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輪廻の縁で逢いましょう

 まさか、こんな形で再会することになるなんて。言葉にすることも憚られ、遠目に見えてしまった姿へと飛び出してしまいそうになった声を飲み込んだ。それでも不自然な動きとして現れてしまったのか、隣を歩いていた家入は神倉の視線の先へと目を向けた。
 いくら後方支援型であるとはいえ、家入が全く外に出ないというわけではない。呪詛師との戦闘で傷を負い、下手に動かすことのできない呪術師の治療に向かった帰りのことだった。往復共に足は用意されていたのだけれど、往路だけで「合わない」と判じた足は躊躇なく切り捨て、それでも危険だから一人で帰すわけにはいかぬと言うものだから「護衛」として神倉が呼び出された、というのがこのデートの経緯である。普段が自然豊かな立地での寮生活であるので、任務を理由に交通費の出る形で都内を散策できるとあればそれに乗らぬ手はない。雑誌で見たカフェにでも行こうか、と話している最中のことだった。
「ああ、あいつら……じゃないか、その反応は」
「んー……一緒にいる女の子、後輩、だった?」
「何で疑問系なの。喧嘩別れでもした?」
「むしろ何も言わずにこっち来ちゃって」
 真っ直ぐな子だから、黙って出て行ってしまったことを怒っている気がする。優しい子だから、謝ったならば許してくれるのだろう。それが分かっていても一歩を踏み出せないのは、そのすぐそばに立つ男達が理由である。五条悟と夏油傑。しばらくの間、任務があるため授業には来ないと言われた同級生たち。最強の名を欲しいままにする二人が同じ任務に就いているということは、それがどれほど重要で危険なことかすぐに分かるというものだ。共にいる、ということは護衛対象なのだろう。あの可愛い後輩、天内理子がそれほどの危険に見舞われていることなんて、知らなかった。知らされるはずも、ないのだけれど。
 ああ、そういえば二人の任務は「星漿体」の護衛であると言っていたか。呪術界になくてはならない存在を人間の味方で在り続けさせるため、捧げられる人柱を守り送り届ける任務。その情報と目前の光景を繋げてしまいたくなかった。
 楽しそうに話しているようでありながら、少なくとも五条と夏油は周囲にも気を配っている様子である。それは、何気ない日常が脅かされている、ということに他ならない。
「心配ならさ、声掛けに行けば?」
「心配するとか舐めんなって怒られたら硝子ちゃんのせいにするね」
「あいつらの腕前を疑うのと後輩を案じるのは別物っしょ」
 それでも神倉が気まずさから一歩を踏み出せずにいるうちに、二人の警戒網に引っかかってしまったらしい。まずは五条と、そして五条の視線を辿った夏油と目が合う。と、隣を歩いていた家入は神倉の背をどんと押しだしてから踵を返した。
「行っといで。私は飲みに行ってくる」
「真っ昼間から飲酒ですか?」
「いい女に対して変なこと言うのはこの口か?」
「うえええ」
 むに、どころか、ぐに、と強く頬を摘まれ、情けない声を漏らす神倉を鼻で笑った家入は今度こそ本当に背を向けて歩き出してしまった。ちらりと向かわされる方を確認すれば、護衛であろう男どもが見ている方向に気付いたらしい後輩がこちらを認識、喜色を浮かべてすぐさま取り繕う様子が見えた。
 知っている顔との再会で緊張も解れたのだろう。天内が少し嬉しそうにして、そしてはっと思い出した様子で表情を引き締めている様が微笑ましい。何やら言い募ってくる五条と夏油は放置して、近付いてもなお、怒っているのだと全身でアピールをしている天内に「急に転校してごめんね」と言えばあっさり「許す」と笑う。それだけで何となく、二人の関係性を悟ってくれたらしかった。学年が異なるので、顔を合わせた回数はそれほど多くない。それでも、神倉は仲の良さは時間に縛られるものではないと思っているし、天内もまた、そう考えていてくれたならば嬉しい。ほんの少し前までは当然のようにあるものだと思っていた距離感が、今ではもう懐かしい。
