第二話「白銀の嘘、紅き系譜」
夜も見えない。昼も見えない。
迫り来る闇の招き手から逃げることが出来ない人はどうすればいいの?
おとぎ話の勇者のように、昔話の優しい人のように。
我らを救う手は、あまりに遠い。
この国は守られた王国。
聖なる獅子と、王がおわす人の楽園。差別はなく、貧困はなく、飢えもない。
そこに生まれたからには、恩恵を受ける権利がある。生まれたからには、生きる権利がある。
ならば、殺さないのでしょう。
誓いに満ちた清やかな庇護を受ける為、貴方は己の心に偽りを持たない。
降りかかる厄災は全て我が身に。暗礁の空を穿つ弓矢となりて、守る為に。
人が移り変わり、夜の色が面を変えても月は巡り陽は昇る。
正体の分からない寒さに怯えて眠りについたリリーにとって、窓から差し込む光は暴力的なものでしかなかった。
リリーは、本当に久しぶりに首都アルフォンスにある実家に帰宅を許されていた。
許されたというとおかしな聞こえであるが、リリーからすればそれが普通であった。
悪魔の大地から帰ったばかりのリリーを迎えたのは、温かい母の言葉と、父のねぎらいなどではなく。入れ違いに出て行こうとする、二人の男女の冷たい視線だけだった。
男と女は、リリーに「恐れ」を抱いていたのだ。
リリーには、両親の気持ちがよく見えていた。だが、何故怖がられているのかは分からなかった。
あの人たちは自分にきちんと食事も与えてはくれたし、他者に恥じるような行動はしてはいない。
だが、ただひたすらに、腫れ物に触るように。遠巻きに、獣を見るように。無難な言葉で、当たり障りのない表情で。強張った笑顔の奥を隠しながらリリーという人物を育て上げた。
それ故、リリーは人との関わり方が分からなかった。
人が自分に向ける感情は「恐れ」か「侮蔑」か、「建前」以外に何もない。それが普通で、それが日常だった。
その中で、セイレの笑顔は春を思わせるほどに光に満ちていた。
心からの笑顔と、優しい腕の中。しかし、それは自分の手の内にあるように感じられるものではなかった。
傍で咲き誇る花をその手に包んでも、己の体が花のようになるはずもなく。見えているのに、決して掴むことは出来ない太陽のように。
年月という静かな支配者が、リリーを外側から、砂のように固め上げてしまっていた。
* * *
「リリー」
聞き覚えのある声が、窓の外から聞こえる。
「リリーってばー!」
硝子の格子の間で、影がゆらゆらとしている。確か、ここは二階の筈だったが。
眠い目を擦りながら、リリーはしぶしぶと窓を開けた。
「……ベリー」
「おはよ~! 眠れた?」
扉の前に立っていたのは、聖騎士管理組合監査官のベリーだった。
明るい笑みを浮かべてはいるが、出で立ちは昨日とは違い、白地に黒い縁取りをした清潔感ある服装をしている。
見ると、彼女の足元には安定した様子で浮いている杖。ベリーはそこにバランスよく立ち、窓枠にもたれかかっていた。
「朝から何?」
「リリーを起こしに来たの~」
「嫌がらせ……」
窓を無理やり締めようとすると、ベリーは慌てて部屋に押し入ってきた。
「ちょっとちょっとちょっと~! いつまで寝るつもり? もうお日様高いよ~!」
「寝かせて」
「今日! 登城しなきゃいけないの忘れてない!?」
「忘れてない。まだ時間はある。おやすみ」
「ごめんごめん顔見に来ただけなの! 入れてよ~!!」
二人は窓の内と外で押し問答していたが、廊下を通りかかったハウスメイドがけたたましくノックを繰り返してきた為、とりあえずその場を収めることにした。
「……どうぞ」
「お邪魔しまぁす」
