第十一話「純白の翼、氷晶の祈り」
躰を蹂躙される苦痛に、生理的な涙が浮かび、ユアは首を左右させた。それでもカイムは貪るようにユアの肌を求め、ついには地に押し倒し、息荒く彼女を見つめた。
だが、それは獣のような瞳ではなく。千切れるような切ない想いと、熱く燃える熱情の混じった瞳で。
「……フォルセ」
熱のこもった低い声が、ユアの耳に響く。
「何故来たの……」
だがユアは、涙に濡らした瞳をきつく歪ませる。
「私は必死に忘れようとしたのに……」
ユアの唇が震えている。必死に強気を保とうと、声を荒げ、抵抗する。
「会わないと言ったのは、貴方だったのに!!」
大声を出し慣れていないのか、ユアは大きく息を吐いた。
ふと冷静になりカイムを見上げると、彼はいまだかつて誰にも見せたことのないような表情で、ユアの胸に顔を埋めた。赤く艶やかな髪がさらさらと流れ肌にかかる。その冷たい感触が懐かしく、ユアは思わず瞳を閉じる。カイムは顔を上げ、ユアの視線と合わせると、手をその頬に添えた。
「あの月の夜から、俺はお前を忘れたことなどない」
ユアは解放された両の手をカイムの頬に添える。まるで小さな子供を慈しむように優しく包みこむと、カイムは心地よさに目を細めた。
「ごめんなさい……」
はらはらと、ユアの瞳からまた涙が流れた。
「もし、私が他種族と通じれば純血種の力は絶え、種は滅びる……」
他種族と交われば、親も子も魅了(エピカリス)の能力を失う。
「子を産めば、死ぬ」
そうして生まれた混ざりあった血の子供の羽根には色が付き、身体こそ強靭なれど、寿命は短い。
「でも、カイム、大丈夫。私は大丈夫」
彼女が生き長らえる為には、純血種の生き残りを探すか――生涯、独身を貫くか。道は、ひとつしか残されていなかった。
「貴方をいつも、想っています。あの月が消えない限り、貴方を……」
そして、二人は互いを抱き締め合ったまま、夜のとばりに身を隠した。
触れているはずなのに、まるで遠い互いの温もりを感じながら。
* * *
一夜明けて、ユア・ラムダはいつもと同じ朝を迎えていた。人々は楽し気に飛び交い、太陽の光も問題なく降り注ぐ。
「くあ……」
けだるそうに欠伸をしながら、ライザーは朝日差す爽やかな遊歩道を歩いていた。朝露が緑に弾け、小鳥のさえずりが聞こえる景観の良い小道にも関わらず、彼は煙草に火をつけると、煙を宙に吐き出した。
「眠ィ……」
昨夜、夢中になって魔導書を読み漁っていた所為か、ライザーの瞳は充血していた。彼は赤くなった目を擦ると、ようやく目覚めてきた頭の髪をかきあげ、空を仰ぐ。
「空気が悪くなる」
ふと背後から声をかけられ、ライザーは不機嫌に振り返った。
「朝からなんだよ」
そこには、もうはっきりと目が覚めた状態のリリスティアが居た。
「煙草なんか美味しい?」
「美味いから吸ってるわけじゃねえよ」
そう言うとライザーは煙をおもいきり吸い込み、肺に満たした。そしてそれを下に向かって吐き出すと、もう大分短くなった煙草を、小さな灰皿に捨てた。
「やけに落ち着いてんなお前」
ライザーがその少し吊り上がった瞳をリリスティアに向けた。
「そう見える?」
「お前いっつも表情変わらねぇからわかんねーんだよ」
確かに、いつもリリスティアは少し眉を動かすだけで、その下にある瞳や口は全く動かなかった。
「どういう意味?」
「ちょっとくらい笑えっつーことだよ。石像かよ」
繋がりのない答えを返され、リリスティアは理解に苦しんだ。自分の思うがままに喋るライザーは、他人がその真意をどう受けとめるかなどまるで気にしていない。
またひとつ大きな欠伸をすると、二本目の煙草に火を点けた。
* * *
「お考えを改めください陛下!」
「いいえ、決めたの」
透き通るような一面白の部屋。所々に透明な球体がふわふわと浮き、中央には開花した蓮のような玉座がある。
玉座には、ユアが座っていた。長く広がる白いドレスの裾には、きめ細かいレースがあしらわれている。翼は大きく広げられており、女王としての威厳を示すかのように白く輝いていた。