「理子ちゃん、こいつらに酷いことされてない? 大丈夫?」
「二人掛かりで手と足を引っ張って八つ裂きにされかけた」
「……二人はどう詰るのが一番刺さる?」
「一方だけの意見取り入れんのはんたーい」
 歓談を楽しんでいるようで、二人の緊張は解けない。何から身を守っているのかが分からないので神倉にできることも少ないが、脇差を一振り索敵に出す。少なくとも彼の感知できる範囲には、こちらに敵意を持つ存在はいないことを確認。小さく頷いて見せたことで、五条と夏油は少しだけ緊張を解いた。
 本当は、一緒にいることができれば良かった。しかし、東京から遠く離れた、北の大地での任務を終えたのが今朝のこと。家入とは空港から直接合流地点に向かってデートを開始したのだが、このあと、すぐにまた四国での任務に向かわなければならないという過密スケジュールである。いっそ知らないまま任務に向かった方が良かったような、知らないうちに彼女が害されていたことを後で知るよりは良かったような、感情の整理が追いつかない。神倉がどこから転校してきたのかなんて、腐った蜜柑の連中は知っているに違いない。その上でのこの仕打ちは、嫌がらせに違いなかった。知り合いが相手ではやり辛かろう、という理由をわざとらしく振りかざしてくるのだろうけれど。
 代わろうか、とも、代わってくれ、とも互いに言わない。許されるはずがないと分かっているからだ。いくら腐り切った上層部であっても、呪術界存続のため、天元様の器たる星漿体の護衛任務においてわざわざ失敗を誘発するような手は打つまい。仮に嫌がらせの類があるとしても、それは星漿体である天内理子に危険が及ばない程度のもので、そう、例えば「不慮の事故」により護衛の二人を引き離しておいて自陣の呪術師が護衛の任を引き継ぐような。今年の呪術高専東京校の二年生が、お偉様方にとって目の上のたんこぶでしかないことはよく分かっている。余計な刺激はせず、連中の敷いたレールの通りに走ってやった方が良い場面であることをよく分かっている。
「……詳しいことは、今は聞かないでおく。お互い、時間がなさそうだしね」
 だから後で教えてね、という言葉に何か言いたそうな天内を黙殺する。次を約束することの、何が悪いのだ。信じることが、愛が力を得ることをよく知っていて、それを武器に戦っているのだから。
「この二人、性格はアレだけれども実力だけは信じてる」
 だけって何だ、と口を挟んでくる男は無視をしつつ、神倉は僅かに目を伏せ、少しだけ深く、息を吸い込んだ。本当にこれで良いのか、正しいのかと迷う。けれど、決断しなければならない。
「それでも、心配だから。これ、を、持っていてほしい」
 言いつつ何もない空間から短刀を取り出した神倉に、天内はきっと聞きたいことがたくさんあっただろう。それでも、差し出された短刀をそっと受け取り、腰に差して過ごせば良いかと笑ってみせた。
「普通の人には見えないから、それでもいいかもね」
「む……しかし、落としてしまいそうだな」
「大丈夫。そしたらちゃんと自分で理子ちゃんのところに戻ってくるから」
「ホラーではないか!」
「愛の力だよ!」
「ならば良し!」
 どちらからともなく溢れた笑みを浮かべたまま、短刀を握る天内の手に自身の手を重ねた神倉は静かに祈る。何事もありませんように。この懐刀が振るわれることなく、戻ってきますように。
 杞憂に終われば良いと願いながらもう一振りの短刀を刀のまま顕現した神倉は、こちらは黒井に、と押し付ける。万が一にでも何かがあれば、悲しむのは天内であると言えば素直に受け取ってくれたので助かった。
「なー、俺らには?」
「それぞれに一騎当千な方々が何をおっしゃるか」
