第十話「銀月の契り、深淵の剣舞」

 闇を招く手がそこにあった。逃げても逃げても、それは中から出でるものであり、常に傍らにある。

「……はッ……はッ、はぁ……ッ」

 空間に裂け目が出来て、その破片が硝子のように崩れゆく。
 誰も居ない、鍵のかかった自室。城門前からそこに転移したヒルは、その大きな体を重力のままに床に転がすと、胸元に手を当て、苦しそうに息をする。
 じんわりと体中に汗が滲み、髪を振り乱すヒル。彼は何か薬を口にするでもなく、必死に「何か」と戦っていた。 病気、呪い、そんなものでは無いのだろうか。そして、一際大きなうなり声を上げると、ヒルはそのまま意識を手放した。

「必ず……から……守って……みせる――……」


 * * *


 妙な胸の違和感を感じ、リリスティアは後ろを振り返った。

「どうしたんですか陛下」

 心配そうにリリスティアを見上げるシャジャは、彼女の顔色に異常が無いことを確認すると、嬉しそうに背中の羽根をぱたつかせた。

「慣れない土地は気候も、住んでいる精霊も違います。体、気をつけてくださいね」

「分かった、ありがとう」

「でも、ベリーさんは、とてもいい場所に送ってくれました」

 シャジャが指さす先に広がっているのは、一面緑犇めく大森林。所々に不思議に輝くのは神殿のような建物。その大森林は果ての無いようで、遠くにノーブル皇の居城である浮遊島が小さく見える。
 浮遊島には、幻想的な城が建設されている。島の下にはわりかし建物が密集していて、登城する際に使うのか光の螺旋階段が見える。
 彼らは今、そのノーブル領土一面を見渡せる高さのある岩肌がむき出しの崖にいた。

「国境ギリギリだな」

 カイムが忌々しそうに景色を見渡す。

「一度入国すんだろ、身分とかどーすんだよ」

 ライザーが陽を手で遮りながら、シャジャに問う。

「ぬかりないですよ、ライザー卿」

 そう言いながら、シャジャは四枚の長方形のカードを腰の小さな鞄から取り出した。
 そこには、アーリア共通言語で通行証と書かれていた。下には何かややこしそうな注意書きと、持ち主の出身国を示す紋章が刻まれていた。

「このマークは共和国のもの?」

 リリスティアは通行証をシャジャから受け取ると、裏表を確認する。昔、他国に入国する際に本物を持ったことのあるリリスティアだが、その違いが分からぬほど精巧だった。

「東のあの国は流れ者の集まりだ。身分を隠すには丁度いい」

 カイムが四枚ある通行証の内の一枚をシャジャの手から奪い取る。

「しっかしよ。竜っつったらノーブルの魔導師は天敵だろ。顔知られてんじゃねえのか」

 皮肉ったように言うライザーに対し、カイムが不敵な笑みを浮かべる。

「バレなければいい。バレたら戦えば済む話だ」

「……いや戦うのはダメだろ」

「クッ、冗談だ」

 カイムはそう言うと、いつの間にか手に持っていた黒いマントを、背中に背負った大剣の上からその身に羽織る。口元まで深く羽織ると、赤く長い髪を邪魔そうに後ろで一つに縛った。

「行きましょう陛下」

 シャジャもまた、その身にローブを羽織った。

「ええ」

 リリスティアたちは崖から立ち去ると、魔法大国ノーブルの門をくぐる為、足を進めた。

 ノーブル皇国への入国は、意外にもすんなりと許可が取れた。
 もとよりこの国には巨大な魔法学校や研究施設が多いため、外国からの客が多い。いちいち疑っていられないのか、入国管理局の者達は、リリスティア達の顔もよく見ようともせず判を押した。だが、よく見ると床には複雑な模様が描かれていた。一見するとただの装飾だが、それはまぎれもなく魔導術の模様だった。
 それ以外にも、建物全体には魔導術の痕跡があり、口頭で確認する必要がなかったのだと気付くこととなった。
 そうして歩みを進めた先に広がった、精霊の国。ノーブル皇国という国の美しさに、リリスティアとライザーは息を飲んだ。
 此処は、精霊と妖精の楽園とでもいうべきか。大地に道らしき道は見えず、足首までほどの浅い水がどこへともなく流れている。その間を縫うように木々の根が広がる。 水の中をよく見れば、精霊らしき光が揺らめく。光は青にも緑にも輝き、まるで宝石が沈んでいるかのよう。
 空を仰げば、屋根のように広がる大木の緑。枝に、羽根の生えた小さい人がたくさん腰をかけている。揺らめく光は空中にも漂い、蛍のように消えては光る。
 店らしき建物は木々の間にその姿を佇ませ、見事に調和していた。人の姿も多く、彼らは皆思い思いに動いている。こちらを気にする様子もない。