ベリーは部屋に入るとベッドにぽふんと腰掛け、リリーはひとつだけある椅子に足を組み腰を掛けた。
「珍しいじゃん、実家で寝るなんて」
「仕方ないでしょ。あっちと行ったり来たりしていると出費がかさむんだから」
「お給料あるでしょ?」
「……ベリー、監査官は騎士と馴れ合ってはいけないと思う」
リリーが神妙な面持ちで問い掛けるが、そんなもの関係ないといったような明るい声でベリーは答えた。
「友達に会いに来てるだけ~。だってあたし今日はお休みだもん。問題ありますか~?」
リリーは一応心配したのだろうが、当のベリーはまったく平気らしく、絶えず笑みを浮かべていた。
「あっそうそう、任務お疲れ様」
「大分地形が変わっていたみたいね。……あそこまで凍っていたら仕方ないか」
「“大凍結”だっけ……ヴァイスは、凍ったままなんだよね」
頬に睫の影を落とし、ベリーが言う。
「悪魔どもはよくあの環境で生きていられるな。あの男なんて見た目は普通の――」
「男?」
はっとして、リリーは口を閉じた。瞳を左右に動かし、取り繕う。
が、嫌な気のある笑顔を浮かべたベリーは、矢のように質問を投げかけてきた。
「男の人と会ってたの? 悪魔の? それって若い子たちの間で噂の見た目はかっこいー悪魔ってやつ? へえ~」
「ふざけた勘繰りをするな!」
「ごめんごめん。でも、人間の男の人に見える悪魔もまだいたんだね~。戦いにくくない? 大丈夫そ?」
「……だい、じょうぶ」
頼りない返事に、ベリーは眉を下げた。
「ねえリリー、しんどくなったら話してね。あたし、ちゃんと聞くから」
ベリーは、話の最後にはいつもリリーを気遣う言葉を発していた。
心に余裕があるのだなとリリーは感じていたが、最近特にそれが過剰になっているように思えた。
ベリーはよく喋り、リリーは黙りこむ。リリーが嘆くと、ベリーは寄り添う。
迫り来る闇の招き手から逃げることが出来ない人はどうすればいいの?
おとぎ話の勇者のように、昔話の優しい人のように。
我らを救う手は、あまりに遠い。
この国は守られた王国。
聖なる獅子と、王がおわす人の楽園。差別はなく、貧困はなく、飢えもない。
そこに生まれたからには、恩恵を受ける権利がある。生まれたからには、生きる権利がある。
ならば、殺さないのでしょう。
誓いに満ちた清やかな庇護を受ける為、貴方は己の心に偽りを持たない。
降りかかる厄災は全て我が身に。暗礁の空を穿つ弓矢となりて、守る為に。
人が移り変わり、夜の色が面を変えても月は巡り陽は昇る。
正体の分からない寒さに怯えて眠りについたリリーにとって、窓から差し込む光は暴力的なものでしかなかった。
リリーは、本当に久しぶりに首都アルフォンスにある実家に帰宅を許されていた。
許されたというとおかしな聞こえであるが、リリーからすればそれが普通であった。
悪魔の大地から帰ったばかりのリリーを迎えたのは、温かい母の言葉と、父のねぎらいなどではなく。入れ違いに出て行こうとする、二人の男女の冷たい視線だけだった。
男と女は、リリーに「恐れ」を抱いていたのだ。
リリーには、両親の気持ちがよく見えていた。だが、何故怖がられているのかは分からなかった。
あの人たちは自分にきちんと食事も与えてはくれたし、他者に恥じるような行動はしてはいない。
だが、ただひたすらに、腫れ物に触るように。遠巻きに、獣を見るように。無難な言葉で、当たり障りのない表情で。強張った笑顔の奥を隠しながらリリーという人物を育て上げた。
それ故、リリーは人との関わり方が分からなかった。
人が自分に向ける感情は「恐れ」か「侮蔑」か、「建前」以外に何もない。それが普通で、それが日常だった。
