第十一話「純白の翼、氷晶の祈り」
「ライザー!」
「どうした?」
すぐに扉は開かれ、ライザーが姿を現した。
「なんだか様子がおかしい。カイム達はどこにいる?」
ライザーは扉を開けて、辺りを見回した。確かに、回廊を行く人々が妙に焦っているのが気になる。
「あいつらなら街に行った筈だ。待ってろ、剣を持ってくる」
そう言ってライザーは一度扉を閉めた。リリスティアは妙な胸騒ぎが渦巻く心を鎮めながら、壁に持たれかかった。
やけに研ぎ澄まされた神経が、彼女に危険を知らせる。なぜ感じるのか。あの、凍るような銀の気配を。
「行くぞ」
扉が再び開かれ、剣を持ったライザーが現れた。
「街に降りてみましょう。カイム達と合流しなければ」
「ああ」
「――どこへ行く」
さあ走りだそうとした二人の前に、タイミングを見計らっていたかのように青年が現れた。道を遮る形でリリスティア達の前に立ちはだかり、無感情にこちらを見つめている。
「お前はユアの……」
「グレンだ」
まだ若さ残る声には、しっかりとした責任感が宿っている。ライザーはリリスティアを背に隠し、グレンを睨み上げた。
「挨拶に来たってわけじゃなさそうだな」
「……街にノーブル軍が侵入したんだ。貴様らを探してな」
「何!?」
この慌ただしさはその所為か。リリスティアは一人その腰の剣を握り、心の奥底でくすぶり始めたあの感情を懸念した。
「んで、てめえは何の用があるんだよ」
「貴様らを捕らえる」
グレンが、腰の剣をずらりと抜く。水晶を鍛えたような美しい刃がリリスティアに突き付けられた。
「ヴァイス王、おとなしくしろ」
「ノーブルは何と言ってきたの」
「貴様を差し出さねば、ノーブルへの反発とみなされ、ユア様が捕らえられる」
ノーブルとユア・ラムダは不可侵条約を結んでいる。それは、ユア・ラムダが他国に進軍されぬよう、ノーブルが彼らを守るという条約だが、逆にノーブルに何かある時は、いくら鎖国中といえど協力せねばならない。
リリスティアは何か一考した後、グレンに視線を合わせた。
「私が捕まれば、ユアは捕まらないのね?」
「そういうことだ」
グレンは眉一つ動かさず返事をする。ユアの護衛剣士たる彼にとっては、リリスティアの身がどうなろうが関係無いのだ。
「てめえ!」
「やめてライザー。当然の判断よ」
「ユア様は有翼人最後の純血種。シウバなどに渡すわけにはいかない」
鋼よりも強固な忠誠心に溢れたその瞳は、ユア以外には冷たい氷のような視線を向ける。リリスティアは溜息を吐くと、グレンを真っすぐに見つめ問い掛けた。
「ノーブル軍の指揮官は誰?」
本当は聞かなくとも分かる。この嫌な気配。そう、こんな気配を持っているのは奴しかいない。
「皇太子シェゾ・クルヴェイグだ」
「やっぱり……」
「奴らは以前からユア様をシウバの後宮に入れんが為、幾度となくユア様に手を出してきた。だが、貴様さえ差し出せば二度とユア様に手は出さぬ、そう言ってきたのだ」
「シウバの後宮?」
「シウバの後宮にはまるで収集家のように多種多様な女達がいる。人、エルフ、竜、獣亜人……世界のほとんどの種の女がな」
くだらねえ、とライザーが眉間に皺を寄せながら呟いた。
「種族が違う者同士の婚姻など、神への冒涜だ」
グレンが嫌悪感いっぱいにそう言うと、何故かリリスティアの胸が痛みを帯びた。
この世界では、血が混ざるということはそういう認識のされ方もあるのが普通だった。種族間交流を平和の証と讃える者もいれば、それは奇形児を産み理に逆らう不徳な行為と言う者もいるのだ。
「ユア様は純血種だ。他と通じ子を成せば、純血種のあの力は消え、出産などとなれば命が無い」
「ノーブル皇帝は何故そうまでしてユアを欲しがるの」
「そんなことは知らん。だが、奴と通じ命を落とした他種族の女の噂は腐るほど聞く」
「そんな話を聞いてリリスティアを渡せるか!」
ライザーは眉を吊り上げ、リリスティアを背に隠す。
「主人が大事なら自分の手で守りやがれ! 他人を犠牲にしねぇと守れねぇのかよ!」
