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はちみつ色など生ぬるい

 言葉を、獲物を交わし合ったのはその日が最初で最後だった。その後ワダツミは滅び、奴は生きているかも分からない。後に、十戒衆の者に敗れたという話を聞いた。いつかする再戦を心の底から望んでいたのだと、奴が死んでから気付いた。もう二度とこの剣を奴に向ける事はできないのか。もう二度と、奴と決着を着ける事はできないのかと。
 誰にもその落胆を共有する事はできず。あの日の握り飯はちゃんと美味かったのかどうかすらも、もう知る事はできないのだと思うと。流れ着いた異国で見る夕陽は、酷くぼやけていた。

「ザンゲツなら向こうで鍛錬をしていた」
「さっき武器の手入れをしていたのは見たんだけど」
 まるで聞き込みでもしているようだ。方々を訪ねながら、見付からないザンゲツはいないかと声をかけてはまた次の場所へ歩く。昼過ぎに探し始めて既に陽が落ちる時間。今は、食材の買い出しに行っているのだという話から、台所で米を洗って待っていた。誰もいない台所で夜な夜な料理をしている事は知っている。その為の買い出しだろう。ならば米の下ごしらえくらいはしてやろうと思い立ったのだった。
「全く、忙しない男だ」
 米が砕けぬようたっぷりの水を張った中、鉤爪に曲げた指で器の底を掻くようにざぶざぶと米を洗う。それから、白く濁った水に浮かんだもみ殻をざっと零す。数回繰り返し、釜に移した。使うならばザンゲツが勝手に焚くだろうと、蓋をして置いておく。
 手を拭き、台所を出た。先程よりも傾いた陽が、光を和らげて照らしてくる。このままザンゲツが帰ってこなければどうするか。もしかすると、誰かの使いで買い出しに行ったという可能性もある。ここへ戻ってこなければ渡せないのだろうかと、バレンタインチョコの包みに視線をやった。
 ザンゲツが死んだという話を聞いた時。生前の喪失感を今も覚えている。
 大昔の決着を着ける事も、今ならできる。共に高め合えることも、今ならできる。しかし幻影兵として召喚されたザンゲツは、錬金術師と時折話をしているのみで、日々黙々と鍛錬している姿が多くあった。生前のように、質実剛健と立ち回る姿は、めっきり見られなくなった。

 燃えるような火の目をしていると思っていたが、まるではちみつのように見えたのはいつだったか。戦いを前にしていないザンゲツの目が、記憶にあるほど鋭くはなかった。まるで菓子のように甘い、というと大げさだが、厳しさや強さの感じられない目。それがやけに頭に残っていた。

 自信がなかった。真剣に作ったバレンタインチョコを、受け取ってくれるだろうか。
「……スズカか?」
 思い悩む側、まさに。待ちわびた声に名前を呼ばれ、肩を跳ね上げた。
「ざっ、ザンゲツ!」
 思わず背筋を伸ばして振り返ると、片手に荷物を抱えたザンゲツが訝しげに首を傾げていた。太陽もやがて夕陽になろうという時間帯か。
「ここへ来るなど珍しい。用事でもあるのか」
「あっ……! あ、ああ、もちろんだ!」
 緊張して上擦った声にザンゲツが怪訝そうに眉を寄せたが、そうか、とだけ言うとくるりと背を向けた。
「ならば我はそなたが使い終わった後に来よう。気にせず使え」
「なっ!? 違う! 用事はそなたにだ!」
「我に用事とな?」
 台所に用があると勘違いされていたようだ。振り返り怪訝な顔を更に傾げられ、言葉に詰まった。思わず、持っていた包みを後ろ手に隠した。がさりと鳴るが、ザンゲツの表情は変わらず、何のことかと眉を寄せたまま。
「その……いや、最近そなたが任務へ出ているのを見ないと思ってな」
「何、そんな事か」
 寄せていた眉間の皺がはがれ、目尻を和らげた。いかつい顔をしているが、やはり以前ほどの鋭い眼光はなかった。むず、と背が痒くなる。大昔に相対した男は、本当にこの男だったか。
 ザンゲツは荷物を下ろし壁に凭れさせた。
「錬金術師殿は、日々新しい幻影兵と出会っている。伝説のごとき強さを誇った者や、大昔のおとぎ話に出てくるような者まで」
「あ……ああ」
 濁す為に言った問いだったが、存外真面目に答えるものだ。そう思ったが、つらつらと話すザンゲツの目は、気付けば以前見たはちみつのような色をしていた。荷物を置いて空いた腕を組み、壁に肩を凭れてスズカを見る。
「我など並ぶのも恐れ多い幻影兵が増えたものだ。戦にて名を上げた戦士。今の世界を作った者の一人もいたか。並みの人間では得られない力を持った者が溢れかえっている」
「……」
 何を言わんとしてるか。察し、全身の毛が逆立った。ぎっと睨みつけたが、はちみつ色の目で見つめ返すザンゲツは怯む様子などなく、淡々と続ける。
「任務へ行っているのはそのような者達がほとんどだ。強大な力で溢れたこの世界、我のできる事など今はそれほどない」
「そなた! 本気でそう思っているのか!」
「冗談で言っているとでも思ったか」
 怒鳴るが、返すザンゲツの言葉は酷く冷静だった。瞳はこちらをじっと見つめ返し、ぴたりと動かない。ぎり、と拳を握りしめた。
「見損なったぞ、ザンゲツ」
「そうか」
「そなたは大馬鹿者だ!」
「ああ、祖国ワダツミの復興を果たす事も出来ず、行き当たりばったりで死んだ大馬鹿者だ。すまぬな、そなたはあの決闘からも研鑽を積み自らの腕を鍛えていたというのに。我と名を比べられては恥もあろう」
「黙れ! それ以上言うな! そなたは何も分かっておらぬ!」
 持っていたバレンタインチョコの包みをぐしゃりと握る。力任せに振りかぶり、ザンゲツに思いっきり投げつけた。顔にぶつかる手前、ぱしりと掴まれる。
「真剣勝負! そなたに決闘を申し込む!」
「……断る」
 怒鳴るように告げた。が、ザンゲツは緩く首を振った。受け止めた包みをしばし眺めてから、歩み寄って返す。
「そなたは、生きている間にも良き出会いに恵まれたと聞く。幻影兵として任務を過ごす中でも強者と手を合わせている。……我よりも強き者など、いくらでもいたはずだ。過去の決着など、今更着けずとも分かる。そなたは強い。我よりも」
 ぐ、とバレンタインチョコの包みを押し返された。
 投げつけた中身が無事かどうかよりも、それに酷く動揺した。決闘の申し込みを断られるとは思ってもいなかった。

