第一話「翡翠は、泥の中に」

 ──鐘が鳴った。
 まだ新しさが残るこの音は、この街の教会の鐘だ。
 鐘の音は街中に鳴り響き、一日の始まりを告げる役割を果たしている。
 寝呆け眼の花屋の店主が、欠伸をしながら水を撒く。もうずっと前に仕事を始めていたパン屋の主人が、「お早いお目覚めで」などと冗談を言って店の扉を開いた。

 ここは、朝焼けの街アナトリ。大国リュシアナに属しながらも、領主による自治が認められた、特別な街だ。
 とはいっても、ただの田舎街だ。外を歩けば皆がほとんど知り合い。小さい商店こそあるものの、大半は自給自足の生活をしている。
 街の名前にふさわしく、日の出の光が木々や建物を通り過ぎるとき、まるで宝石を集めたようなきらめきを見せるため観光客も少なくはない。
 朝食を終えた子供たちが、庭先に出て朝露の雫を弾きながら遊び始めた頃のことだった。
 小鳥のさえずりに混じって、何か鉄が擦れ合うような音が規則的に聞こえてきた。
 一人、好奇心旺盛な男の子が庭から出て、音がした方を見る。ふと、街の中心を通る道の彼方に、人影が見えた。子供が背を伸ばして、興味深そうにその人影が近づいてくるのを待つ。
 するとそこには、薄汚れた布を纏った一人の娘がいた。

 肩程までの青灰色の髪に、何か赤黒い汚れがこびりついている。眼光は鋭く、ただひたすら目的地のみを見ている。歩く度に見える足は細いが、鍛えられた筋肉の筋が浮き出ており、か弱さは見られない。
 腰に差した剣が、歩く度にきちりきちりと音を立てているのを聞いて、子供は声を上げた。

「あ、リリー姉ちゃんの音だったんだあ」

 そう言った瞬間、リリーは睨むよう子供を一瞥した。

「お帰りなさいっ! 今日はどこに行ってたの?」

 無垢な瞳で問い掛けてくる子供に、リリーは笑むこともしなかった。そして、その純真さが気に入らないといった風情で瞳を歪め、

「悪魔を殺してきただけ」

 と、唸るように答えた。子供が、小さくしゃくり上げた気がしたが、リリーはそれ以上は見ようとせず、また歩きだした。
 だが、ふと立ち止まり、もう一度子供がいた方に振り返ってみる。しかしもう子供の姿は無かった。

 ──ああ、今日も生きている。

 リリー・ウルビア、この時、十九歳。
 彼女は帰らない姉を探す為、聖騎士になった。

 リリーは、聖騎士になった頃に一人でアナトリに移住した。
 両親はいた。しかしどうも折り合いが悪く、セイレがいなくなってからというもの、その仲はますます悪化した。
 だが、家を出た理由は、そんなくだらないことではない。
 ただひとつ、姉を探すという目的の為だった。

 聖騎士になるには、聖騎士管理組合が定める試験に合格をする必要がある。そして合格をしたならば、どこかの国家に聖騎士として「国家登録」をしなければならない。
 そうすることで、聖騎士管理組合は聖騎士の数を把握し、効率的に悪魔討伐のための配置、指示ができる。
 その代わり、生活に必要なものは全てその国家や組合が用意をしてくれる。だがその報酬は、国や聖騎士の位によって、かなりの差がある。
 国としては登録聖騎士が多ければ多いほど嬉しいものだ。自国の民を悪魔から守る意味はもちろんだが、権威と豊かさを他国に誇れるという対外的な理由もあった。
 
 また、聖騎士は悪魔討伐以外にも、聖騎士管理組合から通達される任務をこなす義務が課せられている。それは、有事の際は積極的な協力をというものであったり、要人の護衛であったり、内容は実に多種多様である。
 つまり国家は、聖騎士を自国の「兵」として扱うことも出来るのだ。
 そう言うと、聖騎士などと言っても名前だけのように聞こえるが、世間では彼らは「特別」な存在であることに変りはない。
 どこからともなく湧き出る悪魔に怯えるこの世界では、聖騎士は人々にとって希望そのものであった。

 だが妙なことに、このリリー・ウルビアは、どの国家にも登録していなかった。生活に必要な金も、「仕事」をして稼いでた。
 彼女と同期に合格した聖騎士の男がその理由を聞いてみたところ、「任務に縛られすぎると姉さんを探せない」と、うんざりした様子で答えたという。
 ならば、なぜ聖騎士になったのか。再びそう聞いた時、リリー・ウルビアは口を閉ざし、近くにあったコップの水を男にかけた。

「しつこい」

 その生意気な言葉ひとつで、彼女は他の聖騎士から罵られるようになった。

 アストレイアの妹のくせに、変り者。
 落ちこぼれ。

 リリー・ウルビアは、そう呼ばれるようになった。
 だが、リリーはひたすら、姉を探して回った。
 しかし、そんな聖騎士を管理組合が放っておく筈もなかった。聖騎士の名を悪用しないかどうかの監視がつくのは当然であった。
 組合からの再三の警告により、なんとか任務をごくたまにではあるがこなすようにはなった。
 そのつじつま合わせが、今日の討伐であった。

