第一話「翡翠は、泥の中に」
「王には「力」があった。お前たちが魔法……魔導術と呼んでいるあれと、まあ似たようなものだ。対して、アストレイアには剣ひとつしかなかったが、二人の戦いは凄まじいものだった。たった一騎で王に戦いを挑んだ彼女は、その身の一部が動けなくなるほどに傷を負っても、諦めなかった」
アストレイアの強さはよく知っていたリリーだが、改めて聞かされると違いすぎる自分に情けなさを感じた。
「そして、ついに二人は動けなくなった」
ヒルの脳裏にその時の光景が鮮明に甦る。大平原に互いに剣を構えたまま睨み合う二人。
息も絶え絶えに、アストレイアが言葉をはなつ。
『王よ、そろそろ闇に還ったならどうだ。お前さえ諦めれば、人々の不安は消える』
王は答えた。
『貴様達は永きにわたり我らを妨げる。何故だ?』
『悪魔は土地を汚し、我らを食らう。それが理由だ』
アストレイアは燃え立つような闘志の中答えた。
だが、王は瞳を伏せ、こう言った。
『愚かな、我らは何もしていない。可哀相だ、貴様らは可哀相な人形だな』
王が剣を落とし、倒れる。アストレイアが剣を離し、重なるように倒れたその時、空から綿雪が降り始めた。
狂うように雪は落ち、風は鳴き、戦いが終わった。
「待って。それじゃあ……もう悪魔の王はいないのか!? 姉さんはお前たちに殺されたんだぞ! お前たちが勝ったんじゃなかったのか!」
「……はっきり真実を言ってやる」
ヒルは鋭くリリーを見ると、険しい顔でこう続けた。
「お前たちは、あいつの手の平で踊らせれている駒だ」
「なんだと…………?」
きしり、きしりと歯車が歪み始める。
何かが壊れて、また何かが組み上がっていく。
それは、リリーをこれから待ち受ける、過酷な運命のほんの始まりにすぎなかった。
部屋の明かりに照らされたヒルの髪は少し妖しさを帯び、リリーの焦燥感を掻きたてる。
「お前の言っていることは意味がわからない……」
不安を振り払おうときつく言い放った言葉は、盾にすらならなかった。
「だろうな、お前は何も識らないんだから」
ヒルは伏せ目がちに答えると、これから話すであろう内容を憂いてひとつため息を吐いた。
「何から聞きたい?」
ヒルがそういうと、リリーは怪訝な表情を向けながらも口を開いた。
「踊らされているとはどういうことだ?」
率直な質問に、ヒルはたじろぎもせずただ微笑んだ。
「そこから答えたほうがいいかもしれない」
少し間をおくと、ヒルはソファに深くもたれかかりこう言った。
「聖騎士とは、なんだ?」
リリーはその言葉に何故か少しぎくりとした。
「…………聖騎士は悪魔を討つために組織された精鋭たち。貴様が一番よく知っているだろう。悪魔なんだから」
するとヒルはその目を少し細め、リリーを見据えた。
「はは、聖騎士らしい、お利口な答えだな。じゃあもうひとつ聞こう」
ヒルは人差し指を軽く立てるとこう言った。
「悪魔とは、何だ?」
リリーは一瞬黙り込んだが、すぐに怒りとともに言葉を返した。
「ふざけるな! こんな話をするために私を連れてきたの!?」
「……お前たちは、なんだかんだ言っても一応は姉妹だな。あいつもそんな風に怒った」
深く眉間にしわを刻み怒るリリーに対して、ヒルは笑みを浮かべたままだった。
「昨晩も言ったが、お前は怖がりすぎだ」
「なんだと?」
「真実を知ることに……悪魔を知ることに恐れを抱いてる」
それを聞くとリリーは立ち上がりヒルを睨み付けた。
「私は何も恐れてなどいない!」
揺るぎない信念を秘めた深緑の瞳がヒルを映す。拳を握り締め、リリーは今にもヒルを殴りそうな勢いだった。
その様子を見て、ヒルはリリーの傍まで歩み寄り、身を屈めその青灰色の髪を少し撫でた。
リリーは髪を撫でるヒルの手を振り払いはせず、未だヒルを睨み続けたままだった。
そして、ヒルはゆっくりと語りだした。
「あの日。あの忌まわしき日。一進一退だった王とアストレイアの永き戦いが幕を引いた」