 あの日、決闘をした日。まるで、太陽と戦っているかのような高揚感があった。まるで火の化身とでも手合わせしているような豪快さがあった。火を纏い舞うように戦うその姿に、憧れさえ持っていたかもしれない。
 その後どんな強者を見ても、手を合わせても、その姿が頭から離れなかった。たった一つ、決着の着かなかった戦い。いつか果たそうと思いながら、生きているうちに果たす事はできなかった。そんな特別な思いを持っていた。ただ一つの特別だったのだ。

 押し返されたバレンタインチョコの包み。ザンゲツの胸倉を掴み引き寄せると、眼前に押し付けた。
「これは、他の誰にも代わる事のできぬ決闘だ。誰がなんと言おうと、受けてもらうぞ」
「……この決闘に意味など」
「ある。あの頃よりも拙者は強くなった。それをそなたに見せつけ、そして打ち勝たねばならない」
「……結果は見えている」
「自分よりも強き者など世界には大勢いる! 拙者が尊敬し憧れた者がそんな事も知らぬか! 拙者はそなたと戦いたいと申しておるのだ、なぜそれが分からぬ!」
 先程まではちみつの溶けていたような瞳が揺れる。構わず、掴んだ胸倉を更に強く引く。
「拙者は一人武者修行を続けたがそなたは違うだろう、そなたのやり方で我らが祖国ワダツミを守ろうとしたのだろう! 何を下卑る事がある!」
「っ、ワダツミに我の手など必要なかったのだ! 何一つ成し遂げられず、この名ばかりが残る!」
「そなたの名を残したのは拙者だ! 大馬鹿者!」
「……!?」
 目を丸くする。隙をつき、掴んだままのザンゲツの着物を強く引っ張り体勢を崩した。目にもとまらぬ速さで体重の乗ったザンゲツの片足を払い、どっと地面に伏せた。尚もザンゲツの胸倉を掴み、腹に馬乗りになる。
「ぐっ、う」
「名のある者は幻影兵となって呼び出す事ができると聞いた。それならば、拙者が名を上げ、そなたの名も同時に民衆の耳に焼き付ければ! 互いに幻影兵となり、生前に果たせなかった決着が着けられるだろう!」
「っ、そなた、そんな事の為に」
「そんな事とはなんだ! 拙者にとってはどれほど待ち望んだ事か、そなたは……知らぬであろう……」
「……」
 今も、眼光鋭くはないザンゲツの目。陽が落ちた夕陽が映り、ゆらゆらとその目に溶け込んでいる。あの日頭に焼き付けられた太陽のような存在は、今もまだ火は消えていない筈だ。そう信じて、今まで戦ってきた。あの日がまるで青春の一幕だった。それほど、大切な記憶となっていたのだ。
 握り締めていたバレンタインチョコの包みを、ザンゲツの胸に押し付けた。
「改めて。真剣勝負、決闘を申し込む」
「……我の名と並べられるなど。そなたにはもっと、強き好敵手がいただろうに」
「知らぬ。拙者が唯一決着を着けられなかった者はそなただ。そなたと戦うために召喚に応じた。全て、本望だ」
「……そうか」
 静かな声がぽつりとなる。胸に押し付けられた包みをじっと見ているようで、迂闊に動く事はできなかった。
 受け取ってくれと、心から願う。再戦申し出るまでの勇気を乗せたのだ。受け取ってもらえなければ、もう二度と決着は。
 願うスズカの手から、がさりと。ザンゲツが包みを受け取った。
「ザンゲツ」
「我と戦うために召喚に応じたなどと言われては、断る事はできないだろう」
 皺だらけになった包みを受け取り、ザンゲツはにっと笑った。
「熱烈な真剣勝負の申し出、受けて立とう」
「……! ああ! 楽しみに待っていよう!」
 やはり、太陽のような男だ。夕陽の溶けたその瞳の中、同じ故郷の夕陽が焼き付いている。待ち望んでいたのは、この男だった。

おわり
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