「これは一人対一人の問題ではない。国と国の問題なのだ。個人の薄っぺらい信念よりも、民全体の安全を優先しなければならないのだ」
「その為なら他の奴らのことは知らねえってか」
「悪魔と呼ばれる貴様らがどうなろうが知ったことではない」
グレンの言うことも、ライザーの言うことも、人によっては正しく、間違っている考えだった。
グレンは全体の安否を考えての判断、だがそれは人としてどうなのかとライザーは必死に問う。
言い合いを黙って聞いていたリリスティアだったが、彼女が賛同したのは意外にもグレンの考えだった。
「わかった。ノーブル軍がいるところに、私を案内して」
「ほう?」
これにはグレンも意外そうに目を大きくした。
「今の話ちゃんと聞いてたのかよリリスティア!」
焦り自分の両肩を掴むライザーに、リリスティアは冷静に語り掛ける。
「彼は正しい。自分の使命を果たしているだけよ。招かれざる客の私たちを受け入れてくれた、それだけでも余程の事だった筈」
「入国はユアがいいっつったんだろが!」
「いくら王といえど、彼らを無視し私たちを招いたのはユアが悪い。結果、自らの首を絞めている」
「お前はどっちの味方なんだよ!」
いきり立つライザーに、リリスティアは穏やかに答えた。
「でも私がもしユアの立場なら、きっと同じ判断をしたと思うから。なのに今この国に迷惑をかけているのは私。なら、けじめは自分でつける」
グレンも、ライザーも、その言葉には口をつぐむしかなかった。黙り込む二人を交互に見ながら、リリスティアは強く言い放つ。
「ノーブル軍の前に、私を連れていって」
それはけして大人しく捕まる為に行くのではなく、彼女の中に何か考えがあるのだろうということは、その翡翠の瞳の表情から伺うことが出来た。
* * *
「開けて! 何を考えているの!!」
何もない、闇だけが広がる冷たい部屋の中。開かぬ扉を精一杯叩きながら、ユアは悲痛な声を上げていた。
「リリスティアは友好を求めてきてくれたのよ!」
「鎖国中に友好も何もありますまい」
扉の外側で、老いた高官が無感情に言う。ユアは唇を噛むと、効果的な反論の言葉を探しながら、また声を荒げる。
「鎖国は貴方達が……御堂院が勝手に決めたんじゃない!!」
「全て貴方様の血をお守りする為です」
「自分の身くらい自分で守る!」
「何を仰いますか!!」
老いた高官の突然の大声に、ユアは扉を叩くのを止め肩を震わせた。
「前王と王妃が崩御なされてから我ら民が貴方様を守る為にどれだけの力を尽くしたか! 貴方様はそれら全てを無に帰すおつもりか!!」
「そんなつもりは……!」
「昔、煌竜王との戯れを見逃したのは、あやつは貴方様だけに留まる男ではないからです! 竜族は女を繁殖の相手としてしか見ておりません! そんな竜が自身を危険に曝してまで貴方様と通じることはないからです! いい加減目を覚ましてくだされんか!」
すうっと、ユアの瞳から涙が流れた。
分かっている。彼が、カイムが幾つもの愛を持っていることぐらい。けど、抱き締めてくれるその瞬間は、彼の瞳には自分しか居ない。それだけで満足する自分が滑稽で馬鹿馬鹿しかったが、それでも彼を求めずにはいられなかった。
縛られた生活、必要とされているのは自分ではなくこの"血統"。白い翼など、要らなかった。
彼だけが、彼女の空虚を埋めてくれる者だったのだ。
夢から無理矢理醒ますようなその言葉を突き付けられたユアは、遠ざかる足音を聞きながら、その場に涙とともに崩れ落ちた。
* * *
「――お待ちくだされ! 何もそう躍起にならずとも、悪魔は差し出します!」
「しらみつぶしに探せ! 生きたまま捕らえるのだ!」
うろたえる有翼人の高官の言葉を無視し、ノーブルの兵士達が次々と町中を荒らしていく。民家の扉を開け、茂みを掻き分け、清閑な町並みはどんどん崩れていった。
その様子を、薄笑いを浮かべ見物する男性がいた。銀の艶やかな髪が眩しい、女性のような外見をした青年。そう、クルヴェイグだった。
