第一話「翡翠は、泥の中に」
仲の良さそうな二人を見て、マティスは意外な気もしていた。他人に対して希薄な接し方しかしない彼女が、このベリーという少女にはやけに親しみを以って接している。
こうしていれば、本当に普通の娘なのだがと、マティスは眉を下げた。
「“ビレファルファ、エーリファルファ、サスリーベ”」
ベリーは、何かを包むような形で両手を胸の前に添えた。
するとそこから、ぽつり、ぽつりと淡い光の雫が溢れだした。
さらに彼女が光に合わせるように何かを呟くと、雫はやがて長い杖の形をかたどり始め、両手に納まらなくなった。
杖はベリーの背丈よりも遥かに長く伸び、先端には金剛石のように多面にカットされた宝石がついている。宝石の周りには更に小さい宝石が幾つもちりばめられ、ベリーが振るうたびに心地いい音を立てた。
「三人かあ……」
指差し人数を数えるベリーを黙って見つめていたリリーは、その意味を理解してか、いささか不安な顔つきを見せた。
ベリーは、杖を大地に突き立て、瞳を閉じてまた何か唱え始めた。
が、いったん集中を切るとリリーに向かってこう言った。
「えと、行き先は聖王国だよね? 首都アルフォンス?」
「それ以外のどこへ飛ばす気なのよ」
「ごーめんごめん」
おどけたように自身の頭をぺしっとたたくと、ベリーは再び大地に突き刺した杖に目を向け、手をかざした。次にベリーが瞳を閉じ、何かを唱え始めると、杖がぼやけたように白く光りはじめた。
ベリーの前にはみるみるうちに光が拡がっていく。
光はやがて、蛍のように無数に飛びかいはじめ、巨大な扉を作り上げていった。
「“此処より果て。高き処に望みしは、其を恐れぬ歩みである。──開き給え”」
最後にベリーがそう唱えると、光の扉は完全に物質化し、杖の前に姿を現した。
白く艶やかな石造りの扉には天使や花の彫刻が施され、それを開けば天に繋がっているような気さえした。
「リリー、彼女ってもしかしてすごい魔導師?」
その様を目を丸くして見ていたマティスが、リリーに話し掛けると、リリーは小さく頷いた。
「すごいかどうかは知らないけど魔導師」
マティスが驚くのも無理はなかった。
アーリアにおいて、『魔導術』とは修練に非常に年月がかかる術だ。
知識、素質、そして師に恵まれなければ習得は難しい。
手をかざせばぱっと火がつくなどという簡単なものではなく、手順を踏み媒介を用い、初めて成立する術だ。
そうしてそれを扱うものを総称して『魔導師』と呼び、強い魔導師には二つ名が与えられることもある。
「よし、開いたよ~。お待たせマテくん!」
「空間転移術……。上級魔導師じゃないか」
空間を行き来する術などともなれば、行使するための媒介を用意するだけでも相当な費用がかかる。
それをこともなげにやってみせたベリーは、二人に向けて得意げな笑顔を見せた。
「んじゃ、扉を開けると一瞬だけ別空間につながるから、後ろや下は見ないで、前だけ見て進んでね」
「わかった」
リリーは扉の前まで静かに歩み寄ると、その白い扉の取っ手に手を掛けた。
「あっ、リリー」
「何?」
「お疲れ様……。気を付けてね」
「…………有難う」
ベリーに軽く笑みを返すと、リリーは扉を押し開けた。
マティスも後ろをついていく。
「リリー、ベリーは行かないのかい?」
「あの子は空を飛ぶほうが好きなのよ」
「もしかして、箒で?」
「貴方は物語の読みすぎよ」
こちらに手を振り見送るベリーを後ろ目に、二人は扉の中に入っていった。
二人が入った後、扉が完全に閉まるとベリーはぐっと伸びをした。
「…………マティス・センシディア。おぼっちゃまが何やってんだか」
意味深に呟くと、杖を大地から抜きさる。それと同時に扉もまた姿を消した。
ベリーは扉が消えたその場所をしばらく見つめていたが、すぐに背を向けるとまた何か唱え、光とともに空へと飛び去った。
* * *
ベリーが開いた扉を抜けると、そこは城の中庭だった。
扉の中の空間は、まるで色とりどりの泥をこねあったような異空間だったが、ベリーの忠告通り、二人は振り向かず前だけを見て歩んだ。
