第九話「白き百合、追憶の街角」
腕いっぱいになる花を受け取った女性は、軽く頭を下げる。一瞬だけベリーを見たが、特に何を言うでもなく、さっさと立ち去ってしまった。
「あ、ちょっとちょっと!」
ベリーは慌てて店主に代金を渡すと、クリスタル・ブランカを二本、わたわたとした様子で抱える。
無造作に渡された代金を両手の上で見つめながら、店主はくすりと笑った。
煉瓦の道に、花が舞う。鞘が擦れる音がリズムを取るかのように、小さく響いていた。
木漏れ日の中、漂う芳香に誘われるように、ベリーは女性の後を追いかけていた。
淡い、橙色の光は、秋のそれとは大分違う。温かくて、ゆっくりとしていて、それでなくとも、優しくて。
見上げると、潤って光る緑の木々。真新しさにその身を誇り、空へ空へと伸びている。
少しの距離を開けて歩く二人の足音は、そのタイミングも、強さも、違っていた。前を歩く女性の、ローブを纏う背中から、疲労の色が濃く滲み出ている。
同じ年くらいだろうか? 剣を持っているということは、傭兵だろうか?
――何故、美しい花を、大切そうに、抱えているのか。
そんなことを考えながら、ベリーは後ろをずっと歩いていた。
「あの」
ふと、女性が立ち止まる。横顔だけを見せるように、ベリーに視線を投げた。
「どこまで、ついてくるの」
「あ……」
そういえば、なぜかずっと同じ方向に歩いてきてしまっていた。
特にこちらに用があるわけではないのだが、自分でも驚いたように目を丸くするベリーに、女性は溜息を吐いた。
「……その服、聖騎士を管理してる……組合の」
「えっ」
ベリーが身に着けているのは、白を基調とした、聖騎士管理組合の制服だった。
「だからついてきているの?」
冷たさを帯びた言葉に、ベリーは口を結ぶ。すると、女性はおもむろに花を片手で持ち、自身のローブをめくった。
治りかけの傷が生々しく見える腕は、少し陽に焼けている。女性は、そっと自分の二の腕を指差して言った。
「私は聖騎士だ」
* * *
「……なんつうか、昔から愛想のないやつだったんだな?」
ベリーの語りを止め、ライザーが息を吐く。苦笑いを浮かべたベリーは、懐かしそうに目を細めた。
「超無愛想なのに、あんな綺麗な花を持ってさ。なんか嬉しそうに歩いてんの。よろよろしてんのに、花だけはちゃんと大事そうに運ぶんだよね」
「あいつが花好きなんて、なんか似合わねえな」
「その時の花はね、自分の為に買ったんじゃなかったみたいだよ」
湯気の上がる紅茶を見つめ、ベリーは指を組み合わせる。
「クリスタル・ブランカ。こっちじゃ咲かないみたいだけど……。なんでリリーがいつもあの花を買っていたのか、なんでそれが、決まって朝の時間なのか。色々と知ったのは、その後だったんだ」
* * *
今日は来るだろうか。
まるで、想い人を待つような面持ちで、ベリーは街角のカフェで憩いのひと時を過ごす。
路に面した花屋のはす向かいにある、ケーキが自慢の小さなカフェは、「ルネッタ」という。若い男女に人気がある名店だ。
隣を見れば、午後の陽気に当てられて眠そうにする髪の長い少女と、それを甲斐甲斐しく気遣う金の髪の男性がいる。テーブルに突っ伏しそうになる彼女を気遣う優しい瞳を見ていると、ベリーは彼女の事を思い出した。
“リリー・ウルビア”
名前を聞いた時は、驚きを隠せなかった。
噂と、そしてその経歴だけは知っていた。あの最高位聖騎士アストレイアの妹だということ。どこにも登録をしていない非登録聖騎士だということ。その割に、アルフレッド殿下と面識があるということ。
――実は、人間ではないということ。
彼女が、実は人間ではないということは、組合の中でもベリーだけが知る事実だった。
サウザンスロードという名前を捨て、この国に新たな「人間」として生きることを許された彼女は、その永い魔導師としての人生の中で、歴史の鍵を幾つも手に入れた。
初めは、特に何も思ってはいなかった。
敗戦国の遺児が此処にいる事に関しては、「政略上のよくある事」程度に受け止めていたからだ。戦勝国が戦敗国の世継ぎを取り込むなんて、どこの国でもやっている。
それよりも、ベリーは自身が侵した罪の意識から逃げることに、必死になっていた。名前を変えれば、救われると思っていた。面が違えば、生まれ変われると信じていた。
だが、まさかのこの機会で、図られたかのように、うららかな春の始まりに。
彼女と出会うことになるとは、思ってもみなかったのだ。
「今日も包みますか」
優しげな店主の声が、思考を遮断する。見上げた先に、リリー・ウルビアがいた。