「私は、ヴァイスの方々に協力致します」
ユアは強い口調で言う。だが、ざわざわと反論の渦が巻き起こった。
「あれは悪魔ですよ! 組めばどうなるかお分りでしょうに!」
彼女の周囲には五人ほどの、高官らしき装いをした人物がいる。その背にある翼には、どれも色がついていた。すると、その内の一人が何か紙を取出し、ユアに見せた。
「聖王国からの悪魔討伐協力要請の正式な書面です。どちらにつけば安全か、お分りでしょう」
「リュシアナが悪魔討伐に躍起になっているのは知ってる。でも、ヴァイスの民と彼らの真実の歴史を私たちは知っているのよ」
ユアがそう言うと、書面を出した高官は複雑な表情を見せた。
「それは多くが知っております。しかし世界は、外交とはそういうものではないのですよ!」
「この国が何故滅びかけているのか、思い出して」
皆それぞれに眉根を寄せる。ユアは凛として彼らを見据えると、立ち上がり玉座を降りた。
「けど、まだ彼らには告げません。もう一度、確かめたいこともあるから」
ユアが足を進めると、どこからかあの翼の無い青年が瞬時に現れ、彼女の側につき従った。
「ユア様」
「グレン。貴方も反対?」
グレンとは、首を横に振った。
「私はユア様の御心に従うまでです」
「ありがとう……貴方が護衛剣士として私を心配してくれているというのはちゃんと分かってるから」
「勿体ないお言葉です」
グレンは大きな体を屈め、ユアに頭を下げた。それを見ていた高官達は、さもおもしろくないという顔をしてグレンを睨む。
「翼無しが」
小声で誰かがそう言ったのを、グレンは聞こえていたが、頭を下げたまま何も言わなかった。
だが、不穏な影はすぐそこまでやってきていた。仰々しい鎧兵の足音と、静かに笑うあの美しい魔導師の吐息が、ユア・ラムダに迫っていたのだ。
滝を超えた先にある美しいユア・ラムダ。戦いを知らせる声が、街に響き渡った。
「ノ、ノーブルの軍隊だ!!」
一人のまだ若い有翼人が空を飛び回りながら皆に知らせる。くるりくるり回転したり、止まったりしながら、事の重大さを街中に知らせて回る。
「街の外にノーブル兵がいる! 武装してる!!」
「なんだと?」
街中に架けられた橋の欄干に腰を掛けていたカイムが、飛び回る有翼人に気付き立ち上がった。
「カイムさん」
その傍らにいるシャジャが、心配そうに眉を下げる。
「お前はユアのところに行け、俺は街の入り口に行く」
「うん!」
シャジャは軽く頷くと、すぐさまその場から走りだした。その姿を見送った後、カイムも面倒臭そうに髪をかきあげながら、その場を立ち去っていった。
響く、軍靴の音。気付いた時には、銀の鎧に身を包んだ兵士達が、ユア・ラムダの入り口に大量に犇めいていた。ノーブル皇国の紋章の入った鎧が鈍く光り、腰には武力行使を意味する剣が提げられている。
その中の兵士が一人歩み出て、手に持っていた巻き物を空にかざすと、それはすぐに光の粒となり空中に文字を書き始めた。
「ユア・ラムダ全国民に告ぐ! 我々はノーブル皇国皇帝陛下の勅命により参った! 目的は悪魔の繊滅である! 即刻、この地にかくまった悪魔を差出せ!!」
兵士は空中に書かれた文と同じ内容の言葉を喋ると、後方に振り返り、手で合図をした。門番らしい門番のいないこの地に入るのはたやすく、兵士達はぞくぞくと街に進軍していった。
街の有翼人達はすぐさま家のなかに身を隠し、窓を閉める。逃げまとう彼らを気にもせず、兵士達は街の中に散らばり、悪魔狩りをはじめた。
悪魔、つまりリリスティア達を探し出す為に。
* * *
「何かあったのか」
一度部屋に戻っていたリリスティアは、その腰に剣を携えながら、窓の外を睨んでいた。
「嫌な空気だ」
剣をベルトに固定すると、リリスティアは窓枠から身を乗り出し顔を左右させた。一見静かなように見えるが、何か慌ただしく駆けていく使用人達の姿があった。