 本気ではなかったのだろう。ケチ臭えの、と続けられた言葉は随分と軽い。ただ、間近でそれを聞かされた短刀――五虎退には思うところがあったのだろう。かたりと震え、それを手中で直接感じ取った天内が戸惑った様子で神倉を見る。
「……ホラー?」
「愛だよ。愛」
「流されては駄目です! 愛は全ての免罪符にはなりまああああああこっちも震えてるんですけどっ!」
「んー、どこぞの最強様が、ケチ臭いなんて罵倒してくれたから?」
 天内に渡した短刀は、神倉が本丸の主人として就任して初めての鍛刀で縁を結んだ刀剣男士であった。大切な後輩を託すに相応しいと選んだ一振り。短刀作りの名手であった粟田口吉光の作である彼と共にひっそりと護衛の任を与えるならば、同じ粟田口吉光作の短刀としてもよかった。それでも、ふと浮かんで顕現したもう一振りは謙信景光。五虎退と共に、上杉謙信の手にあった一振りである。その刀身に阿弥陀如来を示す梵字を刻む彼が、五虎退と共にかつての主たる謙信公の信仰した毘沙門天の恩恵によって二人を守ってくれたなら、と。
 軽口だと分かっていることもあって神倉自身は全く気にしていないのだが、優しい神様方は物申したいとの仰せである。先に顕現した二振りの短刀のこと、そして彼らの置かれた状況を考えるならば、助力を願うべき相手は迷う間もなく彼らであろう。
「あつき、ちょもさん」
 名を呼べば、ふわりと花弁が舞う。晴れた先に立つのは、暗色のスーツを纏う姿、白色のスーツを纏う姿。どちらも仕方がないなぁと表情で語っている。暗色のスーツを纏う男を小豆長光、白色のスーツを纏う男を山鳥毛であると紹介した神倉は、そこで五条に向き直る。
「二人を信じてないわけじゃないし短刀達に託しているから大丈夫だと思うんだけど、でも、ほら、見た目の圧って大事でしょ?」
 いくら最強の名を冠していても子ども。呪術師や呪詛師であれば年齢と実力に相関関係は無いのだと分かっているが、此度の任務においてはなりふり構わぬ輩に依頼された一般人も敵に回る可能性だってあるだろう。大人の姿があるだけでも抑止力となる場面があるかもしれないし、そのうちの一人が日常ではあまり目にしない白色のスーツで刺青があるとなれば、より効果は期待できるだろう。腕だけならばともかく目元にまでその装飾があるとなれば、少なくとも、任務における敵以外の一般人は弾いてしまうことができるのではないだろうか。
 懐刀としてこっそりと護ってくれるよう、短刀は呪力を持つ人間にしか見えない程度の力で顕現した。しかし、一般人に対しての抑止力を期待する太刀には、その目的のため、半ば受肉していると言っても良い程度の力を注いでいる。刀剣男士としての顕現であるために戦装束を纏う人の姿であり、戦装束と言うからには、彼らの依代たる太刀もしっかりとそこにある。ご時世、そのまま帯刀することは難しい。コスプレだと言い逃れることを狙ってみても良いが、小豆長光も山鳥毛もその辺りの嘘は苦手であるし、真剣であることに変わりはないのだからかなり厳しいだろう。時代によっては刀を持つこと、つまりは武士であることが何よりの誉であったこともあったのだけれど、刀の時代は終わったのだから仕方がない。顕現された意図を理解している二振りは、それぞれ自身の依代に触れて「刀」を構成する呪力を解いた。それを見て夏油が小さく呟く。
「刀無しで顕現すれば良かったのに」
「私の中で刀剣男士って刀とセットだから、切り分けて顕現するの、ほんとしんどくて」
 まとめて顕現してしまってから、呪力を解いてしまった方がずっと楽なのだと気が付いてから、その手法を取るようになった。そもそも、呪力により構築された身体だ。刀として構築された呪力を解いて内に取り込むだけであるので、必要であればすぐさま構築し直すことも可能だという。何と便利なことだろうか。自分自身の持ち物では恩恵を受けられないのが、当然というか難点というか悔しいというか。