だが、今日はいつもとは違う。身に着けているのは、汚れたローブではなく、濃紺のマント。膝上まであるブーツに、すっきりとした前合わせの、黒い衣服。丈の短い金ボタンのジャケットが、まるで騎士のようだ。
声をかける前に、ベリーは彼女をよく観察する。今日手に持っているのは、クリスタル・ブランカではなく、丸くてころんとした、鮮やかな花の束だった。
店主が、いつもどおり花を持って出てくる。リリーはそれを受け取ると、用意していた代金を片手で渡す。笑顔で見送る店主に軽く会釈をしたリリーは、どこか落ち着いているように見えた。
そのまま歩けば、ベリーが視界に入るだろう。だが、リリーは彼女を見つけるやいなや、わざとらしく立ち止まり、葛藤を始めた。
「おっはよ~リリー!」
笑顔をで手を振るベリーを見て、リリーは落ち着きを失う。手に持った花で、顔を半分隠してしまった。
ああ、警戒されているのか。彼女の心を察したベリーは、空いている椅子を指差した。
「座りなよ~! 時間あるでしょ」
「私は忙しい」
「今日の予定はなあんにも無い事、あたし知ってるんだよ~」
「職権乱用じゃないのか……」
意地悪そうに笑うベリーを、リリーは睨(ね)め付けた。
楽しげな恋人同士の語らい、気の抜いた友人たちの話し声。静かな小鳥の囁きにも似た音楽を聴きながら、ベリーとリリーは向かい合わせで座った。
柔らかな木で出来た丸いテーブルに、白いカップがそっと出される。合わせて置かれたティーポットから漂う紅茶の香りを、緊張した面持ちで見るリリーに、ベリーは思わず噴き出してしまった。
「紅茶飲んだことないの~?」
「あるけど、……こんな出され方は知らない」
「そっか。此処のお店はコーヒーが自慢なんだけど、紅茶もなかなかのものですよ~?」
じっくりと、茶葉が踊る時間を待ちながら、ベリーは言う。一緒に出された銀色の砂時計の砂が落ち切れば、注いで良いらしい。
「あなたは、こういうところによく来るの」
リリーが問いかけると、ベリーはすぐに頷いた。
「リリーが花を買うのと同じくらいかな~」
「常連かと思った」
「実はあたしも最近ここを知ったんだよね~。いつもは仕事で通り抜けるだけなんだけど、ちょっと立ち止まって見ないと分からないものってあるよね~! 得しちゃったよ!」
さらさらと落ちる砂時計。硝子の向こうで笑うベリーの顔を見て、リリーは深い溜息を吐いた。
「聖騎士管理組合の、監査官。……何か意図があるなら、聞くけど」
「まだ準監査だよ~。だから、リリーの私生活を見てどうこうとかする権限もないし、する気もないんでご安心~」
そう言っても、まだ信用は出来ないらしいリリーに、ベリーは眉を下げた。
「もー! 大丈夫だって言ってんじゃん。それよりさ、今日は何の花買ってたの?」
空いた椅子に置かれた花を、乗り出すように見つめながら言う。ちら、と視線を流し、リリーは答えた。
「……ラナンキュラス」
茎にそっと手を伸ばし、持ち上げる。黄色やピンク、オレンジの丸い花が、光を受けて益々輝いていた。
「ラナンキュラスっていうの? なんか呪文みたい」
「貴方は、魔導師だったわね。花には詳しいんじゃ……」
「よく言われる。あたしさ~調合とか薬品ならまだ詳しいんだけど、花は苦手なんだよね」
「嫌い……なの?」
顔を曇らせ、伺ってくるリリーに、ベリーは首を横に振った。
「ううん。好き! ほら、家にいることが少ないから、世話ができなくってさ~」
「ああ……そっか」
「リリーもそうでしょ? 切花だったら、水替えだけで済むもんね!」
「これは、人にあげようと思って」
「へえ~なんか意外かも~」
「あ、ちょっとちょっと!」
ベリーは慌てて店主に代金を渡すと、クリスタル・ブランカを二本、わたわたとした様子で抱える。
無造作に渡された代金を両手の上で見つめながら、店主はくすりと笑った。
煉瓦の道に、花が舞う。鞘が擦れる音がリズムを取るかのように、小さく響いていた。
木漏れ日の中、漂う芳香に誘われるように、ベリーは女性の後を追いかけていた。
淡い、橙色の光は、秋のそれとは大分違う。温かくて、ゆっくりとしていて、それでなくとも、優しくて。
見上げると、潤って光る緑の木々。真新しさにその身を誇り、空へ空へと伸びている。
少しの距離を開けて歩く二人の足音は、そのタイミングも、強さも、違っていた。前を歩く女性の、ローブを纏う背中から、疲労の色が濃く滲み出ている。
同じ年くらいだろうか? 剣を持っているということは、傭兵だろうか?