大体の予想がついたリリスティアは、危険を感じすぐに部屋の外に飛び出した。そして隣のライザーの部屋をノックすると、冷静ながらも急かすように彼の名を呼んだ。
だが、それは獣のような瞳ではなく。千切れるような切ない想いと、熱く燃える熱情の混じった瞳で。
「……フォルセ」
熱のこもった低い声が、ユアの耳に響く。
「何故来たの……」
だがユアは、涙に濡らした瞳をきつく歪ませる。
「私は必死に忘れようとしたのに……」
ユアの唇が震えている。必死に強気を保とうと、声を荒げ、抵抗する。
「会わないと言ったのは、貴方だったのに!!」
大声を出し慣れていないのか、ユアは大きく息を吐いた。
ふと冷静になりカイムを見上げると、彼はいまだかつて誰にも見せたことのないような表情で、ユアの胸に顔を埋めた。赤く艶やかな髪がさらさらと流れ肌にかかる。その冷たい感触が懐かしく、ユアは思わず瞳を閉じる。カイムは顔を上げ、ユアの視線と合わせると、手をその頬に添えた。
「あの月の夜から、俺はお前を忘れたことなどない」
ユアは解放された両の手をカイムの頬に添える。まるで小さな子供を慈しむように優しく包みこむと、カイムは心地よさに目を細めた。
「ごめんなさい……」
はらはらと、ユアの瞳からまた涙が流れた。
「もし、私が他種族と通じれば純血種の力は絶え、種は滅びる……」
他種族と交われば、親も子も魅了(エピカリス)の能力を失う。
「子を産めば、死ぬ」
そうして生まれた混ざりあった血の子供の羽根には色が付き、身体こそ強靭なれど、寿命は短い。
「でも、カイム、大丈夫。私は大丈夫」
彼女が生き長らえる為には、純血種の生き残りを探すか――生涯、独身を貫くか。道は、ひとつしか残されていなかった。
「貴方をいつも、想っています。あの月が消えない限り、貴方を……」
そして、二人は互いを抱き締め合ったまま、夜のとばりに身を隠した。
触れているはずなのに、まるで遠い互いの温もりを感じながら。
* * *
一夜明けて、ユア・ラムダはいつもと同じ朝を迎えていた。人々は楽し気に飛び交い、太陽の光も問題なく降り注ぐ。
「くあ……」
けだるそうに欠伸をしながら、ライザーは朝日差す爽やかな遊歩道を歩いていた。朝露が緑に弾け、小鳥のさえずりが聞こえる景観の良い小道にも関わらず、彼は煙草に火をつけると、煙を宙に吐き出した。
「眠ィ……」
昨夜、夢中になって魔導書を読み漁っていた所為か、ライザーの瞳は充血していた。彼は赤くなった目を擦ると、ようやく目覚めてきた頭の髪をかきあげ、空を仰ぐ。
「空気が悪くなる」
ふと背後から声をかけられ、ライザーは不機嫌に振り返った。
「朝からなんだよ」
そこには、もうはっきりと目が覚めた状態のリリスティアが居た。
「煙草なんか美味しい?」
「美味いから吸ってるわけじゃねえよ」
そう言うとライザーは煙をおもいきり吸い込み、肺に満たした。そしてそれを下に向かって吐き出すと、もう大分短くなった煙草を、小さな灰皿に捨てた。
「やけに落ち着いてんなお前」
ライザーがその少し吊り上がった瞳をリリスティアに向けた。
「そう見える?」
「お前いっつも表情変わらねぇからわかんねーんだよ」
確かに、いつもリリスティアは少し眉を動かすだけで、その下にある瞳や口は全く動かなかった。
「どういう意味?」
「ちょっとくらい笑えっつーことだよ。石像かよ」
繋がりのない答えを返され、リリスティアは理解に苦しんだ。自分の思うがままに喋るライザーは、他人がその真意をどう受けとめるかなどまるで気にしていない。
またひとつ大きな欠伸をすると、二本目の煙草に火を点けた。
* * *
「お考えを改めください陛下!」
「いいえ、決めたの」
透き通るような一面白の部屋。所々に透明な球体がふわふわと浮き、中央には開花した蓮のような玉座がある。
玉座には、ユアが座っていた。長く広がる白いドレスの裾には、きめ細かいレースがあしらわれている。翼は大きく広げられており、女王としての威厳を示すかのように白く輝いていた。
「私は、ヴァイスの方々に協力致します」
