第二話「白銀の嘘、紅き系譜」
数百年の間に数を膨らませていたヴァイス王家の生き残りの者は、それにより本来の温厚な性格は変貌し、彼らもまた復讐心から人間を襲うようになった。
これが、人類と悪魔の戦いの始まり。
今となっては、どの歴史書にも記されていない、削除された記述。
ヴァイスの民は、かつて「魔法」を人類に伝えた心優しき民だったということだった。
「これで分かっただろうリリー。自分が何故ここまでされるのか」
バロンは、そこまで語るとリリーの顎から手を離し、十字架の杖をたよりに祭壇から下り背を向けた。
「嘘だ…………」
「お前は、悪魔から寄越された『献上品』だ! そうすれば我らはこれ以上ヴァイスに侵攻しないという条件でな!」
悪魔を倒さなきゃ。
姉さんを殺した悪魔を倒さなきゃ。
どれだけ寂しくても、辛くても、人々のたった一つの目標。
世界の安寧を揺るがす、悪魔を倒さなきゃ。
今分かった。あの両親の、怖がるような態度。
今気付いた。この髪が何故、曇るような青であるのかを。
「よく働いた! 今までよく働いてくれた! 同胞の首を刎ね同胞を踏みつけ! よくここまで聖王国のために働いてくれた!」
バロンは手で顔を庇いながら、狂ったように笑った。
暗い顔が背後で笑う。流れ落ちる胃の濁りが、熱を持つ。
足元の硝子が砕けて、決して見てはいけない闇の向こう側へと招き寄せる。
信じていた全てが、送る花の色へと変わり、翡翠が、あの青い世界の翡翠が。
ただ、終わりを待つだけの時間。流れ出る血が、体を氷のように冷たくする。
倒れることすら許されないその塔の中で、己から流れ出る血の音が、最期へ向かう鐘のように鳴り響いていた。
考えようとすればするほど、リリーは悔しさと悲しみに押しつぶされそうになり、最早涙も枯れ果てていた。
生まれてから見てきたもの全てが、ただの偽りだったのだと気付いた時、怒りよりも寂しさが心を握り潰してくる。
ベリーは知っていたのだろうか。あの鍛冶屋の主人は本当は何を思っていたのか。アミーは。バルドは。
あの、優しい姉は、本当は――。
“お前を、守る者だ”
頭の中に、蘇る温かい眼差し。
真紅の瞳に映る、小さな自分が泣きそうな顔で彼を見つめる。
「我らが創世神の御元で、そのまま果てるが良い」
バロンが冷たく言い放つ。そしてそのまま、急ぎ足で外に通じる扉に向かう。
「マティス、分かっているな」
マティスは、リリーに向けて剣を構えた。
何も言葉は無い。僅かに唇を噛みながらも、息を整えてリリーを見据える。
「い、やだ……」
嗚咽を漏らし、リリーは歯を食い縛る。
「私は聖騎士なんだ……姉さんの仇を……姉さんの仇を……」
血で滑る床に、涙が落ちる。
「っ、私が……悪魔……だ、なんて……っ」
こんなになってまで、まだ生きていたいと思う心が残っている自分を、リリーは浅ましく感じていた。
早く、この体の全ての血が流れてしまって、そして終わればいい。
姉を、生きながら裏切っていたこの命は、在るべきではない。
「もう…………」
終わる世界に、もう、救いは要らない。
「……もう、終わって…………」
眼前に迫る白銀の刃。まっすぐに首を目がけて迫るそれは、なんと冷たく恐ろしいのか。
瞳を閉じる事すらできない。涙も枯れた。
もう、何も考えられない。
「――終わらせはしない」
その瞬間、巨大な剣が刃を跳ね返した。同時に、弾け飛ぶ手枷。鉄の残骸が無数の欠片となって、血溜りの中に落ちていった。
急に与えられた自由に、リリーの体が崩れ落ちる。酷く変色した膝や手首が、床へと落ちていく。
だが、そうはならなかった。