「城下町ですね。精霊が多い」

 シャジャは、竜であるにも関わらず居心地が良さそうにそう言った。

「さっさと抜けるぞ」

 真逆に、居心地悪そうにするカイムが、急いて足を進めた。

「え、ちょっと」

 リリスティアが何かを憂い彼を止めようと声をかける。
 何故なら、彼がためらいもせず足を出したのは水の上。いくら浅いとはいえ、足下がびしょ濡れになるだろうと予測したリリスティアだったが、それは要らぬ心配だった。

「なんだ、早く来い」

 カイムの足は、水に達することはなくその上に浮いている。だが、彼が再び足を進めると、コツッとブーツの踵が地面を鳴らす音がした。

「これは……硝子?」

 驚きながらも、リリスティアも歩を進める。
 すると、靴底は水には達せず、体は透明な何かによって支えられた。

「これも、ノーブルの魔法、です」

 シャジャが透明な床の上で一回転してみせる。
 水が足下で揺らめいているのに、リリスティアは不思議な気分だった。

「へえ。おもしれえな」

 興味深そうにライザーが床を踏みならす。魔導師として、変わった魔法を見ると好奇心が抑えられないのだろう。

「魔導書に関する店も多いみてえだし、何もなければゆっくりしたいとこだな」

「そんな風になれるように、頑張る」

 横をすり抜けながらリリスティアにそう言われ、調子が狂ったのか、ライザーは目を見開いたまま動きを止めた。

「気張んなっての」

 言葉とは裏腹に、ライザーは嬉しそうに頬を緩ませていた。
 都市の中心ほどまで歩いてきたところで、先頭を歩いていたカイムが顔だけを後ろに向けた。

「ユア・ラムダには、北門を抜ける必要がある。出るのはたやすいが、問題はそこからだ」

「ユア・ラムダは鎖国状態、だったわね」

 少し後ろでリリスティアが答える。するとカイムは歩調を遅らせ、彼女の横に立った。

「つまり、お前の頑張り次第というわけだ」

 カイムに鋭くも妖しい瞳を向けられたリリスティアは、怖じることなくはねつけた。

「言われなくても分かってる」

「ほう、自信はあるのか?」

「少しユア・ラムダについてこの国で話を聞こうと思う」

「あ? 誰にだよ」

 ライザーが眉間に皺を寄せながら言葉を挟む。だが勘のいいシャジャは、足りない言葉を補うようにこう言った。

「ノーブル国民なら、今のユア・ラムダがどんなものか知っている筈ということでしょうか」

「ええ。レオンのくれた資料には深いところまでは書かれていなかったから」

「分かりました。じゃあ、色んな方に話を聞きながら、北門に向かいましょう。ちょうどもうすぐ王城の真下の街を通りますから、人も多くなるはずです」

 シャジャの視線を辿ると、あの浮遊島が目に入った。下から見上げる形になってはいるものの、やはりかなり大きい。四人はそれを見ながら、ノーブル皇国の中心街へと足を進めた。

「手分けして話を聞いてまわるぞ。効率がいい」

 そう言ったカイムは、皆の意見も聞かずさっさと人混みの中に姿を消した。

「あいつほんと自由だな」

「ごめんなさいライザー卿……」

 文句を言うライザーに、シャジャは慌てて頭を下げた。背中の赤い蝙蝠羽根が、枯れた花のようにしおれる。

「陛下、私追いかけてきます」

 続いてリリスティアにも深く頭を下げ、シャジャは急激に方向転換しせっぱ詰まった様子で、人混みの中に消えたカイムの後を追った。

「苦労が絶えないな」

「あのバカ殿は昔っからああだ。シャジャもよく我慢できてんな」

 リリスティアが僅かに笑みを見せる。その様子にふと違和感を感じたライザーが、目を丸くして彼女を見つめた。

「お前さ」

「何?」

「こないだから、なんかあったのか?」

 ライザーの問いの意味が分からず、リリスティアは首を傾げた。

「何が」

「そんな愛想よかったか」
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