第二話「白銀の嘘、紅き系譜」
目の前には、ヒルの胸板と、首元。背中にしっかりと回された右手、左手は太腿を支えており、彼の膝に座るような形になっていた。
「なっ……」
理解しがたい状況に慌てたリリーは、反射的にヒルの胸板を押した。
だが、力は難なく制されてしまう。
「こら、危ない」
「だ、だって、なんでお前……私……痛っ」
「動こうとするな。止血はしたが、傷が治ったわけじゃないんだからな」
リリーを抱えたヒルは、衝撃を与えないようにゆったりと歩いている。
先程ここがリュシアナ王城の中だと言ったが、何故そんなに悠長にしていられるのかとリリーは思った。そんなリリーの心を読んだかのように、ヒルは口を開いた。
「一瞬の内に魔法結界が張り巡らされてな。すぐに逃げる予定だったんだが……まあ、焦っても仕方がないということさ」
ヒルは、至極落ち着いた面持ちだった。悪魔にとって敵地の真っ只中であろうこの場所に置いて、どうしてそんなに余裕を持っていられるのか。
歩く音も静かに、ゆったりと進む。頭を預けると、温もりが伝わってきた。
「あ、の……。ヒル……」
「ん?」
おずおずと問いかけると、優しい声色が返ってきた。
「あの、私を……どこへ……」
「おい! そこのお前!! 何をしている!」
鎧が擦れる音が響いて、回廊の彼方から兵士が現われた。長い戦斧を持った兵たちは、ヒルを見るなりそれを構える。
「紅い髪……聞いた通りだ! 悪魔め!」
「その女性を離せ!」
兵は、ヒルに対してだけ敵意を持っているようだった。
戦斧を構える部隊の後ろで、状況を伝える役目の兵が走り去る。
目を細めたヒルは、大きなローブでリリーを隠すように包む。
「ウルビア!」
伝令兵が走り去るや否や、入れ替わりにシュナイダーが現われた。金の髪を振り乱して、息巻いて剣を構える。
「その娘をどうするつもりだ悪魔め!」
「シュナイダー……大佐」
リリーが名を呟くと、ヒルは何かに気付いたように口端を締める。
「人型の悪魔……見た目だけでは人間と相違ないな……」
悪魔が侵入したという情報だけを聞いているシュナイダーは、リリーが悪魔に捕らわれたものと信じている。
得体の知れない相手に対し、どう出るべきかと機を伺う。
「ウルビア! 今助けてやる! 待っていろ!」
熱い正義に燃える銀の瞳に、強い想いが宿る。それが誰に誰を重ねて滾る物か、リリーには一目瞭然だった。
だが、また湧き上がる罪悪に胸が痛む。
彼が助けようとしているのは、セイレ・ウルビアの妹、リリー・ウルビアであるのだ。
する必要のない筈の言い訳が頭に浮かぶ。
私は悪魔ではない。そうだ、助けてくれ。
私は悪魔だった。存在自体が、裏切りだった。
もう、選ぶことなど出来ないのだと分かっているのに。
「――リリーちゃん!」
その時、追うような怒声が響いた。
シュナイダーの更に後ろから、剣を構えたアミーが現われたのだ。
だが、彼女はひどく憤っていた。相当な距離を走ってきたかのように、息が荒い。
「リリーちゃん、こっちにおいで。違うわよね。騙されているのよね……?」
縋るような声で、リリーに語りかける。
「セイレが倒そうとした悪魔。きっと口が上手い筈。……大丈夫よ。ちゃんと助けてあげるから、こっちにおいで」
彼女の瞳が光に潤むのを見て、リリーは彼女の心の内を察した。
悲痛な程に語りかけてくる彼女は、リリーに必死に手を伸ばす。
「アミー……」
「悪魔を倒すのよ。貴方の敵は悪魔。だって、そうでしょ。セイレの妹なんでしょう? だから……!」
「アミー、私は……私は……!」
「ハンニ卿、さっきから何を言っているんだ?」