「……美琴さ、四国任務じゃなかったか? こっちに四振り出してて死んだら笑ってやる」
「先輩を名前呼びとか不届き者め! 死ぬとか言うなよ愚か者!」
 ぽこぽこと身体を叩く天内の攻撃を五条が甘んじて受けている様子を見ると、護衛をする側、される側という立場でありながら良い関係性を築くことができたのだろう。嬉しいことではあるのだけれど、何だか後輩を取られてしまったような気がして、少し寂しいと言うのは贅沢だろうか。
「今回の相手は四級呪霊だって聞いてるし、それなら二振り居れば十分だって」
「離れていられる距離は?」
「私が注いだ呪力によりけり、かな?」
 こちらの任務は、明日には東京へと戻ってくることができる見込みであるので、念のため、二日は単独でも顕現し続けられるだけの呪力を込めた。それこそ核を壊されるような攻撃でも受けない限りは、何ら問題無いだろう。当然、それは四国で二振りを従えて任務に就く神倉自身も同じこと。互いに何事もなく、離れていた僅かな時間の積み重ねについて語り合えるように、小豆長光と山鳥毛と目を合わせ、託す。任せておけとでも言うように小さく頷き返してくれる二振りと、人型を取っていないながら震えて返してくれる短刀たち。慣れない天内と黒井がびくりと震える様子に、少しばかり肩の力が抜ける。次に会う時にはゆっくりと話ができるよう願いながら、祈りながら、そっと背を向ける。いっそ、早く任務へと向かってしまうことにしよう。早く終わらせて、そして早く戻って来られるように。

「せっかく、美琴が残していってくれたわけだけどさ、懸賞金も取り下げられてたし、無事に高専の結界内に戻れたわけだから余計な呪力消費しただけだったよな、あいつも」
「慢心して敗れるよりは良いだろう?」
「まもりにおいて、やりすぎてこまることもないからね」
 見た目からして「一般人」には見えない二振りのおかげであると断じてしまうのは悔しいが、余計な輩に絡まれなかったことも事実であるので憎まれ口も飛び出してしまうというもの。年の功とでも言おうか、減らず口だとか負け犬の遠吠えだとか、まあ可愛らしい憎まれ口の類であるそれにいちいち目くじらを立てるほど狭量ではない。しかしながら女性や子どもを守るために受け継がれ、また、かつての本丸で主の懐刀として在った短刀たちにとっては、なかなか受け入れ難いものであるようで、特に五条が神倉への憎まれ口を叩く度に震えて物申しているようである。初めこそその都度驚いていた天内や黒井も、短刀たちの震える理由さえ分かってしまえば恐ろしさなどあるはずもなく、むしろ通じ合うものがある様子であった。……もちろん、五条がそれを狙っての言動であったとは思えないのだけれど、結果的に彼女らの緊張を解すことができたのだから良かったのだろう。五虎退も謙信景光も、震えることによる二人の反応を楽しんでいる節があったので同罪である。
「なにはともあれ、これで一安心じゃな!!」
「……ですね」
 ほっと息を吐く二人。どこか名残惜しそうに五虎退を撫でる天内は、この後、星漿体としての役目を果たしに向かう。そうなれば「天内理子」という人格は消え去ってしまうので、再会を望み、願いを託した神倉の希望は叶わない。それを知っているはずなのに神頼みだなんて、酷い人。
 気を張り続けていては、いくら最強と言えど疲れは溜まる。疲れやら寝不足やらのせいで表情を取り繕わなくなった五条へと、夏油は労いの言葉を掛けてやる。
「悟、本当にお疲れ」
「二度とごめんだ。ガキのお守りは」
「お?」
 悪いことを言うのはこの口か、とこの数日で慣れた天内が噛み付こうとした瞬間に、ふ、と風が動く。キンと鋼のぶつかり合う音、同時に腕を引かれ五条はその場から強制的に引き離される。
「ちっ、戦力外のお飾りが増えたと思ってたんだが」
「なまくらではないと、しょうめいできただろうか」
