第十話「銀月の契り、深淵の剣舞」
あの感情豊かな女性が、感極まって泣きだす様を想像したリリスティアは、小さく笑みを零す。
「……それを見てからかな。俺もいつかは、親父のように、次代の王に仕えるんだと……強く決意させられた」
そう言って、ヒルはリリスティアを見つめる。夜と混じる、深紅の瞳が光を吸い込んでいく。
「お前が、生きていてよかった。ずっと待っていたんだ」
「そ、そう。よかった」
強張り、大きく高鳴る胸を誤魔化すように、リリスティアはそっけない返事をしてみせる。
まともに見つめることが出来ず、つい視線を逸らした。背中を向けたリリスティアは、自分が今どこに視線を定めていいのか分からず、とにかく慌てるのみだった。
そんなリリスティアの肩に、そっと乗せられる手の平があった。大きくて武骨なその手は、労わるように肌に触れた。
「いきなり一国の王となり、何もかもをこなしていくのは並大抵の事ではない。だが、どうか忘れないでほしい」
軽く肩を引き、リリスティアを振り向かせる。されるがままに振り向いたリリスティアの前には、膝をついてこちらを見上げるヒルの姿があった。
「俺が傍にいる。どんな時でも、お前の傍にいよう。必ず、守ってみせる」
いつの間にか、握られた二つの手。重なる体温と、肌の感触。触れた部分から、心が流れ込んでしまいそうで、リリスティアは頬を熱くした。
「はは。そんなに照れなくてもいいだろう」
「か、からかったの!?」
「いや、本気だよ。だが、あんまり固くなるからおかしくてな」
「それをからかうと言うんだ! ふざけるな!」
手を振りほどこうとして、リリスティアは腕を引く。だが、掌は捕まえられたままだった。
すっくと立ち上がったヒルは、リリスティアの視線より遥かに高い位置から、言葉を降らせた。
「――いつか」
「……え?」
「話したいことがある」
「話したいこと……? 何……?」
月が影を受けて、ヒルの顔が暗くなる。口元だけが見えて、彼が何を言っているのかよく分からなかった。だが、紡ぐ言葉はとても寂しそうに、消え入るようだった。
冷たい夜風が、手の上を通り過ぎる。繋がれた手は温かいのに、胸を透かしていくような月の光に、心が惑った。
まるで、壊してはならない宝物を扱うように。ヒルは、リリスティアの細い身体を優しく包み込む。それ以降、言葉はなかった。
抱き締めた意味を解すこともなく、説くこともなく。銀月の空の下で、王と竜は、想いを寄せ合っていた。
* * *
快晴。あの日からこの大地はずっと晴れ続きだが、今日はいつにも増して太陽光がきつい。昨夜は冷たい風が吹き荒んでいて、一枚の毛布では頼りないほどであったのに。
日差しに暑さを感じたレオンは、手を団扇がわりにしながら、出発の時を迎えた彼らの前にけだるげな様子で立った。
「ふいー。あっついあっつい。――さて、準備は万端デスか?」
「ええ、大丈夫です軍師」
いつもと変わらない服装のシャジャが答える。傍らで、これまたいつもと変わらない服装のカイムが腕を組んだまま少し眠そうに目を細めていた。
「竜の王なんか連れてって平気なのかよ」
カイムを睨みながら、ライザーが誰に言うでもなく呟く。その腰には護身用の細身の剣が差してある。首に巻き付けた裾の長いマントは、白。服装も、首もとがきっちり詰められ幾分か高価そうな物だった。
「煌竜王サマがいると、うまくいく確率が増えると思いマシてね~」
「どうだかな」
レオンの含んだ物言いに、カイムはそっけなく言葉を返す。
「がんばってねリリー!」
旅立つ友に向かって、ベリーが剣を差し出した。それを受け取ったリリスティアは、剣をそのまま腰の太いベルトに固定した。誰がリリスティアに宛てたとも分からぬその剣だが、よく彼女に似合っていた。
「ありがとうベリー。でも、貴方に転移を頼むなんて。体は大丈夫?」
遠い地へ、陸路を使って移動をするのは非常に危険と判断したレオンは、ベリーの力による「転移」での移動を提案していた。陸路は、どうあっても他国の国境を通らざるをえない。かといって、内陸にある彼の地へ行くには、船は使えない。