――何故、美しい花を、大切そうに、抱えているのか。
そんなことを考えながら、ベリーは後ろをずっと歩いていた。
「あの」
ふと、女性が立ち止まる。横顔だけを見せるように、ベリーに視線を投げた。
「どこまで、ついてくるの」
「あ……」
そういえば、なぜかずっと同じ方向に歩いてきてしまっていた。
特にこちらに用があるわけではないのだが、自分でも驚いたように目を丸くするベリーに、女性は溜息を吐いた。
「……その服、聖騎士を管理してる……組合の」
「えっ」
ベリーが身に着けているのは、白を基調とした、聖騎士管理組合の制服だった。
「だからついてきているの?」
冷たさを帯びた言葉に、ベリーは口を結ぶ。すると、女性はおもむろに花を片手で持ち、自身のローブをめくった。
治りかけの傷が生々しく見える腕は、少し陽に焼けている。女性は、そっと自分の二の腕を指差して言った。
「私は聖騎士だ」
* * *
「……なんつうか、昔から愛想のないやつだったんだな?」
ベリーの語りを止め、ライザーが息を吐く。苦笑いを浮かべたベリーは、懐かしそうに目を細めた。
「超無愛想なのに、あんな綺麗な花を持ってさ。なんか嬉しそうに歩いてんの。よろよろしてんのに、花だけはちゃんと大事そうに運ぶんだよね」
「あいつが花好きなんて、なんか似合わねえな」
「その時の花はね、自分の為に買ったんじゃなかったみたいだよ」
湯気の上がる紅茶を見つめ、ベリーは指を組み合わせる。
「クリスタル・ブランカ。こっちじゃ咲かないみたいだけど……。なんでリリーがいつもあの花を買っていたのか、なんでそれが、決まって朝の時間なのか。色々と知ったのは、その後だったんだ」
* * *
今日は来るだろうか。
まるで、想い人を待つような面持ちで、ベリーは街角のカフェで憩いのひと時を過ごす。
路に面した花屋のはす向かいにある、ケーキが自慢の小さなカフェは、「ルネッタ」という。若い男女に人気がある名店だ。
隣を見れば、午後の陽気に当てられて眠そうにする髪の長い少女と、それを甲斐甲斐しく気遣う金の髪の男性がいる。テーブルに突っ伏しそうになる彼女を気遣う優しい瞳を見ていると、ベリーは彼女の事を思い出した。
“リリー・ウルビア”
名前を聞いた時は、驚きを隠せなかった。
噂と、そしてその経歴だけは知っていた。あの最高位聖騎士アストレイアの妹だということ。どこにも登録をしていない非登録聖騎士だということ。その割に、アルフレッド殿下と面識があるということ。
――実は、人間ではないということ。
彼女が、実は人間ではないということは、組合の中でもベリーだけが知る事実だった。
サウザンスロードという名前を捨て、この国に新たな「人間」として生きることを許された彼女は、その永い魔導師としての人生の中で、歴史の鍵を幾つも手に入れた。
初めは、特に何も思ってはいなかった。
敗戦国の遺児が此処にいる事に関しては、「政略上のよくある事」程度に受け止めていたからだ。戦勝国が戦敗国の世継ぎを取り込むなんて、どこの国でもやっている。
それよりも、ベリーは自身が侵した罪の意識から逃げることに、必死になっていた。名前を変えれば、救われると思っていた。面が違えば、生まれ変われると信じていた。
だが、まさかのこの機会で、図られたかのように、うららかな春の始まりに。
彼女と出会うことになるとは、思ってもみなかったのだ。
「今日も包みますか」
優しげな店主の声が、思考を遮断する。見上げた先に、リリー・ウルビアがいた。