 警戒が解かれる瞬間まで息を潜めていたのだろう。刀を持った男と小豆長光が鍔迫り合いを繰り広げ、山鳥毛は男との間に立ち塞がり刀を構えている。
「……傑、天内優先。アイツの相手は俺がする。傑達は先に天元様の所へ行ってくれ」
 埒があかぬと判断したのだろう。小豆長光は相対する男の刀を弾きあげると、そのまま胴を蹴り飛ばして距離を取る。
「ここには、わたしがのころう」
 視線は向けぬままに小豆長光が言えば、山鳥毛は先へと促す。やるべきことが明確である以上、迷う余地もなく夏油はその場に背を向けた。
「油断するなよ」
「誰に言ってんだよ」
 形ばかり「失礼する」と謝罪を挟んだ山鳥毛が天内と黒井を両脇に抱えて駆ける気配を感じつつ、五条と小豆長光は飛ばされた男の気配を探る。思いのほか、近い。
「あんまダメージ入ってないじゃん」
「ちょくぜんでみずからとばれてね。いいはんのうそくどだった」
 敵ながら天晴れってか、と軽口を叩きつつ体勢を整える二人の元へ、先程の襲撃時に持っていたのとは異なる刀を携えた男が帰還する。呪霊を身体に巻き付けて、夏油と同じタイプの術式なのか。
 砂埃を払いながら周囲を見渡した男は、その場に残っているのが五条と小豆長光のみであることに気付いたようだ。
「星漿体がいねぇな。できればオマエはさっきので仕留めたかったんだが……ナマったかな」
 最強サマにも護衛付きとは随分な御身分じゃねぇか、と煽る男に五条も負けじと煽り返す。天内の懸賞金は既に取り下げられたというのに、知らずに今頃来たのかと。鼻で笑い、懸賞金も含め油断を誘うための戦略であったのだと言う男に、小豆長光は小さく呟く。
「よいぐんりゃくだ」
「さっきも思ったけど、あんた、強敵に喜ぶマゾタイプかよ」
「まぞ、というのがよくわからないが、つよいのはよいことだし、そこからまなぶこともおおいだろう?」
 うげぇ、と表情を歪めつつも五条は攻撃を放つ。合わせて小豆長光も斬りかかり、しかし男はしっかりと回避してくる。戦うために生み出され、そして長く戦場に在った刀剣男士を相手にこの立ち回り、知らず小豆長光の口角は上がる。先の言葉も事実であるが、今世において「強敵」と相対する場面はそう多くない。気分が高揚してしまうのは当然のことだろう。
 建物を駆け回りながら回避行動を取る男に、五条は焦れたらしい。ぞわり、と全身を走った悪寒に従ってその場から距離を取ってしまったが、敵対する男もまた、同じ感覚を受け取り同じ行動を取ったらしい。五条とて、あわよくばは狙っただろうがこれで仕留めるつもりもなかったようで、どちらかと言えば場を更地にすることが目的であったようだ。流石に一言、と五条のそばへと戻り体勢を整える。
「森に隠れたか」
「……いくらわたしでもね、あそこまでこうはんいだと、なかなかきびしいものがあるよ」
「あんたなら大丈夫って信じてるから大丈夫だろ」
 信仰が力を得た存在故に、信じていれば大丈夫なのだ、とは主たる神倉の言葉だ。それを素直に実践されているようなものなので、どこかむず痒い。
 次はどこから来るか、と周囲に注意を向けたタイミングで、森の方から鈍い羽音が響いてくる。力の弱い呪霊、蠅頭の大群。煩わしいそれを切り捨ててしまえ、と刀を振るう腕を浅く刃が切りつけて。
「おっと、術式だったのか」
 その言葉を認識しながら、小豆長光を構築する呪力は解けた。

 地上の喧騒を置き去りにして、高専の最下層、薨星宮の参道へと昇降機は下りていく。駆動音が響くばかりで、誰も、何も言葉を発さない。本当はもう少し、名残を惜しむ時間があったはずなのだ。それなのに、招いてもいない客人のせいでここまで追い立てられるがまま、やってきてしまった。
 軽い音を立てて開いた扉から降りる天内の背に、黒井は呼び掛ける。
「理子様、私はここまでです」
