第九話「白き百合、追憶の街角」

「俺たちは、彼女の居場所を作ってあげることは出来マスけど、それは彼女にとって「与えられたもの」でしかない。きっと今までも、「そうならざるをえない」状況で生きてきただろう彼女にとって……形は違えど、この国の王になることもまた、「与えられたもの」デス。自分が望んで、自分から発した言葉で手に入れたものじゃあない」

 嫌味ばかりを吐く筈の口から、穏やかな言葉が紡がれる。そのひとつひとつに、彼の温かい心が込められていた。

「でも、君は違う。彼女はきっと、自分から望んで君と友達になったんデショ。たった一人だった時間の中で、君がいることで、救われたんデショーね」

 あまりに優しい言葉を与えられ、ベリーは頬を紅くした。照れるように、長い髪を胸元でいじる。

「そ、そうかな……」

「だから俺は、これから彼女が望むものを手にする為には、なんだって協力しようと思ってマス。きっと、王としての責任の中でがっちがちになって悩むことが多いと思いマスが。まあそういう時は、よろしくお願いしマスね」

 笑顔で手を差し出され、少し警戒しつつもベリーは手を握り返す。細い文官の手の内は、とても温かかった。

「でもさ、どうして急にそんなこと言い出したの~?」

「ああ、それはデスね――」


  *  *  *


 濡れた髪を、メイドたちがゆっくりと乾かしていく。肩の下まで伸びてきた蒼い髪は、梳かせば梳かすほど美しく輝いた。
 香油を軽くつけると、艶やかになり、指を通す度に優しく香る。
 窓からそっと漏れる陽の光の中で、ミリアが手際よく髪を乾かしていく。鏡越しにそれを見つめながら、リリスティアは申し訳なさそうに言った。

「手間を、かけてしまって……」

「いいえ陛下。朝からお世話をさせて頂けるなんて嬉しいです」

 小瓶の蓋を閉めながら、ミリアが答える。
 にこにことしながら、化粧水の瓶や香水を並べるミリアは、心の底から楽しそうだった。

「でも、お風呂に入らずに眠ってしまうのは感心しません。疲れが取れませんから」

「……悪かった」

 笑顔の奥に潜む凄味のある彼女に怯え、リリスティアは軽く項垂れた。

「ああ、それとこちら。異国の香油ですが、今度使ってみませんか?」

 そう言ってミリアは、多面カットされた透明な硝子の瓶を取り出した。蓋には、小さな百合の花の硝子細工がついており、古びた紐で封がされている。

「西から取り寄せたものだったんです。ある花から作られた香油で、ライザー様のお母様がユティリア様に贈られたんですが……」

「これ……」

「ご存知ですか? クリスタル・ブランカという花の香油です」

 一瞬、あの輝く季節の中で笑う彼女が浮かぶ。
 小瓶を受け取ったリリスティアは、懐かしそうにそれを見つめた。光に照らすと、まるであの日の出来事が蘇るかのようだった。

「これ、貰ってもいい?」

「勿論! リリスティア陛下の物ですもの!」

 小瓶を手の中に握り締め、リリスティアは微笑んだ。


  *  *   


 慣れない石の回廊で、山肌を見つめる。遠くにそびえるアルゲオ山脈の向こう側は、かつて自分がいた場所だ。
 もう戻ることのないそこを、寂しい気持ちで見ることがない自分に、ベリーは我ながら呆れていた。
 言うなれば、根無し草のような人生だと思った。
 だが、今こうして、自らが一度は滅ぼそうとした国で、確かに立っている。それが望んだものなのか、与えられたものなのかは、理解に迷いながら。
 沈み始めた太陽が、全てを美しく包み込む時、人々の足音も消えていく。この城のことはまだよく分からないが、きっと夕食の準備を進めていることだろう。世話しなく動く人波と、ゆっくりと沈む太陽の軌跡。その間に佇みながら、ベリーは物憂げに考え込んでいた。

「こんなところにいた」

 人が消えた回廊の奥から、リリスティアが現われた。
 西日を眩しそうにしながら、ベリーに近づいてくる。

「リリー! おつかれさま~!」

「今日は勉強漬けだった。改めて、自分の知識の無さが情けなくなった」

 言いながら、外の景色に面した石壁にもたれかかる。腕を付くには丁度いいその縁に、ベリーと並んだ。

「王様ってどんな勉強するの? 帝王学ってやつ?」

「……基本からやらされているんだと、思う」

「ふう~ん。でもでも、意地悪眼鏡って、先生役が上手そうだよね~。ちょこっと嫌味だけどさ」

「ちょこっと? 相当だぞあれ」

「あはは! そうかも~!」

 会話が途切れた時、訪れる緩やかな静寂。彼方の雲が、青と橙の境界の中で、乱反射しながら動いていた。
 リリスティアは、体の疲れがすっと消えていくのを感じた。いつもにこにこと明るい彼女の横顔を見ると、どういうわけか気が落ち着くのだ。