その中で、セイレの笑顔は春を思わせるほどに光に満ちていた。
心からの笑顔と、優しい腕の中。しかし、それは自分の手の内にあるように感じられるものではなかった。
傍で咲き誇る花をその手に包んでも、己の体が花のようになるはずもなく。見えているのに、決して掴むことは出来ない太陽のように。
年月という静かな支配者が、リリーを外側から、砂のように固め上げてしまっていた。
* * *
「リリー」
聞き覚えのある声が、窓の外から聞こえる。
「リリーってばー!」
硝子の格子の間で、影がゆらゆらとしている。確か、ここは二階の筈だったが。
眠い目を擦りながら、リリーはしぶしぶと窓を開けた。
「……ベリー」
「おはよ~! 眠れた?」
扉の前に立っていたのは、聖騎士管理組合監査官のベリーだった。
明るい笑みを浮かべてはいるが、出で立ちは昨日とは違い、白地に黒い縁取りをした清潔感ある服装をしている。
見ると、彼女の足元には安定した様子で浮いている杖。ベリーはそこにバランスよく立ち、窓枠にもたれかかっていた。
「朝から何?」
「リリーを起こしに来たの~」
「嫌がらせ……」
窓を無理やり締めようとすると、ベリーは慌てて部屋に押し入ってきた。
「ちょっとちょっとちょっと~! いつまで寝るつもり? もうお日様高いよ~!」
「寝かせて」
「今日! 登城しなきゃいけないの忘れてない!?」
「忘れてない。まだ時間はある。おやすみ」
「ごめんごめん顔見に来ただけなの! 入れてよ~!!」
二人は窓の内と外で押し問答していたが、廊下を通りかかったハウスメイドがけたたましくノックを繰り返してきた為、とりあえずその場を収めることにした。
「……どうぞ」
「お邪魔しまぁす」
ベリーは部屋に入るとベッドにぽふんと腰掛け、リリーはひとつだけある椅子に足を組み腰を掛けた。
「珍しいじゃん、実家で寝るなんて」
「仕方ないでしょ。あっちと行ったり来たりしていると出費がかさむんだから」
「お給料あるでしょ?」
「……ベリー、監査官は騎士と馴れ合ってはいけないと思う」
リリーが神妙な面持ちで問い掛けるが、そんなもの関係ないといったような明るい声でベリーは答えた。
「友達に会いに来てるだけ~。だってあたし今日はお休みだもん。問題ありますか~?」
リリーは一応心配したのだろうが、当のベリーはまったく平気らしく、絶えず笑みを浮かべていた。
「あっそうそう、任務お疲れ様」
「大分地形が変わっていたみたいね。……あそこまで凍っていたら仕方ないか」
「“大凍結”だっけ……ヴァイスは、凍ったままなんだよね」
頬に睫の影を落とし、ベリーが言う。
「悪魔どもはよくあの環境で生きていられるな。あの男なんて見た目は普通の――」
「男?」
はっとして、リリーは口を閉じた。瞳を左右に動かし、取り繕う。
が、嫌な気のある笑顔を浮かべたベリーは、矢のように質問を投げかけてきた。
「男の人と会ってたの? 悪魔の? それって若い子たちの間で噂の見た目はかっこいー悪魔ってやつ? へえ~」
「ふざけた勘繰りをするな!」
「ごめんごめん。でも、人間の男の人に見える悪魔もまだいたんだね~。戦いにくくない? 大丈夫そ?」
「……だい、じょうぶ」
頼りない返事に、ベリーは眉を下げた。
「ねえリリー、しんどくなったら話してね。あたし、ちゃんと聞くから」
ベリーは、話の最後にはいつもリリーを気遣う言葉を発していた。
心に余裕があるのだなとリリーは感じていたが、最近特にそれが過剰になっているように思えた。
ベリーはよく喋り、リリーは黙りこむ。リリーが嘆くと、ベリーは寄り添う。