抜擢されたベリーだが、彼女にかかる負担は相当大きい筈だと、リリスティアは心配をしていた。こんな大人数の転移を行うとどれほど消耗するかなど、魔導師でなくとも予想がつく。
「へーきへーき! ひょっとしたらノーブルの近くにしか出口を繋げれないかもしれないけど、あたしは大丈夫だよ~!」
ベリーは既に用意してあった己の杖を見せながら微笑む。
「はっ、ぶっ倒れんなよ」
ライザーがすかさず憎まれ口を叩くと、ベリーもまた素早く応戦をする。
「心配なら心配って素直に言えば~? そんなんだから友達いないんだよ~」
「ああ!? 今なんつったおい!!」
ベリーは舌を出しながらも、楽しそうな笑みを返した。
「ライザー、リリスティアを頼んだぞ」
「分かってるよ。ったく、慣れねぇことしたから肩が痛ェ」
よく見ると、彼の指や腕に包帯が巻かれている。恐らく筋を痛めたのだろう。肩を押さえながら首を回すライザーに向かって、少し離れた場所で押し黙っていた昴が静かに口を開く。
「よく習得したな。役に立てばいいが」
どうやら、ライザーは昴に剣の指南を受けていたらしい。無表情だが、どこか満足げな昴に、ライザーがふんと鼻を鳴らす。
「まあ付け焼刃だけどな」
「……二足の草鞋を履くことは困難だ」
「あ?」
「"本来は両立し得ない二つの職業をもつことは難しい"ってことッスよ! ね! すーさん!」
急に話に割って入ったレイムは、昴にしつこく同意を求める。
「……ああ」
「正解ッスね! 世闇の"ことざわ"らしいッスよライザー卿! 俺、昨日教えてもらったんス!」
「"ことわざ"だ」
「あっ」
すかさず昴が間違いを指摘すると、レイムは目を点にして照れ笑いを浮かべた。
「この旅で剣くらい習得してやるよ」
自信満々なライザーを見て、昴は口端を上げた。
「さーさ、もう別れの挨拶は良いデスか?」
レオンが手を叩きながらそう言うと、各は旅立つ彼らから少し距離を取る。
「ベリーちゃん、お願い出来マスか?」
「まっかせて! ほいほーいだよ~!」
「さすが大魔導師サン」
ベリーは彼の嫌味が分かっていたが、気にせず転移の準備を始めた。彼らが居るのは、城門前の石畳の上だ。
ユア・ラムダに旅立つのはリリスティア、ライザー、そしてカイムにシャジャ。その四人の周りを、兵や竜達が心配そうに囲んでいる。
ベリーは、空間を飛び越える為の門を順調に出現させていく。中庭に強い風が吹きすさみ、庭木を揺らしながら轟々と音を立てる。
リリスティアがふとヒルを見る。彼もまたリリスティアを見つめていて、二人の視線が切なく合わさった。
「ヒル」
風の音に消される声。だが、その方が都合がいいのか、それでもリリスティアが彼に向かって言葉をかける。
「また、話をしてくれる?」
少し声を張り上げて言う。皆出現する門に釘付けで、それを聞いていたのは誰もいなかった。ヒルは目を細め微笑むと、静かに頷いた。
「ああ。待っているよ」
開かれた門に足を進める彼らに、手を振る仲間達。リリスティアが背負う責任は、とても重いものだ。これが失敗すると、王国をますます増長させるだけではなく、ヴァイスは事実上孤立する。だが、
“待っている”
彼のその言葉だけで、リリスティアは希望を持てた。
――必ず、ユア・ラムダの有翼人との同盟を、締結させる。
やがて、彼らを吸い込んだ門はその形を消し、白い煙が術の終わりを知らせるように、空へ昇った。
「行っちゃっ……た……」
ベリーは自分を支えるように、杖を地面に突き刺した。額に汗を滲ませ、力なくその場に座りこむ。
「大丈夫ッスかベリーちゃん!」
「ちょっとしんどいかも。少し休むよ~」
「じゃあじゃあ、ちゃんとした所で休まないと! そうだ、ヒルさ……」
レイムがそう言いながら、ヒルに顔を向けた。だが、そこに既にヒルの姿は無い。首を傾げながら辺りを見回すが、彼らしき人物はどこにも居ない。
「あれっ?」
「どうしたんデスか?」
不審に思ったレオンが声をかける。
「いや、ヒルさん居なくなるの速いなあって思って」
