第十二話「神鉄の器、虚飾の略奪者」


 捕らわれたままで、何も知らずにいられるなら、きっと幸せであったのに。
 目覚めなければ、このまま貴方と、終わらない時を迎えていれば、世界が変わることもなかったのに
 けれども貴方は、求めてしまった。変わらないこの世界の、解放を。

 ――おお精霊よ。嘆くことなかれ。
 遙か昔に交わりし、我らと汝の血は色濃く紡がれた。
 未だその芽は見えぬとも、いずれこの世は神代に戻る。

 精霊よ。御手は来た。
 彼の者が、此処に来た。





 ふいに頭の中に耳鳴りのような音が響き、レイムは空を仰いだ。
 ヴァイスの地はやけに穏やかで、晴れ渡った空が暖かな陽射しを纏っている。

「どうした?」

 レイムの目の前で刀を構えている昴が、訝しげに問い掛けた。

「あ、ああ。なんでもないッス。稽古を続けてほしいッス昴さん!」

 そう言ってレイムは、右手に持っていた剣を構え直すも、まだ響き渡る妙な耳鳴りに、不安げな顔を見せた。

「そんな不安定な心では身につかんぞ」

 そう言うと昴は、静かに刀を鞘に納めた。そして、答えを求めるようにじっとレイムを見つめる。
 観念したように、レイムは口を開いた。

「実はさっきから、耳鳴りがして……」

「耳鳴り?」

 レイムは頭をかきながら、首を傾げる。

「疲れてんのかなあと思ったんスけど、なんか違うっていうか」

「俺の住む土地では、耳鳴りは不吉なものとして言われている」

「ふきつ?」

「悪い事、だ。例えば、よくないものが身の傍に迫っている時、耳鳴りがするという」

「ええ……なんか怖いッスね」

「リリスティアに、何も無ければ良いのだが」

 レイムの予感は、外れてはいなかった。
 その後すぐに、ヒルとレオンの元に魔法により書状が転送されてきたのだ。内容を読まずとも、封書の差出人の名を見た途端、彼らは顔をきつく歪めた。
 差出人は、ノーブル皇国皇帝シウバ。傲慢を形にした、光蘭珠の紐止めが床に転がるのを見て、レオンが眉を寄せた。
 巻き物状のそれを紐解けば、二人のいる部屋の空中に文が浮かび上がる。光と共に描きだされた文を読んでいくうちに、ヒルの表情が険しくなっていった。
 文字は、役目を終えると金色の粒となって、砂のように床に落ち、霧散した。同時に、部屋から飛び出そうとするヒルを、レオンがすぐに捕まえた。

「待ってクダサイ! 落ち着いて!」

「俺は落ち着いてる。ちょっと野暮用で出かけるだけだ」

「いきなり一人で行ってどうにか出来る状況じゃないデショーが!!」

 レオンは、猛虎の如く飛び出そうとしているヒルの腕を掴み必死に留まらせていた。
 だがヒルの力はすさまじく、気を抜けばすぐに振りほどかれそうになる。
 二人の青年は部屋の中で押し問答しているのだが、言い合う声は外の回廊にまで響いていた。

「離せレオン」

「離しマセン!」

 レオンは真剣に怒っていた。いや、怒っているというよりは、何かに切羽詰まっているかのように冷や汗を流し焦っている。ヒルはそれでも彼の掴んだ腕を振り払おうと必死だった。互いに力が入りきっているのか、拳が赤みを帯び震えている。
 すると、レオンは急にヒルの胸襟を掴み、身長差をもろともせず、力を込めた。

「今そんな状態で転移なんかしてリリスティアちゃん助けにいっても、ノーブル皇と対峙する前に死にマスよヒル君!」」

 レオンが急に口調を変え、鬼気迫る形相で怒鳴り付けた為、ヒルはやっと力を抜き、苦悶しながらもその場に踏み留まった。

「……分かった。分かったから離せ」

「本当デスかあ~?」

 レオンは疑問を投げ掛けながらも、ヒルの胸襟から手を離した。
 ヒルはその衣服の乱れを整えると、不安に満ちた顔をレオンに向けた。

「向こうには煌竜王がいるじゃないデスか」

 レオンは落ち着いた様子でそう語る。彼が言いたいのは、カイムの知恵回りの良さを信用しろということ。ノーブルを相手どるなら、彼以外に適役はいない。

「カイムさんが何回ノーブルとやりあって何回皇帝の城を破壊したと思ってるんデスか」

 レオンの言葉を静かに聞いていたヒルだが、ついに口を開き、絞りだすように声を出した。

「今度こそ、俺が守らないといけないんだ」

「ヒル君……」

 レオンの視界に映るヒルの様子がおかしい。さっきまでは普通だった彼の顔色が、今は色を無くし病人のように青ざめている。
 そして急な目眩に襲われたヒルは、頭を抱えその場に崩れ落ちた。

