このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

童の日

 囃子が賑やかになると同時に広場の人々も沸き立つ。空にした重箱にからんと箸を入れると、ザンゲツとミズチ、同時に立ち上り舞台に目を向けた。食後の礼まで丁寧にするものかと思っていたが、浮足立つ、というと軽いが、人混みの間から舞台を見つめるザンゲツの目は期待に満ちている。
「人が多いが見えるか」
「馬鹿にすんなよ、これくらい!」
 胸を張って舞台をぎんと睨む。人は多いが、舞台は確かに見えている。都合よく人の波が割れている位置に立っていたようで、ほっと胸を撫で下ろした。
 とんとんとん、鳴る小太鼓は速さを増していく。ミズチの胸も、釣られて速く鳴る。
 歓声が響く。本日何度目の舞か。小太鼓の拍子と共に、チハヤが舞台へ躍り出た。足運びは着物に合うよう、舞台の上をすり足で滑る。足音もなく滑らかに、舞台の真ん中へ、光の一番当たる所へ舞い立った。
 どく、と心臓が大きく脈打った。
 チハヤの目がきらりと光る。鮮やかな化粧はその輝きを引き立てる。宙をなぞった指先はたおやかだが、引き連れる振袖は鮮やかに空を切って色を残した。美しさを、蝶、花と例えるには、舞に精悍さがあった。神へ奉納される舞にはない、勇ましさがあった。
 足を大きく使い、爪足を擦って舞台の際まで走り寄る。その動きに乱雑さはなく、常に正確にして俊敏。足音は鳴らず、囃子の音と衣擦れの音だけが鳴る。手の甲を先として空を切った指先が、扇ぐようにはためく袖を叩いてなぞった道を戻る。
 ああ、扇ぐ、ではない。泳いでいる。
 手を振ると同時に、朱色の扇子がぱんと開かれた。横に倒し、空を切るように回る。風を巻き起こす、まさに中心だ。舞台の板を踏む足は交差してももつれる事はない。太鼓にあわせてととと、と足を運ぶと、腕は、黒髪は、着物は、台風の目に巻き込まれたように音を立てて回った。
 瞬間、盛大な音を立てて地を踏み鳴らし地面へ片膝をついた。眉を寄せて目を細め、きりりと空を睨む。竜になる。まさにそう見えた。
 険しい顔で、扇子を握る。先程まで水平に空を切っていた手はぐんと空高くへ上がった。高く、高く。何度も空の向こうへ扇ぐ。チハヤが扇げば扇ぐ程、囃子は拍子を早め音階を上げる。空を見つめる目は真剣。曲げた膝を少しずつ伸ばし、空へ近付く。目指すは彼方。えらは長い髭に、柔らかなひれは鋭い爪に、薄い鱗は岩の厚さに。変わりゆく目に映るのは、泡の立つ水中から眺め続けた空。求め続けたあの空へ、今。
 最後の大太鼓が叩かれると同時に、チハヤの扇子が太陽の陽を穿った。
 しん、と静まり返る。チハヤの荒い息遣いだけが、広場に響く。
「……あ」
 ミズチが声を漏らすのと同時。広場が沸き立った。歓声が響く。同時に、チハヤの顔から緊張が解け、ふわりとほほ笑むのが見えた。竜が少女になる。先程までの精悍さはどこへ消えたのか、舞台の上で人々に礼をするチハヤは、息を切らせて頬を赤くしている、あどけない少女だった。
「良い、舞だったな」
 ミズチを向きもせず呟いたザンゲツは、まだ舞台のチハヤを見つめていた。
「……このサガの復興に助力する任務だと聞いた時、手放しに嬉しかったのだ」
「……え」
「ワダツミで叶わなかった復興を、幻影兵として蘇って助力する事ができると思い嬉しかったのだ。だが、……そなたらに以前強いた無理を忘れた訳ではない。ワダツミの未来を思う者同士、今度こそ手を取り合えると思っていた。思っていた……のだがな」
 まだミズチを向かず、舞台に視線を注いでいる。既にチハヤの去った舞台。
 ミズチの表情を、言葉を、事細かに見ていたのだろう。自分は招かれざる者だと、事あるごとに叩き付けられた。同じ目的の為であろうと、手を取り合う事は叶わないと。
「そなたらに迷惑をかけるつもりはなかった。今回の任務、我がいては空気が悪かろう。すまなかったな」
 ようやく舞台から目を離したと思うと、腰掛けに置いていた重箱を折り重ねて風呂敷に包み直す。
 先程まで掻き回してきたくせに、いざとなると触れないよう離れていく。苛立ちが小さく湧いた。
「そろそろ戻らねばな」
「まだ、炊き出し続くの?」
「調理はほとんど済んでおる、あとは来た者に配るだけだ」
「……お前、チハヤに会っていかないの」
 視線を合わせないザンゲツは、チハヤの名に手を止めた。あからさまだ、すぐに手を動かした程度では動揺を隠しきれはしない。
「護衛ならばそなたにも立派に務められる」
「何にも話さないの」
「言ったろう、迷惑をかけるつもりはない。我には杖を振るう以外に脳はないのだから」
 それ以上の返事は聞くつもりはない、とでも言うように、人混みに紛れて炊き出しの場へ戻って行った。苛立ちは消えなかった。ワダツミを愛している事が、端々から見て取れる。何が杖を振るう以外に脳はないだ。あれほど丁寧なワダツミ食を食べたのはいつぶりか。
 かの時敵対した男が、これほどワダツミの事を思っていたとは。こうも人間味を帯びていたとは。当時知ってどうなるものでもなかったが、今は何の縛りもない幻影兵。互いを知った今なら、きっと理想の協力関係を築けるのではないか。
「ミズチ、今戻りました」
 背後で小さなざわめきが起こったと思うと、すぐにチハヤの声が聞こえた。
「先程、ザンゲツもここにいたように見えたのですが。もう戻ったのですね」
 先程まで舞台で舞を披露していた巫女が、直後に人々の前に出る事に危険はないのだろうか。広場の警護とチハヤの護衛を兼ねているが、サガの復興の為と助力している者に危害を加える事はなさそうだ。やや遠巻きに目を輝かせる人々には、敵意は微塵も感じられなかった。
「……チハヤ、炊き出しのご飯もう食べた?」
「いいえ、まだ頂いていませんが……どうでした? ザンゲツの作ったワダツミ食は」
 苛立ちは、まだ残っている。ザンゲツが触れずにいて欲しいと言うのに、つつきたくなるのは子供の悪戯心なのだろうか。そうだ、これはささやかな仕返しだ。放っておいてなんてやらない。ずっと胸に燻っていた濁りが晴れていくように感じた。