すぐに白い光が前方に見えてきて、それを抜けると二人はなんなく聖王国に辿り着いた。
「便利だな魔法って。俺も使えたらなあ」
二人がいる中庭は、あの『祈りの塔』がある場所だ。
創世神が降り立ったといわれるその場所には、やはり参拝をする人々の姿が目立つ。
夕暮れどきで人も少なかったのだが、それでも突如現われた二人に人々は驚きの声をあげた。
「わざわざこんな場所に送らなくても……」
リリーが文句を言っていると、二人に気付いた警備兵が剣を片手にこちらに走ってきた。
「動くな! 何者だ!」
兵たちは二人を囲むと、次々に剣を構えた。
「ちょ、待て、お前たち!」
慌てるマティスに反して、リリーは面倒くさそうに溜息を漏らす。
兵士はいきりたって声を上げた。
「どこから入り込んだか知らんが、この祈りの庭を荒らすつもりならばただではすまさん!」
「マティス、貴方近衛兵なんだから堂々としてれば」
「警備兵に顔を覚えられてないことがショックだよ……」
二人がこそこそ話す様子が益々気に入らなかった兵は、さらに声をあげる。
「かまわん! 二人とも捕らえろ!」
一人の兵士が指示を出すと、二人のぎりぎりの位置まで剣先が迫る。
その時だった。
「──待ちなさい」
兵士達の後ろ、中庭に入る扉の一つから、一人の男が現われた。
その男が現れると、祈りの庭の雰囲気は一変した。
男が歩むごとに、参拝に来ていた人々は進んで頭を下げ膝まづいていく。
長く美しい暁色の髪は後ろよりも横が長く、影だけを見ると、獅子のようにも見える。白い羽根の飾りで縁取られた深紅のローブが夕方の風で翻った。
「『祈りの庭』は神聖な場所。何人たりともそこを汚すことは許されない」
男はリリー達のところまで歩むとその足を止め、伏せ目がちだった瞳を完全に開いた。
彼の額には、金に輝く冠が光っていた。
「そうだね? リリー」
「アルフレッド……、陛下」
「国王陛下!?」
柔らかく微笑む男に向かって、兵士達は剣を鞘におさめ次々と跪いていった。兵達の鎧が擦れ合う音が完全に静まると、中庭は緊張に包まれた。
リリーとマティスも例外なく跪いた。
「久しぶりだねリリー」
「陛下におかれましては…………」
「堅苦しく言わなくて構わない。私と君は、そんな遠い仲ではなかった筈だよ」
礼儀を尽くそうとしたリリーに、アルフレッドは優しく言葉を遮った。
そして、傍らにいるマティスに視線を向けた。
「横にいるのはセンシディア伯爵の嫡男、マティスか?」
「はい、マティス・L・センシディアです」
頷くアルフレッドに対し、マティスは、頭をまた深く下げた。
「伯爵……嫡男?」
リリーが俯いたまま睨むようにマティスを見ると、彼は目は合わせず苦笑いをしてみせた。
「跡継ぎ……なるほどね」
「ま、まあ。いいじゃないか家の話は」
「どうりで」
不機嫌にリリーが呟くと、マティスは汗をかきうなだれた。彼自身、家柄の事はあまり言われたくないようだ。
「少し離れていなさい」
そう言って、アルフレッド王が手を小さく横に振ると、警備兵達や彼に付いていた侍女達は後ろ歩きにその場を下がっていった。
参拝に来ていた人々も、すごすごと祈りの庭を後にした。
庭の祈りの塔の前には、アルフレッド、そしてリリーとマティスだけが残された。
「さて。リリーがここにいるということは、あそこから無事帰還したんだね」
「はい」
「そうか、ご苦労だったね」
アルフレッドはリリーの前に立つと、そのすらりと伸びた背を少し屈めた。
「怪我が無くて良かったね、リリー」
「勿体ないお言葉です陛下」
リリーは、目を伏せたまま答えた。アルフレッド王はそんなリリーの言葉に少し寂しげな顔を見せたが、それ以上は何も声をかけなかった。
「陛下!」
すると、彼らの輪に、バタバタと数人の男たちが走ってきた。
高貴な衣裳に身を包んだ男たちは、走り慣れてないせいか息をきらす。
そして近くまで来ると、跪いて頭を下げた。