差し出された大きな手の平が、リリーを抱き留める。血の香りがするその中に、ほのかに薔薇の香りがした。
強い腕に支えられ、リリーは瞳を開けた。
そこには、あの瞳があった。優しい輪郭が縁取る、真紅の瞳。
あの時の、悪魔がいた。
「ヒル……」
「名前を覚えていてくれたのか」
「……私」
「助けに来た。遅くなったな」
そう言って、リリーの体を優しく抱き上げたヒルは、額同士を重ねる。
「冷たいな。だが大丈夫だ。すぐに治してやる」
夜の色をした軍服に、リリーの血が滴り落ちるが、ヒルは気にする様子もなくリリーをしっかりと抱き締めた。
強く厚い胸から、鼓動が聞こえる。自分となんら変わらない、命の音だった。
「なぜ……助けてくれるの」
「言っただろう。俺は、お前を守る者だって」
瞬間、リリーの胸の内から、蒼い光が溢れ出る。それは、決して強い光ではなく、蛍のように淡い光の粒であった。
「離れろ!!」
マティスの声と共に、白い鎧に身を包む一個小隊が現れ、あっという間に陣形を整えた。
「ヒル……まさかヒルシュフェルト……!?」
バロンのおぼつかない足が、さらによろめく。
「議長は外へ! ここは俺が防ぎます!」
剣の切っ先を、ヒルに向けて構える。
ヒルもまたリリーを片腕に抱きかかえ、大剣を片手で構えた。
「あの時の人間か……」
「リリーを離せ!」
ヒル以上に険しい顔つきでマティスが叫んだ。ヒルは冷たくマティスを見据えたまま、敵意を以て言葉を発した。
「悪いがそれは出来ない。お前も知っての通り、彼女は元々こちら側にいるべき存在だ」
「うるさい!!」
マティスは熱くなり、感情のままにヒルに斬りつけた。
ヒルは片手に抱いたリリーを庇いながら、大剣を横なぎにぶつける。
巨大な剣をそのまま防ぐことは難しく、マティスは体勢を崩しながらも距離を取って退いた。
「リリーに当たったらどうする」
「貴様がリリーを離せば済むことだ!」
「――殺そうとしていたくせにか」
これが、人類と悪魔の戦いの始まり。
今となっては、どの歴史書にも記されていない、削除された記述。
ヴァイスの民は、かつて「魔法」を人類に伝えた心優しき民だったということだった。
「これで分かっただろうリリー。自分が何故ここまでされるのか」
バロンは、そこまで語るとリリーの顎から手を離し、十字架の杖をたよりに祭壇から下り背を向けた。
「嘘だ…………」
「お前は、悪魔から寄越された『献上品』だ! そうすれば我らはこれ以上ヴァイスに侵攻しないという条件でな!」
悪魔を倒さなきゃ。
姉さんを殺した悪魔を倒さなきゃ。
どれだけ寂しくても、辛くても、人々のたった一つの目標。
世界の安寧を揺るがす、悪魔を倒さなきゃ。
今分かった。あの両親の、怖がるような態度。
今気付いた。この髪が何故、曇るような青であるのかを。
「よく働いた! 今までよく働いてくれた! 同胞の首を刎ね同胞を踏みつけ! よくここまで聖王国のために働いてくれた!」
バロンは手で顔を庇いながら、狂ったように笑った。
暗い顔が背後で笑う。流れ落ちる胃の濁りが、熱を持つ。
足元の硝子が砕けて、決して見てはいけない闇の向こう側へと招き寄せる。
信じていた全てが、送る花の色へと変わり、翡翠が、あの青い世界の翡翠が。
ただ、終わりを待つだけの時間。流れ出る血が、体を氷のように冷たくする。
倒れることすら許されないその塔の中で、己から流れ出る血の音が、最期へ向かう鐘のように鳴り響いていた。
考えようとすればするほど、リリーは悔しさと悲しみに押しつぶされそうになり、最早涙も枯れ果てていた。
生まれてから見てきたもの全てが、ただの偽りだったのだと気付いた時、怒りよりも寂しさが心を握り潰してくる。
