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輪廻の縁で逢いましょう

 神を殺すことは簡単だよ、とその男は言った。信仰を失ってしまえば、それは神でもなんでもない。得体の知れぬものでしかないそれは、化け物だとか、妖怪だとか、いっそUMAと呼んでもいいか。名を付けてそう固定してしまえば良いものを、元が神だから堕ちた神だの邪神だの。自らを追い込んで鍛錬するには、まだまだ修行が足りないのでは、なんて呑気に言い放つその頭をかち割ってやりたくなった。――七海が手を出すよりも先に、それはもう勢いの素晴らしい頭突きによって脳天を激しく揺さぶられていたようだったので攻撃のタイミングを見失ってしまったのだが。
 二級呪霊だ、と聞いていた。だからこそ、妥当な人選であろうと何の疑いもなく任務へ向かい、相対してその圧に押されてしまった。それでも、後に引くことなんてできるはずもない。それは背負っている「守るべき命」があるからだ、という格好の良い理由付けで済めばまだ良かったのだが、相手がこちらを逃してくれるはずもないという悲しい現実がそこにあったからだ。仮に逃してくれたとして、それは獲物を狩る遊びの相手に選ばれたにすぎない。故に、その場を離れることが許されてしまった瞬間に絶望した。ああ、楽に死なせてくれやしない。まだ子供であるはずの自分たちにそんな絶望を与えるだなんて、この世界はなんと酷い。
 七海が絶望に浸る僅かな時間すら許されず、黒く爛れた触腕をパシリパシリと鳴らす影。かつて、一帯を焼き尽くす山火事があった。その中で唯一残った木には神が宿っているに違いない。そんな経緯で建てられた神社があるのだという話を仕入れてきたのは灰原だった。
「……火事を契機に祀られた存在が、ということに間違いはなさそうだな」
「こんな形で確認したくなかったっていうか、あれ、多分、罪滅ぼし系の伝承じゃんって感じ?」
 人間ってそういうとこあるよねー、と明るく笑い飛ばそうとするそれが空元気であることくらい分かる。しかし、彼の言動に救われていることもまた、事実だった。複数パターンを想定して動くことは全てにおいて基本だけれど、どうしたって後ろ向きな方向に思考が傾きがちであることは常々指摘を受けている。それが悪いことばかりではないとはいえ、今回ばかりは前向きであるべきだろうから。悲観して、諦めてしまうにはまだ惜しい命だった。こんな状況でも笑う、彼は。
 八百万の神と言うだけあって、古事記や日本書紀に記された神々だけでもその数は多い。加えて何か理由があれば、自然界の何かを御神体として具体的な神の名を定めることなく信仰を始めてしまう国。神々数多の成り立ちの中でも胸糞悪いのが、灰原に言わせれば「罪滅ぼし系」である。生贄とした存在への畏れから、美談の伝承と共に在ることとなった神の姿。今回も大方、山火事の終息を願って人身御供でも行ったことに由来する神であるのだろう。始まりの根底に怨みがある時点で、その在り方が反転すれば途端に恐ろしい神となる。
「ちゃんと、っ、伝えないからっ、こうなるんだ!」
 伸ばされる触腕を叩き斬りつつ、ぼやく七海の横で、灰原はパタリと端末を閉じる。高専への伝達はひとまず終了。学生だということに甘えるつもりはないが、この明らかに階級差のある敵との遭遇が誰の思惑によるものであるのか、報告の中に毒を忍ばせることくらい許されるだろう。掛けた電話がすぐに繋がればよかったのだが時間が惜しく、即座にメールへと変更した判断が果たして正しかったのか。あとは、ただ我武者羅に生き延びるのみ。もっとも、それが一番難しいのだけれど。
 理想は、敵を完全に祓ってしまうこと。しかしながら、相手は廃れて久しいとはいえ永らく土地を守ってきた神だ。相応の備えがあるならばまだ可能性はあったかもしれないが、まさかこんなものを相手取るだなんて思いもしなかった、というのは言い訳にしかならないだろうか。常に万全であるべきだと言われてしまえばそれまでではあるが、学生に何を求めるのか、と返したって許されるだろう。許さないと言う輩など、叩き切ってしまえば万事解決だ、と言ってもきっと灰原は笑ってくれるはずだ。見つからないよう帳をおろしておくね、なんてサムズアップ付きで。