 天元様の膝下、国内主要結界の基底である薨星宮の本殿。特別な結界の内側であり、招かれた者しか入ることはできないこの場所に来てしまえば、同化まで結界の働きにより守られる。もう、護衛は必要がないということだ。これまで天内を見守ってきた黒井の役目も、これで終わる。それでも涙を見せるまいと堪える黒井に、天内は堪え切れず縋り付く。好きだ、大好きだ、これからもずっと。
「……美琴の渡した短刀は」
「私自身、弾かれる感覚はない。五虎退も、最後までそばに居られるだろうから安心してくれていい」
 そもそも、星漿体たる天内を守るために渡された刀だ。強い祈りの込められたものを、同じく彼女を守りたい結界が弾くはずも無かろう。
 別れを惜しんでばかりもいられないと、深く頭を下げる黒井を残して夏油、天内は先へと進む。護衛刀ならば最後まで、と山鳥毛もそちらへと同行する。ゆっくりと足を進めながら、夏油は小さな声で問う。
「……引き返して黒井さんと一緒に家に帰るかい?」
「……え?」
「担任からこの任務の話を聞かされた時、あの人は“同化”を“抹消”と言った」
 それだけ罪の意識を持て、と。一人の少女の犠牲を美談に終わらせず背負え、と。任務を受けた時点で、夏油と五条の話し合いは終わっていた。星漿体として生かされ死ぬことを定められた少女が自らの運命を拒んだその時には。
「私達は最強なんだ」
 だから大丈夫なのだ、と信じている。
「理子ちゃんがどんな選択をしようと、君の未来は私達が保障する」
 選んでくれ、と静かに忍ばせた言葉に目を見開いた天内は、思いがけず与えられた選択肢に息を呑む。躊躇いながらもゆっくりと口を開き、何度か音にならない声を溢しながらも吐き出していく。
「……私は、生まれた時から“特別”で」
 そう在れと願われるままに生きてきて、それがずっと「普通」だった。両親が居なくなった時の記憶は薄れ、もう、悲しくも寂しくもない。だから、同化によって皆と離れ離れになったとしても、大丈夫なのだと思っていた。どんなに辛くても、いつか、その記憶すら薄れてしまうから。そう思っていたはずなのに、胸が痛い。痛むせいで、視界が歪む。
「……でもっ、でもやっぱり、もっと皆と……一緒にいたい」
 言葉と共に、涙がこぼれ落ちる。
 ここにきてようやく生きることを願う天内の様子に夏油は、そっと息を吐く。もっと皆と色々な場所で色々なものを見たいのだと願う彼女へ、夏油は手を差し出した。帰ろう、と。涙を拭い、息を吐き出しながら表情を取り繕う天内がその手を取ろうとしたその瞬間に、タン、と音が響く。そして散らばる薄紅色。
「理子ちゃん!」
「よくやった五虎退」
 駆け寄ろうとした夏油の腕を掴みながら、山鳥毛が声を投げかける先で抜き身の短刀を構えた少年が天内を庇うように立っていた。
「ちっ、やっぱりそうなるわけか」
 馴染みのない声が聞こえる方向に目をやれば、銃を片手に男が立っていた。地上でこちらを襲撃し、五条と小豆長光が相手となっていたはずの男。
「なんでオマエがここにいる」
 天内を害しにきた彼のことを、五条が素直に通すはずがない。それは神倉によって護衛を任された小豆長光とて同じこと。それなのになぜ、彼がこの場に立っているのか。思わずこぼれ落ちてしまった夏油の言葉を、男は拾い上げる。
「なんでって……あぁ、そういう意味ね」
 男は何でもないことのように、笑いながら言い放つ。五条悟は俺が殺した、と。
「そこの刀を構えてる奴らも、どこぞの呪術師の術式だろ?」
「ああ、それが?」
「一太刀入れるまでが大変だが、それさえクリアしちまえばこっちにゃ秘密兵器があるからな」
 何も握っていない手をひらひらと振っているが、その「秘密兵器」とやらのせいで五条と小豆長光が敗れたのならば気は抜けなかった。
 怒りのままに夏油が自身の呪霊を呼び出そうとした時、男は天内に対して放ったであろう銃を軽く放り投げると、その行方を確認しないままにどかりと座り込んだ。
「ほう、ここまで追ってきて狙撃までしておきながら、戦う意思は無いとでも?」
