第一話「翡翠は、泥の中に」

「陛下、急に玉座を立たれたかと思えばこんなところに」

「はは、すまない」

「まったく、年寄りを労って頂きたい! ……ん?」

 老体の大臣の一人が、リリーに気付いた。みるみるうちにその顔が青ざめ、わなわなと唇を震わせた。

「き、貴様リリー!」

「無事、ヴァイスから帰還しました。残念そうですね、大臣殿」

 リリーは嫌味に言い放つと大臣は苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
 だが、一番年老いた男だけは、微笑みながら二人に声をかけた。

「おおリリーにマティス。無事で何より」

「こ、国議院議長様。はい……おかげさまで」

 戸惑いがちにマティスが答える。現れたのは、この国の行政を担う国議院の最高権力者、バロン・ロストハウンドだった。
 白で統一された衣服に、特徴的な片眼鏡。目付きがやや鋭いが、愛想よく笑みを浮かべている。
 彼は、皺の深い口元に更に皺を寄せ、噛み締めるように頷いた。
 リリーを嫌っている大臣達は何やら互いに耳打ちをした後、再び頭を下げこう言った。

「陛下、では我々はこれにて。彼らから任務の報告を聞かねばなりませんので」

「ああ、そうだな。下がっていい。」

「御意。ではマティス、報告を会議室で」

 大臣達は、マティスだけを連れその場から立ち去ろうとする。しかし、リリーがそれを止めた。

「私はもう用無し?」

「貴様に聞かずともセンシディア殿から全て聞こうぞ。さっさと行け」

 リリーは黙って大臣を睨み据え、小さな荷物袋に入れていた地図を取出し手渡した。
 ぱし、と奪うようにそれを受け取った大臣は、リリーを気にするマティスを労りながらその場を立ち去っていった。

「……何なの」

 分かってはいたが、あからさまなその扱いにリリーは腹は立った。
 側にいたアルフレッド王は笑いながらそれを見送るとこう言った。

「相変わらず仲が悪いな、リリーと大臣たちは。さあ、もう誰もいない。畏まらなくても構わないよリリー」

 アルフレッド王が続けてそう言うと、リリーは膝小僧についた芝生を払いながら立ち上がった。

「誰もいなくとも、見られているかもしれません陛下」

「ならば、場所を変えよう」

 夕日が中庭を紅く染める。二人は早足に中庭を出た。
 中庭を出たアルフレッド王とリリーは、夜空の月がよく見える城の、一番高い塔の屋上に来ていた。
 辺りは静寂に包まれており、時折聞こえるのは、空を通り抜ける風の声のみ。
 どこまでも広がっているかのような王都の灯りが、一面に揺らめく。それらを遠くに見つめながら、アルフレッドは口を開いた。

「すまないね。任務から帰ったばかりで」

「平気」

 アルフレッド王は塔の壁に手をかけ、町を見渡しながら夜風に髪を遊ばせていた。
 それを憂いたリリーが、声をかける。

「風邪を引く。貴方、昔からそんなに身体は強くなかったでしょう」

「こんな分厚い毛皮を着せられているんだ、そうそう身体は冷えないさ」

「けど、顔が強張っている」

 リリーの言葉に、灰色の瞳が揺らいだ。

「……セイレが、死んだそうだね」

 アルフレッドはリリーの進言を聞かずに、話し始めた。

「私は、この国の王だ。この国の民を守るためならば死力を尽くそう。だが今日もまた、聖騎士が死んだ。私はそれを玉座で聞いたんだ」

「アルフレッド、それは…………」

「リリー、私は恐ろしい。セイレが死んだと聞いたときも、私は玉座にいた。亡骸を見ることもなかった」

 アルフレッドはリリーに向き直り、懇願するように問い掛けた。

「私を冷たいと思うか?」

 リリーは王の問いに静かに首を横に振った。

「貴方は成すべき事を成している。小さい頃から、貴方が怠慢を見せたことはない。……バカみたいに、完璧にやろうとしているじゃない」

 リリーの瞳はまっすぐにアルフレッドを見つめた。少し冷たい夜風が、二人の体をすりぬけていく。

「私は知っている。貴方は、優しい人。幼い頃、一緒に遊んだ貴方は、いつだって私を気遣ってくれていた。王様になっても、変わっていない」

 俯きがちに、リリーは言った。
 アルフレッドは目を細めると、小さく笑ってみせた。

「お互い、だいぶ大人になってしまったね」

「ええ」

「あの頃のように自由に走り回れはしないけど、君が生きていてくれて本当に良かった。もう、私を深く知るものは少ないからね」

「孤独を背負っているような言い方はよくない、アルフレッド。貴方はこの国の王なの。……民の事を、想ってみて。そこに孤独は無いわ」

 アルフレッドは、僅かに目を見開いた。
 驚いたように言葉を詰まらせた後、柔らかに微笑んだ。

「君たちは顔の似ない姉妹だが、言葉は同じだな。とても、心地良い」

 リリーは、こういう時に何と声をかけていいのか分からなかった。
 ただ黙り、相手を見つめることしか出来なかった。

「気高く強い、アストレイア。まだ王子だった私にもよくしてくれた。よく抜け出して、君たちの家に行った」

 話を聞きながら、リリーはあのことを話すべきか否か、迷っていた。
 ヒルから聞いた、アストレイアは生きているという事実。
 しかし、何の証拠もないのに軽はずみなことは言えなかった。しかも、悪魔が言った事だ。
 明日からでも、悪魔との全面戦争が始まるかもしれない。そんな切迫した状況下の中、混乱を招く発言は避けたい。
 考えていると、アルフレッド王はリリーの困惑する様を感じ取り、苦笑いを浮かべた。