 傾斜を半ば滑り落ちて距離を取りながら、じわじわと近付いてくる敵の姿を確認する。二足歩行をする、人型。全体的に黒色である理由は、全身が炭化しているからだ。風を切る度にぱちりと音を立てながら、赤色が小さく爆ぜる。周囲の木々へと火の粉が散っても燃え移る様子がないことだけが救いだろうか。追ってくる敵から逃げるフィールドが焼け野原だなんて、笑えない。
 まだ、まだ、まだ。敵を、神を討つための一手は浮かばない。逃げる糸口が見つからない。救援は、来ない。顔は黒く塗り潰されているはずなのに、厭らしくにたにた嗤われているような気がして癪に障る。位置を測ろうと振り返った瞬間に伸ばされた触腕を切り落としつつ、そっと問う。
「行けるか」
「じゃなくて行くんでしょ」
 頼もしいな、と無理矢理に笑ってみせれば、ぐ、と親指を立てて応える姿。学校の特性上、数少ない同級生。共に任務に当たった数は多く、言葉を交わさずとも相棒がどのように動くかは手に取るように分かる。どちらからともなく息を吸い込み、そしてそっと吐き出す。それが合図だった。反対方向へと駆け出し、どちらか一方が囮となる。追われた側は逃げつつ戦いやすい場所へと誘導する。運良く敵の追跡から逃れられた側の行動は状況によって様々なのだけれど、今回は付かず離れず囮役のサポートとなるのだろう。結局は行動を共にすることになってしまうのだけれど、今回の敵と一人で相対することは自殺行為に等しい。殺されてしまわないよう、適度に気を引きつつ、戦いやすい場所へ。それによって囮役が入れ替わるのならばそれに従い、交互に敵を追い立て、そして狩る。何度も繰り返してきたことだった。そして、これからも変わらずに続けること。何度も積み重ねては精度を上げてきた作戦で、今回のこれもまた、そのうちのひとつに過ぎない。そう、自分に言い聞かせて足を踏み出す。音は――灰原の方へ。
 少し距離を取ったところで方向を変える。音を頼りに、奇襲をかけるべく敵の背後を狙い取った。攻撃の機会を窺いそっと息を吐きつつ、僅かに震える手は気力で抑え込む。未だ、こちらを弄ぶ気でいてくれていることを、喜んでも良いものなのか。傾斜ある場では戦えないなどという生ぬるいことは言わないが、それでも、万全を望むのならば平地の方がずっと戦いやすい。鬱蒼とした枝を切り落とし、あわよくば当たってくれやしないかと願いながら進行を妨害する。こちらに注意が向きそうになると、灰原がすかさず攻撃を入れた。まだ、交代の時ではないらしい。
 ここへ登ってくるまでに、少し道のひらけた場所があった。目指すとしたらそこだと考えたのは灰原も同じであったようで、こういった部分が二人で組んだ時のやりやすさだ。数回組んだ程度の相方では、こうもスムーズには動かない。
 失い難い存在だ。口にすることは気恥ずかしくてできないけれど、ずっとそう思っている。灰原はその辺りの羞恥心メーターがぶっ壊れているようなので、ことあるごとに「二人はズッ友」だとか「これで二人は最強見習い」だとか、何やら馬鹿らしいことを叫んでいるのだけれど、決して不快ではなかった。同じ、であることを認めることは癪だけれど、同じようなことを感じてくれていることは認められているようで誇らしかった。だから。こちらで遊ぶことに飽きたらしい触腕がその速度を上げた瞬間に、絶望した。
「っ、灰原ッ!」
 ずるりと伸ばされた腕。人型を取るならば人としての在り方を守れ、と何度ぼやいたことか。人ならざる腕が灰原の身体に巻き付き、締め上げる。締め殺すのか、焼き殺すのか、それとも叩き殺すのか。いくつもの可能性が浮かび、それを即座に消し去っていく。現実になど、してやるものか。鉈を握る腕に力を込め、一気に駆け出す。周辺の木々を切り倒して視界を奪いつつ腕を切り落とそうと、しかし振り上げて、嫌なしなり方を。
(……間に合わない)
 認めたくなくて、口にすることはできなかった。見上げた灰原の表情は、よく見えない。
 ――そして、風を切る音。どさり、と地に落ちる音。
 砂埃が舞い上がったせいで、思わず目を閉じてしまった。見たくなかった。それでも、目を逸らすことはできない。次の攻撃に備えるためにも、これ以上の蹂躙を許さないためにも。そう思って無理矢理に開いた視線の先にあったのは、予想もしていなかった光景だった。