それを聞いたレオンの顔が、一瞬にして強ばった。
「……それを見てからかな。俺もいつかは、親父のように、次代の王に仕えるんだと……強く決意させられた」
そう言って、ヒルはリリスティアを見つめる。夜と混じる、深紅の瞳が光を吸い込んでいく。
「お前が、生きていてよかった。ずっと待っていたんだ」
「そ、そう。よかった」
強張り、大きく高鳴る胸を誤魔化すように、リリスティアはそっけない返事をしてみせる。
まともに見つめることが出来ず、つい視線を逸らした。背中を向けたリリスティアは、自分が今どこに視線を定めていいのか分からず、とにかく慌てるのみだった。
そんなリリスティアの肩に、そっと乗せられる手の平があった。大きくて武骨なその手は、労わるように肌に触れた。
「いきなり一国の王となり、何もかもをこなしていくのは並大抵の事ではない。だが、どうか忘れないでほしい」
軽く肩を引き、リリスティアを振り向かせる。されるがままに振り向いたリリスティアの前には、膝をついてこちらを見上げるヒルの姿があった。
「俺が傍にいる。どんな時でも、お前の傍にいよう。必ず、守ってみせる」
いつの間にか、握られた二つの手。重なる体温と、肌の感触。触れた部分から、心が流れ込んでしまいそうで、リリスティアは頬を熱くした。
「はは。そんなに照れなくてもいいだろう」
「か、からかったの!?」
「いや、本気だよ。だが、あんまり固くなるからおかしくてな」
「それをからかうと言うんだ! ふざけるな!」
手を振りほどこうとして、リリスティアは腕を引く。だが、掌は捕まえられたままだった。
すっくと立ち上がったヒルは、リリスティアの視線より遥かに高い位置から、言葉を降らせた。
「――いつか」
「……え?」
「話したいことがある」
「話したいこと……? 何……?」
月が影を受けて、ヒルの顔が暗くなる。口元だけが見えて、彼が何を言っているのかよく分からなかった。だが、紡ぐ言葉はとても寂しそうに、消え入るようだった。
冷たい夜風が、手の上を通り過ぎる。繋がれた手は温かいのに、胸を透かしていくような月の光に、心が惑った。
まるで、壊してはならない宝物を扱うように。ヒルは、リリスティアの細い身体を優しく包み込む。それ以降、言葉はなかった。
抱き締めた意味を解すこともなく、説くこともなく。銀月の空の下で、王と竜は、想いを寄せ合っていた。
* * *
快晴。あの日からこの大地はずっと晴れ続きだが、今日はいつにも増して太陽光がきつい。昨夜は冷たい風が吹き荒んでいて、一枚の毛布では頼りないほどであったのに。
日差しに暑さを感じたレオンは、手を団扇がわりにしながら、出発の時を迎えた彼らの前にけだるげな様子で立った。
「ふいー。あっついあっつい。――さて、準備は万端デスか?」
「ええ、大丈夫です軍師」
いつもと変わらない服装のシャジャが答える。傍らで、これまたいつもと変わらない服装のカイムが腕を組んだまま少し眠そうに目を細めていた。
「竜の王なんか連れてって平気なのかよ」
カイムを睨みながら、ライザーが誰に言うでもなく呟く。その腰には護身用の細身の剣が差してある。首に巻き付けた裾の長いマントは、白。服装も、首もとがきっちり詰められ幾分か高価そうな物だった。
「煌竜王サマがいると、うまくいく確率が増えると思いマシてね~」
「どうだかな」
レオンの含んだ物言いに、カイムはそっけなく言葉を返す。
「がんばってねリリー!」
旅立つ友に向かって、ベリーが剣を差し出した。それを受け取ったリリスティアは、剣をそのまま腰の太いベルトに固定した。誰がリリスティアに宛てたとも分からぬその剣だが、よく彼女に似合っていた。
「ありがとうベリー。でも、貴方に転移を頼むなんて。体は大丈夫?」
遠い地へ、陸路を使って移動をするのは非常に危険と判断したレオンは、ベリーの力による「転移」での移動を提案していた。陸路は、どうあっても他国の国境を通らざるをえない。かといって、内陸にある彼の地へ行くには、船は使えない。