「……成程、ザンゲツがそう言ったのですね。手を取り合えると思っていた、と」
「そうそう」
「迷惑をかけるつもりはない、杖を振るう以外に脳はない、と……」
「そうそう」
 一切合切を包み隠さず、ザンゲツの言った事を伝えた。やや悪く言葉を盛っただろうか。意訳も含む、仕方のない事だろう。ふふんと鼻を鳴らすと、チハヤが小さな拳をわなわなと固めた。
「いけません、手を取るならばとことんです」
「わっ、何、どうするの」
 力強く一人で頷くと、チハヤはずんずんと人混みを掻き分けた。慌てて付いていくが、これほど勇ましいチハヤも珍しい。向かう先は、予想通りザンゲツのいる炊き出しの場。ミズチの手を引いて振り返るチハヤは、これまた珍しく、目を細めて悪戯に微笑んでいた。



「次が、本日最後の舞となります。今日は、ワダツミの童の日。子の健やかな成長と発展を願うよう、力強い舞も披露いたします。子らよ、このような力強さを持て。そしてどうか、この国の復興が叶いますように、と願って。舞わせて頂きます」
 舞台の真ん中、良く通る済んだ声。チハヤが言うと、どこからともなく拍手が鳴った。
「本日最後の舞は、私、ワダツミの巫女と、ワダツミの戦の神で、舞わせて頂きます。力強き舞にて、皆様の生きる明日を応援出来たらと願います」
 人々に頭を下げると、舞台袖に目をやって笑顔で合図をする。数瞬の間を置いてザンゲツが姿を現した。また、広場が湧く。
「炊き出しのにーちゃんじゃねーか!」
「巫女のねーちゃんと知り合いだったのかよー!」
 囃し立てる声が交う。楽し気に茶化す声だったが、ザンゲツは誰とも目を合わさず視線を落としていた。
「舞台の上に立つ者、背筋はしゃんと伸ばすものですよ」
 人々の声に混じって、チハヤが笑う。ぐっと息を詰め、視線を上げた。今日何度もチハヤの舞に魅了された者達が、チハヤの舞を楽しみに来た者達が、今か今かと待ちわびている。奥歯を噛んで、舞台袖に目をやった。
「そなたの力を、私にお貸し下さい。今日の童の日、私達とそなたで同じ目的の筈」
「まさかこうなるとは、誰も思いはせん」
「いつまで言っているのです。杖を振るうしか能がないというのなら、思う存分振るって貰いますよ」
 ばしりと背中を叩かれてぎょっとした。悪戯な顔をしたチハヤが楽し気に笑う。
 味方にするならいざ知らず。自らが味方になろうものなら、台風のように巻き込む女子だと、内心ため息を吐いた。



 最後の舞が始まる前。
 ミズチを連れたチハヤは、ザンゲツのいる炊き出しへ堂々と足を踏み入れた。
「ザンゲツ、話があります!」
 まるで道場破りか。通る声で強く呼ぶと、奥からザンゲツが顔を出した。目を見開いていたのは一瞬、すぐに平静を持って、チハヤの前へ出た。
「……話、とは?」
 きつく細めた目、低い声。大柄な体躯で、上から見下ろす。チハヤの側のミズチに気付くと、咎めるように睨んだが、舌を出して返す。どんなに威嚇して威圧的な態度をして来ようと、先程の言葉からチハヤとミズチに気を使っているのは知っているんだぞ、と。
 知ってはいても、かの戦神の眼光は伊達ではない。一睨みは、炊き出しの周囲に集まる人々を脅えさせるに十分だった。しかし、チハヤは怯みもしない。真正面から捉え、細い手をザンゲツに差し伸べる。
「そなたも、私と共に舞台に上がって下さい」
「なっ……何だと!?」
 差し伸べられたか弱い手にも驚きを見せた様子だったが、その言葉にぎょっと目を見開いた。チハヤの陰でミズチも驚いた。