記憶の糸を手繰りながら、ヒルの口から今歴史の真実が語られようとしていた。
――それは、約十四年前。『ヴァイス大平原』。
風ばかりが吹き荒ぶその草原に、死の足音だけが木霊する。
何も無く、荒れた氷の大地。戦いの傷跡のみが横たわり、それらを更なる生へと転換させるものすら、現れず。
美しい乙女は横たわり、剣を見る。これで諦めてなるものかと、強く目を光らせた。
立ち上がり、大剣を担ぎ上げる。倒れた漆黒の王の体に、それを突き付けた。
「ざまぁ……ないな悪魔王。私の……勝ちだ」
悪魔王と呼ばれた男は、長い夜の髪の隙間から乙女を見た。
その瞳は、乙女と同じ翡翠の瞳であったが、今にも消え入りそうなほど弱々しかった。
「……聖騎士アストレイアとやらよ……今一度問う。何故人間は我等を狩る」
擦れた声で話す悪魔王に、もはや王の威厳はなく、ただの脱け殻のようだった。
アストレイア自身も、剣を構えるのに必死だった。だが、なんとか余裕を見せ付けるべく、皮肉な笑みを見せた。
「先程も言ったな。我々が、『可哀相な人形』と」
「お前たちは何も知らずにあいつの意のままに動いている」
王は、すでに生気のない瞳をアストレイアに向けると、続けてこう言った。
「この地がこのように凍り付いたのも、陽が届かぬ暗闇の大地となったのも…………あやつのせい」
「……何?」
アストレイアの瞳が大きく揺れた。その整えられた美しい顔を悪魔王に向けた。王は手を伸ばし、その顔に触れてみた。
「美しきアストレイアよ。騙されるな。我等は敵ではない!!」
「何を言いだすんだ」
「敵ではない。我らは…………敵ではない」
「悪魔だろう……?」
「そう呼ぶことで、お前たちは…………人間は……」
「……お前」
その、絞るような声を。アストレイアはどう聞いたであろうか。
その次の瞬間、アストレイアは剣を振り下ろしていた。恐ろしい光景が、影となって大地に焼きつく。
しかし、剣は悪魔を斬る事はなかった。傍らの、氷の大地にその身を埋めていた。
* * *
そこまで話して、ヒルは一度息を吐きリリーの顔色を伺った。
リリーはただ目を丸くしたまま、口を少し開き、ヒルを見つめていた。
「これが、傍で二人の戦いを見ていた俺しか知らない戦いの真実だ」
ヒルは少し疲れたのか、リリーから離れ、壺から水を汲み上げ飲み始めた。
リリーは、ただ立ち尽くしていた。
──何かが、音をたて壊れていくような気がした。認めたくない事実が今、リリーの中を戦慄となって駈け巡っていく。
一息ついたヒルは、また真実を語り始めた。
「王も、アストレイアを虫の息だった。俺たちは急いで二人を介抱した。怪我の完治まで時間はかかったが……セイレは治るや否やヴァイスを発った。そして」
「待て! お前の話、お前の話では…………姉さんを殺したのは」
ヒルの話を遮るように、リリーが言葉を挟む。
すがるような瞳を向けるリリーに、ヒルは小さく頷いた。
「真実を知ったアストレイアは、制止も聞かず飛び出した。勿論、自分の足で、自分の意志でな」
「じゃあ姉さんは殺されたのではなく……」
「ああ。アストレイアは、無傷の体でここを発った」
何かが、落ちて、割れた。
「リリー」
リリーの顔色が変わったのを気にしたヒルは、彼女の肩に手をかけようとした。しかしリリーはそれをきつく振り払い、震える唇で、嗚咽を漏らすように言った。
「私の名前を呼ぶな! お前が……! 悪魔が私を呼ぶな!」
「悪魔じゃない」
「悪魔だ! 私を惑わすお前は、悪魔だ!!」
「リリー!」
ヒルはリリーの両手首を掴み、自分の方に向かせるとその瞳を捉えた。
当然、抵抗するリリーであったが、ヒルはそれを上回る力で制し、何とか言葉を届けようとする。
「悪魔ではない。俺が悪魔だというのなら、お前との間にある違いは何だ?」
ヒルは自分の顔をリリーに近付けた。その作りを見せるかのように、確かめさせるように。
「やめ……やめて! 近よらないで!!」
「識るんだ、リリー。お前が生きるべき道を。切り開かなければならない、明日を」
