★恋に浸る

私は中学生一年生の夏休みを殆ど仁の家で過ごした。正確に言えば、仁の家によく寝泊まりさせてもらった。
夜中に出歩く私達を心配した優紀ちゃんは、また補導されたり警察に迷惑をかけるよりマシだと考えたらしく、私を家に誘ってくれた。

「家が嫌になったらおいで」

そう言ってくれる優しい優紀ちゃんに私は甘えてしまっていた。仁はババアがお前の母親だったら、そう小さく呟いていたのを私は聞き逃さなかった。

最初は仁がリビングのソファーで寝ていた。一度、二度、三度。私が泊まりにくる頻度が増えて行った頃、仁の部屋に優紀ちゃんが敷布団を置いてくれた。
私の部屋で寝てもいいし、仁の部屋で寝てもいいよ。そう言ってくれた優紀ちゃんにどう返事をしようか迷っていると、仁は余計な事するなと優紀ちゃんに対して激怒していた。私は反抗期真っ最中の些細な事にもイラついてしまう彼をなだめて、仁のベッドの横の床に敷布団を引き眠る事にした。

優紀ちゃんはすぐに怒鳴ったり、言う事を聞かず非行に走る仁に対してどう接すればいいのか困っているようだった。彼女が仁の事で悩み、物陰に隠れて泣いているのを何度も見た。
だからせめてものお礼をしようと、私は仁と優紀ちゃんの仲を取り繕う為に奮闘した。夕食を母親と一緒に食べない仁を気にしてわざと夕食どきに仁の家へ行き、私は必死に会話を作り三人でご飯を食べた。仁はあまり喋ったりしなかったけれど、優紀ちゃんは仁がいるだけで嬉しそうだった。
どこかで喧嘩をしてきた仁が不機嫌のまま帰ってきた時。上手く話しかける事のできない優紀ちゃんの変わりに、私が仁に話しかけたりもした。仁と連絡が取れないまま彼の家に行くと優紀ちゃんしか居ない時もあった。その都度私達は会話を弾ませて、仲良くテレビを見たり食事を共にしたりした。

「貴方が仁と出会ってくれなかったら、私は仁と喋る事も出来なかったかもしれない」

優紀ちゃんの言葉に私は凄く嬉しくなり、優紀ちゃんが私の母親だったらなと伝えた。それを聞いた彼女は「仁と結婚すればなれるよ」と笑い、私は付き合ってるわけではないと照れながら必死にはぐらかした。



この生活を中学生二年生の夏まで、約一年間続けた。
いつのまにか仁の身長は出会った時よりも伸びて高くなり、私とはかなり差がついた。煙草吸ってると身長伸びないってのは嘘じゃん。私達は教科書に載っているのは間違いだと笑いあった。
私の頑張りの成果があったのか、時間が経って仁の反抗期が少しだけ落ち着いたのか。彼は私と同じくまだまだ世間に馴染めないでいたけれど、優紀ちゃんへの対応は少しだけ変わっていった。
怒鳴る事はまだあるけれど格段に少なくなり、優紀ちゃんからの連絡を稀に返すようになった。中二の母の日には二人で選んだお菓子を、渡すのを嫌がった仁の代わりに私が優紀ちゃんに渡し感謝を述べた。


仁の部屋で寝泊まりをして朝に自宅へ帰る。そして何も言わない親を横目に教科書だけ詰めて登校する。そして学校が終われば仁の家へ帰宅する。
そんな生活を一年続けていても、私の両親は何も言わなかった。帰ってこいとも、仁の家に泊まるなとも。
山吹に通い続け、無事に高等部へ進んでくれれば何でもいいと考えている事を私は感づいている。またそれに腹を立て、私は仁の家に入り浸っていった。
大好きな仁に、大好きな優紀ちゃん、居心地のいい仁の家。些細なことも全てが楽しくて、嫌な事も忘れられて。仁と一緒にいる時間だけが、輝いていた。
成長してどんどん男らしくなっていく仁に、私は恋焦がれていた。他校の素行の悪い友人達は、中二にもなれば既にほとんどの子が彼氏を作り処女を卒業していった。私もそのうち仁と恋人同士になり、そういうことをするのを恥ずかしながら夢を見ている。
私も友人達のように仁に好きだと告白して、事を終えればいいのだけど、それができなかった。
学校でも家でもずっと一緒、隣同士でほぼ毎晩寝ている。けれど体を重ねるどころか手も繋がず、本当に私達は恋多き年頃と言われている中学生なのかと不安になるくらいだった。
私は仁が好きで、好きで堪らなかった。だからこの心地のいい関係が壊れるのが怖かった。仁は私に興味がないから手を出してこないのかもしれない。きっとそうだと決めつけている私は、その真実を知るのが怖かった。好きだと伝える事が出来ずに一緒に生活した一年間は、私の中で凄く大事な時間だった。