だが、今日はいつもとは違う。身に着けているのは、汚れたローブではなく、濃紺のマント。膝上まであるブーツに、すっきりとした前合わせの、黒い衣服。丈の短い金ボタンのジャケットが、まるで騎士のようだ。
声をかける前に、ベリーは彼女をよく観察する。今日手に持っているのは、クリスタル・ブランカではなく、丸くてころんとした、鮮やかな花の束だった。
店主が、いつもどおり花を持って出てくる。リリーはそれを受け取ると、用意していた代金を片手で渡す。笑顔で見送る店主に軽く会釈をしたリリーは、どこか落ち着いているように見えた。
そのまま歩けば、ベリーが視界に入るだろう。だが、リリーは彼女を見つけるやいなや、わざとらしく立ち止まり、葛藤を始めた。
「おっはよ~リリー!」
笑顔をで手を振るベリーを見て、リリーは落ち着きを失う。手に持った花で、顔を半分隠してしまった。
ああ、警戒されているのか。彼女の心を察したベリーは、空いている椅子を指差した。
「座りなよ~! 時間あるでしょ」
「私は忙しい」
「今日の予定はなあんにも無い事、あたし知ってるんだよ~」
「職権乱用じゃないのか……」
意地悪そうに笑うベリーを、リリーは睨(ね)め付けた。
楽しげな恋人同士の語らい、気の抜いた友人たちの話し声。静かな小鳥の囁きにも似た音楽を聴きながら、ベリーとリリーは向かい合わせで座った。
柔らかな木で出来た丸いテーブルに、白いカップがそっと出される。合わせて置かれたティーポットから漂う紅茶の香りを、緊張した面持ちで見るリリーに、ベリーは思わず噴き出してしまった。
「紅茶飲んだことないの~?」
「あるけど、……こんな出され方は知らない」
「そっか。此処のお店はコーヒーが自慢なんだけど、紅茶もなかなかのものですよ~?」
じっくりと、茶葉が踊る時間を待ちながら、ベリーは言う。一緒に出された銀色の砂時計の砂が落ち切れば、注いで良いらしい。
「あなたは、こういうところによく来るの」
リリーが問いかけると、ベリーはすぐに頷いた。
「リリーが花を買うのと同じくらいかな~」
「常連かと思った」
「実はあたしも最近ここを知ったんだよね~。いつもは仕事で通り抜けるだけなんだけど、ちょっと立ち止まって見ないと分からないものってあるよね~! 得しちゃったよ!」
さらさらと落ちる砂時計。硝子の向こうで笑うベリーの顔を見て、リリーは深い溜息を吐いた。
「聖騎士管理組合の、監査官。……何か意図があるなら、聞くけど」
「まだ準監査だよ~。だから、リリーの私生活を見てどうこうとかする権限もないし、する気もないんでご安心~」
そう言っても、まだ信用は出来ないらしいリリーに、ベリーは眉を下げた。
「もー! 大丈夫だって言ってんじゃん。それよりさ、今日は何の花買ってたの?」
空いた椅子に置かれた花を、乗り出すように見つめながら言う。ちら、と視線を流し、リリーは答えた。
「……ラナンキュラス」
茎にそっと手を伸ばし、持ち上げる。黄色やピンク、オレンジの丸い花が、光を受けて益々輝いていた。
「ラナンキュラスっていうの? なんか呪文みたい」
「貴方は、魔導師だったわね。花には詳しいんじゃ……」
「よく言われる。あたしさ~調合とか薬品ならまだ詳しいんだけど、花は苦手なんだよね」
「嫌い……なの?」
顔を曇らせ、伺ってくるリリーに、ベリーは首を横に振った。
「ううん。好き! ほら、家にいることが少ないから、世話ができなくってさ~」
「ああ……そっか」
「リリーもそうでしょ? 切花だったら、水替えだけで済むもんね!」
「これは、人にあげようと思って」
「へえ~なんか意外かも~」