シュナイダーが戸惑いつつ言う。アミーはそれに答えず、ヒルを睨みつけた。
「連れ去らないでよ……あんたたち悪魔はそうやって、何もかも奪おうとする。あんた達悪魔は、全部壊していく!」
アミーの言葉は、重くその場で響く。だが、ヒルは動じず、黙したままだった。
じりじりと詰められていく距離に怯えることはなく、ただしっかりとリリーを抱いている。
「立ち去りなさい! 悪魔!!」
アミーが言うと同時に、彼女の背後から強い光が放たれた。それは、まぎれもない魔導術の力だった。
いや、それよりももっと、清らかな力に見えた。
真白な光は、幾重もの絹帯のように変化し、ヒルの頭上に舞い集まる。
ヒルがそれに気付くのは速かった。認めると同時に、リリーを抱いたままその場に強い防御の壁を作り出した。
光は、矢のようになってヒルに降り注いだが、見えない壁に弾かれて、風となって消えた。
「わぁあッ!!」
魔導術同士がぶつかった衝撃はすさまじく、兵やシュナイダーたちは煽られてよろめく。
壁に僅かに皹が入り、飾られていた彫像の腕が落ちた。
煙が四方に飛び散るその中で、動じず、穏やかに立っている者たちがいた。白む景色の中、上品な靴音が回廊に響く。
動く影は、二つ。ひとつは、白い法衣に身を包む老人。そしてもうひとつは、暁の空に染まる髪をした、青年。
アミーとシュナイダーの間を割って歩み出たその青年は、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「よく逃げれたね、リリー。すごいじゃないか」
獅子王アルフレッドは、まるで水面のような清廉さを湛えて微笑んだ。
「アルフレッド……、バロン議長……」
ゆったりとした動きで現われた二人を、リリーは呆然として眺める。
自然と、ヒルを掴む手に力が入った。
「逃げた……とは?」
シュナイダーが問うと、アルフレッドの口元に、また微笑の兆しが見えた。
「なっ……」
理解しがたい状況に慌てたリリーは、反射的にヒルの胸板を押した。
だが、力は難なく制されてしまう。
「こら、危ない」
「だ、だって、なんでお前……私……痛っ」
「動こうとするな。止血はしたが、傷が治ったわけじゃないんだからな」
リリーを抱えたヒルは、衝撃を与えないようにゆったりと歩いている。
先程ここがリュシアナ王城の中だと言ったが、何故そんなに悠長にしていられるのかとリリーは思った。そんなリリーの心を読んだかのように、ヒルは口を開いた。
「一瞬の内に魔法結界が張り巡らされてな。すぐに逃げる予定だったんだが……まあ、焦っても仕方がないということさ」
ヒルは、至極落ち着いた面持ちだった。悪魔にとって敵地の真っ只中であろうこの場所に置いて、どうしてそんなに余裕を持っていられるのか。
歩く音も静かに、ゆったりと進む。頭を預けると、温もりが伝わってきた。
「あ、の……。ヒル……」
「ん?」
おずおずと問いかけると、優しい声色が返ってきた。
「あの、私を……どこへ……」
「おい! そこのお前!! 何をしている!」
鎧が擦れる音が響いて、回廊の彼方から兵士が現われた。長い戦斧を持った兵たちは、ヒルを見るなりそれを構える。
「紅い髪……聞いた通りだ! 悪魔め!」
「その女性を離せ!」
兵は、ヒルに対してだけ敵意を持っているようだった。
戦斧を構える部隊の後ろで、状況を伝える役目の兵が走り去る。
目を細めたヒルは、大きなローブでリリーを隠すように包む。
「ウルビア!」
伝令兵が走り去るや否や、入れ替わりにシュナイダーが現われた。金の髪を振り乱して、息巻いて剣を構える。
「その娘をどうするつもりだ悪魔め!」
「シュナイダー……大佐」