ユアは強い口調で言う。だが、ざわざわと反論の渦が巻き起こった。
「あれは悪魔ですよ! 組めばどうなるかお分りでしょうに!」
彼女の周囲には五人ほどの、高官らしき装いをした人物がいる。その背にある翼には、どれも色がついていた。すると、その内の一人が何か紙を取出し、ユアに見せた。
「聖王国からの悪魔討伐協力要請の正式な書面です。どちらにつけば安全か、お分りでしょう」
「リュシアナが悪魔討伐に躍起になっているのは知ってる。でも、ヴァイスの民と彼らの真実の歴史を私たちは知っているのよ」
ユアがそう言うと、書面を出した高官は複雑な表情を見せた。
「それは多くが知っております。しかし世界は、外交とはそういうものではないのですよ!」
「この国が何故滅びかけているのか、思い出して」
皆それぞれに眉根を寄せる。ユアは凛として彼らを見据えると、立ち上がり玉座を降りた。
「けど、まだ彼らには告げません。もう一度、確かめたいこともあるから」
ユアが足を進めると、どこからかあの翼の無い青年が瞬時に現れ、彼女の側につき従った。
「ユア様」
「グレン。貴方も反対?」
グレンとは、首を横に振った。
「私はユア様の御心に従うまでです」
「ありがとう……貴方が護衛剣士として私を心配してくれているというのはちゃんと分かってるから」
「勿体ないお言葉です」
グレンは大きな体を屈め、ユアに頭を下げた。それを見ていた高官達は、さもおもしろくないという顔をしてグレンを睨む。
「翼無しが」
小声で誰かがそう言ったのを、グレンは聞こえていたが、頭を下げたまま何も言わなかった。
だが、不穏な影はすぐそこまでやってきていた。仰々しい鎧兵の足音と、静かに笑うあの美しい魔導師の吐息が、ユア・ラムダに迫っていたのだ。
滝を超えた先にある美しいユア・ラムダ。戦いを知らせる声が、街に響き渡った。
「ノ、ノーブルの軍隊だ!!」
一人のまだ若い有翼人が空を飛び回りながら皆に知らせる。くるりくるり回転したり、止まったりしながら、事の重大さを街中に知らせて回る。
「街の外にノーブル兵がいる! 武装してる!!」
「なんだと?」
街中に架けられた橋の欄干に腰を掛けていたカイムが、飛び回る有翼人に気付き立ち上がった。
「カイムさん」
その傍らにいるシャジャが、心配そうに眉を下げる。
「お前はユアのところに行け、俺は街の入り口に行く」
「うん!」
シャジャは軽く頷くと、すぐさまその場から走りだした。その姿を見送った後、カイムも面倒臭そうに髪をかきあげながら、その場を立ち去っていった。
響く、軍靴の音。気付いた時には、銀の鎧に身を包んだ兵士達が、ユア・ラムダの入り口に大量に犇めいていた。ノーブル皇国の紋章の入った鎧が鈍く光り、腰には武力行使を意味する剣が提げられている。
その中の兵士が一人歩み出て、手に持っていた巻き物を空にかざすと、それはすぐに光の粒となり空中に文字を書き始めた。
「ユア・ラムダ全国民に告ぐ! 我々はノーブル皇国皇帝陛下の勅命により参った! 目的は悪魔の繊滅である! 即刻、この地にかくまった悪魔を差出せ!!」
兵士は空中に書かれた文と同じ内容の言葉を喋ると、後方に振り返り、手で合図をした。門番らしい門番のいないこの地に入るのはたやすく、兵士達はぞくぞくと街に進軍していった。
街の有翼人達はすぐさま家のなかに身を隠し、窓を閉める。逃げまとう彼らを気にもせず、兵士達は街の中に散らばり、悪魔狩りをはじめた。
悪魔、つまりリリスティア達を探し出す為に。
* * *
「何かあったのか」
一度部屋に戻っていたリリスティアは、その腰に剣を携えながら、窓の外を睨んでいた。
「嫌な空気だ」
剣をベルトに固定すると、リリスティアは窓枠から身を乗り出し顔を左右させた。一見静かなように見えるが、何か慌ただしく駆けていく使用人達の姿があった。
大体の予想がついたリリスティアは、危険を感じすぐに部屋の外に飛び出した。そして隣のライザーの部屋をノックすると、冷静ながらも急かすように彼の名を呼んだ。