「私は何も識りたくない! 私は聖騎士だ! お前を……お前を殺すために来たんだ!!」
そうでなければいけないかのように、リリーが叫んだ。
アストレイアの強さはよく知っていたリリーだが、改めて聞かされると違いすぎる自分に情けなさを感じた。
「そして、ついに二人は動けなくなった」
ヒルの脳裏にその時の光景が鮮明に甦る。大平原に互いに剣を構えたまま睨み合う二人。
息も絶え絶えに、アストレイアが言葉をはなつ。
『王よ、そろそろ闇に還ったならどうだ。お前さえ諦めれば、人々の不安は消える』
王は答えた。
『貴様達は永きにわたり我らを妨げる。何故だ?』
『悪魔は土地を汚し、我らを食らう。それが理由だ』
アストレイアは燃え立つような闘志の中答えた。
だが、王は瞳を伏せ、こう言った。
『愚かな、我らは何もしていない。可哀相だ、貴様らは可哀相な人形だな』
王が剣を落とし、倒れる。アストレイアが剣を離し、重なるように倒れたその時、空から綿雪が降り始めた。
狂うように雪は落ち、風は鳴き、戦いが終わった。
「待って。それじゃあ……もう悪魔の王はいないのか!? 姉さんはお前たちに殺されたんだぞ! お前たちが勝ったんじゃなかったのか!」
「……はっきり真実を言ってやる」
ヒルは鋭くリリーを見ると、険しい顔でこう続けた。
「お前たちは、あいつの手の平で踊らせれている駒だ」
「なんだと…………?」
きしり、きしりと歯車が歪み始める。
何かが壊れて、また何かが組み上がっていく。
それは、リリーをこれから待ち受ける、過酷な運命のほんの始まりにすぎなかった。
部屋の明かりに照らされたヒルの髪は少し妖しさを帯び、リリーの焦燥感を掻きたてる。
「お前の言っていることは意味がわからない……」
不安を振り払おうときつく言い放った言葉は、盾にすらならなかった。
「だろうな、お前は何も識らないんだから」
ヒルは伏せ目がちに答えると、これから話すであろう内容を憂いてひとつため息を吐いた。
「何から聞きたい?」
ヒルがそういうと、リリーは怪訝な表情を向けながらも口を開いた。
「踊らされているとはどういうことだ?」
率直な質問に、ヒルはたじろぎもせずただ微笑んだ。
「そこから答えたほうがいいかもしれない」
少し間をおくと、ヒルはソファに深くもたれかかりこう言った。
「聖騎士とは、なんだ?」
リリーはその言葉に何故か少しぎくりとした。
「…………聖騎士は悪魔を討つために組織された精鋭たち。貴様が一番よく知っているだろう。悪魔なんだから」
するとヒルはその目を少し細め、リリーを見据えた。
「はは、聖騎士らしい、お利口な答えだな。じゃあもうひとつ聞こう」
ヒルは人差し指を軽く立てるとこう言った。
「悪魔とは、何だ?」
リリーは一瞬黙り込んだが、すぐに怒りとともに言葉を返した。
「ふざけるな! こんな話をするために私を連れてきたの!?」
「……お前たちは、なんだかんだ言っても一応は姉妹だな。あいつもそんな風に怒った」
深く眉間にしわを刻み怒るリリーに対して、ヒルは笑みを浮かべたままだった。
「昨晩も言ったが、お前は怖がりすぎだ」
「なんだと?」
「真実を知ることに……悪魔を知ることに恐れを抱いてる」
それを聞くとリリーは立ち上がりヒルを睨み付けた。
「私は何も恐れてなどいない!」
揺るぎない信念を秘めた深緑の瞳がヒルを映す。拳を握り締め、リリーは今にもヒルを殴りそうな勢いだった。
その様子を見て、ヒルはリリーの傍まで歩み寄り、身を屈めその青灰色の髪を少し撫でた。
リリーは髪を撫でるヒルの手を振り払いはせず、未だヒルを睨み続けたままだった。
そして、ヒルはゆっくりと語りだした。
「あの日。あの忌まわしき日。一進一退だった王とアストレイアの永き戦いが幕を引いた」
記憶の糸を手繰りながら、ヒルの口から今歴史の真実が語られようとしていた。
――それは、約十四年前。『ヴァイス大平原』。
風ばかりが吹き荒ぶその草原に、死の足音だけが木霊する。
