第十話「銀月の契り、深淵の剣舞」
「べ、別にいつも通りだけど」
不機嫌にそう答えると、リリスティアはライザーの前を通り過ぎ、人混みの中へと歩いていった。
「そういう意味じゃねえんだよ……」
以前と比べて、リリスティアは刺々しい雰囲気が無くなり、随分柔らかくなったように見える。それも外見ではなく、口調や、受け答えが。誉めるつもりだったのが、ライザーはそれを上手く表現することが出来なかった。
葛藤しているうちに、リリスティアが目の前からいなくなったことにようやく気づくと、ライザーは声を上げながら人混みに身を投じた。
「ってお前まで勝手に動くな! おいこら!!」
* * *
そこは、一面黒と白で統一された無機質な世界だった。
壁は白。柱も白。だが王が腰を据える玉座と、そこへ続くカーペットは漆黒。壁にかけられた国旗の紋章は、女性的な精霊を模している。
部屋の中央、黒燿石の玉座の左右には、頭からローブを被った護衛魔導師が二人ずつ立つ。
そして、威厳を持ってその玉座に座っているのは、初老の男性だった。深く刻まれた目元の皺に、頑固そうな瞳の輪郭。白髪かと思いきや、年季を感じさせる長い銀色の髪は、後ろでひとまとめに結ばれている。
意志の強固さを現す金色の眼が、目の前で頭を垂れる男をじっと見つめ、まるで罪を裁く者であるかのような厳しい表情を湛える。
荘厳な硝子のシャンデリアが花弁を広げる天井から透ける空に、果ての無い青が広がっていた。
「我らが皇帝陛下。どうぞ、永久に精霊の加護があらんことを」
頭を更に深く下げ、男が言う。軽く瞬きを示し、金色の瞳を持つ男は、低い声を発した。
「下がれ」
彼は、この魔導大国ノーブルを支配する、皇帝シウバだ。
その独裁的ともとれる統治から、国の内外で「死皇帝」として畏怖される、稀代の皇帝だ。
老いて尚、その精霊魔導術は衰えるどころか栄え、精霊の末裔たるノーブル皇族の名を、益々高めていた。
頭を下げていた男は、恭しく頭を下げ、後ろ歩きに退室する。巨大な扉が音もなく開き、男が退室したと思ったら、すれ違うようにまた別の男がその部屋に入ってきた。
世話しない謁見だったが、シウバは顔色ひとつ変えずそこに頬杖をついている。無言に男を見つめ、響くような強さのある声で男に報告を促した。
「報告を」
「皇帝陛下、ご報告申し上げます。聖王国からの、悪魔狩り強化の件について……」
「なんだ、あの若造からまた何か書面が来たのか?」
「いえ、書面通達時から今日まで、ノーブル皇国内では百足らずの悪魔討伐に成功しております」
それに気を良くしたのか、シウバは顎髭を撫でながら声を上げて笑った。
「"異形の奴ら"を狩ることぐらいわけはない」
「はい。しかし悪魔は人の姿にも化けれるのですね。私はあの戦争に参加した際、我が目を疑いました。悪魔は我々と変わらぬ容姿を持っている……」
続きを言わせまいとしてか、強い口調でシウバはそれを遮った。
「竜とて、人に化けようぞ。悪魔も同じだ」
「失礼しました。私からの報告は以上です」
「よい、下がれ」
男はまた頭を下げると、先の男と同様後ろ歩きに退室した。それを目で送ると、シウバはいささかの疲れに小さなため息をもらす。
「異形……か」
何を思っているのか、シウバはうって変わって小さな声でそう呟く。おもむろにその左手を額に持っていくと、悩みを抱えているかのように、難しい顔をして目を伏せた。
「そんな難しい顔をして、どうなされましたか」
ふいに、声と共にシウバの目の前に影が渦巻く。かと思うと、それはすぐに銀色の光を放って形を変える。その中から、美しい顔立ちをした青年が現れた。
「クルヴェイグか」
「ただいま戻りました陛下」
クルヴェイグは軽く頭を下げ、微笑みを返した。シウバがすっと手を挙げると、左右にいた護衛兵はそそくさと部屋を出ていった。
「聖王国もえらく「異種族」狩りに躍起になっているようですねえ」
「ふん、都合がいいのだろう。奴らにとってはな」
「今この世で悪魔が悪魔だと思っているのは、一般大衆。多くの長命種族達は、見て見ぬフリ。なんとまあ、皆さんご自分が大好きなようで?」