リリーが名を呟くと、ヒルは何かに気付いたように口端を締める。
「人型の悪魔……見た目だけでは人間と相違ないな……」
悪魔が侵入したという情報だけを聞いているシュナイダーは、リリーが悪魔に捕らわれたものと信じている。
得体の知れない相手に対し、どう出るべきかと機を伺う。
「ウルビア! 今助けてやる! 待っていろ!」
熱い正義に燃える銀の瞳に、強い想いが宿る。それが誰に誰を重ねて滾る物か、リリーには一目瞭然だった。
だが、また湧き上がる罪悪に胸が痛む。
彼が助けようとしているのは、セイレ・ウルビアの妹、リリー・ウルビアであるのだ。
する必要のない筈の言い訳が頭に浮かぶ。
私は悪魔ではない。そうだ、助けてくれ。
私は悪魔だった。存在自体が、裏切りだった。
もう、選ぶことなど出来ないのだと分かっているのに。
「――リリーちゃん!」
その時、追うような怒声が響いた。
シュナイダーの更に後ろから、剣を構えたアミーが現われたのだ。
だが、彼女はひどく憤っていた。相当な距離を走ってきたかのように、息が荒い。
「リリーちゃん、こっちにおいで。違うわよね。騙されているのよね……?」
縋るような声で、リリーに語りかける。
「セイレが倒そうとした悪魔。きっと口が上手い筈。……大丈夫よ。ちゃんと助けてあげるから、こっちにおいで」
彼女の瞳が光に潤むのを見て、リリーは彼女の心の内を察した。
悲痛な程に語りかけてくる彼女は、リリーに必死に手を伸ばす。
「アミー……」
「悪魔を倒すのよ。貴方の敵は悪魔。だって、そうでしょ。セイレの妹なんでしょう? だから……!」
「アミー、私は……私は……!」
「ハンニ卿、さっきから何を言っているんだ?」
シュナイダーが戸惑いつつ言う。アミーはそれに答えず、ヒルを睨みつけた。
「連れ去らないでよ……あんたたち悪魔はそうやって、何もかも奪おうとする。あんた達悪魔は、全部壊していく!」
アミーの言葉は、重くその場で響く。だが、ヒルは動じず、黙したままだった。
じりじりと詰められていく距離に怯えることはなく、ただしっかりとリリーを抱いている。
「立ち去りなさい! 悪魔!!」
アミーが言うと同時に、彼女の背後から強い光が放たれた。それは、まぎれもない魔導術の力だった。
いや、それよりももっと、清らかな力に見えた。
真白な光は、幾重もの絹帯のように変化し、ヒルの頭上に舞い集まる。
ヒルがそれに気付くのは速かった。認めると同時に、リリーを抱いたままその場に強い防御の壁を作り出した。
光は、矢のようになってヒルに降り注いだが、見えない壁に弾かれて、風となって消えた。
「わぁあッ!!」
魔導術同士がぶつかった衝撃はすさまじく、兵やシュナイダーたちは煽られてよろめく。
壁に僅かに皹が入り、飾られていた彫像の腕が落ちた。
煙が四方に飛び散るその中で、動じず、穏やかに立っている者たちがいた。白む景色の中、上品な靴音が回廊に響く。
動く影は、二つ。ひとつは、白い法衣に身を包む老人。そしてもうひとつは、暁の空に染まる髪をした、青年。
アミーとシュナイダーの間を割って歩み出たその青年は、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「よく逃げれたね、リリー。すごいじゃないか」
獅子王アルフレッドは、まるで水面のような清廉さを湛えて微笑んだ。
「アルフレッド……、バロン議長……」
ゆったりとした動きで現われた二人を、リリーは呆然として眺める。
自然と、ヒルを掴む手に力が入った。
「逃げた……とは?」
シュナイダーが問うと、アルフレッドの口元に、また微笑の兆しが見えた。