雪のように出現して舞い散った。
 花は、春に舞うそれと同じく、傷つけもせず、ただその場にあるだけだったが、光は違った。
 兵士たちは次々と膝を折り、まるで意志の無い人形のように、その場でぐったりとし始めたのだ。
 シュナイダーとアミーは、かろうじてその場に立ち続けるが、それでも、まるで見えない何かに上から踏みつけられているような重力を感じていた。

「……凄いね。これが、ヴァイスの力なんだ」

 バロンの術に守られながら、アルフレッドは微笑む。
 彼女から放たれる光は、一瞬巨大な質量を持っているかのように見えたが、その力は徐々に消失していった。
 リリー自身の感情の起伏に合わせたのか、彼女が涙を流して唇を噛み締めた時、光は完全に消えてしまった。

「悪魔だ……」

 誰かが言った。それは、アミーの言葉ではなかったが、彼女が言い放ったかのように、リリーには聞こえた。
 絶望のまなざしでこちらを見るあの女性は、自分を助けたいと言った人。あの夜、優しく微笑んでくれた人。
 けれども今は、もう別の人間だった。裏切りに蒼然として佇む、人間だった。

「ア、ミー……」

「殺そう」

 慈悲もなく言い放つアルフレッドに、バロンが応える。

「『響け深淵より。汝罪の紋を背負いし愚かな者。荘厳たる神の清浄なる光に恐怖するが良い』」

「バロン議長!! 待って下さい!」

 シュナイダーが叫ぶ。
 だが、もう遅い。そう言わんばかりにバロンは不敵な笑みを浮かべてみせた。マティスは恐らくそれが何の呪文か知り得ていたのだろう。必死に、バロンを制止する。だが、止められるわけがなかった。既に、呪文は完成した。

「“ディアングレイザー”!!」

 螺旋を描いていた光はリリーの頭上に移動するとその動きを止め、槍のごとく彼女に襲い掛かった。奇怪な空気音をはらんだ無数の槍は、リリーの頭蓋を捉えた。
 リリーはゆっくり上を見上げた。迫り来るそれらを避けようともせず、呆然と、両の眼を見開いたまま。

「リリーちゃん!!」

 巨岩を破壊したような轟音が鳴り響き、リリーがいた場所を中心に円形に爆風が拡がった。石の床はサークル状に破壊され、視界を遮る白煙がもうもうと舞い上がる。

「はーはぁはぁはぁっ!! 見たか! 我が神術の前にはヴァイスの民の力も全くの無意味!」

 バロンは杖をかざしたまま高らかに笑う。傍らで唇を噛み、なんともいえない表情のマティスとは対照的だった。

「陛下、いかがですか神術は。愚かなヴァイスの民達が丁寧に我々に教えてくれた魔法を進化させたもの。素晴らしいでしょう?」

「へえ、それって、もっと癒しの力かと思っていたけど違うんだねえ」

 バロンは構わず、誇らしげに杖を構える。爆風と煙がようやく落ち着いてくると、魔導術の着弾位置に足を進めた。

「ふむ、これでは木っ端微塵だな」

 そして、バロンがまだ残る煙の中に足を入れたその瞬間だった。
 光が、まるで意志を持っているかのように回廊の床に文字を刻み始めたのだ。
 蔦のような魔法陣が巨大さを増し、円形に広がる召還陣の模様。荒々しく燃え上がる緋色の炎。露出した石畳の上で、――悪魔が笑った。

「それで終わりか」

 ヒルシュフェルトは、その血色の瞳を歪め、敵を見つめる。
 暗い光が宿る眼が、徐々に冷たさを増して行く。
 彼の周りには円筒の結界が出来上がり、さらにその外側には炎が燃え上がっていた。
 紅く光る火の粉が舞う中で、ヒルは低く言い放つ。

「我らを悪魔とし人を導くというのならそれもいい。だが、忘れるなアルフレッド」

 長く逞しい腕を伸ばし、ヒルは王を指差した。

「人が望むには過ぎたる栄華。特別な者を求めれば、いずれは散る。抗えば朽ち、刃向かえば滅びる。それが、勇気ある人間が得た代償だ」

「…………へえ。それ、“誰のこと”?」

 瞬間、黒炎が舞い上がった。アルフレッドとリリー、二人の間を分かつように、炎は回廊の天井まで伸び上がった。
 誰も、手を出すことが出来ないかに見えた。

「陛下! 危険です!」

 シュナイダーは、アルフレッドを強引に後ろに下げた。まるで命があるかのように、炎が逆巻いて二人に襲い掛かる。

「……これは駄目だね。大佐、他の兵も退避だ」

「承知いたしました。全員退避しろ! ハンニ卿も!」

 唖然とするアミーを立ち上がらせ、シュナイダーは後退する。リリーを見る瞳は、既に恐れに染まっていた。
 だが、バロンは臆さなかった。慣れた声色で呪文を紡ぎ、硬質化した氷の槍を作り出す。

「悪魔め! 逃がすか!!」

 炎が破られる。ヒルはリリーを一度降ろし、自身の背中に回した。
 急ぎ空中に文字を描き、弾き返す為の結界を作り出す。しかし、僅かなところで、氷の切っ先はその境界を越える。
 喉元めがけて迫る槍は勢いを増して迫る。避けられないその距離に、ヒルは咄嗟に別の術を確立させようと魔法を唱える。
 が、その時だった。ヒルの目の前に飛び込んできた人影が、バロンの攻撃をその身に受けたのだ。

「なに!?」

 バロンが驚嘆の声を上げる。
 ヒルを貫く筈だったそれは、突然の乱入者の胸を鈍く貫いた。
 氷の矢は、乱入者をその身に纏う鎧ごと貫いていた。獅子の紋章は、もはや見る影もなく裂かれていた。

「ぐ、あっ……」

「何だ! 何をしている!」

「議長……、やっぱり、無理でした……」

 貫かれた男は、血の混ざる声で言う。

「やっぱり、俺には、分かりません、よ……議長ッ……」

 ヒルたちに背を向けたままのその男は、貫かれた自分の体を見て、力無く呟いた。

「……“なんでこの子が”、悪魔なんだよ……」

 僅かに振り向いたその男の髪は、炎の光を受けながらも尚深い色彩を持つ藍の色。
 瞳は、瞼を焼くような熱い涙に、滲んでいた。

「バルド……!?」

 リリーが彼に気付いた時、ヒルが先程確立させた魔導術が完成した。
 背後の空間が割れて、世界に亀裂が走る。
 何故、庇ったりしたのか。そう問う間もなく、バルドの体は崩れ落ちる。

「あの子も……逃がしてやれば……よかった」

 世界が滲む。あの時、ベリーの力で転移した時よりも速く、リリーの視界が景色を変える。

「バルド!!」

 伸ばした手の先に、優しい手が触れた。白い指先が、リリーを押し返す。
 それは幻なのか、この魔導術が見せた蜃気楼なのか。
 判断のつかないまま、リリーの体は消えていった。

 あの、凍てつく大地へ。
 遥かなる北の大地、ヴァイスへと――。

第二話・終
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