クルヴェイグは皇帝の前だというのに、腕を組みやけに落ち着いた様子で話す。
「アルフレッド陛下も、何をしたくてあの戦を起こしたんですかねえ」
「それはいい。あちらが悪魔共やその他に集中していてくれれば、儂らは自由に動けるからな」
シウバのその言葉を聞き、クルヴェイグはしなやかに首をうねらせた。銀の髪は細く、その長い毛先まで光を放つ。
「では、やはりついに……ユア・ラムダの有翼人を?」
「ああ。あの地に残る純血種、今なら邪魔されずに手に入ろうぞ」
「ふ……陛下も、彼らに魅せられた王のようにならぬよう」
「生意気なことを言うようになったなクルヴェイグ」
「こーれは失礼!」
クルヴェイグは右手を胸に当て、わざとらしく頭を下げた。
そのまま部屋を出ようとシウバに背を向けたが、何か思い出したのか足を止めると、顔だけそちらに向けた。
「あっと、そうそう言い忘れていました」
「なんだ」
「そういえば、先程珍しい猫を見かけましたよ」
「なにを言っている?」
「翡翠の瞳を持った猫ですよ。ご存知でしょう?」
妖しく、クルヴェイグは微笑む。その瞳は、シウバと同じ金色に輝いていた。
* * *
知らない街をやみくもに歩けばどうなるかくらい分かっていただろうに。リリスティアは自分の馬鹿さ加減に目眩を感じた。
「どこを歩いても同じ景色だ」
ノーブルの街の風景は、木々が大半を占める密林で、その間にかろうじて建物がある。
つまり、道らしい道は無く、木と木の間の空いたスペースを歩いているだけなのだ。
「この国の民は何故迷わず歩けるのかな……」
木の幹に看板でもあれば別だが、景観を守るためかそういったものは一切設置されていない。誰かに道を尋ねればいいのだが、道行く人々はどこかよそよそしく、せっせと歩いている。
「困った……ライザーに怒られる」
おそらく、今頃自分を捜しているであろう彼の怒った顔を想像しながら、リリスティアは近くの木の幹にもたれ掛かった。
リリスティアが黙ってそうしていると、人々は自然と彼女に視線を向けた。透ける蒼の髪に翡翠の瞳、北の地に住む者のような雪の肌はこの国には珍しく、通りすがる人の目に留まるのだった。
噂をする声があちらこちらから聞こえてきたが、リリスティアは無表情のまま凛として腕を組んでいた。だが内心とんでもなく居心地が悪く、視線をどこかに泳がすので精一杯だった。
しかし、困った。こんなにも美しい景色なのに、不安感でいっぱいになる。身に着けていたローブのフードを被ると、はあと切ない溜息を吐いた。
「こんにちは」
そんな虚しさを救うかのように、一人の女性がリリスティアに声をかけた。静かに自分の前に現れたそれに気づくと、リリスティアは怪訝そうに目を細める。
リリスティアに声をかけたのは、若い女性だった。深いブロンドの髪、薄緑の大きくて少し下がった瞳。白磁の肌、桜色の唇に、ふわりと桃色に染まった頬。厚いローブを頭から羽織っていいるが、その美しさは隠しきれていない。
「……こんにちは」
向き直ると、視線が近いことに気付く。人懐こそうに首を傾げながら、小声で問いかけてきた。
「さっきからここにいるから、待ち合わせかと思ったんだけれど。もしかしたら何か困っているのかなと思って」
まるで硝子細工が煌いたような声の女性は、柔らかい笑みを見せる。
「私でよければ貴女の力になるよ」
女性はそう言って、自身の胸の前で両手を組み合わせた。感心してしまう程の美しさを前に、リリスティアは疑いもなく答えに応じた。
「情けないけど、道に迷った」
「そうだったの。ここは広いから……。ねえ、どこへ行くの?」
「北門を目指していたんだけど連れとはぐれてしまって」
すると女性は不思議そうに目を歪め、リリスティアを見る。
「北門? ここから出るの?」
「ええ」
「もしかして、ユア・ラムダへの旅行者?」
いきなり核心を突かれ、リリスティアは表には出さずとも驚嘆した。女性は何かを憂いた様子で、こう続ける。
「もしそうなら、あそこに行くのはやめておいた方がいいと思うけど」