いつも通り仁と一緒に下校していると、山吹には珍しい三年生の荒んだ先輩達が絡んできた。頭髪や背格好やら見るからに頭の悪そうな三人組で、きっと目立つ仁が気にいらないのだと思った。

「お前ら一緒に住んでるってマジ?」

よくそんな同棲ごっこしてるよな、絶対やりまくってるだろ、お前ら二人山吹ですげえ浮いてるよ。
男達は馬鹿にしたように笑いながら、幼稚な言葉で私と仁を精一杯煽った。私達はその挑発にのるほど頭は悪くなく、無視をして通り過ぎようとした。
リーダー格の様な一人の男が、私が通り過ぎる時に馬鹿にした笑いを含めてこう言った。

「亜久津よくこんな女とやれるよな」

ずっと家出してんだろ?、ろくな女じゃねえだろ!
三人組は私を馬鹿にして酷く笑った。
まぁ確かにろくな女じゃないけど。下らない奴らだと軽蔑しながら、私は通り過ぎようとした。
でも隣の仁は違った。勉強道具なんて何一つ入っていない軽い鞄をいきなり地面に投げ捨てて、リーダー格らしき男の胸ぐらを掴んで顔を殴った。
仁が殴って、三年の男が叫んで、仁が殴られて。また一人が仁を蹴って、負けずと仁がその人を殴り返して。仁が殴ったのを事端に、他の二人も応戦し始めた。
仁が喧嘩するのを、私は今初めて見た。彼はよく怪我をして帰宅する事があった。どうしたのと聞くと喧嘩をしてきたという彼だから、こういう喧嘩は慣れているのだと思う。
しかしいつも私の横にいた仁は何だったのかと思うくらい、喧嘩をする彼は荒々しかった。本能のままに人を殴る彼に、私は驚いて何も出来ず立ちつくすしかなかった。
それを見ていた周りの生徒達が騒ぎ出して、学校から先生を呼んできたらしく無事に喧嘩は止められた。私は息を切らしながら先生になだめられる仁を、息をのみただ静かに見ていた。


最終下校のチャイムのおかげで学校から帰る事ができた。
仁と三年の喧嘩は先生達の中で問題視された。説教を受けている間、仁はずっと不機嫌だった。三年の男達は亜久津がふっかけてきたと嘘を叫び、それに対して仁は何も言わずにずっと彼らを睨んでいた。私が先輩達が悪いと先生に伝えたけれど、誰一人耳を貸してくれなかった。

「喫煙したり補導されるような奴の言う事は聞けない」

この前の仁と一緒にされた補導が、学校へ連絡されたのが大きかった。
先生はそれの一点張りで、今回の喧嘩はお互いに悪いという事で決着がついてしまった。三年の男達のざまあみろという顔が、凄く憎かった。私は自分の犯した罪の重さを今になって感じ、悔しさと怒りで目の奥が熱くなった。

「お前も家に帰れ、もう亜久津の家に泊まるな」

お前はまだ更生できる、亜久津とこれ以上絡むな!先生は仁の家に入り浸る私を叱り、叱咤した。先生の言葉を無視し続けた私を見た仁は、小さく笑っていた。

「なんで三年生を殴ったの?」

「ごちゃごちゃ言っててうぜえだろ」

殴った方が早いと、三年に殴られ真っ赤に腫れた顔を触りながら仁は言った。白い制服は蹴られた靴跡がくっきりと残っていて、痛々しいけれどなんだかまぬけで笑ってしまった。
私の悪口言ってたから殴ってくれたの?、馬鹿自惚れてんじゃねえよ。
もう夕陽が沈もうとしている。私は悪態をつき小さく笑う仁と、優紀ちゃんの待つ家に帰ろうとしている。