「今日は神に奉納する舞ではありません、他国に、ワダツミの文化を知ってもらう催し。そなたの武力も、ワダツミの一部。良いではありませんか、共に舞いましょう」
「舞っ!?」
 今度は声が上擦った。一歩引くが、チハヤも一歩詰め寄る。先程まで厳つく睨んでいた眼光も今は戸惑いの色が強い。何の冗談を、とでも言いたげな。差し伸べられるチハヤの手に狼狽えて首を振る。
「そなたの戦いは、舞うようであったと誰もが口にします。目の前で見た私もそう思いました。童の成長を願うこの童の日、そなたの力強さも必要だとは思いませんか?」
「誰も救えなかった力だ」
「それを! 今から救うのです! このサガの、復興の背を押すのです。そなたにはそれができる」
 何も言えず、黙って首を振る。
 詰め寄るチハヤは、戸惑うザンゲツの目を真正面から見つめていた。絶対に逃しはしない、と。
 今までに、どれほどこの力を使えていただろう。人を薙ぎ払う為、強き者を打ち倒す為、鍛えられた力は何の役に立ったのだろう。それをまさか、人々の目を惹く為の舞に使えと言われるとは。
「私の舞の違いに気付いたのでしょう、音楽は頭に入っていますね?」
 差し伸べても返されない手に痺れを切らしたのか、チハヤからザンゲツの手を取った。ぐっと息を飲む。こんなか細い手など、振り払うのは簡単だ。
「反論の言葉はもうありませんか? ないようなら、舞台袖へ急ぎますよ」
「くっ」
 弱い力が、ザンゲツの手を引く。振り払おうと拳を作ると、もう一つの手が強く掴んできた。
「復興! 手伝いたいんだろ、分かってるんだぞこのやろー!」
 ザンゲツの腕に、まるで縋るようにミズチがしがみ付いた。チハヤの手を振り払われまいと、渾身の力を込めて。
「お前っ! 自分に協力させる時はチハヤを攫っておいて! チハヤが手伝えって言ったら自分はやらないのかよ! 同じ目的なら協力できるかもって、最初は嬉しかったんだろ!」
「っ、放せ!」
「ワダツミの事、大好きなくせに! あの時のワダツミみたいに復興を頑張ってるこの国の手伝い、したいくせに! 僕とチハヤに迷惑をかけてるって思うなら大間違いだ、手伝えったら手伝えよ!」
 ザンゲツの手と言わず、逃がすまいと今度は胴にしがみ付く。着物を掴んで引き剥がそうと試みるが、意地でも離れまいと掴む力は予想以上に強い。
 チハヤから距離を取りたかった筈が、簡単には離れないミズチに思わずチハヤを見てしまった。ミズチの怒号に同じく驚いていたチハヤだが、ザンゲツの何とかしてくれと惑う視線に気付くとくすくすと笑んだ。ザンゲツを掴む手は離さない。
「……我が名はチハヤ、大義の為、亡国ワダツミの戦神ザンゲツ殿を迎えに参った」
 ぐ、と息を止めた。
 ああ、彼女は覚えている。初めて会った時の、攫った時の事をしっかりと覚えている。その上で、確かに、今の自分の力を必要としているのだと。
「……力づくで従えようとする者が、正義の筈がなかろう」
「愚かなり、相手の強さも読めませぬか。……ザンゲツ、あなたは今二対一。我が覇業の為、大人しく、降伏して下さい」
 チハヤの手は迷いもなくザンゲツの手を握る。ミズチは必死でザンゲツの胴にしがみ付く。
 愛したワダツミを救いたかった。夕陽の美しい故郷を救いたかった。その思いを抱えて生き、成す事なく死を迎えた。幾年と過ぎた今、同じ復興を目指す国で任務を与えられたのはどういう星の巡りあわせか。
 すん、と鼻を鳴らした。二対一では仕方がない。
 チハヤの手を握り返した。