「何故?」
不機嫌にそう答えると、リリスティアはライザーの前を通り過ぎ、人混みの中へと歩いていった。
「そういう意味じゃねえんだよ……」
以前と比べて、リリスティアは刺々しい雰囲気が無くなり、随分柔らかくなったように見える。それも外見ではなく、口調や、受け答えが。誉めるつもりだったのが、ライザーはそれを上手く表現することが出来なかった。
葛藤しているうちに、リリスティアが目の前からいなくなったことにようやく気づくと、ライザーは声を上げながら人混みに身を投じた。
「ってお前まで勝手に動くな! おいこら!!」
* * *
そこは、一面黒と白で統一された無機質な世界だった。
壁は白。柱も白。だが王が腰を据える玉座と、そこへ続くカーペットは漆黒。壁にかけられた国旗の紋章は、女性的な精霊を模している。
部屋の中央、黒燿石の玉座の左右には、頭からローブを被った護衛魔導師が二人ずつ立つ。
そして、威厳を持ってその玉座に座っているのは、初老の男性だった。深く刻まれた目元の皺に、頑固そうな瞳の輪郭。白髪かと思いきや、年季を感じさせる長い銀色の髪は、後ろでひとまとめに結ばれている。
意志の強固さを現す金色の眼が、目の前で頭を垂れる男をじっと見つめ、まるで罪を裁く者であるかのような厳しい表情を湛える。
荘厳な硝子のシャンデリアが花弁を広げる天井から透ける空に、果ての無い青が広がっていた。
「我らが皇帝陛下。どうぞ、永久に精霊の加護があらんことを」
頭を更に深く下げ、男が言う。軽く瞬きを示し、金色の瞳を持つ男は、低い声を発した。
「下がれ」
彼は、この魔導大国ノーブルを支配する、皇帝シウバだ。
その独裁的ともとれる統治から、国の内外で「死皇帝」として畏怖される、稀代の皇帝だ。
老いて尚、その精霊魔導術は衰えるどころか栄え、精霊の末裔たるノーブル皇族の名を、益々高めていた。
頭を下げていた男は、恭しく頭を下げ、後ろ歩きに退室する。巨大な扉が音もなく開き、男が退室したと思ったら、すれ違うようにまた別の男がその部屋に入ってきた。
世話しない謁見だったが、シウバは顔色ひとつ変えずそこに頬杖をついている。無言に男を見つめ、響くような強さのある声で男に報告を促した。
「報告を」
「皇帝陛下、ご報告申し上げます。聖王国からの、悪魔狩り強化の件について……」
「なんだ、あの若造からまた何か書面が来たのか?」
「いえ、書面通達時から今日まで、ノーブル皇国内では百足らずの悪魔討伐に成功しております」
それに気を良くしたのか、シウバは顎髭を撫でながら声を上げて笑った。
「"異形の奴ら"を狩ることぐらいわけはない」
「はい。しかし悪魔は人の姿にも化けれるのですね。私はあの戦争に参加した際、我が目を疑いました。悪魔は我々と変わらぬ容姿を持っている……」
続きを言わせまいとしてか、強い口調でシウバはそれを遮った。
「竜とて、人に化けようぞ。悪魔も同じだ」
「失礼しました。私からの報告は以上です」
「よい、下がれ」
男はまた頭を下げると、先の男と同様後ろ歩きに退室した。それを目で送ると、シウバはいささかの疲れに小さなため息をもらす。
「異形……か」
何を思っているのか、シウバはうって変わって小さな声でそう呟く。おもむろにその左手を額に持っていくと、悩みを抱えているかのように、難しい顔をして目を伏せた。
「そんな難しい顔をして、どうなされましたか」
ふいに、声と共にシウバの目の前に影が渦巻く。かと思うと、それはすぐに銀色の光を放って形を変える。その中から、美しい顔立ちをした青年が現れた。
「クルヴェイグか」
「ただいま戻りました陛下」
クルヴェイグは軽く頭を下げ、微笑みを返した。シウバがすっと手を挙げると、左右にいた護衛兵はそそくさと部屋を出ていった。
「聖王国もえらく「異種族」狩りに躍起になっているようですねえ」
「ふん、都合がいいのだろう。奴らにとってはな」
「今この世で悪魔が悪魔だと思っているのは、一般大衆。多くの長命種族達は、見て見ぬフリ。なんとまあ、皆さんご自分が大好きなようで?」