数日経った頃、いつもどおり朝に帰宅すると親が激怒していた。

「学校からこれ以上問題起こしたら退学だって」

ふざけないでよ悪い子達と離れさせる為に山吹に入れたのに!
私が荒んでいる根本的な理由の親が変わらないと意味がないよと、怒鳴りまくる母親を見て私は腹を立てた。

「これからはその男の子の家に泊まらないで」

夜中に出歩かないで!補導されたのもその男の子のせいなんでしょ?
その母親の言葉に、私は思わず考えもなしに激しく反抗をした。
この家に居場所がないから仁の家に泊まってたのに!、この家があるんだからここに帰ってきなさい、絶対に嫌だ!
両親の仲も悪くて、私の事なんか見ないくせに。そんな家に帰りたくない!私は必死に母親に訴えた。しかし彼女は私の意見を通す事はなかった。
言うこと聞かないと携帯を没収するし、仁に会うことも許さない。母親は激怒しながら私に言った。私はその条件を承諾するしかなく、嫌々母親の意見に従うことにした。




「仁の家にはもう泊まれないけど、暇な時は一緒にいようよ」

私は学校でその事を仁に伝えた。
今日から仁の家に泊まれない。あの大嫌いな家に帰らなければいけない。それだけで私は憂鬱だった。

「お前、親にそれだけ言われてまだ俺といるのかよ」

「親とか先生に何言われても関係ないもん。仁といるのが楽しいから仁といる」

「馬鹿だなお前」

仁は他の人には恐らく見せない、屈託のない笑顔を初めて私に見せた。
好きだ、仁が好き。大好き。
私だけをそばに置き甘やかす仁も、私には見せない凶暴な面を持つ仁も、まだ私が知らない仁も、この心地の良い関係も。
私はまだ好きだと、恋人になりたいと、仁と居られなくなるのが怖くて伝える事ができない。私はまだ、この都合のいい関係のままでいたかった。



私達は暫くの間は大人しくしていた。
私は親の言う事を素直に聞き、19時前には大嫌いな家へ帰宅していた。学校が終わり帰宅するまで、ずっと仁と二人で時間を潰した。
夏の終わりには通報する大人と蚊に注意しながら、こそこそと物陰に隠れて煙草を吸った。秋になればモンブランが好きな仁の鞄に、いたずらでいがぐりを入れて驚かせたりした。

でも大人しく、私達がいい子ちゃんでいるのは冬まで持たなかった。
まだ遊んでいたい、帰りたくない、一緒にいたい。私のそんな気持ちが強くなってきた頃、お互いに自分の親に嫌悪感を抱いていた私達は約束を破り夜にまた出歩くようになった。
優紀ちゃんには迷惑かけない、補導されるような所には遊びに行かない。少しだけの偽善の心を持ちながら、私は日が変わる直前まで仁と遊び歩いた。
コンビニで鍵が差しっぱなしだった防犯意識の低いバイクを少し借りて、人通りの少ない道を二人で走った事もあった。エンジンを切った後に鍵を返し忘れたのを、次の日学校で仁の鞄の中にある鍵で気付いた時には私達は焦り笑ったりした。
また、仁は私と会えない日によく喧嘩をするようになった。護身用のスタンガンを持ち歩くようになって、どんだけ物騒なんだよと私は仁の事を面白がった。

私達は何とか無事に山吹中の三年生になれた。出会って丸二年が経ったけれど、私達の関係に変わりはなかった。
私は仁の事がこの二年間、ずっと好きだった。
でも恋人ではない、告白すらしていない。このどっちつかずの状態でも、仁は文句も言わずに私とずっと一緒にいる。そんな仁が好きだった。

そして中三の夏、突然仁がテニスを始めた。
私と仁の関係は、少しずつ変わっていった。
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