「あ、そういえばヒル様帰ってきた?」

「……私がいちいちヒルの行動を把握しているとでも」

「あれ~? 聞いただけなんですけど~?」

 からかうような口調で、ベリーが言う。リリスティアは無言の睨みを返し、ベリーの肩を軽く押した。

「えっへへ。でも暗くなると心配じゃない? ちゃんと道分かるのかなあ」

「広いけど、大運河という目印があるから大丈夫だと思う。それに、馬が道を把握しているらしい」

「ここの馬そんなに賢いの?」

「……聞いた話だけど」

「いいな~。あたしも馬に乗ってみたい」

 縁に置いた自分の手に顎を乗せ、ベリーは頭をゆらゆらとさせる。表現豊かな彼女に、リリスティアは笑みを零した。

「ベリー」

「ん~?」

「貴方に渡したいものがある」

 そう言ってリリスティアは、上着のポケットから何かを取り出した。白い紙の小袋に、押し花が添えられている。

「なになに~?」

「今日貰ったんだ。貴方ならきっと喜ぶかと思って」

 リリスティアから小袋を受け取ったベリーは、瞳で確認をした後、その封を開けた。中から出てきたのは、あの時リリスティアがミリアから受け取った、香油の瓶だった。
 ベリーの手の平で行儀よく自立するそれは、夕陽に透けて幾重もの光を放つ。

「可愛い! 香水?」

「香油。……花の香油なんだけど」

「へ~! リリーってば乙女じゃーん!」

 慣れた様子で、ベリーは小瓶の蓋を開けた。鼻先に瓶を近付け、瞳を閉じた。
 そうして、思い出されるあの日の記憶。誇り高い芳香に、白い姿。受け取った二本の花の向こうで、無表情に佇む彼女。
 今は、笑顔でこちらを見ている。

「クリスタル・ブランカ……」

「覚えてたんだ。良かった」

「懐かしい香り。そっか……もうあれから、何年も経つんだね」

「うん。……何年も経った」

 それでも、変わる事のない笑顔に、リリスティアは安心していた。香油を受け取った時のベリーは、あの時と変わらず、気の置けない笑みを返してくれたのだ。

「何年も、貴方は秘密を守ってくれていたわね」

「え……」

「きっと、嫌に思うこともあったのに。私の出生を、守るように秘密にしてくれていた」

 最初から、違う者として出会った二人。どちらも異質で、一人だった。けれど、あの街角で出会った時に、二人は更に違う「二人」へと変わったのだ。
 ただ花を美しいと思い、同じ感動を持ち、そして近づいた。気持ちが同じ色に染まり、笑えば応えてくれるようになった。
 大きな秘密さえ、いつしか受け入れるように、認めたかのように心の中に持っていた。
 それが、彼女と過ごす障害になるなど、忘れてしまえるほどに。
 友としての時間は、尊いものであった。

「そして今、また私の傍に来てくれた。今度は、自分の秘密をさらけ出して。……どう、言えばいいのか分からないけど」

「リリー……」

「ありがとう。友達でいてくれて」

 言った瞬間、見る間に頬を紅くするリリスティアに、ベリーは涙より先に笑いが先行してしまった。
 小瓶を抱え、思わず口を塞ぐベリーに、リリスティアは八つ当たり気味に睨む。

「……っ、笑うこと……」

「ご、ごめん。だってリリーってばすんごい真っ赤! 普通に言えばいいのに~!」

「そんなに赤くない! ベリーだって赤い!」

「色白だから夕陽のせいだもん~!」

「都合のいいことばっかり言って……」

 笑いすぎた所為なのか、それとも別の理由からなのか。ベリーは目尻に溜まる涙を、指で何回も擦った。
 ぴりぴりと痛くなる皮膚を、それでも擦り、笑い声を上げる。

 指先についた涙を確認するようにしていると、リリスティアは呆れかえった顔でこう言った。

「――そういえば、レオンが今後のことで話があるって言っていた。後で声をかけてみて」

「は~い! がんばりま~す!」

 ベリーは、小瓶を高らかに掲げる。幾つもの表情を見せる小瓶の中で、クリスタル・ブランカが咲き誇っていた。
 あの日のまま、変わらない香りのままで。

第九話・終
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