よく見ると、あの会議の時にリリーを追い出したがっていた大臣たちだ。それに気付いたリリーは、あからさまに顔を歪めた。
こうしていれば、本当に普通の娘なのだがと、マティスは眉を下げた。
「“ビレファルファ、エーリファルファ、サスリーベ”」
ベリーは、何かを包むような形で両手を胸の前に添えた。
するとそこから、ぽつり、ぽつりと淡い光の雫が溢れだした。
さらに彼女が光に合わせるように何かを呟くと、雫はやがて長い杖の形をかたどり始め、両手に納まらなくなった。
杖はベリーの背丈よりも遥かに長く伸び、先端には金剛石のように多面にカットされた宝石がついている。宝石の周りには更に小さい宝石が幾つもちりばめられ、ベリーが振るうたびに心地いい音を立てた。
「三人かあ……」
指差し人数を数えるベリーを黙って見つめていたリリーは、その意味を理解してか、いささか不安な顔つきを見せた。
ベリーは、杖を大地に突き立て、瞳を閉じてまた何か唱え始めた。
が、いったん集中を切るとリリーに向かってこう言った。
「えと、行き先は聖王国だよね? 首都アルフォンス?」
「それ以外のどこへ飛ばす気なのよ」
「ごーめんごめん」
おどけたように自身の頭をぺしっとたたくと、ベリーは再び大地に突き刺した杖に目を向け、手をかざした。次にベリーが瞳を閉じ、何かを唱え始めると、杖がぼやけたように白く光りはじめた。
ベリーの前にはみるみるうちに光が拡がっていく。
光はやがて、蛍のように無数に飛びかいはじめ、巨大な扉を作り上げていった。
「“此処より果て。高き処に望みしは、其を恐れぬ歩みである。──開き給え”」
最後にベリーがそう唱えると、光の扉は完全に物質化し、杖の前に姿を現した。
白く艶やかな石造りの扉には天使や花の彫刻が施され、それを開けば天に繋がっているような気さえした。
「リリー、彼女ってもしかしてすごい魔導師?」
その様を目を丸くして見ていたマティスが、リリーに話し掛けると、リリーは小さく頷いた。
「すごいかどうかは知らないけど魔導師」
マティスが驚くのも無理はなかった。
アーリアにおいて、『魔導術』とは修練に非常に年月がかかる術だ。
知識、素質、そして師に恵まれなければ習得は難しい。
手をかざせばぱっと火がつくなどという簡単なものではなく、手順を踏み媒介を用い、初めて成立する術だ。
そうしてそれを扱うものを総称して『魔導師』と呼び、強い魔導師には二つ名が与えられることもある。
「よし、開いたよ~。お待たせマテくん!」
「空間転移術……。上級魔導師じゃないか」
空間を行き来する術などともなれば、行使するための媒介を用意するだけでも相当な費用がかかる。
それをこともなげにやってみせたベリーは、二人に向けて得意げな笑顔を見せた。
「んじゃ、扉を開けると一瞬だけ別空間につながるから、後ろや下は見ないで、前だけ見て進んでね」
「わかった」
リリーは扉の前まで静かに歩み寄ると、その白い扉の取っ手に手を掛けた。
「あっ、リリー」
「何?」
「お疲れ様……。気を付けてね」
「…………有難う」
ベリーに軽く笑みを返すと、リリーは扉を押し開けた。
マティスも後ろをついていく。
「リリー、ベリーは行かないのかい?」
「あの子は空を飛ぶほうが好きなのよ」
「もしかして、箒で?」
「貴方は物語の読みすぎよ」
こちらに手を振り見送るベリーを後ろ目に、二人は扉の中に入っていった。
二人が入った後、扉が完全に閉まるとベリーはぐっと伸びをした。
「…………マティス・センシディア。おぼっちゃまが何やってんだか」
意味深に呟くと、杖を大地から抜きさる。それと同時に扉もまた姿を消した。
ベリーは扉が消えたその場所をしばらく見つめていたが、すぐに背を向けるとまた何か唱え、光とともに空へと飛び去った。
* * *
ベリーが開いた扉を抜けると、そこは城の中庭だった。
扉の中の空間は、まるで色とりどりの泥をこねあったような異空間だったが、ベリーの忠告通り、二人は振り向かず前だけを見て歩んだ。