何も無く、荒れた氷の大地。戦いの傷跡のみが横たわり、それらを更なる生へと転換させるものすら、現れず。
美しい乙女は横たわり、剣を見る。これで諦めてなるものかと、強く目を光らせた。
立ち上がり、大剣を担ぎ上げる。倒れた漆黒の王の体に、それを突き付けた。
「ざまぁ……ないな悪魔王。私の……勝ちだ」
悪魔王と呼ばれた男は、長い夜の髪の隙間から乙女を見た。
その瞳は、乙女と同じ翡翠の瞳であったが、今にも消え入りそうなほど弱々しかった。
「……聖騎士アストレイアとやらよ……今一度問う。何故人間は我等を狩る」
擦れた声で話す悪魔王に、もはや王の威厳はなく、ただの脱け殻のようだった。
アストレイア自身も、剣を構えるのに必死だった。だが、なんとか余裕を見せ付けるべく、皮肉な笑みを見せた。
「先程も言ったな。我々が、『可哀相な人形』と」
「お前たちは何も知らずにあいつの意のままに動いている」
王は、すでに生気のない瞳をアストレイアに向けると、続けてこう言った。
「この地がこのように凍り付いたのも、陽が届かぬ暗闇の大地となったのも…………あやつのせい」
「……何?」
アストレイアの瞳が大きく揺れた。その整えられた美しい顔を悪魔王に向けた。王は手を伸ばし、その顔に触れてみた。
「美しきアストレイアよ。騙されるな。我等は敵ではない!!」
「何を言いだすんだ」
「敵ではない。我らは…………敵ではない」
「悪魔だろう……?」
「そう呼ぶことで、お前たちは…………人間は……」
「……お前」
その、絞るような声を。アストレイアはどう聞いたであろうか。
その次の瞬間、アストレイアは剣を振り下ろしていた。恐ろしい光景が、影となって大地に焼きつく。
しかし、剣は悪魔を斬る事はなかった。傍らの、氷の大地にその身を埋めていた。
* * *
そこまで話して、ヒルは一度息を吐きリリーの顔色を伺った。
リリーはただ目を丸くしたまま、口を少し開き、ヒルを見つめていた。
「これが、傍で二人の戦いを見ていた俺しか知らない戦いの真実だ」
ヒルは少し疲れたのか、リリーから離れ、壺から水を汲み上げ飲み始めた。
リリーは、ただ立ち尽くしていた。
──何かが、音をたて壊れていくような気がした。認めたくない事実が今、リリーの中を戦慄となって駈け巡っていく。
一息ついたヒルは、また真実を語り始めた。
「王も、アストレイアを虫の息だった。俺たちは急いで二人を介抱した。怪我の完治まで時間はかかったが……セイレは治るや否やヴァイスを発った。そして」
「待て! お前の話、お前の話では…………姉さんを殺したのは」
ヒルの話を遮るように、リリーが言葉を挟む。
すがるような瞳を向けるリリーに、ヒルは小さく頷いた。
「真実を知ったアストレイアは、制止も聞かず飛び出した。勿論、自分の足で、自分の意志でな」
「じゃあ姉さんは殺されたのではなく……」
「ああ。アストレイアは、無傷の体でここを発った」
何かが、落ちて、割れた。
「リリー」
リリーの顔色が変わったのを気にしたヒルは、彼女の肩に手をかけようとした。しかしリリーはそれをきつく振り払い、震える唇で、嗚咽を漏らすように言った。
「私の名前を呼ぶな! お前が……! 悪魔が私を呼ぶな!」
「悪魔じゃない」
「悪魔だ! 私を惑わすお前は、悪魔だ!!」
「リリー!」
ヒルはリリーの両手首を掴み、自分の方に向かせるとその瞳を捉えた。
当然、抵抗するリリーであったが、ヒルはそれを上回る力で制し、何とか言葉を届けようとする。
「悪魔ではない。俺が悪魔だというのなら、お前との間にある違いは何だ?」
ヒルは自分の顔をリリーに近付けた。その作りを見せるかのように、確かめさせるように。
「やめ……やめて! 近よらないで!!」
「識るんだ、リリー。お前が生きるべき道を。切り開かなければならない、明日を」
「私は何も識りたくない! 私は聖騎士だ! お前を……お前を殺すために来たんだ!!」
そうでなければいけないかのように、リリーが叫んだ。