「猫を捕まえることなど容易いことです」
「どうした?」
すぐに扉は開かれ、ライザーが姿を現した。
「なんだか様子がおかしい。カイム達はどこにいる?」
ライザーは扉を開けて、辺りを見回した。確かに、回廊を行く人々が妙に焦っているのが気になる。
「あいつらなら街に行った筈だ。待ってろ、剣を持ってくる」
そう言ってライザーは一度扉を閉めた。リリスティアは妙な胸騒ぎが渦巻く心を鎮めながら、壁に持たれかかった。
やけに研ぎ澄まされた神経が、彼女に危険を知らせる。なぜ感じるのか。あの、凍るような銀の気配を。
「行くぞ」
扉が再び開かれ、剣を持ったライザーが現れた。
「街に降りてみましょう。カイム達と合流しなければ」
「ああ」
「――どこへ行く」
さあ走りだそうとした二人の前に、タイミングを見計らっていたかのように青年が現れた。道を遮る形でリリスティア達の前に立ちはだかり、無感情にこちらを見つめている。
「お前はユアの……」
「グレンだ」
まだ若さ残る声には、しっかりとした責任感が宿っている。ライザーはリリスティアを背に隠し、グレンを睨み上げた。
「挨拶に来たってわけじゃなさそうだな」
「……街にノーブル軍が侵入したんだ。貴様らを探してな」
「何!?」
この慌ただしさはその所為か。リリスティアは一人その腰の剣を握り、心の奥底でくすぶり始めたあの感情を懸念した。
「んで、てめえは何の用があるんだよ」
「貴様らを捕らえる」
グレンが、腰の剣をずらりと抜く。水晶を鍛えたような美しい刃がリリスティアに突き付けられた。
「ヴァイス王、おとなしくしろ」
「ノーブルは何と言ってきたの」
「貴様を差し出さねば、ノーブルへの反発とみなされ、ユア様が捕らえられる」
ノーブルとユア・ラムダは不可侵条約を結んでいる。それは、ユア・ラムダが他国に進軍されぬよう、ノーブルが彼らを守るという条約だが、逆にノーブルに何かある時は、いくら鎖国中といえど協力せねばならない。
リリスティアは何か一考した後、グレンに視線を合わせた。
「私が捕まれば、ユアは捕まらないのね?」
「そういうことだ」
グレンは眉一つ動かさず返事をする。ユアの護衛剣士たる彼にとっては、リリスティアの身がどうなろうが関係無いのだ。
「てめえ!」
「やめてライザー。当然の判断よ」
「ユア様は有翼人最後の純血種。シウバなどに渡すわけにはいかない」
鋼よりも強固な忠誠心に溢れたその瞳は、ユア以外には冷たい氷のような視線を向ける。リリスティアは溜息を吐くと、グレンを真っすぐに見つめ問い掛けた。
「ノーブル軍の指揮官は誰?」
本当は聞かなくとも分かる。この嫌な気配。そう、こんな気配を持っているのは奴しかいない。
「皇太子シェゾ・クルヴェイグだ」
「やっぱり……」
「奴らは以前からユア様をシウバの後宮に入れんが為、幾度となくユア様に手を出してきた。だが、貴様さえ差し出せば二度とユア様に手は出さぬ、そう言ってきたのだ」
「シウバの後宮?」
「シウバの後宮にはまるで収集家のように多種多様な女達がいる。人、エルフ、竜、獣亜人……世界のほとんどの種の女がな」
くだらねえ、とライザーが眉間に皺を寄せながら呟いた。
「種族が違う者同士の婚姻など、神への冒涜だ」
グレンが嫌悪感いっぱいにそう言うと、何故かリリスティアの胸が痛みを帯びた。
この世界では、血が混ざるということはそういう認識のされ方もあるのが普通だった。種族間交流を平和の証と讃える者もいれば、それは奇形児を産み理に逆らう不徳な行為と言う者もいるのだ。
「ユア様は純血種だ。他と通じ子を成せば、純血種のあの力は消え、出産などとなれば命が無い」
「ノーブル皇帝は何故そうまでしてユアを欲しがるの」
「そんなことは知らん。だが、奴と通じ命を落とした他種族の女の噂は腐るほど聞く」
「そんな話を聞いてリリスティアを渡せるか!」
ライザーは眉を吊り上げ、リリスティアを背に隠す。
「主人が大事なら自分の手で守りやがれ! 他人を犠牲にしねぇと守れねぇのかよ!」