「……リリー。ありがとう」

「私は何も出来ていない。幼馴染の貴方にも……姉さんにも」

 リリーが申し訳なさそうに言うと、アルフレッド王はリリーの前まで歩み、ふいに彼女を抱き締めた。

 リリーは無表情で、驚きもしなかった。
 目の前の若き国王の肩が少し震えていたのに気付いたから。

 戦争が始まる。しかし、そんな生と死のうめき声が響く中、彼は直接手を下すことなく玉座にて守られている。
 そんな立場にいる彼は、その持ち前の優しさ故に、「他人の死」に怯えていた。
 彼の優しさを以前より知るリリーは、身を柔らかくした。

「すまない。私は臆病だ」

「恐れを知らない者はいない。貴方は王、それでいい」

 リリーは抱き締められたまま、アルフレッドの背中を優しく叩いた。

「ありがとう」

「ううん」

 リリーと王の間には、長い時を付き合ってきたものだけが用える、気兼ねの無い、暖かな空気が流れていた。
 だが、頭に響くのはあの男の声。嘘が真実を覆し、真実が嘘を飲み込む悪魔の声。重なる体の温もりは、あの男のものとは違う。
 思い出してしまう、あの大きな胸の中を。

「リリー、君は、……君のまま、いてくれ」

 銀月は白く夜空にたたずみ、二人を優しく見つめていた。


 * * *


 夜も更け、空はすっかり黒いビロードの布に覆われた。
 月だけがその中で白く輝き、それを引き立てるかのように星達が小さく光を放つ。
 王と別れた後、リリーはガウディにある自宅には帰らず、王都のとある宿屋に部屋をとっていた。
 アルフレッド王は彼女に城に泊まるように勧めたのだが、リリーはその誘いを丁重に断った。
 聖王国の登録騎士でもないのに城に泊まったりなどすれば、また大臣達に何を言われるか。
 さすがにヴァイスへの旅は体に応えたのか、リリーは宿に借りた部屋のベッドの上にうつ伏せに枕を抱え込み寝転がっていた。
 ヴァイスとは違い、温暖な気候の聖王国。リリーは窓を開け放している。夜風が吹くたびに白いカーテンがふわふわとなびいていた。

「悪魔と……戦争、か」

 リリーは枕に顔を埋めたままつぶやいてみた。
 悪魔との、全面戦争に向けての準備が始まる。
 リリー達の功労により手に入れたヴァイスの新しい地図。それを元に作戦をたてる。
 そうしているうちにやがて各地から高位騎士が王国に集まり、聖騎士のみの大軍勢が編成される。
 悪魔達も馬鹿ではない。こちらの不穏な動きに気付いているだろう。
 人類の未来を左右する、歴史に残る大戦争が始まる。
 戦争が始まれば、リリーも当然駆り出される。剣を持ち、悪魔たちを根絶やしにするために。

「姉さんを殺したのは悪魔」

 瞳を閉じれば、浮かんで消える姉、セイレの顔。

「けどあいつは殺していないと言う」

 重なるように、ヒルの顔が浮かんだ。

「あいつは……私を守る者」

 もやもやとした感情が、胸の内に沸き上がる。
 千切れるような、切ない彼の声。まだ、耳の傍で囁かれてるように、熱い。

「訳が分からない」

 もし、もし姉が生きているのならばそれはそれで良い。
 だが、それならばあの死体は?
 大臣達が私に見せたあの姉の死体は?

「馬鹿な。相手はセイレを死ぬほど大事に抱えていた聖王国だ。そんなこと万が一にもありえない。」

 リリーは体を仰向けにすると、自身に言い聞かせるように独り言を言った。

「悪魔が、あいつが私を惑わすために言った詭弁。そう考えれば納得がいくじゃないか」

 天井の木目を見ながらまた呟く。
 ギシ、と音を立てベッドから体を起こし窓際に立つ。手摺りに両手をつき、人通りの無くなった外の道をぼんやり眺める。
 セイレの行方を探すため取得した聖騎士という位。けど彼女が死んだ今、考えることはひとつ。

 彼女の、仇をうつこと。

 それが正しい道。
 そう、私はこのままこの道を歩めばいい。
 リリーは己が中に小さく残る疑問を、薄く頼りない布で隠し、深く深く沈めた。

第一話・終
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