 こちらを舐めているとしか思えない所業に、夏油はやはり呪霊を呼び出す。それでも、相手の出方が分からない以上は無闇にぶつけることもできないと耐える。悔しいことに、こちらは相手の手札の全容を把握できていないのだ。いくら神倉の残した「護衛」がいるとはいえ、この狭い空間で全力をぶつけるには不安が残った。
「これでも雇われの身なもんでな。星漿体の生死を問わず、ここまで追い込むことが依頼内容ってこった。理由は知らん。直接聞け」
「何を……」
 その口振りでは、まるでその雇用主が近くにいるようなものではないか。この男が入り込んできているだけでも驚きなのに、他にも部外者がいるのか、と戸惑う夏油を置き去りに、山鳥毛と五虎退もまた戦闘体勢を解除したようだった。刀を収め、男の向こう側、暗闇の中へと目を向ける。かつ、かつ、と乾いた靴音を響かせながら、それは姿を表した。夏油にとっては馴染みある色、親友と同じ色であるはずなのに、随分と冷たい印象を与える銀色。
「状況終了。これより規則に従い、評定に入る……と言ってもまあ、形式的なものではあるが」
 苦笑するその腰には刀が一振り。五条ではないが、夏油とてそれなりの場数は踏んでいる。現れた男が力を持つ呪霊であること、どうもそれは同級生の従える刀剣男士のようであることを感じ取る。しかし、どうもその有様に違和感が拭えない。
「なるほど、本丸で姿を見ないと思っていたが、監査官としての責務を果たしていたのか」
「ありがたいことに、政府にいた面々は主不在のまま顕現することに慣れていたからね」
 どうせ、こちらで顕現されるのは一度に六振りまで。主の従える刀剣男士の総数を考えたならば、何振りか抜けたところで支障は無かろう、と。そんなやり取りをする山鳥毛と得体の知れぬ刀剣男士は、確かに知り合いであるのだろう。同じ主に仕える同胞。
「……それならば、どうして」
 神倉の、彼等の主の願いは天内理子の無事であったはずだ。それなのに彼は、天内に懸賞金を掛け、ここまで追い込んだ男を雇ったのだと言う。何が目的なのか、本当に味方なのか、疑念を拭い去ることのできない夏油に、彼は優しく微笑む。
「そうやって思考を止めないところ、いいね。優だよ」
 だからと言うわけでもないが種明かしをしよう、と続けられる。
「俺たちには歴史を守らなれけばならないという本能がある。それと同列に刻まれているのが、主を守らなければならない、という本能さ」
 かつて、ずっと遠い未来の本丸で縁を結んだ記憶がある。初めまして、と手を取り合い、時にはぶつかり合いながらも前へと進んでいた記憶。それらを有したまま主は過去へと生まれ直し、そして刀剣男士たちとの縁も繋がれたままとなった。歴史の大きな流れを見てきた名だたる刀剣を依代に持つ身であるとはいえ、此度、主が生きる時代においては美術館に博物館、寺社や個人の所有物として大切に大切に大切に仕舞い込まれている身の上である。一部の所在不明の面々からは、埃を被っている気がするだの、どこぞの水底に沈んでいる気がするだの、どこにもいない気がするだの、精神的に抉ってくる自虐ネタが飛び出してはきたがそれはそれとして、守るべき「正しい歴史」の流れを誰も知らないという恐怖を初めて得た。
「あの遠い未来に至るまでに、この時代で紡がれた歴史があるはずだろう? それを守らなければならないのに、あるべき流れが分からない。加えて、この時代には呪霊なんてものまでいるときた。主を守るため、遊撃のできるものがいても良いだろうということでね、何振りかが野良刀剣男士となったというわけさ」
 そして彼、山姥切長義の名を抱く刀剣男士は、一帯を守る結界の要である天元様の存在を知り、そしてその生贄たる星漿体の存在、それが主の可愛がる後輩であることを知った。
「長く在るとね、人の一生なんて一瞬なんだ」