抜擢されたベリーだが、彼女にかかる負担は相当大きい筈だと、リリスティアは心配をしていた。こんな大人数の転移を行うとどれほど消耗するかなど、魔導師でなくとも予想がつく。
「へーきへーき! ひょっとしたらノーブルの近くにしか出口を繋げれないかもしれないけど、あたしは大丈夫だよ~!」
ベリーは既に用意してあった己の杖を見せながら微笑む。
「はっ、ぶっ倒れんなよ」
ライザーがすかさず憎まれ口を叩くと、ベリーもまた素早く応戦をする。
「心配なら心配って素直に言えば~? そんなんだから友達いないんだよ~」
「ああ!? 今なんつったおい!!」
ベリーは舌を出しながらも、楽しそうな笑みを返した。
「ライザー、リリスティアを頼んだぞ」
「分かってるよ。ったく、慣れねぇことしたから肩が痛ェ」
よく見ると、彼の指や腕に包帯が巻かれている。恐らく筋を痛めたのだろう。肩を押さえながら首を回すライザーに向かって、少し離れた場所で押し黙っていた昴が静かに口を開く。
「よく習得したな。役に立てばいいが」
どうやら、ライザーは昴に剣の指南を受けていたらしい。無表情だが、どこか満足げな昴に、ライザーがふんと鼻を鳴らす。
「まあ付け焼刃だけどな」
「……二足の草鞋を履くことは困難だ」
「あ?」
「"本来は両立し得ない二つの職業をもつことは難しい"ってことッスよ! ね! すーさん!」
急に話に割って入ったレイムは、昴にしつこく同意を求める。
「……ああ」
「正解ッスね! 世闇の"ことざわ"らしいッスよライザー卿! 俺、昨日教えてもらったんス!」
「"ことわざ"だ」
「あっ」
すかさず昴が間違いを指摘すると、レイムは目を点にして照れ笑いを浮かべた。
「この旅で剣くらい習得してやるよ」
自信満々なライザーを見て、昴は口端を上げた。
「さーさ、もう別れの挨拶は良いデスか?」
レオンが手を叩きながらそう言うと、各は旅立つ彼らから少し距離を取る。
「ベリーちゃん、お願い出来マスか?」
「まっかせて! ほいほーいだよ~!」
「さすが大魔導師サン」
ベリーは彼の嫌味が分かっていたが、気にせず転移の準備を始めた。彼らが居るのは、城門前の石畳の上だ。
ユア・ラムダに旅立つのはリリスティア、ライザー、そしてカイムにシャジャ。その四人の周りを、兵や竜達が心配そうに囲んでいる。
ベリーは、空間を飛び越える為の門を順調に出現させていく。中庭に強い風が吹きすさみ、庭木を揺らしながら轟々と音を立てる。
リリスティアがふとヒルを見る。彼もまたリリスティアを見つめていて、二人の視線が切なく合わさった。
「ヒル」
風の音に消される声。だが、その方が都合がいいのか、それでもリリスティアが彼に向かって言葉をかける。
「また、話をしてくれる?」
少し声を張り上げて言う。皆出現する門に釘付けで、それを聞いていたのは誰もいなかった。ヒルは目を細め微笑むと、静かに頷いた。
「ああ。待っているよ」
開かれた門に足を進める彼らに、手を振る仲間達。リリスティアが背負う責任は、とても重いものだ。これが失敗すると、王国をますます増長させるだけではなく、ヴァイスは事実上孤立する。だが、
“待っている”
彼のその言葉だけで、リリスティアは希望を持てた。
――必ず、ユア・ラムダの有翼人との同盟を、締結させる。
やがて、彼らを吸い込んだ門はその形を消し、白い煙が術の終わりを知らせるように、空へ昇った。
「行っちゃっ……た……」
ベリーは自分を支えるように、杖を地面に突き刺した。額に汗を滲ませ、力なくその場に座りこむ。
「大丈夫ッスかベリーちゃん!」
「ちょっとしんどいかも。少し休むよ~」
「じゃあじゃあ、ちゃんとした所で休まないと! そうだ、ヒルさ……」
レイムがそう言いながら、ヒルに顔を向けた。だが、そこに既にヒルの姿は無い。首を傾げながら辺りを見回すが、彼らしき人物はどこにも居ない。
「あれっ?」
「どうしたんデスか?」
不審に思ったレオンが声をかける。
「いや、ヒルさん居なくなるの速いなあって思って」
それを聞いたレオンの顔が、一瞬にして強ばった。