第一話「翡翠は、泥の中に」

 清閑な青き緑を光らせる森、太陽光を反射させ七色の懸け橋を創りだす滝。楽園かと思うようなその草の大地の上に、突如として赤い斑点が撒き散らされる。次いで、腐った肉を纏う醜悪な異形が重なるように倒れこんだ。

「これが悪魔」

 その戦慄の光景に反して可、愛らしい娘の声が揺らぐ。だが、口調はやけに冷め切っていた。

「獣、肉の塊、腐った異形。私たちに似た、人型とか。悪魔にも色々いるけど、これは腐った人型」

 娘はそう言いながら、瞳にかかる髪を邪魔そうにかきあげた。肩程までの長さの髪は、薄い水色に見えるが、光の加減によっては銀にも見える。
 煤けた白い外套の隙間から覗くその白い四肢には、筋肉の筋がうっすら影を刻む。腰に携えている剣の古さが、娘の置かれた境遇を語ることなく表していた。

「聞いてる?」

 娘は少し声を低くして、傍らで尻餅をついたままの男にそう言った。男は腰を抜かしたらしく、脚を僅かに動かして後退った。

「あ、ああ、そうか。そうだな」

 男の装備は勇ましく、重厚な全身鎧は真新しい。かなりの大男だが、今は娘の傍で小さくなっていた。

「……情けない」

 娘がそう吐き捨てると、男はかっと頬を染めた。
 きつく言葉を投げ付ける彼女に、男はなんとか反論してみせた。

「おっ、俺は聖騎士だぞ! 俺たちがいるおかげで世界は悪魔から守られているんじゃないか!」

 しかし次の瞬間、男は凍り付いた。それは、けして恐怖からではない。
 まるで、真新しい何かに魅入られたかのように、ぴたりと静止した。
 男の目は、娘の双眸に釘づけになっていた。
 雲の切れ間から降り注いだ光が、娘の顔を照らす。そこには、翡翠の輝きがあった。
 化粧などまるでしていない、泥に汚れた顔。だが、娘が持つ双眼と憂いに満ちた表情は、男をしかと捉えた。
 男は暫らく、あんぐりと娘を見つめていたが、ふと「ある印」に気付き目を見開いた。

「あんた、その紋章……」

 男は娘の二の腕を指差した。そこには、不思議な幾何学模様が刻まれていた。

「なんだ! あんたも「聖騎士」じゃないか!」

 途端、娘は明らかに嫌悪感を示した。
 しかし男は気にもせず、歓喜に沸き、両手を上げた。

「見た事あると思ったんだ……もしかしてあんた"リリー"か!? ほらっ、あのセイレ・ウルビアの妹の!」

「姉さんを知ってるの」

「セイレとは同期でさ、あんたのこと聞いたことあったんだよ! なんだあいつの妹か!」

 男はやっとこさ立ち上がり、リリーに握手を求める。

「どうだ? セイレは見つかったか? なんなら組合に申請して俺と組んでみようぜ! こう見えて割りと――」

 瞬間、リリーはその手をきつく払い除けた。驚く男に、畳み掛けるように言い放つ。

「馴々しくしないで」

 その声質は娘らしいものであったが、口調は冷めている。
 男は戸惑いながら、差し出した手はそのままに言葉を返した。

「な、なんだよ。俺は同じ聖騎士だぞ!」

「……一緒にしないで」

「はあ?」

「お前の助けなんか無くても、姉さんは私が必ず見つけてみせる!!」

 血のこびりついた手をきつく握り締め、まだ若きリリー・ウルビアは必死な様子で声を荒げた。
 怯えたように光る翡翠の瞳は、まるでまだ何も知らない子供のようだった。


 空はどこまでも澄み渡り、大地は果て無く続く。
 流れる川は先を語らず、大海の底には秘密が眠る。
 ここは、神創世界アーリア。まだ色濃く、神々の足跡が残る世界。

 だが、決して平和で穏やかな世界ではない。

 古来よりこの地では、"悪魔"と"聖騎士"による果てしない戦いが続いている。
 悪魔とは、人類を脅かす忌むべき存在。聖騎士とは、それらを打ち砕くべく日夜戦いに身を投じる神の刃。
 いつ終わるとも分からぬ戦いの連鎖、人類の未来はどこへ繋がるのか……。
 