「これは一人対一人の問題ではない。国と国の問題なのだ。個人の薄っぺらい信念よりも、民全体の安全を優先しなければならないのだ」
「その為なら他の奴らのことは知らねえってか」
「悪魔と呼ばれる貴様らがどうなろうが知ったことではない」
グレンの言うことも、ライザーの言うことも、人によっては正しく、間違っている考えだった。
グレンは全体の安否を考えての判断、だがそれは人としてどうなのかとライザーは必死に問う。
言い合いを黙って聞いていたリリスティアだったが、彼女が賛同したのは意外にもグレンの考えだった。
「わかった。ノーブル軍がいるところに、私を案内して」
「ほう?」
これにはグレンも意外そうに目を大きくした。
「今の話ちゃんと聞いてたのかよリリスティア!」
焦り自分の両肩を掴むライザーに、リリスティアは冷静に語り掛ける。
「彼は正しい。自分の使命を果たしているだけよ。招かれざる客の私たちを受け入れてくれた、それだけでも余程の事だった筈」
「入国はユアがいいっつったんだろが!」
「いくら王といえど、彼らを無視し私たちを招いたのはユアが悪い。結果、自らの首を絞めている」
「お前はどっちの味方なんだよ!」
いきり立つライザーに、リリスティアは穏やかに答えた。
「でも私がもしユアの立場なら、きっと同じ判断をしたと思うから。なのに今この国に迷惑をかけているのは私。なら、けじめは自分でつける」
グレンも、ライザーも、その言葉には口をつぐむしかなかった。黙り込む二人を交互に見ながら、リリスティアは強く言い放つ。
「ノーブル軍の前に、私を連れていって」
それはけして大人しく捕まる為に行くのではなく、彼女の中に何か考えがあるのだろうということは、その翡翠の瞳の表情から伺うことが出来た。
* * *
「開けて! 何を考えているの!!」
何もない、闇だけが広がる冷たい部屋の中。開かぬ扉を精一杯叩きながら、ユアは悲痛な声を上げていた。
「リリスティアは友好を求めてきてくれたのよ!」
「鎖国中に友好も何もありますまい」
扉の外側で、老いた高官が無感情に言う。ユアは唇を噛むと、効果的な反論の言葉を探しながら、また声を荒げる。
「鎖国は貴方達が……御堂院が勝手に決めたんじゃない!!」
「全て貴方様の血をお守りする為です」
「自分の身くらい自分で守る!」
「何を仰いますか!!」
老いた高官の突然の大声に、ユアは扉を叩くのを止め肩を震わせた。
「前王と王妃が崩御なされてから我ら民が貴方様を守る為にどれだけの力を尽くしたか! 貴方様はそれら全てを無に帰すおつもりか!!」
「そんなつもりは……!」
「昔、煌竜王との戯れを見逃したのは、あやつは貴方様だけに留まる男ではないからです! 竜族は女を繁殖の相手としてしか見ておりません! そんな竜が自身を危険に曝してまで貴方様と通じることはないからです! いい加減目を覚ましてくだされんか!」
すうっと、ユアの瞳から涙が流れた。
分かっている。彼が、カイムが幾つもの愛を持っていることぐらい。けど、抱き締めてくれるその瞬間は、彼の瞳には自分しか居ない。それだけで満足する自分が滑稽で馬鹿馬鹿しかったが、それでも彼を求めずにはいられなかった。
縛られた生活、必要とされているのは自分ではなくこの"血統"。白い翼など、要らなかった。
彼だけが、彼女の空虚を埋めてくれる者だったのだ。
夢から無理矢理醒ますようなその言葉を突き付けられたユアは、遠ざかる足音を聞きながら、その場に涙とともに崩れ落ちた。
* * *
「――お待ちくだされ! 何もそう躍起にならずとも、悪魔は差し出します!」
「しらみつぶしに探せ! 生きたまま捕らえるのだ!」
うろたえる有翼人の高官の言葉を無視し、ノーブルの兵士達が次々と町中を荒らしていく。民家の扉を開け、茂みを掻き分け、清閑な町並みはどんどん崩れていった。
その様子を、薄笑いを浮かべ見物する男性がいた。銀の艶やかな髪が眩しい、女性のような外見をした青年。そう、クルヴェイグだった。
「猫を捕まえることなど容易いことです」