「あーあーほら!」

 レオンが慌てて駆け寄る。
 ヒルの呼吸は荒く、何か重病を患った病人のようになっていた。レオンはヒルの肩に手を置き、何も出来ない自分に腑甲斐なさを感じ歯を食い縛る。
 医者でもあるはずの彼が、病人のようなヒルに対して処置を施そうとしない。つまり、ヒルのそれは、"病気"ではない。それを分かっているのだった。

「君が抱えているそれは、前の剏竜にも見られマシた。どの本を見ても、似たような症状がない。だけど発作的に、確実に進行していく。ただ、苦しむだけの病気デス。その病気は、一体何なんデスか?」

「誰かに、首輪をかけられているのかもな」

「ふざけてんじゃないデスよ!」

 ヒルの頭を軽く殴り、レオンは言う。

「絶対、俺が助けてあげマスよ。『俺は天才だから出来ないことはない』デス。昔そう言ったのは、君デショ」

 そう自信を持って言うレオンに、ヒルはただただ笑みを返すことでしか感謝の気持ちを表せなかった。
 しかし、こうしている間にも、常に彼の頭には"声"が響いていた。男とも、女ともいえぬ神秘的で優しい声。静かで懐かしい鐘の音が、彼の脳に響く。

 "特別になりたかったんだろう"

 それは脅迫にも似た言葉だった。その声の主は、ここではないどこかから今も彼を見張っている。
 ヒルは、闇の彼方に目を見据えた。来るなと重く、凄みながら。


 * * *


 そこは暗闇に包まれた部屋だったが、外の音くらいは聞こえている。空気穴らしき縦に細長い穴から僅かに白い光が漏れ、ユアの金の髪を照らす。
 先程から騒がしく聞こえてくる何かの爆発音に震えながら、ユア・ディモルフォセカは立てた膝に顔を埋め、さらにその顔を翼で隠し座り込んでいた。
 涙が流れたままの所為で、その痕が肌を突っ張り痛みを帯びる。だがそれよりも痛いのは、心のほうだった。
 ぐるぐると脳裏に浮かぶ彼の顔、そしてこの状況を打破することすら出来ない、鳥籠の鳥でしかない自分への嫌悪感がとめどなく襲いくる。この世から消えてしまいと思うほどの、深い失念の中にいた。

「そこにいますか、ユアさん」

 ふいに、幻聴かとも思えるような幼い少女の声がした。ユアはその声がにわかには信じられず、返事はしないまま顔だけを上げた。

「ユアさん、ユア・ディモルフォセカさん」

 その声の主は、此処に居るのがユアだと確信しているのか、諦めることなく名を呼んだ。

「誰?」

 ついにユアが返事をすると、声の主はホッと溜息をついて名を名乗った。

「シャティアージャ・クリスタニア……カイムさんの、守護竜です」

「カイムの……?」

 少し臆したように返された為、シャジャは続きを言いにくそうにしながらも、扉に向かって言葉を続けた。

「これは、閉じ込められたんですか?」

 シャジャは、扉にかけられた太い鉄の閂と鎖にそっと手を触れた。

「それを外せる!?」

 ユアは必死な様子で立ち上がると、扉に手をかける。

「やろうと、思えば」

 シャジャはやけに冷静に頷いた。だが、すぐにそうしようとはしなかった。扉の向こうにいるユアに向かって、純粋にだが、はた目に見ればまるでおかしな質問をし始めたのだ。

「出たいんですか?」

「え?」

 予想もしなかった問いに、ユアは動きを止める。

「出たいよ! 早く行かないと、リリスティアが!」

「私は、貴女の安否を確認しに来たんです。これはつまり、貴女守る為の幽閉ですよね」

 シャジャは尚も、澄んだ赤紫の瞳を不思議そうに動かしながら問う。
 彼女が一体何が言いたいのか分からないユアは、開かない扉を揺さぶる。

「いいから出して! お願い!」

「出来ません」

「何故なの? なにを言ってるの?」

「今の状況でこの扉を開けば、貴女を危険に曝すことになる。それは、カイムさんの意志に反するから」

 妙な期待感と苛立ちが胸で混ざり合い、ユアは複雑に表情を歪めた。カイムが、自分の安否を気にするなど。
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