 物語の舞台はアーリア中、最大の軍事力を誇る、聖王国リュシアナ。ここに、特別に自治を認められた街がある。
 そして、そこには変わり者として有名な一人の聖騎士がいた。
 古びた剣を腰に差し、化粧気の無い顔を気にする様子もない。だが、その蒼く銀に輝く髪と、翡翠色の瞳は鮮やかで美しい。
 彼女の名前は、リリー・ウルビア。聖騎士の中でも最高位の実力と権威を持つ、『聖騎士アストレイア』のたった一人の妹であった。
 リリー・ウルビア自身も姉に習い、「悪魔」を倒すべき聖騎士として日々を送っていた。
 聖騎士といえば、誰もが羨む憧れの職業だった。だが、彼女の人生は決して祝福に満ちたものではなかった。

 ――この世界ではなリリー。
 聖騎士という称号を受けた者は、その日からすべての過去を抹消されるが…登録すれば一生の生活の保障がされる。
 危険は、高いけどな。
 そういや昨日な。悪魔にやられた同志が組合に運ばれてきた。
 まあ、あいつは元々あまり強い騎士ではなかったし。
 わかるか? 聖騎士の称号を得るだけなら簡単だが……

 問題はそれからだ。

 なに? はは、やめておけ。
 お前には無理だ。

 さあ、そろそろ行ってくる。
 母さんたちの言うことを良く聞いて、賢く待ってろよ

 そう言って、美しい姉は家を出た。
 いつもと変わらない、優しい笑顔で。

 ――姉さん。
 リリー、賢く待ってるよ。

 その日の姉さんは朝食もキチンと食べて、寝起きも良かった。
「今日の相手は厄介だ」なんて言っていたけど、姉さんに倒せない悪魔はいないことは私がよく知っている。
 だって、姉さんは、最高位の聖騎士「アストレイア」だから。
 悪魔を討伐する為に設立された聖騎士という職業の中で、英雄のごとく扱われる位置にある。
 誰よりも強く、気高く、美しい。嘘みたいに完璧な姉さん。少し大雑把で、細かいことは気にしないあたりが男っぽいけれど……。でも、とても優しくて。
 
 私にとっては、姉さんが母であり、父であり、安心をくれる唯一の人だった。

 なのに。

 それは、リリー・ウルビアがまだ六つの時だった。
 リリーの姉、聖騎士セイレ・ウルビアは、いつものように、悪魔を討伐するため家を出た。
 だが、その日はいつもの「任務」ではなかった。セイレは、悪魔を統率する悪魔王を倒すため、自らの意志でその地を発ったのだ。
 まだ小さかったリリーだが、子供ながらも「悪魔」という存在がどれほど危険であるかはよく知っていたし、どうして姉がたった一人でそんな場所に行かなければならないのかと泣いて縋ったが、セイレはやんわりとリリーの手を振り払ったのだ。
 セイレは快活で、非常にあっさりとした娘だった。泣きじゃくるリリーを見ても、決心を鈍らせることはなかった。
 身の丈ほどもある巨大な剣を、よっこらしょと年寄りじみた掛け声とともにかつぐと、顔だけこちらに向けて、笑った。

「じゃあ、行ってくる」

 朝の光の中に溶けていく姉は、壮絶に美しかった。風に揺れた金色の髪が煌めき、幾束かに分かれて白い肌に落ちる。翡翠色の瞳が、自信に満ちた表情で半月に歪むのを見て、リリーは泣くのを止めた。そして、腕に抱いたぬいぐるみに、縋るように顔を埋めた。

「リリー、賢く待ってるよ……」

 だが、それから幾度月日が巡ろうとも、セイレ・ウルビアは、帰ってはこなかった。
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