 それを知っているからこそ、星漿体による同化は次の世代でも間に合うだろうと、そう判断した。勿論、それすらも為されないとなれば問題だろう。しかし、最終的に「天元様は人間の味方である」という歴史のままに進むのであれば、ある程度は誤差の範囲として許されるのではないか。許されないのならば、歴史を守らなければならぬという己の本能が拒絶反応を起こすだろう、という予測のもと、山姥切長義は行動を開始した。
 術師殺しとして名高い伏黒甚爾に依頼を出したのは、天元様と星漿体の在り方に関連して、厄介な団体があることを知ったから。命が狙われるとなれば呪術師の誰かが護衛につくのだろうけれど、たかだか人間同士の争いで守り切ることができなかったのであれば呪術師界もそれまでのこと。そちらを切り捨て、心身ともに主を守りに動けばいい。可愛い後輩を喪った彼女は悲しむだろうけれど、乗り越えられるだけの強さを持っていることを知っている。だからこそ、護衛の任に主の同級生である五条悟と夏油傑が選出されたことは幸運だった。主を、腐った呪術師界へと引き摺り落とした男たち。その実力を試すには絶好の機会であろう、と。
「……最後に銃弾を弾いたのは五虎退だった。しかしまあ、この数日で君たちは彼女に生きる道を与え、それを選ばせたからね。限りなく良に近いけれど、優をあげよう」
「えっと、それはつまり」
「主は彼女の生を願った。彼女自身もまた、生きることを選んだ。であるならば応援してあげよう、ということさ」
 生きていることが露見しては、やはり星漿体を疎ましく思う人間からは命を狙われ続けるだろう。だからこそ、一度は死を装う必要がある。そのために、この限られた人間しか入ることのできない場所にまで追い込んだのだから。
「死体役には、先程の女性が持っていた謙信景光かな。そこの術師殺しくんには星漿体の暗殺を依頼した団体も後ろについているからね、任務は果たしたことにして報告を上げてもらえば、あとは高跳びをして万事解決だろう?」
 高跳び代も含め、当初に受けた金額よりも色のついた金額が提示されている。ここまできてこちらの依頼を反故にするつもりもなく、さてどのルートを使うべきかと伏黒は思案を巡らせていた。
 話を聞いてようやく肩の力を抜くことのできた夏油は、しかし、頭に残る言葉に視線を落とす。
「それでも、悟、は……」
 殺した、と言っていた。ほんの少し前まで共にいて、これから先もずっと共にあると思っていた友、親友だった。最初の襲撃やこちらでの銃撃からも分かる男の実力に、きっとそれが事実なのだということが痛いほどに分かる。言葉に詰まる夏油に、あっ、とでも言うような表情をした山姥切長義は、僅かに視線を彷徨わせた。
「その、そのことなんだけれどね?」
「……何事にも切れ味の良い貴殿には珍しいな」
「流石の俺も、本当に殺してしまっては寝覚めが悪いからね。一応、助けるつもりで少し様子を見ていたんだが……」
「が?」
 中途半端な口振りに、やはり最悪の事態を想定した夏油の様子を窺いながら、山姥切長義は続けた。
「反転術式、だっけ? それっぽいものを掴みそうな呪力の流れをしていたものだから様子見は別の野良刀剣男士に任せた、んだが、まあ、その、時間がなくてね」
 五条自身の命もそうだが、下は下で命のやり取りが行われるのだから当然だろう。一振りでの対処は難しいとなれば手を借りて当然だと思うのだが、やはり、彼はどこか言いづらそうにしている。しかし、いつまでも誤魔化せないことは分かっているのだろう。そっと、その名を口にした。
「近くにいたの、南海先生だけだったんだよね」
 怒涛の展開に戸惑う天内に寄り添っていた五虎退が小さく悲鳴を上げ、山鳥毛もまた何も言わないながら息を呑んだ気配が伝わってきたので、夏油はやはり、最悪の事態を想定するしかなかった。
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