クルヴェイグは皇帝の前だというのに、腕を組みやけに落ち着いた様子で話す。
「アルフレッド陛下も、何をしたくてあの戦を起こしたんですかねえ」
「それはいい。あちらが悪魔共やその他に集中していてくれれば、儂らは自由に動けるからな」
シウバのその言葉を聞き、クルヴェイグはしなやかに首をうねらせた。銀の髪は細く、その長い毛先まで光を放つ。
「では、やはりついに……ユア・ラムダの有翼人を?」
「ああ。あの地に残る純血種、今なら邪魔されずに手に入ろうぞ」
「ふ……陛下も、彼らに魅せられた王のようにならぬよう」
「生意気なことを言うようになったなクルヴェイグ」
「こーれは失礼!」
クルヴェイグは右手を胸に当て、わざとらしく頭を下げた。
そのまま部屋を出ようとシウバに背を向けたが、何か思い出したのか足を止めると、顔だけそちらに向けた。
「あっと、そうそう言い忘れていました」
「なんだ」
「そういえば、先程珍しい猫を見かけましたよ」
「なにを言っている?」
「翡翠の瞳を持った猫ですよ。ご存知でしょう?」
妖しく、クルヴェイグは微笑む。その瞳は、シウバと同じ金色に輝いていた。
* * *
知らない街をやみくもに歩けばどうなるかくらい分かっていただろうに。リリスティアは自分の馬鹿さ加減に目眩を感じた。
「どこを歩いても同じ景色だ」
ノーブルの街の風景は、木々が大半を占める密林で、その間にかろうじて建物がある。
つまり、道らしい道は無く、木と木の間の空いたスペースを歩いているだけなのだ。
「この国の民は何故迷わず歩けるのかな……」
木の幹に看板でもあれば別だが、景観を守るためかそういったものは一切設置されていない。誰かに道を尋ねればいいのだが、道行く人々はどこかよそよそしく、せっせと歩いている。
「困った……ライザーに怒られる」
おそらく、今頃自分を捜しているであろう彼の怒った顔を想像しながら、リリスティアは近くの木の幹にもたれ掛かった。
リリスティアが黙ってそうしていると、人々は自然と彼女に視線を向けた。透ける蒼の髪に翡翠の瞳、北の地に住む者のような雪の肌はこの国には珍しく、通りすがる人の目に留まるのだった。
噂をする声があちらこちらから聞こえてきたが、リリスティアは無表情のまま凛として腕を組んでいた。だが内心とんでもなく居心地が悪く、視線をどこかに泳がすので精一杯だった。
しかし、困った。こんなにも美しい景色なのに、不安感でいっぱいになる。身に着けていたローブのフードを被ると、はあと切ない溜息を吐いた。
「こんにちは」
そんな虚しさを救うかのように、一人の女性がリリスティアに声をかけた。静かに自分の前に現れたそれに気づくと、リリスティアは怪訝そうに目を細める。
リリスティアに声をかけたのは、若い女性だった。深いブロンドの髪、薄緑の大きくて少し下がった瞳。白磁の肌、桜色の唇に、ふわりと桃色に染まった頬。厚いローブを頭から羽織っていいるが、その美しさは隠しきれていない。
「……こんにちは」
向き直ると、視線が近いことに気付く。人懐こそうに首を傾げながら、小声で問いかけてきた。
「さっきからここにいるから、待ち合わせかと思ったんだけれど。もしかしたら何か困っているのかなと思って」
まるで硝子細工が煌いたような声の女性は、柔らかい笑みを見せる。
「私でよければ貴女の力になるよ」
女性はそう言って、自身の胸の前で両手を組み合わせた。感心してしまう程の美しさを前に、リリスティアは疑いもなく答えに応じた。
「情けないけど、道に迷った」
「そうだったの。ここは広いから……。ねえ、どこへ行くの?」
「北門を目指していたんだけど連れとはぐれてしまって」
すると女性は不思議そうに目を歪め、リリスティアを見る。
「北門? ここから出るの?」
「ええ」
「もしかして、ユア・ラムダへの旅行者?」
いきなり核心を突かれ、リリスティアは表には出さずとも驚嘆した。女性は何かを憂いた様子で、こう続ける。
「もしそうなら、あそこに行くのはやめておいた方がいいと思うけど」
「何故?」