第一話「翡翠は、泥の中に」

 責めるような目線に射ぬかれると、マティスは所在なさげに目を泳がせた。

「……隠していたわけじゃないさ」

 おくびなく答えるマティスだが、リリーと目が合うとふいと視線を外した。

「リリー、君こそどうしたんだ。悪魔に何もされなかったなんて運がいい」

 心配そうに声をかけるマティスだが、リリーはもう素直にそれには応えない。

「話していただけよ」

 つんと返事をすると、手に持っていた剣を腰のベルトに固定した。

「いいけど。その剣、取り返すのに苦労したよ」

「貴方を連れ去った悪魔はどうしたの?」

「ああ、隙をついて逃げてきたから」

 そう言うも、リリーの疑いの眼差しは変わらなかった。この返り血で、隙をついたなどと。
 マティスは誤魔化すかのように頭を掻いた後、リリーの剣を見た。

「取り戻せてよかったね」

「簡単に剣を奪われて、馬鹿にしているのでしょう。我ながら情けない」

「そんなこと思ってないよ!」

「別に、私の過失だから」

 沈黙する二人。ヴァイスの地に流れる冷たい空気が、彼らを追い出すかのように掠めていった。

「さて、これからどうしようか?」

 身震いしたマティスが、辺りを見回しながら言う。

「このまま突っ立っていてもらちがあかないわ。追っ手がくるかもしれないし、第一もう『偵察任務』じゃなくなってる」

「そうだね。この寒さと、あと君の傷も心配だ」

「やはり、聖王国に戻るしかないわね。徒歩じゃあ、何日かかるか分からないけど」

 確かに、ヴァイスから聖王国までを全て徒歩となるとかなりの日数がかかる。

「ふもとの村で馬が調達できればいいけど」

 何もない、凍てついた大地ヴァイス。
 生きた生物など、悪魔以外にいるはずがない。

 “悪魔じゃない”

 あの、緋色の瞳をした男の声が頭に響いたが、リリーは押さえ込むようにしてそれを無視した。

「──アルヘナのふもとの村まで歩きましょうか」

「今からアルヘナ山脈越えをするのかい!?リリー、いくらなんでもそれは……。夜中になるよ?」

「もう弱いフリしないで。あれだけの実力を持っている貴方と、聖騎士の私なら平気よ」

 冷たくぴしゃりと言い放つと、リリーは遠目に浮かぶ山脈に目を細め、方位磁石を取出し位置を確認した。

「ははは……手厳しい」

 マティスはぽりぽりと頭をかくと、書きかけの地図を取り出し、今いる位置を書き出した。
 二人は位置を把握すると、アルヘナに向けて歩み始めた。
 ヴァイスの平原には何もなかったので、万が一悪魔が現れても早く気付くことが出来そうだ。――だが、奴らは空間を移動していた。まるで魔導師のように。いや、魔導師よりも容易く。
 リリーはマティスが連れ去られた時のことを思い出すと、気を引き締めねばと眉をしかめた。
 その時、そんなリリーの張り詰めた気を打ち砕くかのようなお気楽な声がした。

「お困りですかあ~?」

 それは、若い女の声だった。
 リリーは冷め切った瞳でマティスを見る。

「……マティス、気持ち悪いからやめて」

「お、俺じゃないよ!」

 慌てて否定するも、辺りには二人以外誰もいない。

「じゃあ一体誰が…………」

 リリーがそう言いかけると、またどこからか声がした。

「こっちこっち!」

 二人はやっと声の出所に気付き、頭上を見上げた。
 すると、二人の真上に一人の少女がいた。いや、正確には何もない空間に『浮いている』。
 腰まである柔らかそうな桃色の髪は風に揺れ、真っ直ぐに切り揃えられた前髪の下には、丸い大きな瞳と、くるりと巻いた長い睫毛。
 身に纏うのは、ほとんど真白い魔法使いのローブ。金の渕どりは高価そうな紋様を彩っている。
 引きずるようなローブの下は、この地に似合わないような短いスカート。華奢な足がすらりと伸びているが、太腿の裏には魔導術の文様が描かれている。