 囃子が段々と拍子を速めていく。大太鼓は小太鼓の音を刻みながら音を強め、広場の人々の腹まで響かんと振動が地を伝う。堂々と構えるチハヤの斜め後ろ、控える臣下のようにザンゲツの眼光が光る。
 チハヤの足が舞台を滑ると合わせてザンゲツも走り、大股で、しかし乱雑さを感じさせず着物を揺らす。チハヤが指先で水平に宙を切る側で、ザンゲツがふわりと飛び上がって杖で宙を斬る。チハヤが舞台を強く踏み鳴らすと同時に、ザンゲツの杖が舞台に刺さるのではないかという強さで叩き付けられる。
 ザンゲツが杖を振る影、ごうごうと炎が燃えているようだった。誰も彼も打ち倒さんとする力強さに加え、大振りな杖は不思議とチハヤの開く扇子と同じ動きをして後ろで仕える。
 ザンゲツの戦いは舞のようだ、という言葉は確かだった。先程まで囃し立てていた人々はチハヤとザンゲツが交わす舞に目を奪われる。台風に炎が混じれば、このような力強さがあるものかと。
 あの時手を取り合えなかった。それが、今こうして。他国の復興を願って今一度手を取り合った戦神と巫女の舞は、あまりに強く、美しかった。始めは惑っていたザンゲツの目も今は静かに、今にも天に昇らんとする竜のチハヤを見送る。
 ミズチも、じっと二人の舞を見つめていた。



 今日は、童の日。鯉が天に至り、やがて竜になる。
 ミズチと名付けた両親の願い通り、竜のように立派になれただろうか。まさに竜となるチハヤの遥か頭上、あまりの大きさを誇るコイノボリが、未だに鯉の姿のままで空を泳いでいる。
 チハヤが竜と化し天に上った広場の真ん中。人々に紛れてザンゲツとチハヤを見る。
 このサガは、どうか童の姿で終わる子がいませんように。どうか、みな竜のように立派に育ってほしい。
 コイノボリを泳がせるサガの風は強い。復興の後押しも強い。サガの民はその風に吹かれ、皆幸せそうに笑った。
2/2ページ
スキ