「流石に、これ以上は見ていられないからね」
 和装に刀。見知らぬ男が振るったらしいそれが、触腕を切り落としたらしい。着地までは面倒を見てくれなかったようで灰原は目を白黒させつつ転がっていたのだけれど、すぐさまもぞもぞと蠢いて触腕から逃れる。
「……貴方は」
 敵か、味方か。何となく予想はついているのだけれど。
「君たちも頭は悪くないんだ。予想くらい、ついているだろう?」
「神倉先輩の、えーと、お仲間?」
「厳密には違うけれども、大雑把に括ってしまえばそうなるか」
「おい、呑気にくっちゃべってんじゃねぇよ。死にてぇのか」
 突然のことに思考が止まり、敵への注意も逸れてしまう。こういった場では命取りでしかないと分かっていたのに、灰原が助かったこと、言葉を向けてくる男が落ち着いた様子であることにつられてしまった。鋭く怒鳴る第三者の声に慌てて意識を切り替えれば、伸ばされてくる触腕を全て切り落としつつ怒鳴る別の男の姿。乱暴に樹齢を蹴り飛ばして強引に距離を取った彼は、舌打ちと共にこちらを睨む。随分と気が短いようだ。
「勝手に飛び出しといて後始末はおれ任せとか、さすがは先生、いい御身分だな」
「言いつつ、肥前くんは動いてくれるから」
「次はねぇぞ」
「という言葉を聞くのは何回目ですか」
「ふむ、数えてないから何とも」
「……灰原」
 馴染みすぎだろうと。戦いも未だ終わっていないのに呑気なものだと、言いたいことはたくさんあるのだけれど、全てを混ぜ込んだ溜息を吐き出せば「肥前くん」と呼ばれた男と揃ってしまった。なるほど、彼も苦労しているらしい。互いに同じ立ち位置であることを察し、何となく気持ちが通じ合ったような気がする。
 ほっと気を抜くことができたのも束の間、がさり、と呪霊の戻ってきた音に自然と各々が戦闘体勢を取る。
「よくもまあこんなに手間取って」
「おい、先生」
「だって、神を殺すことが簡単なことくらい、肥前くんだって知っているだろう?」
 信仰により力を得た「神」であったとしても、信仰を失い神としての在り方を失ってしまえばそれはただの化け物だ。適当に定義付けてしまえば良いものを、そこで「堕ちた神」だの「邪神」だの、中途半端に「神」に拘るものだから面倒になる。不在の社に居座った低級な霊だとでも定義付けてやればよいものを。
 そう軽々しく言い放つ姿に噛み付こうとした矢先、肥前の頭突きが綺麗に決まる。いちいちぐちぐち煩ぇ、と。ひゅう、と気の抜けた口笛のようなものを吹く灰原の頭を叩く。
「……定義付けちまったもんはしょうがねぇだろ」
 ここに祀られていたのはなんだ、と声が問う。
「えっと、地元の人の話では火の用心で」
「そう、火防守護。ってことは、ここに居るのは火の神だ。余計な雑念は全部取り払え。この国で火の神といえば、何だ」
 面白がるように、声が導く。
「……火之迦具土神」
 伊弉諾尊、伊奘冉尊の子である火神。母神の身を焼き、そして殺し、父神が怒りから斬り殺したという逸話を持つ神。
「十握剣じゃなくて悪いが、どうせ相手も神擬き。人斬りの刀で充分だろうよ」
 はんっ、と笑う姿は頼もしい。何だかんだと言いつつ先頭に立ってくれるらしい姿に、任せてよいのかと「先生」を確認する。
「隠密行動が続いていたから、暴れ足りなくてね。ここは任せて、僕らは撤退しようか」
 先生も働け! と叫ぶ声から逃れるように七海と灰原の背を押す「先生」を信用しても良いものか。後で一緒に怒られてくれ、とどこか楽しそうに言い放つ姿に早まった気もするが、それでも、彼らがこちらを助けようと動いていることだけは本当のことであるはずだ。彼ら、刀剣男士という存在は、前世で主だったという神倉美琴の願いを叶えるために動いているのだという。少なくとも、生きていてほしい、と願ってもらえているくらいには、良い関係を築くことができているはずなので。
 ――つまりは、彼らが手を出さなければどちらか一方が命を落としていたのだろうという予測も容易いのだけれど、その事実からはそっと目を逸らした。
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