「あは、やっと気付いた~」

 少女を見てマティスは驚き、リリーは頭を抱えうなだれた。
 少女はふわりとリリーの前に着地すると、その大きな瞳をぱちぱちさせながらにっこり微笑んだ。

「リリー! 久しぶりぃ~!!」

「何で貴女がここにいるの?」

 少女は再会の喜びをめいっぱい表現するかのように、リリーに抱きついた。
 リリーがうざったそうに手でつっぱねると、少女は少し残念そうに眉を下げた。

「相変わらずそっけないね~リリーってばさあ」

「貴女は相変わらず落ち着きが無い」

「そんなこと言って、助けにきてあげたのに」

 言い合いながらも親しい様子の二人を見て、マティスは少しの疎外感を感じ、話に割って入った。

「リリー、知り合いなのかい?」

 その問いに、リリーは応えず、少女が元気良く答えた。

「どうも~! あたしベリー。ベリー・ハウエルだよ」

「あ、よろしくベリー。俺はマティス…………」

 言い終わる前にベリーは続けて言葉で遮った。

「マテくんだね? よろしく初めましてー」

「マテ……」

 妙なあだ名にマティスはとまどったが、リリーが冷静に助言をする。

「マティス、深く考えなくていい」

「何それ。真面目に挨拶しただけじゃん」

 ベリーは、しかめっ面をリリーに向けた。

「それより貴女、助けにきたって言ってたけど」

「そそ! リリーが心配で見にきたの。迷子になってないかなぁ~って」

「なるわけないでしょ」

「なりかけてたじゃん」

「なってない」

「ああ! あのちょっと!」

 またまた疎外感を感じたマティスは、二人の会話に割って入る。

「ベリーさんも聖騎士なのかい?」

 マティスが聞くと、ベリーはけたけた笑いながらこう答えた。

「あははっ、んなわけないじゃない。あたしは、管理する側」

「え?」

 いまいち理解できなかったのでマティスが聞き返すと、ベリーはうーんと人差し指を顎にそえ、こう続けた。

「聖騎士管理組合ってわかるよね? あたしはそこの所属の魔導師だよ~」

「君が!?」

 マティスはぎょっとしてベリーをまじまじと見つめた。

「えへ、意外だった?」

「あ、うん。聖騎士管理組合の人間は顔を表に出さないから…………」

 聖騎士になる為には聖騎士管理組合の許可がいる。昇格も然り。彼らに属すことで、騎士たちは武器の配給を受けることも出来る。それ故に彼らは全ての聖騎士の状況、情報を把握しており、各王国からの信頼が厚い。
 機密情報を握っている機関のため、所属するには相当な実力と繋がりが必要になる。

「組合も寛大になったわね。そんなに簡単に組合の人間だって言ってもいいの?」

「だってマテくんは聖王国の人でしょ? 平気だよ」

 あっけらかんとしたベリーは満面の笑みをリリーに見せた。
 ベリーの顔を見ると僅かに気が抜けたような表情をのぞかせるリリー。けだるそうに腕を組むと、話を進めた。

「あ、そ。で、自己紹介も終了したたようだし……助けにきたってことは帰る手助けをしてくれるの?」

「うん! ちなみに、もう一人の聖騎士と兵隊さん、ちゃんとリュシアナに送ったよ」

 ベリーは、満面の笑みを浮かべ頷いた。

「そう……」

 人知れず安堵の息をもらすリリーに、ベリーはにっこりと微笑んだ。

「リリーもすぐに助けてあげるからね! ちょいちょいってやれば、すぐリュシアナに着くからさ」

 得意げに胸を張るベリーに、リリーは淡々と言う。

「それって組合の仕事なの?」

「あたしの仕事は『監査官』だもん。ついで~みたいな」

「監査官のくせに、私たちにはりついてはなかったのね」

「や、途中までは尾けてたんだけどさあ…………アルヘナあたりで見失っちゃって。んでやたら寒いし! やる気なくす! なんで二人ともそんな薄着なの~!?」

 リリーは頭を抱え、面倒臭そうにいきさつを話し始めた。
 ヒルのことや、この大地の情報。小声で、マティスの不可解な行動も。

「わかった?」

「へーえ」

 いきさつを聞いたベリーは、マティスを見ると少し顔を歪めた。

「な、なんだい?」

 マティスがそれに気付きそう言うと、ベリーは視線を彼から外しながらリリーに話し掛けた。

「別にぃ。んじゃ、ちゃちゃっと帰りますか!」

「助かるわ」

「貸しひとつだからね、リリー」

「仕事なんでしょう?」

「その返しだる~」
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