 家に着いたリリーは、前日に作っておいた朝食には目も向けず、よろよろとベッド脇へと向かった。
 まだ血生臭い服を投げ捨て、下着のまま椅子に座りこむ。窓から差し込む陽の眩しさに目を細め、ただ決められたかのように水を飲む。そのままあまった水を観葉植物にかけ、風呂に向かった。
 傷に湯が染みる。血の匂いが消えていくのを感じつつ、瞳を開ける。透き通った翡翠色の瞳に、生気はなかった。
 風呂から上がったリリーは、適当な布を手に取ると、頭をかくようにして髪を拭う。くしゃりと絡む蒼い髪を手ぐしでさっと梳かしていると、ふと、タンスの横の全身鏡に写った自分と目が合った。

「似てない」

 鏡の中に、セイレの影が揺らぐ。あれからもう、十四年経つ。歳月は、瞬く間に過ぎた気がした。
 誰かが、リリーに言った。

 “もう生きてはいないだろう”

 信じたくない。
 だが、頭のどこかで諦めている自分がいることをリリーは分かっていた。
 これ以上、探しても無駄なのだと。
 セイレがいなくなったあの日から、リリーは毎日取りつかれたように聖騎士の修行に励み、夜の街に出ては裏の人間達から情報を集めた。だが、一向にセイレに関する情報は入らなかった。
 鏡を見つめていると、セイレが揺らいで浮かび上がった。綺麗なブロンドの髪の隙間から見える額には、最高位の聖騎士の証が刻まれている。まるで暁に降りる星空のよう。
 触れても消える、その幻覚。
 家族もいない、親しい友人もいない。姉の優しい記憶と、儚い希望だけが、今のリリーを支えていた。

 ふと、軽快なノック音が聞こえた。
 その音で、鏡の中の幻像は消えた。
 
「誰……」

 そうやって軽く舌打ちをし、身なりを整える。

「王の使いです。ご対応を」

 えらく急いだ声だ。そう思いながらもドアに向かいノブに手をかける。少し怖じながら、扉を開けた。
 するとそこには、落ち着きを湛えた若い男が背筋を伸ばし燐として立っていた。
 枯葉色のような髪は、清潔に整えられており、前髪から覗く瞳は深海の色をしていた。
 獅子の紋章が刻まれた鎧は朝日を反射して光り、腰の大剣は年季が入っている。あまりにも愛想のいい笑顔を見せる男であったが、リリーはほだされることなく、睨み付けた。

「何か用?」

「貴方が、リリー・ウルビア殿?」

 そう言って、男は僅かに目を瞠った。失礼な反応だと言わんばかりに、リリーは口を結ぶ。

「あ、ああ失礼。私は聖リュシアナ・アニェス王国、近衛隊所属のマティス・センシディアです」

「聖王国、近衛兵……」

 聖王国リュシアナ。このガウディが属している、国家の名だ。
 男の胸に光る獅子の紋章は、その聖王国の国王を表すもの。何人たりとも、他国であろうともそれと同様の紋を刻むことは禁じられている。本物ですかなどと確認をするのも馬鹿らしいくらい、清やかな金で輝いている。
 だからと言って、リリーが態度を改めることはなかった。

「近衛兵が王の下を離れて、こんなところまで何の用?」

 扉に持たれかかったまま、リリーはマティスを見据えた。
 不遜な態度だったが、マティスが気を悪くすることはなかった。むしろ、どこか高揚した様子で姿勢を正した。

「変り者とは聞いていたけど……」

「は?」

「あ、いえ」

 失言に口を押さえながらも、マティスは話を続けた。
 リリーは顔をしかめ、ため息を吐いた。

「あんまり人の顔をじろじろと見るのはやめて」

「あ、ああ、いえ……その」

 リリーは、この反応にはいい加減うんざりしていた。こういう態度を取られることは、何も今日が初めてではない。彼女がアストレイアの妹だと知ると、人はお決まりかのようにその顔を見つめるのだ。
 翡翠の玉のような瞳は、色こそ同じだが、あの輝くような姉の瞳とは違っていた。輪郭がきつく、冷たさを帯びたそれを見て、人は肩を竦める。そして最後には決まって「両親のどちらに似たのかな」などと言うものだから、リリーは益々口を閉ざしてしまうようになっていた。
 おそらくこの男も、同じようなことを言いたいのだろう。言わせてなるものかと先手を打ったリリーは、マティスを睨み上げた。
 だが、彼が放った言葉は、少し違うものだった。

「優しい色の瞳ですね」

 意外な言葉に、リリーの表情は強張った。何と返せばいいのかと戸惑っていると、マティスは手に持っていた何かをリリーに差し出した。

「失礼、本日はこちらを持ってまいりました」

「手紙……?」

 それは、しっかりと閉じられた一通の封筒だった。リリーは封筒とマティスを交互に見つめた後、それを手に取った。
 何も言わず、そっと封筒に手をかける。中には、陳腐な見た目に反して、しっかりとした硬さのある手紙が入っていた。

「この刻印……」
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