すぐに白い光が前方に見えてきて、それを抜けると二人はなんなく聖王国に辿り着いた。
「便利だな魔法って。俺も使えたらなあ」
二人がいる中庭は、あの『祈りの塔』がある場所だ。
創世神が降り立ったといわれるその場所には、やはり参拝をする人々の姿が目立つ。
夕暮れどきで人も少なかったのだが、それでも突如現われた二人に人々は驚きの声をあげた。
「わざわざこんな場所に送らなくても……」
リリーが文句を言っていると、二人に気付いた警備兵が剣を片手にこちらに走ってきた。
「動くな! 何者だ!」
兵たちは二人を囲むと、次々に剣を構えた。
「ちょ、待て、お前たち!」
慌てるマティスに反して、リリーは面倒くさそうに溜息を漏らす。
兵士はいきりたって声を上げた。
「どこから入り込んだか知らんが、この祈りの庭を荒らすつもりならばただではすまさん!」
「マティス、貴方近衛兵なんだから堂々としてれば」
「警備兵に顔を覚えられてないことがショックだよ……」
二人がこそこそ話す様子が益々気に入らなかった兵は、さらに声をあげる。
「かまわん! 二人とも捕らえろ!」
一人の兵士が指示を出すと、二人のぎりぎりの位置まで剣先が迫る。
その時だった。
「──待ちなさい」
兵士達の後ろ、中庭に入る扉の一つから、一人の男が現われた。
その男が現れると、祈りの庭の雰囲気は一変した。
男が歩むごとに、参拝に来ていた人々は進んで頭を下げ膝まづいていく。
長く美しい暁色の髪は後ろよりも横が長く、影だけを見ると、獅子のようにも見える。白い羽根の飾りで縁取られた深紅のローブが夕方の風で翻った。
「『祈りの庭』は神聖な場所。何人たりともそこを汚すことは許されない」
男はリリー達のところまで歩むとその足を止め、伏せ目がちだった瞳を完全に開いた。
彼の額には、金に輝く冠が光っていた。
「そうだね? リリー」
「アルフレッド……、陛下」
「国王陛下!?」
柔らかく微笑む男に向かって、兵士達は剣を鞘におさめ次々と跪いていった。兵達の鎧が擦れ合う音が完全に静まると、中庭は緊張に包まれた。
リリーとマティスも例外なく跪いた。
「久しぶりだねリリー」
「陛下におかれましては…………」
「堅苦しく言わなくて構わない。私と君は、そんな遠い仲ではなかった筈だよ」
礼儀を尽くそうとしたリリーに、アルフレッドは優しく言葉を遮った。
そして、傍らにいるマティスに視線を向けた。
「横にいるのはセンシディア伯爵の嫡男、マティスか?」
「はい、マティス・L・センシディアです」
頷くアルフレッドに対し、マティスは、頭をまた深く下げた。
「伯爵……嫡男?」
リリーが俯いたまま睨むようにマティスを見ると、彼は目は合わせず苦笑いをしてみせた。
「跡継ぎ……なるほどね」
「ま、まあ。いいじゃないか家の話は」
「どうりで」
不機嫌にリリーが呟くと、マティスは汗をかきうなだれた。彼自身、家柄の事はあまり言われたくないようだ。
「少し離れていなさい」
そう言って、アルフレッド王が手を小さく横に振ると、警備兵達や彼に付いていた侍女達は後ろ歩きにその場を下がっていった。
参拝に来ていた人々も、すごすごと祈りの庭を後にした。
庭の祈りの塔の前には、アルフレッド、そしてリリーとマティスだけが残された。
「さて。リリーがここにいるということは、あそこから無事帰還したんだね」
「はい」
「そうか、ご苦労だったね」
アルフレッドはリリーの前に立つと、そのすらりと伸びた背を少し屈めた。
「怪我が無くて良かったね、リリー」
「勿体ないお言葉です陛下」
リリーは、目を伏せたまま答えた。アルフレッド王はそんなリリーの言葉に少し寂しげな顔を見せたが、それ以上は何も声をかけなかった。
「陛下!」
すると、彼らの輪に、バタバタと数人の男たちが走ってきた。
高貴な衣裳に身を包んだ男たちは、走り慣れてないせいか息をきらす。
そして近くまで来ると、跪いて頭を下げた。
よく見ると、あの会議の時にリリーを追い出したがっていた大臣たちだ。それに気付いたリリーは、あからさまに顔を歪めた。