ベリーは知っていたのだろうか。あの鍛冶屋の主人は本当は何を思っていたのか。アミーは。バルドは。
あの、優しい姉は、本当は――。
“お前を、守る者だ”
頭の中に、蘇る温かい眼差し。
真紅の瞳に映る、小さな自分が泣きそうな顔で彼を見つめる。
「我らが創世神の御元で、そのまま果てるが良い」
バロンが冷たく言い放つ。そしてそのまま、急ぎ足で外に通じる扉に向かう。
「マティス、分かっているな」
マティスは、リリーに向けて剣を構えた。
何も言葉は無い。僅かに唇を噛みながらも、息を整えてリリーを見据える。
「い、やだ……」
嗚咽を漏らし、リリーは歯を食い縛る。
「私は聖騎士なんだ……姉さんの仇を……姉さんの仇を……」
血で滑る床に、涙が落ちる。
「っ、私が……悪魔……だ、なんて……っ」
こんなになってまで、まだ生きていたいと思う心が残っている自分を、リリーは浅ましく感じていた。
早く、この体の全ての血が流れてしまって、そして終わればいい。
姉を、生きながら裏切っていたこの命は、在るべきではない。
「もう…………」
終わる世界に、もう、救いは要らない。
「……もう、終わって…………」
眼前に迫る白銀の刃。まっすぐに首を目がけて迫るそれは、なんと冷たく恐ろしいのか。
瞳を閉じる事すらできない。涙も枯れた。
もう、何も考えられない。
「――終わらせはしない」
その瞬間、巨大な剣が刃を跳ね返した。同時に、弾け飛ぶ手枷。鉄の残骸が無数の欠片となって、血溜りの中に落ちていった。
急に与えられた自由に、リリーの体が崩れ落ちる。酷く変色した膝や手首が、床へと落ちていく。
だが、そうはならなかった。
差し出された大きな手の平が、リリーを抱き留める。血の香りがするその中に、ほのかに薔薇の香りがした。
強い腕に支えられ、リリーは瞳を開けた。
そこには、あの瞳があった。優しい輪郭が縁取る、真紅の瞳。
あの時の、悪魔がいた。
「ヒル……」
「名前を覚えていてくれたのか」
「……私」
「助けに来た。遅くなったな」
そう言って、リリーの体を優しく抱き上げたヒルは、額同士を重ねる。
「冷たいな。だが大丈夫だ。すぐに治してやる」
夜の色をした軍服に、リリーの血が滴り落ちるが、ヒルは気にする様子もなくリリーをしっかりと抱き締めた。
強く厚い胸から、鼓動が聞こえる。自分となんら変わらない、命の音だった。
「なぜ……助けてくれるの」
「言っただろう。俺は、お前を守る者だって」
瞬間、リリーの胸の内から、蒼い光が溢れ出る。それは、決して強い光ではなく、蛍のように淡い光の粒であった。
「離れろ!!」
マティスの声と共に、白い鎧に身を包む一個小隊が現れ、あっという間に陣形を整えた。
「ヒル……まさかヒルシュフェルト……!?」
バロンのおぼつかない足が、さらによろめく。
「議長は外へ! ここは俺が防ぎます!」
剣の切っ先を、ヒルに向けて構える。
ヒルもまたリリーを片腕に抱きかかえ、大剣を片手で構えた。
「あの時の人間か……」
「リリーを離せ!」
ヒル以上に険しい顔つきでマティスが叫んだ。ヒルは冷たくマティスを見据えたまま、敵意を以て言葉を発した。
「悪いがそれは出来ない。お前も知っての通り、彼女は元々こちら側にいるべき存在だ」
「うるさい!!」
マティスは熱くなり、感情のままにヒルに斬りつけた。
ヒルは片手に抱いたリリーを庇いながら、大剣を横なぎにぶつける。
巨大な剣をそのまま防ぐことは難しく、マティスは体勢を崩しながらも距離を取って退いた。
「リリーに当たったらどうする」
「貴様がリリーを離せば済むことだ!」
「――殺そうとしていたくせにか」